ぼんやりとしていた。魔眼の少女の事が頭から離れない。彼女の精神支配の影響がまだ残っているのだろうか。
その一方で、教室は騒然としている。徳島と港湾、双方のダンジョンが予告もなく閉鎖されたのだ。通行規制もされている。まさに青天の霹靂だった。政府からも、ギルドからも正式な発表はまだない。徳島支部では中級と上級探索者の一部の召喚を始めた。これは拒否権のない法令に基づいた招集である。
巷ではモンスターがダンジョンを占拠したとか、テロリストの探索者集団が立て籠もっているとか噂が飛び交っている。どうもまた休校になるみたいだ。男子達の表情は明るい。それとは反対に女子達は深刻な顔をしている。クラスメイトの問いかけに我に返った。
「探索者の人達、集められているんでしょ。二人とも、またモンスターと戦ったりするの」
「わたしと詩央姉は招集されるけど、想夜には今回令状は来なかったのよね」
「それが来なかったんだ。生徒会長や風紀委員長も招集されるらしいよ。ギルトの人に問い合わせてたけど、僕は今回留守番だって」
解せない。己惚れるわけではないが、俺は戦えるはずだ。モンスターのレギオンとも遭遇している。最初に招集されると思っていた。なのに選手権を控えている朱美や詩央、それに避難拠点の防衛で、動かし難い生徒会長達まで招集されているのに、俺だけハブられてしまった。
「おう想夜、それなら皆でカラオケ行こうぜ」
田中達が誘ってくれる。不要不急の外出が自粛されている中で遊びに行くのは最高に興奮する。非日常の中で未知との遭遇を求めるのは、少年少女の本能だから。カラオケなら、お嬢様な委員長は参加させてもらえない。待機中の朱美も来ない。生真面目な理生院はまだ戻っていない。思い切り羽目を外せる。ちなみにソプラノで歌える俺は、いつも女性パートを担当させられていた。
「御上君が参加するなら私も行こうかな」
俺は体のいい護衛らしい。女生徒の一部も参加を表明する。姦しく計画を立てていたら、物凄い剣幕で叱られてしまった。
「想夜、あなた副委員長でしょう、なに考えているのよ」
「自宅待機中に遊びに行くのは良くないわ。それなら先生にお願いして、課題を増やしてもらいます」
朱美と委員長は俺を絶対にカラオケに行かせないつもりだ。ここでスマホに着信があった。至急とか重要とかある。待ち受け画面がシーナではなく「新人ちゃん」バージョンだから、師匠的には有象無象な要件なのだろう。差出人はそれぞれ、警察の異能課と協会の次長さんだった。もう車を回しているという。
警察署に立ち寄った後、ダンジョン協会徳島支部に送ってもらう。やましい事だらけの俺は、護送されているようで居心地が悪かった。これからお偉いさんによる事情聴収が始まるらしい。魔眼の少女と自身で決着を着けたい俺には、成程どうでもいい案件だった。役員室に案内される。
そこには見知った顔があった。奏子さんだ、今日のスーツ姿も良く似合うが、やはりメイド服に勝るものはない。と言う事は隣の老人が委員長のお爺さん、水崎議員か。もう一人、40歳代に見える爽やかな男性は、港湾ダンジョンのレセプションで見かけた。夕垣生徒会長の父親の徳島市長だ。そして何と、隅っこに理生院がちょこんと座っている。奏子さんから水崎先生の紹介を受けた。
「御上想夜君、孫の雫子が世話になっている。水崎鉄真だ。君とは昔一度会っているが覚えているかね」
俺と面識があるというと言う事は親父関連だろう。親父達の合同葬儀が終わった後、わざわざ自宅に焼香に来られた、枯れてはいるが眼力の鋭い老人を思い出した。後で母に聞いたら、肩書ではなく個人としてお参りされたのだと言われた。
「中級探索者、御上想夜です。こちらこそ、委員長にはいつもお世話になっています。父の仏前に御線香を上げて頂いた方でしたか。その節はお世話になりました」
「ほう、優秀だな。これから雫子と仲良くしてくれ」
皺だらけの老人の顔が一瞬だけ華やいだ。傍らで奏子さんも微笑んでいる。次に市長さんがフランクに話しかけてきた。
「想夜君、街を護ってくれてありがとう。市民を代表してお礼を言わせてもらうよ。うちの娘とも仲良くしてくれ」
「選抜者としての義務を果たしただけです。生徒会長にはよくしてもらっています。それから父の葬儀ではありがとうございました」
先日母に問い合わせたら、父の葬儀の際、当時当選したばかりの市長が弔辞を読まれたらしい。全然覚えてなかった。後ろから奏子さんが彼を睨んでいる。俺は空いている理生院の隣に着席した。彼女が俺だけに聴こえる声で囁く。
「あなたはやろうと思えばちゃんとした挨拶も出来るのね、呆れたわ」
馬鹿にされた。ここは普通褒める所だろう。そう言えばこいつは出来ない子には優しい。だけど出来るのにやろうとしない人間が大嫌いなのだ。
徳島支部の事実上のトップ、鹿島次長が月代主任を伴って報告を始める。次長の口から本日の会合は秘匿性が高く、非公式とする事が告げられる。ここでの話し合いは他言無用となる。奏子さんは議員先生が地元にいない場合の連絡役として、理生院は政府関係のオブザーバーとして、名前を伏せて紹介された。奏子さんが理生院を見て厳しい顔をしている。
「内調ですか」
市長の呟く声を耳に拾った。
「先日、公安所属の精神操作の第一人者が精神汚染を受けているのが発覚しました」
衝撃の事実が明らかになった。この人物は洗脳系の魔眼の使い手として知られ、その清廉な人柄もあり、絶対的な信頼を置かれていた。そんな人物を洗脳できる、未登録の魔眼保持者が在野に存在する事になる。一同に緊張が走った。
「状況からして容疑者は春凪沙織、港湾ダンジョン、元未登録ダンジョンの第一発見者として、最初に疑われた人物です。選抜者4名を含む8名の公安関係者で確保に向かわせましたが、男性ばかり6名をたちどころに洗脳、護衛に従え逃走しました。彼女の写真を何枚か見てもらいますが、同一人物であることは保証します」
月代主任が事実を淡々と説明していく。配られた写真は地味子が写っていたが、最後のモノクロだけは魔眼の少女だった。銀板カメラで撮られたものだという。ダンジョン外でもデジタルを欺くスキルを、彼女は保有している事になる。絶世の美少女に全員が息を飲む。
「逃走先は港湾ダンジョン、出会い頭の探索者を洗脳して配下を増やしています。ここで魔物の異常行動を調査中の、上級探索者を含む偵察隊30名と戦闘になりました。件の少女は洗脳した探索者集団に加えて、配下のモンスターのレギオンを繰り出して応戦、結果、調査隊は壊滅します。その後仮支部の物資を接収、ダンジョン内に立て籠もられました」
「協会は何をやっている、小娘だから甘やかすのか。処分すればよかろうに」
「ちょっと待ってください。洗脳系の魔眼はモンスターには通用しないはずです。それに何故物資の接収を許したのです。焼き払うなり水浸しにするなり、遣りようはあったはずです」
水崎先生の怒号が飛び、夕垣市長が信じられないという顔をする。ここからは鹿島次長が引き継いだ。
「壊滅の原因は、調査隊の半数が洗脳されて寝返った為です。物資の接収については、事前に責任者が影響下に置かれていたため、阻止できませんでした」
ここで次長は言葉を切った。これから核心の話をするのだろう。
「脱出した女性の上級探索者が最後に鑑定を通しました。春凪沙織の魔眼は魅了、史上4人目の発現となります。支配下に置かれた探索者は全て男性、配下のモンスターも確認された限りは、全てヒト型の雄でした」
春凪沙織は『魅了』の魔眼を『石化』の魔眼と偽って登録していたらしい。彼女がその気なら、市長や行政幹部、各種団体の有力者を人知れず『魅了』する事も可能だった。そうなっていたら徳島市は詰んでいた。為政者の天敵とも言える魔眼保持者の出現に、癇癪持ちの老議員は冷徹に、柔和な市長は冷酷になった。これが二人の本性なのだろう。鹿島次長の説明は続く。
「彼女の影響下にある探索者は70名ほど、全員が中級以上でその中には上級探索者、星堂篤彦が含まれます」
星堂さん、何やっているんだと思ったが、彼に『魅了』の魔眼が通じたのは驚きでもあった。彼は強力な火魔法を操る魔法剣士で、戦闘力では日本有数なのだ。不謹慎と言われようと俺は嬉しかった。少女の魔眼が、春凪沙織の『魅了』がトップランカーを堕とせるほど強力な事、そして俺がそんな魔眼に打ち勝った事が、何より誇らしく思えた。
「で、どうする。もう自衛隊の飽和攻撃は使えんぞ」
「先生もお判りでしょう。あの時は最良だったのです」
ダンジョンクリエーションの黎明期、新宿御苑に日本最大級の東京ダンジョンが出現した。探索者によるモンスターの間引きは行わず、開口部を封鎖、市ヶ谷駐屯地の面子もあり、自衛隊の圧倒的な火力によってスタンピードに対抗した。これが意外にも上手くいく。何度か繰り返すうちに、遂に開口部が消滅した。人類側の勝利と思われたが、数日後、東京都庁地下に開口部が出現、スタンピードが発生し、都の職員と来庁者数千人が食い殺された。この災害で首都の行政は数年マヒした。
同様の事例が世界中で発生している。ダンジョンは重火器のみでの開口部封鎖を、少なくとも最初の一回は見逃す。だが、二回目以降は手痛いしっぺ返しをしてくる。わざわざ、人類にスキルをあげている。借りパクは許さないという事だろう。
「中級以上の女性探索者で大規模レイドを組みます。当支部に所属する、戦闘能力の高い選抜者には待機命令をかけてあります。各方面にも極秘に増援を要請していますので、最終的には200名を超えるかと。指揮は事情に詳しい当支部の月代が取ります。決行は四日後」
随分と拙速だ。鹿島次長はその理由として、以下を述べた。
洗脳された探索者は初めのうちは充分なパフォーマンスが発揮できない傾向がある。
脱出した女性探索者の証言では、春凪沙織と星堂篤彦は現在深層にて、上位種や特異種を洗脳中との事。手駒が増える前にケリをつけたい。
深層から戻ってくる実力者や他所からの志願者を待つのに最低、2、3日は必要。
報道関係を押さえるのはあと数日が限界。
各国のシンクタンクは、ダンジョンの大規模な変動を予測している。時間を置けば不測の事態が発生しかねない。
ここからが俺の事情聴収となる。全員に俺が関わったストーカー事件の顛末から、春凪沙織との2度に渡る交戦や、遣り合ったモンスターのレギオンについての記録が渡されている。もちろん二人が激しく交わった事はダンジョンの理なので、人の世には出していない。穏やかな雰囲気に戻った市長に問われた。
「被害者の洗脳は解除できましたか?」
「無理でした。前回から数週間しかたっていませんが、信じられない程、洗脳は強固になっています」
俺がここへ来る前に警察署へ立ち寄った理由がこれだ。ストーカーの時は俺の魔力をぶつけて吹き飛ばしたら何とかなったのだが、今日はビクともしなかった。沙織の魔眼は恐ろしい程進化している。次に水崎議員が尋ねてくる。
「勝てそうかね、遠慮はいらん。魔眼の小娘と遭遇して無事だった男は君しかおらんからな」
「彼女の操る魔物は戦士として鍛えられています。それが人間の戦法や戦術を叩きこまれて、しかも死兵になって襲ってきます。こちら側も相当な覚悟が必要かと。それでも勝てるとは思います。ただ星堂さんが本気で殺しにくれば厳しいかと」
いくら洗脳されたからといって、自殺や殺人は躊躇する。洗脳が強まるにつれ、こうした忌諱はなくなって支配者の思うままとなる。沙織は不可能とされたモンスターを従えて、しかも死を命じている。もし人間でこれをやるほうが難易度は低いなら、殺し合いとなる。そうなった場合、星堂さんの広域殲滅魔法、「アステラスフォティア」が勝敗を決めかねない。鹿島次長は不快に思うだろうが、俺は忌憚なき意見を言った。
「聞いた通りだ。儂もそう思う。しかしこれが協会の判断なら最大限の便宜を図ろう。御上想夜君、君は春凪沙織との最初の遭遇で、トロールに襲われた洗脳被害者を見捨ててでも、小娘を確保、もしくは殺害すべきであった。君の有様は、人としては正道である。だがそのせいで、探索者同士が殺し殺され、心を病む者も出るであろう。その中には当然君の友人達も含まれる。心するがよい。正しい行為が最良の結果になるとは限らないと。大きな力を授かった者は、人道に勝る大義があると」
あんまりな言いがかりだが、もし朱美と詩央に何かあったら、俺はあの時の人命を優先した判断を後悔するのだろうか。奏子さんが議員を止めようとしてくれるが、彼女には発言権がない。代わりに市長が諫めてくれた。
「先生、それは流石に言い過ぎでは。御上君、春凪沙織さんについてどう思う。自分はそんなに悪い子ではないと思うんだけどね。むしろ同情すべきところもある」
「命のやり取りをしましたが、恨みはありません。僕も実の両親を亡くしています。護るべき妹もいます。僕個人としては彼女に共感もあります。僕が彼女の立場だったら、やはり妹を最優先にしたでしょう」
春凪沙織の情報も共有されている。裕福な両親が詐欺にあって自殺、呪いに侵された妹の面倒を見るため、寒山徹子の脅迫、甘言に乗らざるを得なかった、犯した殺人も護身のためと極悪人を誅するもののみ。
「未成年の彼女を路頭に迷わせた事に、行政としての責任を痛感します。市は春凪沙織の恩赦を請求する予定です。徳島市が責任をもって彼女の身柄を預かります。もちろん無罪放免という訳にはいきませんから、港湾ダンジョンでモンスターを魅了しての奉仕活動、魔石や資源を回収してもらう事になるでしょう。この対価を復旧や補償の原資に充てるのなら、市民も充分納得してくれるはずです」
「そんな事がまかり通れば日本は法治国家ではなくなるぞ」
「それこそ大義のためですよ。モンスターに同胞を殺害させるか、自害させる事で簡単に魔石が得られますからね。選抜者も今までの様にダンジョンに縛られる事が少なくなります。余ったリソースをインフラに回せば、更なる発展が期待できます」
テロリストへ破格の好条件を示す市長に水崎先生が激高した。この二人の不仲は有名だそうだ。仲裁する為か、鹿島次長が俺に話を振ってきた。
「御上君、今日はご苦労、何か君の方から付け加える事はないかね」
危険な考えとは思っている。朱美と詩央の事も心配だ。それよりも沙織が呼んでいる、ダンジョンが招いている。もう気持ちを抑える事ができなかった。
「レイドへの参加を志願します。先日は僕の方から魔眼を覗き込みました。彼女のものになりたかったけど、頑張って耐えました。今度こそ春凪沙織を僕のこの手で捕まえてみせます。何度も死にそうになったけど、まだ死んでないので今回も大丈夫でしょう」
メンバーが女性限定とあるが関係ない。俺は朗々と、絶対の自信を持って言い切った。『美声』と『話術』を総動員だ。全員感動して俺の参加を支持するに違いない。
「そんなの絶対駄目に決まっているじゃない。あなたが魅了されたら、向こうは大駒を二枚手にしたようなものよ、こちらの敗北は必至だわ」
「驚いたわ。出来もしない事を何でそう堂々と言い切れるの。あなたの中では嘘偽りもなく、失敗するという恐れもないのね。なんて不思議な脳みそ」
月代主任が怒り、発言しないはずの理生院にまで呆れられた。出来もしない事を出来ると信じて疑わない真正の馬鹿と思われてしまったようだ。男性陣も可哀そうな目で俺を見始めている。もう評価は駄々下がりだ。俺と理生院はここで退出した。
二人が退出した後、改めて御上想夜ついての話題が上がる。
「脅しは利かぬか。いや、脅されたとも思っておらんじゃろう。あれでは父親と同じではないか」
「失望しましたね。いっそ春凪沙織に洗脳してもらいますか。そうしたら使い勝手がよくなります」
「だが今の勢いではダンジョンに闖入しかねんぞ」
「娘に言い含めておきましょう」
犬猿の仲の二人だが、珍しく想夜については意見が一致するのだった。
理生院もクラスへ顔を出すと言ったので、二人して学校へと歩く。こうやって肩を並べるのも久しぶりだ。
「御上君はお二人の話を聞いてどう思ったのかしら。美少女好きのあなたとしては市長さんの方がお気に召しそうだけど。さあ、正直に言いなさい」
澄んだ声が鳴る。小柄で慎ましやかなのに、逆らえない圧があった。スキルは使われていない。彼女こそ不思議だ。俺は思うままを答えた。
「僕は美少女を奴隷のように扱うのは好きでも、モンスターを奴隷のように扱うのは好きじゃない」
市長の目指す所は、モンスターを奴隷化して使役する処だろう。そうなったらダンジョンには夢も希望もなくなる。俺にはダンジョンがそんな事を許す訳がないという、根拠のない確信があった。
「獣! それ以上近寄らないで」
せっかくいい雰囲気になりかけたのに、距離を取られた。思うだけで行動に移さなければ無罪ではないか。そんな理性院がポツリと漏らす。
「思ってもいない事を口にするよりマシかもね」