秋月さんが朝の訓練に加わってから、半年が経ちました。秋月型の皆さんは練度が上がり対空砲火も戦闘も形になってきました。秋月さんと冬月さんの秘書艦任務も順調です。空襲や出撃任務があるのは相変わらずで多忙な日々でしたが、やっと鎮守府が本格的に動いてきました。
しかし、鎮守府の空気は重いままです。秋月さんとは相変わらず打ち解けられません。涼月さんと冬月さんとは普通に話せるようになりましたが、私を怖がる風潮は変わりません。提督も私を警戒する姿勢を崩すことはありませんでした。
「来週の月曜日から一週間、卒業候補生の勤務実習を行う」
ある日、提督が鎮守府の艦娘全員を集めて執務室で話し出しました。
「勤務実習? 具体的に何をするのですか?」
秋月さんが呟きました。
「卒業候補生の現地体験だ。メンバーは空母二人と重巡一人と軽巡一人。鎮守府での訓練や出撃を体験させる」
「朝練には参加させますか?」
気になっていた質問をぶつけました。
「なしだ。あれはお前達が自主的にやってるものだからな。向こうが参加したいと言ったら話は別だが……それと、翔鶴。勤務実習の間はお前は緊急時以外の出撃はなしだ。代わりに秋月が旗艦を務める」
「どうしてなのか質問しても良いですか?」
「お前の行動で、卒業候補生を引かせる気か? 悪いがこちらの身も少しは考えてくれ」
不満ですが、提督の言うことには一理あります。渋々ですが、従うことにしました。
「……承知しました」
「……旗艦は私で大丈夫なのでしょうか?」
秋月さんが不安そうに言いました。
「危険な出撃はやらせない。やらせても、昼間の水雷戦隊相手ぐらいだ。いくら実戦経験がない奴らを指揮することになっても何とかなるだろう。立案は翔鶴と俺で行う。旗艦としての教育もな」
「了解です……!」
また、仕事が増えることを察し、ため息をつきました。
「心配するな。勤務実習が終わったらいつも通りに戻す。新人の教育も兼ねて、な」
新人という言葉が引っかかりました。
「新人ですか?」
「ああ。今回の勤務実習で一人を推薦して良いことになってる。その見極めもしたい」
「推薦と言うことは実質的に引き抜きですか?」
「ああ、そうだな」
「推薦……か」
冬月さんが呟きました。
「冬月、どうした。何か気になることでもあるのか?」
「推薦は提督と翔鶴さんだけで決めるのか?」
「お前も意見を言いたいのか?」
「いや……どんな風に決めるのか少し気になって……」
自分達の意見は反映されるのか? 彼女はそう言いたいように見えました。それか、提督が誰かを推薦する理由を知りたいのかもしれません。
「お前達の意見も反映する。参考にするレベルではあるがな。話し合いの場は設けてやる」
「分かった……」
この時はまだこの勤務実習が、鎮守府を揺るがす大騒動になるとは思いもしませんでした。
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一週間後、勤務実習を受ける卒業候補生が到着しました。
「大鳳、よろしくお願いします」
「葛城よ。よろしくね」
「摩耶様だ! よろしくな」
「軽巡矢矧、よろしくお願いします」
「秘書艦の翔鶴です。皆さん、よろしくお願いしますね」
いつもの笑顔で挨拶しました。いつ見ても新兵は可愛らしいものです。ただ、今回の子達には何となく嫌な予感がしました。
「提督の榊原だ。よろしくな。鎮守府の案内は秋月から聞いてくれ」
「駆逐艦の秋月です……! 皆さんの教育役になりました。よろしくお願いします!」
秋月さんは緊張している様子でした。秋月型の姉妹をまとめているので、できるとは思いますが……
「駆逐艦ですか?」
大鳳さんが呟きました。
「はい」
「何で駆逐艦なのか理由を聞いても良いですか? 空母に教わるものだと思ってましたが」
「翔鶴は秘書艦任務で忙しい。それと、鎮守府に駆逐艦しかいない」
「そうですか」
実習生の皆さんが秋月さんを見つめました。秋月さんはビクッとしました。
「秋月、鎮守府の中を案内してやれ」
「は、はい! 皆さん。ついてきて下さい」
秋月さんが実習生の皆さんを連れて執務室を出ました。
「お前はどう見る?」
実習生の皆さんが出ていくのを見て提督が呟きました。
「具体的な根拠は上手く言えませんが、嫌な予感がしますね」
「同感だ。俺も経験と勘による判断だが……」
「教育役だけでも、今から私が変わりましょうか?」
「いや、いい。何事も経験だ。ただ、秋月の様子だけは気にしてやれ。冬月と涼月にも根回ししておけ」
「承知しました」
外から湿り気のある生暖かい嫌な風が室内に吹きました。
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「秋月さん、少しいいですか?」
夕食の席で秋月さんに声をかけました。秋月さんはいつもは秋月型の他の姉妹と食事をしますが、今日は珍しく一人でした。
「何ですか?」
「無理にとは言えませんが、今日の勤務実習で起きたことを話していただけませんか?」
「翔鶴さんには嫌です」
秋月さんが嫌そうな顔で答えました。秋月さんの顔は暗く、何かが起きたのを察しました。
「そうですか……何か困ったことがあったら気軽に相談して下さいね」
「結構です」
これ以上、話しても無駄です。会話を切り上げました。提督が言っていたように涼月さんと冬月さんに声をかけておいた方が良いのかもしれません。
「秘書艦は訓練をする暇もないぐらいご多忙なようですね」
声のした方を振り向くと、大鳳さんがこちらを見つめていました。彼女の近くでは実習生の皆さんが夕食を食べていました。
「こちらは一日、勤務実習で忙しいのに……羨ましい限りです」
少しイラッとしましたが、新兵とはこういうものです。とはいえ、ろくに話したこともない相手にとる態度とは思えませんが……少し試してみることにしました。
「何かご不満な点がありますか?」
「どうして、私達の教育役が駆逐艦なんですか? 空母の貴女がやるべきなのでは?」
そんなことかと思いました。
「私には私の仕事がありますから……それに、教育役が駆逐艦なのはそこまで問題視することですか? 私は問題ないと思いますが……」
「駆逐艦如きに教わらなければいけないの? 格下に頭を下げるなんて考えたくありません」
案の定、艦種差別でした。艦種に上も下も無いのに自分は最高位とでも思っているのでしょうか。馬鹿だと思いました。
「ご希望にお応えしたいところですが、秘書艦任務がありますし、鎮守府には私を除けば駆逐艦しかいません。秋月さんを教育役に決めたのは提督ですし、私よりも提督に言った方が……」
「そう言って逃げるんですか? 本当に貴女は空母なんですか? 秘書艦任務こそ駆逐艦にやらせればいいんじゃないですか?」
内務作業すら下に見えているようです。呆れて物も言えません。何をどう学んできたら、このような思考に到れるのでしょうか?
「ちょっと大鳳!」
矢矧さんが立ち上がりました。
「いくらなんでも言い過ぎよ。少しは抑えなさいよ」
「何か文句あるの? 軽巡が仕切らないで」
「評定に響くわよ」
矢矧さんの声に大鳳さんが舌打ちをしました。
「こんな形式的な実習で空母の私が卒業できなくなるはずがないでしょ? 貴女は黙ってて!」
秋月さんが手を叩きました。
「皆さん。自由時間は終わりです。消灯まであまり時間もありませんし、部屋に戻って下さい」
秋月さんが実習生の皆さんを連れて食堂を出ていきました。
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秘書艦任務が終わり、後片付けをしていると執務室のドアが開きました。
「仕事は終わりか?」
冬月さんです。顔に小さなしわが寄っていました。
「はい、ちょうど終わって閉めたところです。何か用ですか?」
「提督、翔鶴さん。今から悪いが飲むのに付き合ってくれないか?」
冬月さんから誘われるのは珍しいと思いました。彼女と一緒にお酒を飲んだことはありますが、提督からの誘いに付き合った時か、鎮守府での作戦成功記念の時ぐらいでした。
「愚痴話という名前の報告ですか?」
冬月さんが右手を強く握りしめました。
「……ああ、そうだ」
「提督、どういたしますか?」
「俺は構わんぞ。晩酌用の日本酒が残ってるが、それでいいか?」
「構わない……飲めれば何でもいい」
「たしか、冷蔵庫の中に提督がよくつまみにしているイカの塩辛もありましたよね? それも出しませんか?」
提督の顔が歪みました。
「よく知ってるな……まぁそれも出すか」
三人でテーブルを囲んで日本酒を飲みました。少し辛めでしたが、私好みの味でした。私と提督が少しずつ飲んでいるのに対して、冬月さんはあおるように飲んでいました。しばらくの間は、誰も何も話しませんでした。
冬月さんのグラスが空になったので注いであげると彼女はそれに口をつけて、一度に半分ぐらい飲み干しました。
「ったく、何なんだよアイツら!」
顔を赤くした冬月さんが大声をあげました。
「何があったんだ?」
提督が呟きました。
「摩耶の馬鹿が工廠近くでタバコのポイ捨てをした。ここで吸うな、ポイ捨てをするなと注意したら、逆ギレされた。一々うるさいだの、ちょっとぐらいいいだの駆逐艦が色々言うなだの……」
提督がため息をつきました。
「その手の馬鹿はたまにいるな。昔の同期に煙草の火の不始末で弾薬庫を吹き飛ばした馬鹿がいた。前々から注意されていたのにな。一応、規則であることを明日言っておくか……」
「やらかすまで懲りないタイプですか?」
「おそらくな……明日、妻の神通に詳しく話を聞いてみる」
冬月さんがグラスを机に叩きつけました。
ふと、冷たい風が吹くのを感じました。風が吹いてきた方を見ると執務室のドアが少し開いていました。誰かが盗み聞きしているようでした。
「どいつもこいつも何なんだ! 駆逐だから、駆逐だからって秋月姉さんが可哀想だろ!」
「やはり、苦労していましたか?」
「ああ。すみません、と謝ってばかりだった。特に大鳳、あの女が酷かった。ただでさえ、慣れないことをやらされてるのにミスをする度に愚痴愚痴と……」
「大鳳さん以外にも言われていましたか?」
「葛城は大鳳に同調、摩耶は早くしろと急かしてた。矢矧だけは黙っていたがな……」
冬月さんが大きくため息をつきました。
「提督、どう思いますか?」
「問題だな。タバコの火のことは明日、指摘する。指揮系統の軽視のことも指摘する必要があるな。それと翔鶴、気づいているだろ?」
提督も気づいていたようです。いいタイミングですし、言うことにしました。
「涼月さん、盗み聞きは良くないですよ」
執務室のドアが僅かに動きました。冬月さんがハッとしてドアの方を向きました。
「涼!」
「ごめんなさい。お冬さん! お冬さんがイライラしてたように見えたので、心配になって……」
「盗み聞きをするぐらいなら、いっそのこと中に入れ。トラブルの元だ」
「はい……申し訳ございませんでした」
提督がため息をつきました。
「入れ。それと、お前も飲むか?」
「お酒にはあまり強くないので少しだけいただきます……」
涼月さんが提督からグラスを受け取ってソファーに座りました。分かってはいると思いますが、念のため釘を刺しておこうと思いました。
「初めに言っておきますが、涼月さん。先程聞いたことと今から話すことは他言無用です。トラブルの元なので秋月さんも含め、絶対に話さないで下さい」
「承知しました……」
涼月さんがグラスの中の日本酒に口をつけました。しかし、あまりお酒に慣れていない彼女には強すぎたらしく、すぐに顔を真っ赤にしてグラスを下ろしました。
「私が飲もうか?」
「お願いします」
涼月さんが冬月さんにグラスを渡すと冬月さんはそれをすぐに飲み干しました。
「翔鶴さん、お願いしたいことがあります」
何かを決意したように涼月さんが呟きました。
「どうしました?」
「……秋月姉さんを助けてくれませんか? お冬さんが心配していましたが、私も秋月姉さんが心配なんです。お願いします」
「涼月さんから見ても、苦労していますか?」
「はい……初日からすごく大変そうでした。一週間、乗り切れるか不安です……」
返答に困りました。助けるだけなら教育役を私に代えれば良いだけですし、アドバイスもできると思います。しかし、それよりももっと根本的な問題があります。
少し考えてからそのことを指摘することにしました。
「秋月さん次第、ですね」
「どういうことですか……?」
涼月さんが不安そうな顔をしました。
「仮に私がアドバイスしてあげたとして、秋月さんがそれを素直に受け入れられると思いますか?」
「それは……」
涼月さんがハッとした顔をして黙りました。私が憂慮していた問題に気づいたのかもしれません。
私が何をしたとしても秋月さん自身がそれを受け入れないと意味がありません。今の秋月さんがそれをできるとは思えませんし、向こうから助けを求められることもないと思います。
「命令の軽視や規則違反の件は私が対処します。ですが、秋月さんには涼月さんや冬月さんを通じて間接的に介入することしかできません。ですから、秋月さんを助けたいと思うのであれば私か提督に何が起きたのかを報告し、助言をもらう形にして下さい。できる限りのことはします」
「分かりました……」
そのまま冬月さんの愚痴を聞く飲み会はお開きとなりました。先行きに不安しかありませんでした。ですが、このような形にするしかないのが現実でした。