※この作品はR-18です。

日本と皇國の幻争正統記・好色秘伝   作:坐久靈二

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四

 鷹(たか)番(つがい)栞(しおり)――旧名・鸙(ひばり)屋(や)敷(しき)栞(しおり)は、結婚して一年で不可解な自殺を遂げた。

 その訃(ふ)報(ほう)は、程無くして親友の水(み)徒(と)端(はた)早(そ)芙(う)子(こ)にも伝わった。

 その顛(てん)末(まつ)は、早(そ)芙(う)子(こ)に貴族社会への疑念を抱かせるには充分だった。

 彼女は修(しゅう)身(しん)院(いん)大(だい)學(がく)への進学をやめ、一般の私立大学への進学を選んだ。

 

 早(そ)芙(う)子(こ)は進学先の大学で、一人の先輩男子学生と親しくなった。

 今日はそんな彼と待ち合わせをし、裏町を案内してもらうことになっている。

 貴族社会に生きていた頃には触れ合うことの無かった世界が知りたかったのだ。

 

「文(ふみ)也(や)!」

 

 大学の正門へ向かっていた早(そ)芙(う)子(こ)は、男の姿を認めて駆け寄った。

 黄(つ)柳(げ)野(の)文(ふみ)也(や)――もう何年も在学しているという美青年で、小柄で細身でやや幼い顔立ち、そして強い意志を秘めた眼(め)が印象的である。

 

「悪い文(ふみ)也(や)、待たせたかな?」

「僕(ぼく)が好きで待ったんだよ。この社会で生きて行くには時間という支配者に隷属しなければならない。逆に言えば、無為に時間を浪費することこそが人生に於(お)ける究極の贅(ぜい)沢(たく)なのさ。愚かな成功者はこの贅沢を知らないけれどね。憐(あわ)れなものだよ」

「ふふ、御(お)父(とう)様(さま)が聞いたら頭を抱えそうな言葉だ。だが、そうかも知れないな」

 

 早(そ)芙(う)子(こ)の父・水(み)徒(と)端(はた)賽(さい)蔵(ぞう)は世界を股にかける実業家である。

 それ故、娘が庶民の生活を知りたいと言いだしても、それで知見を広められるならばと理解してくれた。

 水(み)徒(と)端(はた)男爵は愛の深い男で、事業の傍ら二人の娘の相手も決して疎(おろそ)かにしなかった。

 しかしそれでも、父は何処(どこ)までも上流階級の人間だった。

 

「文(ふみ)也(や)には色々なことを教わってばかりだな」

「そうでもないさ。僕(ぼく)は早(そ)芙(う)子(こ)さんと過ごす時間が楽しくて仕方が無いからね。確実な幸せが訪れるのを待つ瞬間にこそ、実は本当の幸せがあるものさ。僕(ぼく)は早(そ)芙(う)子(こ)さんに、そんな掛け替えの無いものを貰(もら)っているんだよ」

 

 黄(つ)柳(げ)野(の)文(ふみ)也(や)との会話には、この様に何処か浮き世離れした哲学的な話題が多い。

 しかし彼は人生に於いて大切なことを確信している――澄んだ眼がそう語っていた。

 早(そ)芙(う)子(こ)もまた、文(ふみ)也(や)と過ごす時間が好きだった。

 獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)の様な力強い頼もしさとは異なる、聡(そう)明(めい)さと安心感に満ちたところに惹(ひ)かれていた。

 

「では早(そ)芙(う)子(こ)さん、行こうか」

「ああ」

 

 早(そ)芙(う)子(こ)は文(ふみ)也(や)に守られているような気がした。

 彼と居ればこの風景の中に自分が存在しても許される気がしたのだ。

 栞(しおり)の死以来、早(そ)芙(う)子(こ)は心に黒い靄(もや)を抱えていた。

 しかし文(ふみ)也(や)はそんな彼女の闇を理解し、受け止めてくれる。

 

「そうだ、早(そ)芙(う)子(こ)さん」

「どうした、文(ふみ)也(や)?」

 

 文(ふみ)也(や)は突然何かを思い出したように立ち止まった。

 

「実は近い内に、会わせたい人が居るんだよ。折(せっ)角(かく)だから、今日この後で彼のことも呼んで良いかな?」

「会わせたい人?」

「簡単に言えば、僕(ぼく)に自分の道を教えてくれた人だよ。彼に会えば、屹(きっ)度(と)君(きみ)の悩みの答えも見付かると思うんだ」

「文(ふみ)也(や)……」

 

 早(そ)芙(う)子(こ)は嬉(うれ)しかった。

 文(ふみ)也(や)は自分の悩みに対して真剣に向き合ってくれている。

 自分の為に態(わざ)々(わざ)人と会う約束まで取り付けて、手間を掛けてくれる。

 

「ありがとう。文(ふみ)也(や)がそこまで言う人なら、私(わたくし)も是非会ってみたい」

「本当かい? では、彼の都合を確認してみるよ」

 

 文(ふみ)也(や)はそう言うと、何者かに電話を掛けた。

 相手の合意も取れたようで、会合の席を設けることになった。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 二人は喫茶店に入り、テーブル席に向かい合って坐(すわ)った。

 

「もう少しで来ると思うから、何か頼んでおこう」

「ああ。文(ふみ)也(や)は何が良い? 遠慮せず、好きなものを頼んでくれ」

「いや、今日は早(そ)芙(う)子(こ)さんの奢(おご)りじゃなくて良いよ。僕(ぼく)が無理を言って来てもらったんだし、この後で人も来るからね」

 

 そんな話をしつつ、二人は飲み物を注文した。

 早(そ)芙(う)子(こ)の珈琲(コーヒー)が届いた頃、見計らったかのように一人の壮年男が入店してきた。

 どうやら待ち人が来たようだ。

 

「初めまして。安(あん)珍(ちん)清(きよし)と申します」

 

 長身の男だった。

 黒い装束は、どこか加特力の神父を思わせる。

 洗練された雰囲気を纏(まと)っているが、どういう訳かいい知れぬ不穏さもまた含んでいる。

 

(なんだ? この男、どこかで……)

 

 早(そ)芙(う)子(こ)は安(あん)珍(ちん)に見覚えがあった。

 しかし、どういう訳か全く思い出せない。

 そんな早(そ)芙(う)子(こ)の不安を余(よ)所(そ)に、安(あん)珍(ちん)は文(ふみ)也(や)の隣に腰掛けた。

 

「扨(さ)て、水(み)徒(と)端(はた)早(そ)芙(う)子(こ)さん、でしたかな?」

「あ、はい」

「黄(つ)柳(げ)野(の)君から話は聞いています。何か、悩みがあるそうですね」

 

 安(あん)珍(ちん)は早(そ)芙(う)子(こ)をじっと見詰めてくる。

 その視線に、彼女は生まれて初めて恐怖を覚えた。

 

(この眼は……引(ひ)き摺(ず)り込(こ)まれる……! 文(ふみ)也(や)、どうして?)

 

 早(そ)芙(う)子(こ)は助けを求める様に文(ふみ)也(や)の方へ目を遣った。

 しかし、文(ふみ)也(や)もまた早(そ)芙(う)子(こ)を真(まっ)直(す)ぐに見詰めている。

 普段、早(そ)芙(う)子(こ)はこの眼で見られると、自分のことを包み隠さずに話すことが出来る。

 それが今は、包み隠すことを許していない様だ。

 

「私(わたくし)は……」

 

 早(そ)芙(う)子(こ)は観念して話すことにした。

 親友の栞(しおり)が鷹(たか)番(つがい)公爵家に嫁ぎ、そして非(ひ)業(ごう)の死を遂げたこと。

 それを切掛に、自分が皇(こう)國(こく)の貴族社会に疑念を抱くようになったこと。

 

「ふむ、成程……。それは大変胸の痛む話だね……」

 

 顔を顰(しか)める安(あん)珍(ちん)だったが、その仕草にはどうにも胡(う)散(さん)臭(くさ)さが漂っている。

 早(そ)芙(う)子(こ)は話してしまったことに後悔を覚えずにはいられなかった。

 

「しかしだ、君(きみ)も解(わか)っているとは思うが、このまま貴族社会の闇に目を背け続けたところで、君(きみ)は決してその柵(しがらみ)から逃れられはしない」

「やはり……そうでしょうか……」

「当然だ。抑(そもそ)も、君(きみ)は水(み)徒(と)端(はた)家から離れるつもりはあるかね? 君(きみ)の通っている大學の学費は決して安くない。修(しゅう)身(しん)院(いん)と比べれば庶民に馴(な)染(じ)んだつもりかも知れんが、それでも何不自由なく通えているのは男爵令嬢としての恩恵に与(あずか)っている証左に他ならない」

「それは……解っています……」

 

 早(そ)芙(う)子(こ)は膝の上で拳を握り締めた。

 正直、これは安(あん)珍(ちん)の言うとおりだと思った。

 だが、そんな彼女を見て安(あん)珍(ちん)は深い溜息を吐く。

 

「解っていないよ。では我(わが)輩(はい)が、君(きみ)に真実を教えてやろうではないかね」

「え?」

 

 安(あん)珍(ちん)が合図をすると、一人の女が入店してきた。

 ピンク色のラメが入った服を着た、如(い)何(か)にも派手な装いと厚化粧が印象的な女だった。

 

「どうも、貴族のお嬢さん」

 

 女は早(そ)芙(う)子(こ)の退路を塞(ふさ)ぐ様に隣の席に腰掛けた。

 

「あの、貴女(あなた)は?」

「そうだね……お前のせいで酷(ひど)い目に遭った女、とだけ言っておこうか」

「何……?」

 

 女は憎しみに満ちた笑みを浮かべ、早(そ)芙(う)子(こ)を睨(にら)める様に見詰める。

 その表情は、どこか蛇を思わせた。

 

「実はね、酷い婚姻には君(きみ)も無縁ではないのだよ、水(み)徒(と)端(はた)早(そ)芙(う)子(こ)君。鸙(ひばり)屋(や)敷(しき)栞(しおり)が鷹(たか)番(つがい)夜(よる)朗(あき)と結婚した頃、君(きみ)の御(お)父(ちち)上(うえ)もまた君(きみ)の縁談を進めていたのだ」

「え?」

 

 初耳だった。

 しかし、父親がそういう話を進めるであろうことは、早(そ)芙(う)子(こ)自身解っていたことだ。

 

「君(きみ)の父上は猪(いの)熊(くま)子爵家との縁談を進めようとしていた。鷹(たか)番(つがい)の結婚から一年が過ぎた頃、つまり栞(しおり)嬢が亡くなった頃だ。だが彼女の不幸があって、水(み)徒(と)端(はた)賽(さい)蔵(ぞう)はこの話を考え直した。動(やや)もすると、君(きみ)のこともまた不幸な目に遭わせるかも知れないと恐れたのだ。そして調査の結果、縁談は立ち消えになった」

「私(わたくし)は……栞(しおり)が死ななければ……結婚していた……?」

「うむ。君(きみ)の縁談が無くなったのは、猪(いの)熊(くま)子爵家に恐るべき秘密があったからだ。君(きみ)の縁談相手には悍(おぞ)ましい性癖の弟が居た。弟は女を甚(いた)振(ぶ)ることがやめられない真性の嗜虐趣味者(サディスト)だった。それが破談の理由だ」

「そう……か……。鷹(たか)番(つがい)公爵といい、これが皇(こう)國(こく)の貴族社会……」

「他(ひ)人(と)事(ごと)の様だがね、君(きみ)の御父上はこの事実を決して公表しなかったのだよ。その結果が、君(きみ)の隣に居る彼女の身内に厄災として降り掛かったのだ」

 

 早(そ)芙(う)子(こ)はギョッとして隣の女を見た。

 厚化粧の裏に、憎(ぞう)悪(お)に満ちた眼を輝かせている。

 

「猪(いの)熊(くま)家の次男坊はな、私(わたし)の妹と結婚した。そして、殺したんだよ! 水(み)徒(と)端(はた)家が貴族社会での地位を守る為に、猪(いの)熊(くま)子爵家の秘密を握(にぎ)り潰(つぶ)したせいでこうなった! お前だって無関係じゃない! だってそうだろう? 水(み)徒(と)端(はた)賽(さい)蔵(ぞう)はお前のことだけ守ろうとしたんだから! お前は守りたかったが、私(わたし)の妹のことはどうでも良かったんだ!」

「そんな、違う……! 御父様は、そんな人じゃ……」

「そこで親(おや)父(じ)を庇(かば)う時点で、お前も薄汚い貴族共と同じ穴の狢(むじな)なんだよ!」

 

 早(そ)芙(う)子(こ)は激しく糾(きゅう)弾(だん)された。

 テーブル席は、彼女を吊(つ)るし上(あ)げる法廷と化した。

 

 斯(か)くして、水(み)徒(と)端(はた)早(そ)芙(う)子(こ)は安(あん)珍(ちん)清(きよし)――本名・道(どう)成(じょう)寺(じ)太(ふとし)により自己批判を迫られ、革命戦士となることを余儀無くされた。

 新華族の令嬢が叛(はん)逆(ぎゃく)者に堕(お)ちたという悲報は皇(こう)國(こく)上流階級に衝撃を与えた。

 結果、武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)など叛逆組織の勧誘は、特別高等警察から厳重に取り締まられることになる。

 そして皇(こう)國(こく)内に増員の当てを失くした狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)は別時空の日本に手を伸ばし、軈(やが)て八(はっ)卦(け)衆(しゅう)による拉致へと奔(はし)るのだ。

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