里山や耕作地に混じって、住宅区画や工場団地が点在している市の郊外、俺は電車から降りると、地図を頼りに目的地を訪ねた。実はボランティア先にここを選らんだのには、一つだけ打算があった。最寄りの駅が祖父の実家のとは一駅手前なのだ。俺達選抜者の基準では、ジョギングで約10分、後でシーナを訪ねよう。
目指す孤児院は、駅から徒歩15分位の所、楡の木陰にひっそりとたたずむ様に建っていた。過去に徳島ダンジョンで活躍した探索者が起こした新興宗教で、ダンジョンを崇め、清貧を良しとしているらしい。開祖様はダンジョンで親を亡くした子供を救えと、女神の愛に導かれ、ここを開設されたという。その時分から変わらないのであろう、築数十年の教会の尖塔は木々の小梢に追い抜かれようとしている。宗派を誇示する派手な看板もない。古びた木造建築は三十年前で時が止まっているよう。悪くない、身が引き締まり、心が洗われる。神様はこういう処に住まわれる。
庭先では何人かの少女が遊んでいる。妹と同じか、もう少し下で小学校高学年位の年齢だった。実に賑やかしい。俺は彼女達に負けないよう、大きな声で元気に尋ねた。
「こんにちは、今日からここにお世話になるよ。司祭様か、シスターに挨拶したい。どこへ行けばいいのかな」
女の子特有の警戒心をいだかれた。わらわらと建物から子供たちが出て取り囲まれた。何人かは窓からこちらを覗いていた。年長らしき少女が前に出る。
「で、あなたはわたし達のお兄さんになるのかしら。それにしても荷物はどこ?」
孤児たちと親密な関係になるのは大歓迎だ。お兄ちゃんと慕ってくれると俺は嬉しい。それにこの年の女の子の扱いは、妹達で慣れていた。
「体一つでここへ来た。みんなと仲良くなれるといいな。頑張って、頼れる兄貴を目指すから」
「ええ、弱そう。情けないお兄ちゃんなんかいらない」
「悪い人なら、みんなで意地悪して叩き出そうよ」
人畜無害と思われるや、女の子たちの遠慮がなくなってきた。年長の少女が再び尋ねてくる。この質問は覚悟していた。ちくっと胸に刺さるものがあった。
「お母さんと、お父さんは?」
「母さんは、僕を産んですぐに病気で亡くなったよ。そうしたら新しいお母さんと妹ができた。父さんはスタンピードでちょっとね」
子供たちが押し黙る。俺の痛みは彼女達の痛みでもある。
「身一つで追い出すなんて、あんまりだわ」
「挫けないで。辛かったら力になるよ」
「部屋のお掃除手伝ってあげる、足りないものは貸してあげる」
「夜寂しくて眠れないなら、子守歌を歌ってもいいよ」
何ていたいけなんだろう。わが事を差し置いて、小学生位の女の子が、皆親身になってくれる。それにしても勘違いしてないか。俺が継母に叩き出されて、裸一貫でここに来たと思っているようだ。女顔の俺はいつもお子様っぽく見られる。年長の少女の少し上、十二か十三歳位の男の子として扱われてしまった。
「ごめんなさい、司祭様とシスターのお姉さんは買い物で不在なの。男子棟は鍵がかかって入れないわ」
年長の子が申し訳なさそうにしている。ちょっと待った、資料では男の子もいたはずだ。なのになんで施錠してある。
「弟たちとも挨拶したい。僕はチビでも運動には自信がある」
「お兄ちゃんや弟たちはみんな貰われて行っちゃった。男の兄弟は誰もいなくなったの」
どことなく寂しそうだ。俺が入院している間に、男の子は皆里親に引き取られたり、養子縁組が決まったらしい。こんな処にも重婚法案の影響が出ていた。少年の内から育成して、自分好みの男に仕上げる。これからは光源氏と若紫の性別が逆転する時代になるのか。ここの孤児院は女の子だらけだった。
「今日からあなたがみんなのお兄さんよ」
「お兄ちゃん、おにいさん、お兄様……」
弾んだ声で、はにかむように、あるいは囁くようにして、十数人の少女達は、兄という言葉に心を込める。新しく家族が増えて純粋に喜んでいる。この子たちは若い身空で悲しい別れを経験したはず、それ故に縁をかくも大切にするのか。心に響くものがあった。
「ありがとう、今日からみんな、かけがえのない僕の妹」
想いには想いの言葉で誠実に返そう。恋人に捧げるように、甘い言葉で真心をあげる。何人かの少女は目頭を光らせていた。俺は手を引かれながら、奥のベンチへと導かれた。ここは教祖様が世話をしていた花園で、お隠れになった後は、孤児達が代々引き継いでいるという。アーチには無邪気な蔓薔薇、背景には別離のダリア、水鉢に浮かぶは信仰の睡蓮と、六月の花がひっそりと咲いていた。
「ずいぶん昔の品種だね、院の子たちがずっと大切にしているのが直ぐにわかったよ」
睡蓮はそうでもないが、薔薇やダリアは流行り廃りが激しい。この花園には、今では顧みられなくなった品種が保存されていた。祖父の花卉園芸を手伝っているので、この方面は知識がある。最初に挨拶をくれた年長の女の子を睡蓮に、見分けのつかない姉妹の燐花と唯花を、赤白の蔓薔薇に喩えた。
「清い花は心が落ち着く、涼風とそっくりだね。二色の薔薇はリンとユイの双子ちゃん」
幾何学的なデコラティブ、尖った花弁のカクタス咲等、ダリアは光沢のある花びらが八重になって豪華な花を咲かす。花の色もその形も個性豊かだ。幼い蕾のやがて咲き誇る姿を重ねて、彼女達の名前を覚える。
「黄色い花は菜羽ちゃん、紫の色は燕子、純白は清らかな沙也加、そしてシャープな花びらは澄ました日果留に似合う」
また、別の場所には幾種類かの牡丹の植栽があった。満開となれば人目を引くであろう。
「牡丹の蕾はココアとゆゆとちいかちゃん。大輪の花となって咲き誇れ」
そして最近入所したばかりという遥にも声を掛けた。片隅に咲き遅れの花がある。
「ひっそりと佇むあなたは聖なる鈴蘭」
親愛たっぷりに、全員の名を呼んであげた。彼女達も想夜お兄ちゃんとか、可愛い事を言ってくる。生意気になる前のキリ香を思い出すのだった。
今俺は、四方を童女に囲まれていた。三人掛けのベンチに、詰めて五人で座っている。左手にはリーダー格の涼風、右には最年少の燕子、沙也加とちいかにギューギュー詰められ、二人とも俺の膝に乗り上げんばかり。涼風は俺の腕を取り、燕子は恥ずかしそうに躰を預ける。背中からおぶさるように覗き込むのは、燐花と唯花の双子の姉妹、俺の肩に顎を乗せた。菜羽と日果留が押してくると、二人の頬が俺とふれ合う。姉妹揃って歓声を上げた。ココアは俺の股間に潜り込んで得意満面、ゆゆと遥は膝に縋る。もう両手に花とか、ありきたりな状況ではない、堅い蕾に埋もれて、お菓子とレモネードの匂いに咽ぶ。
「ダリアの名前は親を亡くした苦学生からつけられたって聞いた。植物学の開祖様は、弟子が学業を続けられるよう私生活を支援したんだ。長じてこの苦学生は開祖様の標本を受け継いで、後の世に伝えた。教祖様も女神さまの教えが代々受け継がれるよう願って、ダリアを植えられたんだと思う」
ダリアにはナポレオンの奥さんのせいで悪いイメージがある。俺は直売でそれを払拭すべく、セールストークを工夫した。その応用だ。童女たちの顔が花開く。花壇を愛でた教祖様も喜ばれただろう。こうやって取り留めのない話をしながら、みんなで司祭様の帰りを待った。
彼女達は全員小学生だった。五年から六年生の女の子、全員12歳になっていない。他に俺と同級の高一の子がシスター見習いでいるらしい。四月に入って男の子が貰われたり、年長の女性が住み込みで夜学に通ったりで、兄弟と姉がいなくなってしまった。全員が苦労しているだけあって、歳の割には大人びている。それでも子供だ。甘えたい、遊びたい真っ盛りなのだ。寂しい想いをしていた処に、無害で我儘を聞いてくれそうな俺が現れた。好奇心から我先に構ってくる。
そして気づいていないが、女の子の園で俺はたった一人の異性になる。思春に入った彼女達は、俺の事を強烈に意識せざるを得ない。じめっとした6月の午後、子供の体温は高い、こうも密着されては汗が噴き出してくる。それはこの子たちも同じだ。汗まみれになっても、尚も俺に引っ付こうとする。そう言えば、可愛かった飼い犬も、真夏でも中々俺から離れなかったのを思い出す。
昔から汗をかいても何故か異性から嫌われなかった。爽やかで瑞々しくていい匂いと、よくクンクン嗅がれたものだ。時にはペロリとも甞められた。なよっとしていたので、汗も女の子の匂いと味がすると思って悲しかった。今なら分かる、俺の汗は危険だ。益荒男が獲物を屠って掻いた汗、戦場で女性を組み伏せ流す汗だ。見てくれで皆騙されていたのだ。暴力と獣の臭いが、チョコやクッキー、シューやアイスの美味しい匂いと入り混じる。
涼風や燕子、双子の姉妹、俺と密着した子が酩酊したように、うつつとなった。慣れない男の臭いに当てられたか。未成年にお酒を飲ませたと、あらぬ誤解を受けそうだ。関係者早く帰って来てくれと願っていると、蔓薔薇のアーチの向こう側、修道服の女性が二人垣間見えた。こちらが司祭とシスターだろう。
「あ、シスターとお母さんだ!」
我に返ったように、菜羽と日果留、そしてゆゆが駆けていった。俺を紹介してくれるみたいだ。こちらの方から起立して、深々と頭を下げた。伝統的な修道服、頭に被るは白のコイフに黒のベール、足元までの同色のチュニック。肩からは純潔を誓うカラー、ガードルというのか、ウエストを簡素な紐で絞ってあった。清貧の象徴であるため、飾り気はない。
唯一、胸のロザリオの中央に女性の顔が彫り込まれている点が、既成の宗派と異なっている、恐らく女神さまの尊顔であろう。俺は二人の名乗りを受けた。
「ようこそ、女神の園へ。司祭を務めている、耶蘇馬 フィリア・デア 照子と申します。連絡は受けていましてよ。もう娘たちとは仲良くなったようですね。歓迎しますわ」
司祭様は失礼な言い方をすれば大女だった。身長は2mに迫ろうとしている。女の子達より頭二つ、俺より頭一つ高い。そして修道服の上からでも、圧倒的なボリューム感があった。ウィンプルから覗く亜麻色の髪、慈愛溢れる黒い眼差し、絵画から抜け出したような美女、豊満な身体に振るいつきたくなるが、それは親に甘える幼子の心境であろう。まさに母の中の母であった。
「真楠 フィリア・デア アルテミシアよ。ミシアって呼んで。可愛らしい弟が出来て嬉しいわ。私とも仲良くしてね。君に女神さまの加護がありますように」
髪も肌も色の薄い儚げな女性、それでいて朗らかで命の泉のような彼女は、シスター ミシア。 その名からも純粋な日本人ではなく、ハーフかクォーターであろう。月光色の淡き髪、夜空に輝く金色の瞳。それは世に尽くそうとする彼女の善性が、癒しとなって体現したかのようだ。
普段の俺なら『透視』を使って、聖職者の豊潤な肉体と、清純な肢体を確認するという、許されない行為をしたはず。だけどそんな気は起きない。二人から神気という名の爽やかな風が吹く。俺の心の邪気が消える。これが女神さまの加護なのか。こちらからも名乗りを上げた。
「徳島眉山高等学園一年、 上級探索者、御上想夜です。研修の受け入れ、ありがとうございます。宜しくお願いします」
「ええぇ──────」
少女達が騒然とした。先の討伐戦の報奨として、参加した中級探索者は、全員上級に格上げされていたのだ。そして上級探索者は国内で一千万人いるとされる選抜者の頂点で約三千人、うち現役は二千人、0.02%しかいない上澄み中の上澄みであった。