途中の素敵な挿絵は定熊さんに描いていただきました
過酷な日々が始まりました。
空襲や深海棲艦の襲撃があると、夜だろうが寝ていようが警報音で叩き起こされます。当然ながら生活リズムが滅茶苦茶になり、体調を崩す日も増えました。
涙すら流れませんでした。相談できる人はなく、部屋は私一人でした。皆、生きるのに必死で私なんかに構っている余裕は無かったのかもしれません。
人間関係のトラブルは少なかったですが、常に空気がピリピリしてましたし、提督の悪口を言う艦娘ばかりでした。誰もそれに反論しませんし、提督もガス抜きの一環として無視しているように見えました。
初出撃から一ヶ月程した頃のことでした。
この日も目眩と頭痛を抑えながらの任務でした。深海棲艦の機動艦隊との交戦でしたが激戦となり、何とか戦いには勝利しましたが私と瑞鳳さんが被弾しました。
戦闘後に撃破した深海棲艦の確認に向かいました。撃破確認をしていると突然、深海棲艦の死体から黒い大型犬ぐらいの何かが飛び出し私の方に突進してくるのが見えました。咄嗟に手にしていた飛行甲板を叩きつけました。鈍い手応えと共にそれは海上に叩きつけられました。
「生き残りみたいですね」
不知火さんがそう言いました。
ウンザリするほど見てきた深海棲艦のイ級です。
心臓がバクバクします。視点はただイ級一点を見つめていました。
「殺さなきゃ……」
イ級の体に飛行甲板を叩きつけました。悲鳴が上がるのと同時にグチャリとした嫌な感触が伝わりました。
生きてる。叩きつける。蹴り飛ばす。振り下ろす……
「いつまでやっているのですか?」
不知火さんの声で我に帰りました。
目の前には原型を留めていないイ級がいます。
不思議と気持ちは落ち着いていましたが、急に胃が締め付けられる感覚に襲われ口を抑えました。
手が震え心臓がうるさいぐらいにバクバクします。息がゼーゼーとしていました。飛行甲板は真っ赤で手にも返り血がついていました。
「帰りますよ」
不知火さんが呟きました。
「はい……」
他の艦娘が何も言わずに冷たい視線で私を見つめていました。
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「やられてるね」
帰って入渠してると同じく入渠してた瑞鳳さんがため息をしながらそう口にしました。私は艤装が壊れていましたが、瑞鳳さんは背中に穴が空いて血が流れていました。
「はい……」
「死体蹴りはやりたいならやればいいけど、作戦に影響が出ないレベルにしなよ。そうなったら悪いけど見捨てるしかないから」
「承知しました……」
瑞鳳さんの指摘が耳に痛く感じました。
入渠が終わってすぐに自室に走りました。
手が震えて喉が乾きます。硬い布団に倒れ込みました。突然襲いかかられたらとはいえ、死んだ後も殺そうとし続けるなんてどうかしてます。
手にイ級を殴った時の感覚がまだ残っています。血を洗い流したはずの手が真っ赤に残っているような気がしました。
気がつくとあの時のあの場所にいました。私の目の前には殴りつけられたイ級が横たわっています。何もかもがあの時と全く同じです。
イ級を飛行甲板で殴りました。一回だけでは止まらず二回三回と……
止めなくてはいけないと思っても止められません。体が勝手に動きます。私は笑っていました。高ぶる高揚感の中で口元がニヤけていました。ただ無我夢中でイ級を壊し続けました。
誰かの声が聞こえて、目が覚めました。
全身には嫌な汗がビッシリとついています。一連のことが夢だったと気づき、ホッとしましたが記憶のところどころに夢の映像がよぎります。
「翔鶴、夕飯終わるよ。食べたくないならいいけど」
外から瑞鳳さんの声が聞こえました。食欲が無いとしても、食べれるものは食べなければ生きていません。慌てて部屋の外に出ました。
瑞鳳さんは私を見ると背を向けました。ふと、あの時の私はどんな顔をしていたのか気になりました。
「瑞鳳さん、少しいいですか?」
「何?」
瑞鳳さんが振り向きました。
「深海棲艦を殴っていた私はどんな顔をしていましたか?」
「変なこと聞くね。自分のしたことなのに覚えてないの?」
「すみません。記憶があやふやで……」
「笑ってたよ」
瑞鳳さんの言葉に背筋がゾッとしました。
「不知火が殴るのを止めるまで笑ってた。これだけ言えば分かる?」
「はい……」
夢での経験が鮮明に蘇りました。夢の中の光景は事実でした。
「嫌う気はないけど、足を引っ張るなら切り捨てるから」
瑞鳳さんはそれだけ言うと欠伸をしてから私に背を向けました。彼女はこの環境に適応できているのかもしれません。とても年下とは思えませんでした。
誰もいない廊下に私一人が取り残されました。
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その日から戦闘中に記憶が消えることが増えました。戦闘に集中して、視点が一つに集まり、気づいたら戦いが終わっています。いつもの感覚の後に夜にはその時の夢を見ます。五感を感じるぐらいに鮮明でリアルな夢を……。他の艦娘に記憶が無い時のことを聞くと私が夢で見たものそのままでした。
精神的に衰弱していく中、初めての発作から二ヶ月程したぐらいに提督に医務室に呼び出されました。
「お呼びですか?」
「お前は、まだだったな」
提督が見ていた血に濡れたベッドの上には一人の艦娘が横たわっていました。数週間前に着任した新人の子だと思います。彼女と会話をしたことはありませんし、名前すら知りませんでした。
提督が私に拳銃を差し出しました。
「楽にしてやれ」
「はい……」
そんなことかと思いました。提督が艦娘の介錯をさせることは噂になっていましたし、いつか私もさせられると思っていました。それが今になっただけです。関わりのない子でしたし、何も感じませんでした。
「頭に当てて引けば良いですか?」
「そうだな」
拳銃を手に取り、ベッドの上の艦娘のこめかみに当てて冷たく重い引き金を引きました。
引き金を引いた直後、血と火薬の匂いが鼻をつきました。真っ赤な血液が目に映り、生暖かい血が右手に付いています。シンとした部屋の中で私は立っていました。
血と硝煙の匂いに急に激しい嘔吐感が込み上げました。
「トイレは出て右だ。吐いたら戻ってこい」
提督の助言を元にトイレに駆け込みました。
「限界が近いか?」
医務室に戻ると提督が私に声をかけました。
「はい……」
「夢のことか?」
言い当てられてドキッとしました。
「ご存知でしたか?」
「他の艦娘から聞いただけだ。開き直ったらどうだ?」
提督の言った言葉の意味がよく理解できませんでした。
「どういうことですか?」
「深海棲艦をいくら殺しても傷つけても誰も何も言わない。それなら気にしなくていいんじゃないのか?」
「……何を言ってるんですか?」
提督の提案に背筋がゾッとしました。
「どうするかはお前次第だ。だが、このままだと間違いなく死ぬぞ? 壊れて死ぬぐらいならいっその、ストレス解消の手段にした方がいいんじゃないか?」
どうかしてると思いました。提督は死ぬぐらいなら狂人になれと言っています。そんなこと受け入れられるわけが……
「お前のような症状は珍しいものではない。それに、普通の戦争なら咎めたかもしれないが今の戦争は普通の戦争じゃない。任務に影響が無いなら何も言わないつもりだ。相手は化け物だし、容赦は不要だ。俺としても使える戦力が減るのは困る。開き直った方がお互いにメリットがあると思うがな」
淡々と話す提督に激しい嫌悪感を感じました。
提督は深海棲艦への復讐だけが生きがいの狂人だとお聞きしています。瑞鳳さんや不知火さんは普通に悪口を言いますし、提督がそれを否定したようなところを見たことがありません。これ以上、聞くと引きずり込まれてしまいそうな気がします。
「失礼します」
逃げるようにして医務室から外に出ました。
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私の弱い決心は二週間と持ちませんでした。休みの無い日々の中でろくに眠ることもできず、毎日のように続く出撃で疲弊しました。追体験の悪夢と自己嫌悪にも悩まされ、すぐに体は限界を迎えてしまいました。
私がまともだった最後の日、夕飯に食堂で不知火さんに声をかけました。古参で誰よりも実力のある彼女なら何か良いアドバイスをくれるかもしれない。そんな淡い期待でした。
「どうしました?」
「相談したいことがあります……」
私は悪夢のことや提督とのやり取りを話しました。私の話を不知火さんは無表情で聞いていました。
「なるほど。それで悩んでいると」
「はい……」
「個人の意見で良いですか?」
「お願いします」
「司令官と同意見ですが、早く適応した方が良いですよ」
肩がガックリと落ちて、下を向きました。
どうして、平気でそんなことが言えるのでしょうか? どうして不知火さんはまともでいられるのでしょうか?
分からないことだらけでした。
「私が平常心でいると思っていますか?」
私の心を見透かしたかのように不知火さんが話しました。
「……はい」
「翔鶴さんから見たら、私は間違いなく狂人ですよ」
「どういうことですか……?」
不知火さんの戦う動機、それは提督への憎悪でした。提督に復讐したいからこそ生きることに執着し生きていける人です。
私とは方向性が異なりますが、彼女もまあ間違いなく壊れた人でした。
「ここで戦っている艦娘は誰しもが何かしらの傷を抱えています。傷を抱えながら生きようとしています。それができない人間は死ぬだけです」
不知火さんが食事を食べ終え席を立ちました。彼女の声がいやに耳に残りました。
それができない人間は死ぬだけ……私にとっては呪いの言葉でした。私は今この場所に適応できているとは言えません。
生き延びるには狂気を受け入れるしか……急いで部屋に帰り、頭の中に浮かんだ考えを押し殺し布団を被りました。