時はかなり遡り、午後3時頃になる。
神戸ダンジョン研究所付属中学校では入学式、施設見学と終わり、本日最後になるオリエンテーションが始まろうとしていた。今年から開校となったこの中学には全国から優秀な人材が集まっていた。探索や後方支援に特化した者はもちろんだが、生産系やダンジョンとは関係ない特殊スキル保持者も多い。
『錬金術』『調薬』『付与』等は特殊な工房や高価な魔石や原料が必須となる。これを一般の中学や家庭で用意しろというのは無理な話である。また『読心』『洗脳』といったスキルは稀少であるが、正しく生きる限りはお金にならない。しかしながら国益上は極めて重大なスキルで、使用者を保護する必要があった。
全員が12歳で優秀とされたわけだから、希少なスキルを複数持っているか、特殊なスキル保持者が殆どであろう。今年度は2クラスのみ、男子は次年度から検討になっている。この年齢では女子の方が魔力量が多い上に早熟なので、特殊なスキルを引きやすい傾向がある。
「キリ香ちゃんは凄いわよね、もう現場に出てるんでしょ」
「凄くなんかないよ、足がすくんで震えてばかり。だけど目の前の人が死んじゃうと泣く人がいる。あたしもお母さんやお兄ちゃんがいなくなったら嫌だもん」
「へえ、キリ香ちゃんお兄ちゃんいるんだ。どんな人? カッコよくて優しい人なら紹介してもらおうかな」
「駄目だよ、お兄ちゃん、ものすごく危なっかしくて手がかかるの。徳島で独り暮らしを始めたんだけど、女の人を連れ込みそうで心配だわ」
キリ香はもうしっかりクラスに馴染んでいた。持ち前の性格に加え、周囲に選抜者が多かった事、場数も踏んでいた事で、地方出身者の多いクラスメイトから頼りにされたのだ。突然、教室の入り口がノックされ、深刻な顔をした先生が、担任と言葉を交わす。母親が呼んでいるので荷物をまとめるようにと。この感覚は知っている。小学校でもあった。緊急の事故があった時の呼び出しだ。キリ香は真剣な顔つきで教頭先生に続いて行った。
母の職場まで案内されたキリ香だが、雰囲気が只ならぬ事に気づく。母は自分に落ち着くように伝えた。そして恐ろしい言葉を聞いた。
「想夜さんがいなくなりました」
最初は何も理解できない。だが母の体が小刻みに震えているのが分かる。思い出す、3年前父の殉職を告げた母の様子が今の様であったのを。薫子はこれまでの経緯を淡々と語った。
「なんでお兄ちゃんなのよ。わたしは頑張った、みんなが泣かないように頑張った、二人のお父さんの分も頑張っている、なのにどうしてお兄ちゃんまでもっていくのよ」
キリ香は自分が世界から否定されたと感じた。世界は自分の大切なものをどんどん奪っていく。優しさの欠片も持ち合わせていない。
「お兄ちゃんがいなくならないよう頑張ったのに。もう生きていたくない」
つぶらな眼から生きる気力が、生への渇望が失われていく。周囲に支えられたキリ香は意思のない人形だった。もう動く意志さえない。
愛する者を奪われるのは薫子も同様だった。薫子も二人の夫を奪われ、今息子も奪われようとしている。更に目の前で、愛娘が壊れようとしているのだ。薫子は娘の情の深さを思い知る事になった。それは自分も同じである。本当に大切なものは無くならないと分からないのだ。
「まだ引き込み口は閉じられていないわ」
薫子は職業柄、想夜が厳しい状況にあるのを理解していた。その中で未だに命を繋いでいる息子を誇らしいとさえ思い、これに縋る。防犯カメラの映像から宗夜が携行武器や飲料、食糧を持ってダンジョンに招かれた事は判明している。
「想夜さんは生きようと頑張っているのよ。私たちも応援しましょう。そしてキリ香、あなたにしか出来ない事がある。行きましょう、頑張っている想夜さんが戻って来たとき、怪我をしているかもしれない。それを助けられるのはあなただけなのよ」
薫子の言葉が決壊しかけたキリ香の精神を救った。兄を助けられるのは私だけ、もはやそれだけが心の支えだった。
オーク層を抜けると、ダンジョンの構造が変わった。一本道の通路が先まで伸びていて、有名なモンスター、ミノタウロスが待ち構えているのが見える。生還者の話を総合すると、最後は2,3回のボス戦に勝利して生還する事が多いという。ゴールが見えてきた安堵感と、ここからが山場という緊張感がせめぎあう。
ミノタウロスは「みよう本」では不人気の魔物である。会話が成立しない、コミュニケーションが取れないのが、最大の理由であろう。奴らはストイックに己の肉体を鍛え上げ、正々堂々の勝負を挑んで来るだけだ。多人数での戦闘を卑怯と考えている悪役ヒーローと被る。ミノタウロスは仲間を持たない孤高の戦士だ。真面目すぎる総合格闘家の様で息が詰まる。
このミノタウロス、正面で向かい合うと、圧倒的な強者感がある。身長はオークより更に高い。無駄なぜい肉はなく筋肉の塊である。手にするは2m越えの戦斧、ハルバードとかバルディッシュとかいう先の尖ったやつを、自在に振り回して威嚇してくる。斧の射程は俺の倍はあるだろう。身体強化に極ふりしているようなタイプだった。僅かに対抗できそうなのはスピードだけ、それさえも向こうの方がやや上かな? 力とスタミナは魔物の方が圧倒的だろう。斧を合わせると持っていかれそうで、打ち合いは避けたい。20m程の距離で睨み合う。ミノタウロスに動く気配はない。
ゴブリン首領からの『唯我独尊』と王子様からの『わからせ』、希少なスキルなのだろうが、戦闘に使えない役立たずではね。平凡でもいいから、『炎弾』とか『石弾』とか戦闘スキルが欲しかった。いや、こう思うのは良くない傾向だ、昨日までの俺は、何一つ持たない力なき子供だったでないか。どんなスキルでもいいから欲しかった。今はもう願いが過分に叶っている。これを生かすも殺すも、後は自分次第なのだ。そもそもミノタウロスは神話でもダンジョンと縁が深い。これが「ダンジョンの試練」なら、その撃破は必然と言えよう。
「うぉぉ──ー」
弱気と迷いを打ち払うべく気勢を上げる。意を決すると、『身体強化』を最大にしてミノタウロスに突っ込んだ。足裏に残る地を穿つ感触、歩を重ねるごとにそれがどんどん早く後ろに下がっていく感覚。すれ違いざま、俺は大斧をなぎはらった。振り下ろしは足を止める必要があるからだ。
本来俺は左利きなので、ミノタウロスの左側をすり抜けながら、横に薙ぎ払う。フェイントも何もなしの分かりやすい突進。俺はミノタウロスが戦斧を振り下ろす直前に、『俊足』を使用し、一歩だけ、ただ一歩だけ前へ出る事に集中した。双方の斧が一閃する。俺の大斧が怪物の太ももを深く切り裂く。ミノタウロスの戦斧がなぜ空を切ったのか、俺には分からない。ただ死の概念が俺をかすめて鳥肌が立つ。4年前と一緒だ。
小学生の時、俺は友人と一緒に誘拐された事がある。友人が選抜者となった直後で、見た目が女の子だった俺は、巻き添えでまとめて誘拐されたのだ。犯人が友人の名を唱える。怯えた友人の姿を見て、犯人は目当ての人物を知る事になる。俺は友人を庇うべく犯人の前に立った。外国の言葉が聞こえて、犯人は俺を目がけて拳銃を撃った、一切の躊躇もなく。カチリと撃鉄の音がしたが、それだけ。万に一つの不発を拾った。世界が止まって静寂の中に俺がいる。俺は何故生きているかさえ理解できなかった。死という概念は遅れてやってきた。その後、友人の泣き声が捜査員に届いて助かったのだが。子供の選抜者の誘拐事件と言う事で、捜査員も選抜者の精鋭揃いだったのが幸いした。
ミノタウロスの二撃目が来る。負傷した左足などお構いなしの覚悟の斬撃。『俊足』の発動が後一瞬早ければ合わせられ、遅ければ両断されるだろう。進むも引くも、躊躇はしない。刹那の動きを繰り返す中、怪物は踏ん張るごとに太腿から血が噴き出す。動脈でも切れているのであろうか。そして踏ん張りがきかなくなった処を何とか仕留める。粛々とした闘いだった。消えずに残った戦斧を手に取ってみる。ちなみに俺はハルバードとバルディッシュの違いが分からない。持って帰れたら母さんに聞いてみよう。会得したスキルは見当がついていた。
『戦斧術』……斧武器の扱いに補正。
剣術や槍術と同じ武術系のスキルだが、こちらはドマイナー。上背とパワーがある重戦士向けで、俺向けのスキルではない。更に『俊足』も生きない。しかしながら俺の唯一の攻撃魔法は発動に10分かかるので、当分これを使うしかないか。
素振りを繰り返すも、意外と軽い。次にいくつかの「型」を演舞してみる。斧の遠心力に振り回される感はあるが、それを利用した「型」を自分なりに組み立てみる。風切り音が心地よい。「首領」の大斧も同じように技に補正がかかったが、威力と射程では戦斧が勝る。大斧は狭所用であろう。
最後のボス戦で得るスキル群は、ダンジョンからのお土産と言われ、これまで習得したスキルを補完する有用なものが多いという。今の俺は単独行の出来る斥侯タイプだろう。『透視』と『魔力視』で探索、『身体強化』と『魔力強化』がこれを補助、『洗浄』と『給水』継戦能力のアップ。ピンチには『俊足』で逃走。長柄武器の必要な『戦斧術』だけ浮いているように見えるが、『アイテムボックス』を習得すれば、話は変わって来る。緊急時には決戦の選択肢も取れる、理想的な斥侯になるだろう。『アースファング』? あれは知らん。