私が着任したのは最前線の鎮守府でした。提督に挨拶をした後に自室として指定された部屋に向かいました。
部屋主は不在らしく、部屋の中には誰もいませんでした。無駄の無い片付いた部屋でした。
自分の荷物の整理をしていたらドアが開く音がしました。
「翔鶴……さん?」
ルームメイトは士官学校で面識があった祥鳳さんでした。祥鳳さんの顔色が私を見た瞬間に真っ青になりました。
「祥鳳さん、お久しぶりです。顔色が悪いですが、大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です……」
卒業直前に神通さんに自分を大切にしなさいと言われたことを思い出しました。祥鳳さんもそうした方が良いと思いました。
「無理なさらない方がいいですよ?」
「大丈夫ですから……!」
強引に会話を切られました。何が何だか分かりませんが、無理に声をかけない方が良さそうです。自分の荷物の整理を再開しました。
「翔鶴さん……」
少しして祥鳳さんがそう呟きました。
「はい?」
「ここは貴女が思うよりもずっと地獄です。お願いですから、生きることを第一にして下さい。貴女の妹の瑞鶴さんのためにも……」
「瑞鶴のため、ですか?」
祥鳳さんは黙って部屋から出ていってしまいました。
後に知った話ですが祥鳳さんは瑞鶴の介錯を務めていたみたいです。生きることを第一にしてほしいというのは彼女なりの私への罪滅ぼしだったのかもしれません。
私が着任して三日目、ろくに話すことも機会もなく祥鳳さんは戦死してしまいました。彼女の私物が片付いた部屋はやけに広く感じました。
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着任から四日目、初めての出撃をすることになりました。艦隊に同期の瑞鳳さんがいましたが……
「えっと……瑞鳳さんですよね?」
「だったら何?」
瑞鳳さんは年齢の割には背丈が低く、年下で態度も子供っぽい人でした。士官学校時代の彼女は素直で人当たりの良い元気な子でした。彼女は昨日出撃がありましたが、その時に何かあったのでしょうか? 着任からたった四日経っただけなのに瑞鳳さんは別人のように見えました。
任務が始まりました。鎮守府から少し離れた場所に現れた深海棲艦の機動艦隊を叩きに行く作戦でしたが、緊張しました。祥鳳さんが戦死したのは前日でしたし、瑞鳳さんが急変したのもその日だったので絶対に何かが起きる。そんな気がしました。
偵察機を飛ばしてから五分ぐらい経った頃、荒い視点の中で水平線に黒い点のような物を見つけました。
「あれは……?」
はっきりと目視できる場所まで近づいて確信しました。真っ白でナメクジみたいに粘液質な肌をした人型の化け物……深海棲艦です。ヲ級の空母もいます。
「見つけました!」
そう叫んだ瞬間、瑞鳳さんが小さく舌打ちをするのが聞こえました。
「敵は気づいていそうですか?」
不知火さんが私を見ながら言いました。
深海棲艦達は談笑しているように見えます。人みたいなのに人とは異なる生き物……その現実に嫌悪感を感じました。
「えっと……そっぽを向いていたから気づいていないと思います」
「不知火、飛ばしていい?」
私が話した直後に瑞鳳さんが呟きました。
「どうぞ。翔鶴さんも空襲をかけてください」
「は、はい!」
攻撃をかける直前、視点が攻撃隊の指揮機の視点に切り替わり急に世界が狭く見えました。士官学校では避けていたあの感覚です。振り切ろうとしましたが、振り切れませんでした。
旗艦らしきヲ級が何か叫びました。彼女の顔面に私の艦爆が爆弾を落とすのが見えました。爆発が起きるのと同時にヲ級に火がつき、彼女が悲鳴をあげるのが見えました。
苦しむ彼女に先程とは別の艦爆が向かい、少し離れた場所で艦攻が発射した航空魚雷が向かっていきます。
どこかで「突撃!」と不知火さんが叫ぶ声が聞こえた気がします。直後に砲弾と魚雷が深海棲艦の方へ飛んでいきます。
一方的でした。どれぐらい時間が経ったのか分からない戦闘でしたが、深海棲艦の艦隊は全滅しました。
艦載機を下げた直後に急に視界が元に戻りました。
海上には炎に燃える深海棲艦の死体と肉片が漂っていました。人型のヲ級の頭からは白子状の物体と赤黒い血が流れ、虚ろな瞳で空を見あげています。
唾液が増え口の中が酸っぱくなりました。頭がクラクラとしだし胸がムカムカして、耐えきれずにその場で嘔吐しました。他の艦娘は周囲警戒や無線連絡をしていて誰も私を見ていません。
海上ではただ、風の音と波の音だけがしていました。
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鎮守府に戻る頃には吐き気も収まっていましたが、代わりに五感が研ぎ澄まされ、世界が変わって見えました。
白いものはより白く黒いものはより黒く見えます。音も今までは気にも止めなかった足音のような小さい音が聞こえましたし、物に触れた時の触感も普段とは別物でした。布のザラザラとした手触りが気持ち悪く感じました。
寝ても覚めても、私が見て聞こえ感じる世界は変わりませんでした。一人きりの部屋の中で朝日を浴び、小鳥の声を聞き眠ることもできませんでした。
世界がこんなに鮮明だとは知りませんでした。逃げたいと思いましたが、現実は私を逃がしてくれません。ただ無慈悲に事実を叩きつけて私を苦しめようとします。
何もかもが苦しく息が詰まりそうでした。