振り返りはしない、曇天程の明るさのダンジョンを俺は走った。禁断のスキルを発動させると、身体から魔力がごっそり抜けていく。
『運命操作』は如何なる魔石やアイテムでも、拾得率を1%上乗せする激レアのスキルだった。たとえば0,001%の拾得率が1,001%に跳ね上がる。そしてスキルの拾得にも影響を及ぼした。「みよう本」で出てくる、宝箱の発見率2倍などとは比べようのない破格な能力だ。過ぎた力故に、保持者のほとんどが不幸な運命を辿っている。公式には国内に保有者はいない。俺は国に目をつけられるのを避けるため、そして不相応にスキルが増えるの嫌で、最初に一度使用したきりだった。だが今回その封印を破った。
ダンジョンコアとの遭遇は、幾つかの条件が重なった場合のみ叶う。探索者が一生のうちで出会う確率は、数十万分の一とも、数千万分の一とも推定されている。俺は一度コアとは遭遇している。過去に2度コアと遭遇した探索者はいない。いたかもしれないが未帰還だ。
コアは深層で目撃される事が多いという。そちらに沙織達も逃げているはずだ。当然俺は深層へと駆けた。沙織は妹ののどかを、星堂さんも妻子を地上に残している。『運命操作』はパーティーメンバーにも適応される。説得してパーティーを組めば、コアを発見できる確率は2倍にも三倍にも跳ね上がるではないか。
勝算はあった。実は星堂さんの家族はこちらへ来ている。今朝の事だ、ギルドへ集合した際、星堂さんの奥さんが、受付で直談判しているのを見かけた。月代主任の率いる精鋭女性部隊に参加させろと言ってきかない。彼女は支援系魔法の使い手として、ロマンスの相方としても有名だった。いいとこのお嬢さんだった彼女は、家の定めた婚約に納得できず、秘かに想いを寄せる星堂さんと駆け落ちして恋を成就したのだ。この時16歳、乙女ゲームのヒロインのような女性だった。
やじ馬が取り囲む中、そんな彼女がなりふり構わず懇願している。
「主人を説得してみせます。危険は承知しています。私を連れて行ってください」
巷では戦闘必至と噂されている。夫の生き死にに居ても立ってもいられなかったのだろう。こんな身勝手が許される筈もない。職員は困惑している。我が身を振り返って、俺は彼女を嗤う事が出来なかった。自分だって女装してまでレイド戦に参加したではないか。義のために行ったわけではない、私情だ。心の内の激情を押さえられなかったからだ。
一方で、周囲の反応は冷ややかだった。無理もない、星堂さんの人気は凄いが、それは力を授かっていない人達からだ。ここ徳島支部の関係者は、彼のせいで死にかけた人も多い。反感は本人だけでなく、家族にも向かっていた。若い探索者が苛立ちを漏らす。
「夫婦そろって迷惑なんだよ。大人しく京都に引っ込んでいろ」
それは誰に言ったものでもない。実際騒ぎのせいで、窓口業務は滞っていたのだ。だがそれを聞き咎めた者がいる。片隅で寄り添う蒼い顔の少女の、髪の長い片割れが激高して掴みかかろうとする。憔悴で感情の抑えが効かなくなったのかもしれない。だけど、相手も探索者、即座に迎撃の態勢を取った。ギルドで星堂さんの娘さんが暴力沙汰を起したら、マスコミの好餌になる。俺は瞬時に割って入った。二人が驚くより先に、チャラ男になってナンパを始める。
「やあ、久しぶり。コーラでも飲まない? ここの喫茶のポテチは絶品だよ」
軽薄で空気が読めない俺の登場で、逆に二人は冷静になった。若い探索者は不用意な発言を、少女は軽率な行動を謝罪してお開きとなる。ばつの悪そうな彼女が問い詰めてくる。
「あのう、どこかでお会いしましたっけ」
「ううん、僕が知っているだけ。ロケットの写真見せてもらったからね。髪の長い君が妹ちゃん、男前のあなたがお姉さんかな、宜しくね」
ショートカットの凛々しい姉が困惑しながら尋ねてきた。
「お父さんと知り合いなの?」
「短い時間だけど、ダンジョンで一緒になってね。スキルを見せ合ったりして、色々指導を受けたんだ。星堂さんにはお世話になったよ、早く帰ってくるといいね」
聖堂さんはおしどり夫婦で有名だが、プライベートは決して表に出さない。そんな父親が想い出の肖像を見せて、娘の事を話した相手、俺に対する警戒心が急速に緩んだ。トラブルを察知した母親が駆けつけてくる。
「じゃあ、またね。今度は本当に仲良くしよう」
俺は小梢ちゃんと尋さんに便宜を図れないかお願いした。このまま好奇の目に晒されると、また妹ちゃんの感情が爆発するかもしれない。奥さんは俺のプレートを見て複雑な表情をしている。戦闘許可をもらっている男性探索者は精鋭だ、夫との殺し合いもある。
姉妹の方は、両方とも明らかな厚意を俺に示した。敵地での窮地、たった一人味方に立ってくれた同世代の男の子、しかも彼は尊敬する父親と懇意だった。心を許すのも必然と言えた。美丈夫の星堂さんと品のいいお母さんの遺伝子を受け継いでいるだけあって、姉妹の美少女振りも中々のもの。別れ際、深々と頭を下げている二人を見て思う、本当にナンパ出来たらよかったのに。
予想に反してモンスターからの妨害はなかった。その代わり、地殻が変動して行く手を阻む。俺が『記憶』する地図は役に立たなくなってきた。何度も足を取られ、地に飲まれそうになる。地割れを覗き込めば、途中から真っ黒な空間に変わっている。虚無か混沌か、どちらにしても落ちたら命の保証はない。
俺は焦った。地殻変動とモンスターの不在は、ダンジョンが新しい開口部を生成中で、そこに魔物を呼び寄せているのを意味する。数時間としないうちに地上では惨劇が始まるかもしれない。殺戮の後、港湾ダンジョンの魔物は、そのまま徳島ダンジョンに攻め入るだろう。こちらが勝利すれば、人類に敵意を剥き出しにしたスーパーダンジョンが誕生する可能性もあるのだ。『身体強化で』劣る沙織には、星堂さんがついていてもいずれ追いつく。そしたら三人でコアを探そう、リスクを覚悟で俺は急いだ。
途中何度か裂け目に落ちそうになりヒヤッとした。だけど足を緩める訳にはいかない。稀に見かけるモンスターは、皆深層に向かっている。そちらに新しい開口部が生成中だ、俺は迷わなかった。これも『運命操作』による誘導なのかもしれない。上層を抜け、中層まで一気に駆け下りる。地殻の変動は加速している。もう少しで深層という所で、『気配察知』に引っかかるものがあった。一人だけだ。先方もとっくに俺に気づいて待ち構えている。星堂さんだった。沙織を逃がすために足止めに残ったのだろう。
彼は大剣を構えて俺と遣り合う気でいる。だけどそんな事をしている時間はない。星堂さんは沙織の『魅了』が完全に利いてない気がする。懸命に呼びかけた。
「ダンジョンの開口部が閉じました。ここままでは、新たに人口密集地に繋げられて大惨事になります。一緒にコアを探しましょう」
「それが何か? 姫に君の殺害は禁じられている。もう一度だけ忠告しよう。こちらへ降れ」
スタンピードなど他人事だった。幾たびも氾濫の鎮圧の最前線に立った彼は、その悲惨さを誰より体験しているはずなのに。説得するには時間がない。脇を擦り抜けようとしたが見逃してくれない。
「奧さんとお嬢さんは徳島支部に来ています。今朝お会いしました。お話に聞いていた通りのいい人達でした。このままでは氾濫に巻き込まれるかもしれません、それでもいいんですか」
「もちろん家族は掛け替えのないものだった、姫と会うまではね。でもそれは昔の事、今は、そして未来も姫だけが僕の全てさ。彼女に尽くす以上の歓びはない。妻子とはもう会いたいとも思わないね」
何て身勝手な言い分だろう。社会人としての責任を放棄している。あんなに出来た奥さんと娘さんを捨てるなんて、星堂さんは人でなしだ。激しい怒りが湧き上がる。同時に嬉しくてたならまかった。彼も俺の同志だった、ダンジョンの理に染まっている。
「へえ、いい顔になった。それが君の本気かい。やはり脅威になりそうだ。姫に付き纏う害虫を駆除する、ここで死んでくれたまえ」
「どうして僕を殺すんです。沙織からは僕を殺さないよう言われているんでしょ」
「もう気がついているんだろ。僕がスキルで魅了されていない事に。僕は彼女に惚れたのさ。人の枠を超えた美貌、研ぎ澄まされた鋼の精神、それでしてあまりにも脆い砂糖細工のような姫の心。僕が護らずして誰が護る」
やっぱりそうか、レイド戦で遣り合った時から違和感はあった。是非も無し、ダンジョンの流儀で決着をつける。星堂さんが大剣に炎を纏わせる。これで一撃の威力が格段に上がる。俺は戦斧に風を纏わせ、速さを乗せた。小手調べだ、『炎弾』と『石槍』、それに『鎌鼬』が空中で激突する。不可視の『鎌鼬』を『石槍』の影に潜ませたが、案の定通用しない。硝煙が晴れる前には剣戟の音が鳴り響いた。星堂さんは強い。俺も強くなったと自認していたが、彼はその上を行っている。辛うじて上回っているのは速さだけ。剣技もパワーも経験も全部俺より格上だった。やがて徐々に押されていく。俺が辛うじてついて来れるのは、指導を受けた際の『記憶』を基に、脳内で彼との戦闘を何百回もシミュレートしたからだ。
集中力が途切れれば終わりだ。俺は賭けに出て、星堂さんを挑発した。
「沙織は僕を殺さないようにあなたに命令したか分かりますか。彼女は僕のお手つきだから。星堂さん、あなたは沙織の騎士にはなれない」
やられ役のチンピラの様な科白を吐く。これから人でなし同士の殺し合いを始めようではないか。
「君を殺せば済む事だ」
だけど星堂さんは動じない。ひょっとしたら俺達の関係を薄々察していたのかもしれない。彼の剣技がより重く、速く、正確になった。挑発で心を乱そうとしたのは悪手だったか。たちまちに、遮蔽物のない空間へと追い込まれる。ここでは身を隠して爆炎を躱せない。彼が俺を憎く思うなら、己の最大奥義で仕留めに来るはず。果して大上段から『アステラスフォティア』を繰り出してきた。この技は二度も見ている。迫りくる爆炎を前に、ためらわず突進する。そして『衝撃波』で、炎の起点を完璧に吹き飛ばした。この空間に誘い込んだのは俺の方だ。
星堂さんは前回、ここで右斜め後方へ飛んでいた。俺は未来予知でもするように『俊足』で一気に詰める。彼が着地すると同時に戦斧を一閃した。完全なる奇襲が決まり、俺は勝利を確信した。だけど、星堂さんも予め分かっていたかのように苦も無く躱す、そして『縮地』で一気に後退した。俺はここで切り札の『衝撃波』を使わされた事を悟った。
「君の技は何度も見せてもらったからね。記憶のスキルを持っているのは君一人じゃないよ」
俺達には星堂さん達のスキルは公開、非公開を問わず全て開示されていた。その中には『縮地』や『記憶』はなかった。これがトップランカー、星堂さんもスキルを幾つも隠し持っていた。俺が彼の技を『記憶』して参考にしたように、星堂さんも初めて出会った時から、俺の技を『記憶』していたのだ。
彼が大上段に大剣を構えた。広域殲滅スキル『アステラスフォティア』の前振りだ。馬鹿な、俺の『衝撃波』と同じでクールタイムが必要なはず。彼は未知のスキルも持っているのか。無防備の俺は灼熱の炎に包まれた。
業火に捲かれて飛ばされぬよう、脚を踏ん張り、歯を食いしばる。息を止め、顔を覆う。肺を、眼球を焼かれないよう、死に至る時間を引き延ばす。たちまちに身体が焼かれ、激痛で俺の意識も飛びそうになる。魔力がごっそり抜けていく、後、数秒で限界だ。ここで俺は勝負に出た。
『結界』
星堂さんの真正面でスキルを使った。本来このスキルは他者の視線があると発動しない。聖堂さんとの距離は10mもないが、炎で包まれてしまえば俺を認識できないはずだ。このタイミングを狙った。一か八かの賭けだったが、『結界』は上手く発動する。手持ちの回復ポーションを全て取り出し、火傷に振りかけ、がぶ飲みする。ついでにマナポーションも全部飲んだ。
探索者は一般的に経験値を獲る程、また魔力が高い程、傷つき難く回復も早くなる。俺も生まれながらの高魔力で、何度も修羅場を潜った。『自己回復』まである。焼け爛れた皮膚が、過剰なドーピングで再生していく。常人の数十倍のスピードだ。パラパラと瘡蓋が剝がれていく。急激な回復に、筋肉と神経が軋み悲鳴を上げる。再び体に激痛が走った。
油汗が引いて少しだけ余裕が出来た。星堂さんは側で俺を探している。俺の体は消し炭になってもハルバードは残るはず、彼は戦斧が見当たらないのを疑問に思っている、ここまま『結界』に閉じこもってやり過ごそうかと考えた。ポーションも使い切った。魔力を逃がすフリル服もボロボロだ。二度目はない。だけど次に出会えば、彼に「アステラスフォティア」を躱す術を持っているのを知られる。そうしたら地味な剣技で確実に殺しに来るだろう。
ここで乾坤一擲の勝負に出る。精神を整える。凍てついた冬の湖面を思い浮かべた。次の瞬間、一気に心を沸騰させる。ゾーンに入った。
『結界』を解除するや、正面から袈裟に斬った。これまで最速の斬撃だった。星堂さんが驚愕しているのが何故か印象に残った。それでも戦斧は届かない。人類の限界を凌駕する反応速度で、身を捩った。これがトップの底力か。
躱された、思った瞬間、ハルバードが数センチ伸びた。特別仕立て戦闘服がゆっくり裂けていく。繊維の切り口まで、研ぎ澄まされた俺の意識が、はっきり捉えた。今度は俺も驚愕した。スキル『柔軟』が発動し、関節の可動域が広がっていたのだ。俺も星堂さんも『記憶』があるが故に見切りを誤っていた。『柔軟』は、俺が星堂さんの指導を受けた時、まだ収得していなかったのだ。
しかしながら血飛沫は上がらない。彼はこれも紙一重で躱していた。俺は服を斬っただけだ。星堂さんはもう上段に剣を構えている。刹那の勝負は俺の敗北で決した。俺の死力も、運を味方につけてさえ、彼には及ばなかったのだ。この思考を終える前に、俺は真っ二つにされるだろう。少しでも生を永らえようと、本能的に戦斧を撥ね上げた。星堂さんはワンテンポ、踏み込みを遅らすだけでいい。
あり得ない事が起こった。ここで星堂さんが無造作に、戦斧の軌道に左腕を差し出してきた。血煙を上げながら、肘から先が空を舞う。切り離されたその手にはロケットの鎖が掴まれていた。戦斧が掠めた衝撃で千切れていたのだ。中には下の娘が選抜者となった思い出の日の、家族のポートレートが収められているはずだ。それは俺と星堂さんの縁の切っ掛けであり、彼が断ち切ったはずの過去であった。大地が慟哭して俺達を呑み込む。
戦斧を断層に撃ち込み、辛うじて俺は落下を免れた。伸ばした俺の手を星堂さんは取る事がなかった。信じられなかった。彼は奈落の闇に消えた。
生き残こるのは星堂さんのはずだった。俺があの日、彼のペンダントを拾わなければ、スキル『柔軟』を会得しなければ、彼の勝ちは揺らがなかった。『記憶』で星堂さんの技を覚えたと己惚れていた。起死回生の逆転で盤面をひっくり返したはずだった。だけどそんなものは、真の強者の前では何の役にも立たなかった。運が良かったレベルではない。ただ生かされただけだ。ダンジョンは、女神さまは俺に何をさせたいのか、忸怩たる思いに囚われた。だけど、今はただ進もう。
星堂さん、何で全てを望まなかった。あなたなら沙織も家族もその手に掴む事が可能だったはず。あなたは人の世の理に縛られ過ぎた。
ロケットの鎖を握りしめたままの、形見の腕を布に包んだ。