水徒端早芙子には幼い頃から親しくしていた親友がいた。
名は鸙屋敷栞――早芙子と同じ新華族、鸙屋敷家の令嬢である。
尤も、鸙屋敷家は血筋が旧華族に近く、伯爵位を授爵している新華族でも有数の名家だった。
「早芙子さん、良いなあ……。第一皇子殿下とあんなに近くでお話しできて……」
「まあ、私のような者には縁の無い世界の御方だよ、彼は。神皇陛下の勅許を賜るなど、水徒端家の家格では考えられない」
教室に戻った早芙子と栞は隣同士の席で、休み時間に取り留めのない話をしていた。
はぁ、と一息吐いた早芙子の様子から、親友の何かを悟った栞は揶揄うように目を細め、早芙子を小突く。
「案外そうでもないかもしれませんよー? 風の噂ですけど、皇族方の御結婚相手、どうもご本人達でお決めになる方針みたい」
「何?」
「勿論、陛下の勅許は必要でしょうけれど、そこまで家格は問わないらしいですよ?」
早芙子が珍しく反応したのを見て、栞は含み笑いを深めた。
色恋沙汰の話題など、普段は澄まし顔で聞き流すのだから、分かり易いものだ。
「やっぱり、期待しちゃいますよねー」
「い、いやそういう訳じゃ……。ただ、意外だと思っただけだ!」
「もう、早芙子さんったら素直じゃありませんわねえ。第一皇子殿下は国中の女子の憧れで競争相手は多いのですから、それでは先を越されてしまいますよ?」
栞の情報が事実ならば、早芙子にとっては諦める理由が一つ消えたことを意味する。
しかし、彼女はそれでも踏ん切りが付かない。
「いやでも、やはり私は相応しい相手を御父様が決めてくださる筈だし……」
「えー、でも賽造おじ様、平民の未亡人と再婚なさるおつもりでしたじゃない? 多分、どうしてもお相手が居ない時はお見合い相手を探してくれますけど、基本的には自由恋愛に理解がある方だと思いますよ?」
栞はまたしても早芙子から退路を奪おうとする。
「栞は何故そこまで私と殿下を結びたがるんだ……」
「それは、好きな人と一緒になれる余地があるなら、それに賭けてみるべきだと思うもの……」
ああ、成程……――早芙子は栞の態度に納得がいった。
鸙屋敷栞には既に、親が決めた婚約者がいる。
つい最近、良縁が決まったそうだ。
「栞、誰にも言わないから正直に言って欲しい。相手はどうなんだ?」
「ん? 違いますよ。別に嫌いとかではありません。屹度、素敵な方」
「そうか……」
早芙子は一抹の寂しさを覚えた。
親友がどこか、ほんの少し遠い存在になってしまった様な、そんな気がした。
貴族としての大人の階段を昇った、と云うべきか。
そういえば早芙子は、誰かの伴侶になることを明確に想像したことがあっただろうか。
ふと早芙子は、獅乃神叡智のことを想う。
もし仮に栞の云うとおり、獅乃神の傍らを得られたとして、そこに収まることなど出来るだろうか。
自分が将来、皇國の皇后として全臣民の範となることなど出来るだろうか。
(ああ、とても無理だな。屹度、重荷に耐えられない)
早芙子は気が遠くなった。
確かに、獅乃神叡智ならば、強過ぎる自分のことをも何ら問題なく抱擁してくれるだろう。
この世の誰よりも安心して身を預けることが出来るだろう。
だが代償として背負うことになる重責は、屹度その恩恵をも軽く吹き飛ばしてしまう。
度が過ぎた高貴な身分に嫁ぐことなど、おそらく楽ではない。
そう思うと、早芙子は親友がいつもより大きく輝いて見える様だった。
栞は既にそれを呑み込み、高みへと飛躍しようとしているのだ。
「好い人、なのか?」
「うふふ……」
栞は夢見る様な笑みを浮かべた。
「鷹番公爵家当主、夜朗様」
「え!?」
これには流石の早芙子も魂消た。
鷹番公爵家は皇國最高峰の名門・六摂家の一角である。
その当主に嫁ぐとは、如何に鸙屋敷伯爵家とはいえ、途轍もない良縁である。
「鷹番卿……! どういうことだ? てっきり旧華族から伴侶を探されるものだとばかり……!」
「ま、超上流階級の皆様はわからないことも多いですからねー。因みにもうすぐ籍を入れまーす」
「凄いな、栞。おめでとう!」
早芙子は手放しに親友の結婚を祝福した。
しかし二人は知らなかった。
鷹番夜朗が新華族から妻を娶るのは、彼に旧華族からは誰も令嬢を嫁に出さなくなったからだということを。
彼は余りにも性にだらしが無く、毎日毎晩相手を取替引替しては男女問わずに食い散らかしているのだ。
因みにこの一年後、獅乃神叡智は一桐公爵令嬢の綾花と婚約するが、綾花の急逝により僅か一年足らずで破談となる。