稀代の女流剣士、最強の革命戦士である黄柳野早芙子、本名・水徒端早芙子の、華麗にして英傑なる一刀が遂に真価を発揮する。
『術識神為・羅刹刻』
獅乃神の腰から肩口に掛けて、袈裟懸けに一筋の光が奔る。
これは早芙子が想像によって作り出した未来の切断面である。
術識神為・羅刹刻の能力原理とは、この光に合わせて刃を走らせると対象の強度に関わらず確実に切断されるというものだ。
この光が走った時点で、既に斬ったという結果が作られている。
後は其処に刀筋の帳尻を合わせれば良い。
反面、太刀筋が少しでもずれる、もしくは斬撃を止められると不発に終わってしまう。
また、この一筋には術者の腕前や刃の出来映えに反比例して膨大な神為を消費する。
早芙子はこの一太刀を確実に決める為に剣速と剣線を磨きに磨き抜いてきた。
その洗練の極みの様な剣技がまさに、絶対強者と謳われし獅乃神叡智に襲い掛かった。
しかし、確実に相手を斬る筈だった彼女の刀は、獅乃神の体に刃が入ったかと思った瞬間、粉々に砕け散ってしまった。
(莫迦な……⁉)
あり得ない結果に早芙子は困惑を禁じ得ない。
そんな彼女を余所に、獅乃神の興味は砕けた刀に移っていた。
「その鍔拵、先程砕けた刃紋、見覚えがあるぞ。嘗て父上が水徒端家に贈賜され給うたという名刀・有明左文字であろう。家宝を持ち出した上に壊してしまうとは、誠に怪しからんことだとは思わんか? どう埋め合わせるつもりなのだ」
「だ、黙れ!」
家を出た際に持ち出し、共に戦ってきた愛刀を失ったことは痛恨である。
しかしそれ以上に、対象物を確実に両断する筈の能力が通用しなかったことの方が問題であった。
状況への対応に思考を巡らせる早芙子。
獅乃神はそんな彼女の右手首を軽く掴む。
「なっ……。くっ、放せ!」
「見よ、この鍔の意匠、文様。素晴らしき仕事だとは思わんか? 鍔とは、元々は刀を鍛える際に余った鉄で拵えたものに過ぎなかった。だが時代が下るとともに高まった武将の美意識に応えるべく、職人達は技術を研鑽し、妥協無く拘り抜かれ仕上げられた芸術性の高い鍔形が作られるようになった。これこそはその中でも正に珠玉の逸品。神韻縹渺たる大日本の伝統工芸。そしてその偉大なる民族の歴史は数多の苦難を経て幾星霜の果てに世界一の国家となって実を結んだのだ。これは誠に誉れ高きことだぞ。なのに汝らは一体何が不満なのだ。自らに流れる崇高な民族の血と、その誇りを思い出してくれ」
獅乃神は優しく諭すように早芙子に問い掛けた。
だが今の早芙子には響かない。
何故なら、その様な考えは既に道成寺太によって論破され、粉砕されているからだ。
「黙れ! 積み上げた屍を省みぬ帝国主義の亡霊が! 血塗られた手で私に触るな!!」
獅乃神の蟀谷に早芙子の上段蹴りが炸裂した。
剣術だけでなく、徒手空拳も確りと鍛錬済みである。
しかし、異変を起こしたのは攻撃した早芙子の方だった。
「っああぁーっ!」
早芙子は蹴りを繰り出した右脚を抱え悶絶した。
「あ、脚が……、折れ……たぁっ……!」
「おい大丈夫か? 寝台を貸してやるから安静にしろ。直ぐ侍医を呼んでやるからな」
獅乃神は転げ回る早芙子に慌てて声を掛けた。
しかし、彼女の脚からは腫れが引いていく。
強力な神為の持ち主である彼女の場合、骨折程度の怪我ならばすぐに修復されるのだ。
(負けるか……! 私は革命戦士……! あの頃の……理不尽な権力に対して何も出来ず、体制に迎合することしか出来なかった脆弱な御嬢様とは違うんだ……!)
早芙子は脚の修復を待つ。
彼女は諦めるつもりなど毛頭無かった。
まだ手段は残されているのだ。
早芙子は不屈の闘志を燃やして立ち上がった。
そんな様子を見て、獅乃神は安堵した様子で声を掛ける。
「おお、神為か。何だ何だ心配したではないか。しかし人をいきなり蹴るのは感心せんな。部屋に入る時からそうだが新華族の娘にしては少々不躾が過ぎるのではないか?」
早芙子は電光石火の速さで彼の後ろに回り込み、先程まで彼が酒を楽しんでいた小卓から足を引き抜いた。
「おいおい、さっきから他人の物をいくつ壊せば気が済むのだ?」
「貴様を討ち取るまで諦めはせん!」
愛刀を失おうが、思わぬダメージを受けようが、この程度で折れる彼女ではない。
それに能力を使う条件を満たすには、手に長物さえ持っていれば良い。
切れ味が悪くなると神為消費量が増えるので、普段は名刀を使っていたが、その気になれば刃すら必要無いのだ。
「今度こそ貴様に引導を渡す。覚悟っ!」
狙うは首である。
先程は袈裟斬りにしようとしたが、刀身が耐えきれず砕けた。
ならば今度は胴よりも細い首、それも骨の継ぎ目を狙い、確実に仕留める。
無論、儚い望みである。
繰り返すが皇族に特殊な能力は通用しない。
能力が作り上げる法則術理の束縛を無視出来る程、皇族の力が強大だからである。
そしてその現象は必ずしも神為に拠って成立するものではない。
もっと単純に、ただ力が強大であるだけで良いのだ。
獅乃神叡智は、神皇を含む皇族で唯一人、肉体の強度のみでそれを実現する存在である。
その出鱈目な存在そのものの力こそ、彼が『絶対強者』と呼ばれる由縁であった。
早芙子はそんな相手の首に再び光の筋を作る。
そして、小卓の脚を振るうという暴挙に出た。
「ぐぎゃあああああっ!」
部屋に早芙子の悲痛な叫び声が谺した。
先程脚が折れたのと同様、通用しなかった力はそのまま早芙子へと返ったのだ。
獅乃神は泣き叫ぶ早芙子を表情一つ変えずに見下ろしていた。
早芙子の試みが失敗に終わったのは当然のこと、その結果は更に深刻な損傷と苦痛を彼女に与えていた。
余りの事態に、早芙子は自分に恐ろしいことが起きた想像に苛まれる。
「おおおお体がっっ……右が無くなっ……たああっっ!?」
彼女が被った激痛は、右半身を失ったと錯覚させる程に壮絶なものだった。
獅乃神叡智の肉体という、余りの剛性をもつ物体に「絶対に切断する術理」という理外の力をぶつけ、通常ではあり得ぬ完敗を喫した結果、力はそのまま彼女の体に返ったのだ。
骨は砕け肉は裂け、内臓も大きく傷付いている。
しかしそれでも、神為は彼女の身体を修復する、してしまう。
「さっきから何を一人で遊んでいるのだ……」
獅乃神は呆れて溜息を吐き、早芙子を諭すように再び言葉を紡ぎ始めた。
「汝らが弱者を捨て置けんのは解る。だがそれは皇國の威光を更に輝かせ、その恩恵を満遍なく行き渡らせることで救済すべき話だ。特に救われぬ者がおるのであれば正当かつ穏当な手段で民衆や議会に訴えれば良い。誇り高き臣民達は世を動かし、選ばれし議員達も天下為公の義の下で十全に力を尽くすであろう。それこそが社会変革の王道と言うものではないか」
「黙れ黙れ黙れ!」
右半身の修復を終えた早芙子は獅乃神の言葉を遮り立ち上がった。
「もういい。この程度で屈する私と思うな! 勝負はまだまだこれからだ!」
しかし言葉とは裏腹に、早芙子の戦意は挫けかけていた。
全く勝ち筋が見えない。
そしてそんな彼女に追い打ちを掛けるように、相手である獅乃神から衝撃の言葉が飛び出した。
「勝負? そうか、汝は討論を挑んでいたのか。ううむ、受けてやるのは吝かではないが、その暴れ癖はどうにかせねばな」
獅乃神の言葉は、早芙子の心に大き過ぎる衝撃を与えた。
彼は抑も、勝負以前に他者と戦闘するという発想自体が無かったのだ。
それは彼女が命を削って尚揺るがない。
彼にしてみれば、早芙子は本当に唯、徒に自分を傷付けながら一人で癇癪を起こしているに過ぎなかったのだ。
早芙子の自信が、戦士の誇りが音を立てて崩れていく。
「ああああああっっ!!」
早芙子は叫ばずにいられなかった。
そしてその後、彼女は地獄を見る。