新人の推薦は鎮守府の艦娘と提督の全会一致で矢矧さんに決まりました。話し合いはありましたが、話し合う意味も無かったと思います。
一ヶ月ほどして矢矧さんが着任しました。
「軽巡矢矧、改めてよろしくお願いします」
「矢矧さん、よろしくお願いしますね」
「よろしくな。早速だが出撃してもらう」
「えっ、早速?」
矢矧さんが驚いた顔をしました。
「ああ、早めに戦闘に慣れてもらうためだ」
表面上の理由をスラスラと言う提督の態度には感心しました。本当は私に慣れてもらうためですが。
「了解しました。軽巡矢矧、出撃します」
「旗艦は私が務めますね」
この後のことに胸を躍らせながら笑顔でそう言いました。
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「翔鶴さん、時間だ」
冬月さんの一言で我に返りました。
目の前にはありえないほど大きく口を開き、頭と背中がくっつくほど反り返ったイ級の死体が転がっています。手には小さな硬いものがいくつも握られていて、生暖かくヌルヌルとしたイ級の喉の奥に突っ込もうとする直前でした。
「翔鶴さん……一体何を……?」
「深海棲艦を壊していたんです」
握っていた肉のこびり付いたイ級の歯を海に捨てました。
「勤務実習の時に翔鶴さんが戦わなかった理由って……」
「そうですね」
立ち上がって周囲を見ると秋月さんは顔を背け、冬月さんは顔を青くしながらこちらを見ています。矢矧さんは目を白黒させながら、わけが分からないという顔をしていました。
「作戦終了です。帰りましょうか」
空には雲一つ無く、日差しが痛いほど強い、茹で上がるような日でした。
鎮守府に着くと矢矧さんは口を押さえ、トイレのある方に全力で走っていきました。
「翔鶴さん」
いつものように水道で手を洗っていると秋月さんに声をかけられました。
「どうしました?」
「私、どうしても貴女のことが悪い人だと思えません。あんなことをしなければ……怖い笑顔さえなければ、まともな人だと思います。やめられないんですか?」
「無理ですね」
水道の冷たい水を止め、水気を切りました。
「私はこうして戦場を生きてきましたし、自分を管理してきました。今更変えるなんてできません。変えたらもっとおかしくなると思います」
「そうですか……」
秋月さんが残念そうに呟きました。
辺りでは蝉の声が響いていました。
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私が鎮守府に着任してから二年が経ちました。
「翔鶴さん、お疲れ様です」
夕方に工廠の様子を見に行くと整備士の齋藤さんが挨拶をしました。
「お疲れ様です」
「最近、鎮守府の雰囲気が悪くありませんか?」
「そうですか?」
「はい……涼月さんがいなくなってから、ギスギスしている気がします。少し前に秋月さんと冬月さんが言い合いをしてましたし……」
二ヶ月前に配置転換で涼月さんが後方の鎮守府に移りました。それ以降、秋月さんが不安定になりました。毎日一人で考え込み、空いた時間は必死になって聖書を読んでいます。それだけなら別に良いのですが、冬月さんにも同じことを強制しようとしています。冬月さんからの抗議もあって注意しましたがやめようとしません。むしろ過激化した気すらします。
少し前に寝る前の祈りがやけに長く、声が大きかったので注意したばかりでした。
「何を話していたのか分かりますか?」
「いえ……」
どんなことが起きていたのか分かりませんが警戒しておいた方が良いのかもしれません。
「何かトラブルの兆候があったり、実際にトラブルが起きていたりしたら、すぐに報告してください」
「はい! 了解です」
彼が真面目な顔でそう答えました。
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「冬月さんと秋月さんが言い合いをしていたようです」
「そうか……分かった」
提督が青い顔をしながら呟きました。
「大丈夫ですか? 最近、体調が悪そうですよ?」
「良いと言ったら嘘になるな。まぁ気にするな。徹夜続きだとよくあることだ。それに、徹夜続きなのはお前も同じだろ?」
提督はそう言いましたが、不安しかありません。鎮守府が本格的に回り始め、艦娘の数が増えたので毎日仕事が山積みです。それに、提督も無理をするのが良くないと思います。私はまだ耐えられますが……
「無理をせずに療養した方が良いと思いますよ。提督が倒れると困るのは私達ですから」
「考えさせてもらう」
直感的にダメだと思いました。
「考えさせてもらう。ではなく、今すぐにお休みになってください。残りの仕事は私が片付けておきます」
「いや、しかし……」
「私は艦娘なので多少の無理が利きますが提督は違います。無理な時には休むのも仕事だとご存じですよね?」
「若いころのようにはいかないか……」
ほっとする間もなく執務室のドアが開き、矢矧さんが飛び込んできました。
「提督、大変!」
「何があった?」
「秋月さんと冬月さんが食堂で喧嘩しだしたの。二人とも一歩も引かなくて……」
提督が小さく舌打ちをしました。
「翔鶴、仲裁に行ってこい。仕事は俺がやる」
「はい。承知しました……矢矧さんは提督の補佐をしてあげて下さい。秋月さん達の件は私が片付けます」
苛立つ気持ちを抑え、食堂に向かいました。
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「嫌だと言っているだろ!? そこまで強制される覚えはないぞ」
「なんで協力してくれないの? 冬も神様を信じてるんでしょ?」
「信じてはいる。だけど、他人を巻き込むのはどうかと思う。それぐらい分かってくれ!」
食堂に入ると二人が言い合いをしていました。他の艦娘の皆さんは困惑した顔で二人を見ていましたが、私が入ると視線が集まりました。
「何があったのですか?」
二人が私の方を向きました。私を見た秋月さんの顔に小さな動揺が浮かびました。
「翔鶴さん……秋月姉さんが食前の祈りを義務付けようと言ったんだ。私はそれに反対しただけだ」
「食前の祈りは皆でやるべきです。こんな時だからこそです」
「だからって他人に押し付けることはないだろ!」
「押し付けなんかじゃない。必要なことだよ」
「話は分かりました」
一旦、二人の話を切りました。
このまま二人に話をさせても言い合いがダラダラと続くだけです。少し考えて、妥協案に近いものを思いつきました。
「秋月さんは人を選んだ方が良いのではないでしょうか?」
「どういうことですか?」
「秋月さんと同じように食前に祈りを捧げても良いと言ってくれる人と一緒に祈った方が良いと思います。強制するのは押し付けですし……」
「強制じゃありません。皆でやらないと……」
一歩も引かない秋月さんに少しイラッとしました。
「神を信じていない人、もしくは別の神を信じている人がいるかもしれないと考えてみてはどうでしょうか?」
「何が言いたいんですか?」
「信仰一つ取っても色々なものがあります。それぞれ教えが違いますし、習慣も違います。なのでその人に合ったことをした方が……」
「神は一人です。私はキリストしか信じられません」
握り締めた右手に爪がくい込みました。爆発しなかった自分を褒めるべきなのかもしれません。
「一つお聞きしたいのですが秋月さんは自分の価値観以外、信じられないということですか?」
秋月さんの顔に一瞬、迷いが見えた気がしましたが、すぐにそれは消えました。
「……はい。そうです」
「そうですか。秋月さん、貴女の考えがよく分かりました」
ため息をついた後、息を大きく吸いました。
「秋月さん、貴女のやってることはカルトと同じですよ」
「いきなり何を言い出すんですか!?」
「排他的で教義を強制して、他人を巻き込む。少しは自分を見直してもいいんじゃないですか?」
「正しいことをしただけです!」
「それは、貴女の基準ですよ。私から見ると鎮守府の秩序を乱す行動にしか見えません。信仰することは罪ではありません。しかし、それを他人に強要し他の価値観を否定するのは押し付けです。少し考えれば分かりますよね?」
「分かりません。私は皆さんを正しい方に……」
「それは秋月さんの中の正義です。今の鎮守府にそれに同意してくれる人がいますか? 貴女の正義を信じているのは秋月さん、ただ一人です」
「そんなことは……」
秋月さんが祈るように冬月さんを見つめました。
「秋月姉さん、すまない」
冬月さんはそう呟いて顔を背けました。
「冬!」
秋月さんは目に見えて動揺しましたが、すぐに私を睨みました。
「翔鶴さんは神を信じていないからそんなことが言えるんです。神を信じていればそんなことは言えないはずです」
「信じる信じないは関係ありません。秋月さんの行動が問題だから注意しているだけです。落ち着いて客観的に自分を見直した方が良いのでは?」
「もういいです!」
秋月さんが食堂を飛び出しました。
何も反省していないし、すぐに繰り返す。そんな気がしました。ですが、構っている暇はありません。
「冬月さん、後で執務室に来てください。人手が足りません」
それだけ言ってから、執務室に戻りました。
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執務が片付いた時には二十一時を回っていました。
「提督は早くお休みになってください」
「ああ……そうさせてもらう」
提督がフラフラとした足取りで寝室に向かいました。
「翔鶴さん」
私も部屋に戻ろうとしたら、冬月さんに声をかけられました。
「愚痴話に付き合ってくれないか?」
「秋月さん絡みですか?」
「ああ、そうだ」
冬月さんの「愚痴話に付き合ってくれ」は、報告したいことがあるという意味の隠語です。疲れていましたし断りたいですが、秋月さん絡みとなると無視できません。
「承知しました。お付き合いします。矢矧さんはどうしますか?」
「参加したいです」
「ここで飲むのは提督の邪魔になりますし、食堂に行きましょうか」
場所を食堂にしたのが最悪の選択だったとは、この時点ではまだ気づきませんでした。
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「秋月姉さん……」
缶ビールを一口飲んだ冬月さんが呟きました。
「涼がいなくなってからだな……急に信仰にのめり込むようになった」
「先日、夜の祈りがあまりにも長く声が大きかったので注意したばかりですね」
「不安なんじゃないかしら?」
矢矧さんが呟きました。
「不安?」
「宗教にハマった人は不安を紛らわせるためにより深く傾倒するって本で読んだことがあるわ。秋月さんってかなり真面目なクリスチャンなんでしょ? 自分だけで不安を消化しきれなくて他人を巻き込もうとしてるんじゃないかしら……」
「秋月さんには悪いですが迷惑な話ですね」
「その通りだな」
入口でガタンと音がしました。
「秋月姉さん!?」
まずいと直感が告げました。秋月さんは私達に背を向けて走り出しました。
「待ってくれ!」
「追いかけます。矢矧さんも!」
「はい!」
慌てて三人で追いかけましたが、見失ってしまいました。そのまま日付が変わるまで探しましたが、見つかりませんでした。
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次の日の朝は提督への報告と謝罪から一日が始まりました。
「夜の間に何をやってるんだ」
「はい、申し訳ございませんでした」
「何故、すぐに起こして報告しなかった?」
「提督がお疲れのご様子だったのでつい……。それに、すぐ見つかると思っていました」
「……次からは起こせ。それで、秋月は見つかったのか?」
「いえ、まだです。早朝から捜索はしているのですが……」
「鎮守府の連中を総動員しろ。整備士等も含めてだ」
ドアをノックする音がしました。
「入れ」
「失礼します」
秋月さんでした。顔色が悪く目の下にはクマができていましたが、口元には笑みが浮かんでいました。どこをどう見ても無理をしている笑顔です。
「お騒がせして申し訳ございませんでした」
「翔鶴、朝飯を食べてこい。秋月との話は俺がやる」
「承知しました」
私がいても状況が悪化するだけです。大人しく、提督の指示に従うことにしました。
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食堂でカレーを食べていると矢矧さんが向かい側に座りました。
「翔鶴さん、秋月さんは……」
「帰ってきましたよ。提督が話をしています」
「提督が……? 大丈夫そう?」
「危険ですね。私と同じ笑顔と言えば分かるでしょうか?」
矢矧さんの顔が曇りました。
「全然大丈夫じゃないわね」
「ひとまずは提督に任せるしかありません。上手くいかないと思いますが……」
「上手くいかなかったらどうしますか?」
「その時はその時です。私達にできることをするしかありません」
少しの間、沈黙が流れました。
「……過激化すると思うわ」
矢矧さんが呟きました。
「以前、変な思想にハマった身内がいたんだけど、正面から反論したら更にのめり込んだ。秋月さんも同じだと思うわ」
矢矧さんが席を立ちました。
「ありがとうございます。参考にしますね」
否定されればさらにのめり込み、放っておけば周囲を巻き込む。何をどうしても状況が悪化します。八方塞がりなのかもしれません。そんな気がしました。