朝食を終え、執務室に戻りました。
「失礼します」
「初めに言う。秋月の説得には失敗した」
提督が決めた方針は秋月さんを一人部屋にして三日間の自室謹慎、彼女の監視役を矢矧さんにすること、そして彼女の転勤の根回しをするというものでした。
「切り捨てる形ですか?」
「そういうことになるな。冬月にも伝えておけ。それと、お前には悪いが部屋を移ってもらうことになる。片付けをしてこい」
「承知しました」
執務室を出て自室に向かいました。
部屋に入ると秋月さんが十字架のペンダントを持って祈りを捧げていました。関わってもろくなことになりません。無視することにしました。
「翔鶴さん」
秋月さんに声をかけられ、内心ため息をつきました。
「どうしました?」
「聖書を読みませんか?」
「忙しいのでお断りします」
「冒頭だけでもいいですから……!」
荷物をまとめる私を邪魔してでも読ませたいようです。鬱陶しいと思いましたが、このままでは部屋から無事に出られそうにありません。
「冒頭だけですか?」
「はい、冒頭だけです」
ため息をついて、旧約聖書を受け取りました。
「はじめに神は天と地とを創造された。これで満足ですか?」
秋月さんに旧約聖書を返しました。
「えっ? 満足って……」
「忙しいので失礼します」
「待ってください!」
服の裾を掴まれました。
「私、翔鶴さんがどうしても分からないんです。本当は優しい人なんだって分かっています。なのに……」
秋月さんがここにきたばかりの頃を思い出してイラッとしました。
「私を理解しろとは言っていません。普段は避けていても、仕事の時に付き合えれば十分です」
「話し合えば分かり合えるんじゃないですか? 私、翔鶴さんを助けたいんです」
荷物を床に投げ捨てました。我慢の限界です。過ごす残り日数も少ないでしょうし、最悪の言葉を言ってやろうと思いました。
「本当は分かってるんじゃないですか?」
「えっ?」
「私が狂っているのは認めます。ですが、秋月さんは気づいていますか? 今の貴女の笑顔は私と同じ笑顔ですよ?」
「えっ、そんな……」
荷物をまとめ、外に出ると矢矧さんがいました。
「矢矧さん、あとはお願いしますね。秋月さんを絶対に部屋から出さないでください。それと、彼女に決して同情しないでください。隙を見せると付け込まれます」
「はい、了解です」
矢矧さんに伝えることを伝え、新しい部屋に向かいました。
---------------------
予想通りでしたが、何も解決せずに秋月さんは過激化しました。謹慎処分だけは律儀に守っていましたが、矢矧さんや彼女の様子を気にする艦娘に祈りを捧げさせようとしたようです。被害そのものは食い止められましたが、限界が近い。そんな気がしました。
秋月さんの謹慎処分が終わった次の日にそれは起こりました。謹慎処分が終わったばかりなのに、秋月さんが他の艦娘に聖書の朗読を勧めて提督からの叱責を受けることになりました。
「失礼します」
秋月さんが執務室に来ました。
久しぶりに見た彼女はやつれて見えましたが、張り付いたような笑顔は変わりませんでした。
「なんで呼ばれたのか分かっているな?」
「いえ、覚えがありません」
「いい加減にしろ」
提督が不機嫌そうに言いました。提督は大規模作戦直前で忙しく、目の下にクマができていました。
「布教活動はやめろと言ったよな? 謹慎処分を解かれて早々、何をやっている?」
「間違ったことはしてませんよ? 神の教えを広げることの何が悪いのですか?」
「他人と面倒事を起こすから問題だと言っている。布教活動そのものは悪くない。だが、やめろと言っているのに従わない。それが問題なんだ」
「こういう時だからこそ、支柱になるものが必要だと思うんです。司令官も神を信じませんか?」
提督が頭を抱えて下を向きました。相変わらず話が通じません。いい加減、伝えるべきだと思いました。
「提督、言うべきだと思います」
「そうだな」
提督が顔を上げました。
「秋月、お前の転勤が決まった」
秋月さんの顔から笑顔が消えました。
「えっ?」
「大規模作戦が終わり次第だ。予定では二週間後だな」
「どういうことですか?」
「そのままの意味だ」
「納得できません!」
秋月さんが大声を上げました。
「どうして私が転勤しなければならないのですか? 何も聞いていません」
「話は終わりだ。翔鶴、外の矢矧に引き渡せ」
「承知しました」
「待ってください。そんなに私のことが嫌いなんですか? 私を冬から遠ざけたいんですか? 教えてください!」
「お前の行動が問題だから切るだけだ。自分の行動を見直せ」
秋月さんの手を掴み引っ張りました。
「そんなに翔鶴さんが大切なんですね……分かりました。そこまで言うのであれば、もういいです!」
私が引っ張るまでもなく、秋月さん自ら執務室の外に飛び出しました。
---------------------
次の日から大規模作戦が始まりました。激戦続きで提督も含めた鎮守府の皆さんは消耗していきました。
その中でも秋月さんは空いた時間で布教活動を続け、周囲を巻き込み続けました。そのせいで二度目の謹慎処分が言い渡されましたが、抜け出してでも布教活動を続けようとしました。勤務中の艦娘を引き留め、断られても聖書の朗読を迫ろうとしていました。
大規模作戦の最終日、執務室で提督と話をしました。
「今日で終わりにするぞ」
提督が言いました。
「いよいよですか。作戦は昨日立案した通りですね」
提督がゴホゴホと咳をしました。
「大丈夫ですか?」
「何とかな……薬で熱は下がってる」
二週間近く無理をしたからだと思いますが、提督は風邪をひいています。ただ、大規模作戦中で休むわけにもいかず薬で誤魔化して働いている状態です。
「無理なさらないでください」
「ああ、今回の大規模作戦が終わったら休暇を取るつもりだ。その頃には秋月の件も片付くし、色々なことが良くなるだろう」
「はい。必ず、勝利してきます」
これが提督との最後の会話となりました。
---------------------
「翔鶴さん、時間だ」
冬月さんの声で我に返るのと同時に違和感を感じました。目の前の深海棲艦は戦闘の損傷を除けば原型を留めています。いつもなら肉片になってるはずなのに……
冬月さんだけでなく、他の艦娘も動揺しているように見えました。
「止めるのがやけに早くありませんか?」
「撃破報告をしたんだが鎮守府から応答が無いんだ」
「応答が無い……?」
急に心の中が冷えました。鎮守府付近では深海棲艦は確認されていないはずです。ですが、防空艦の冬月さんはここにいて秋月さんは別働隊で出撃している。それに基地航空隊も主力が出ている……嫌な予感がしました。
「周囲の深海棲艦は片付いていますか?」
「ああ、大丈夫だ。全滅している」
「鎮守府に戻ります。秋月さんの別働隊にも至急、戻るように指示を飛ばしてください」
「了解」
艦隊を引き連れ、鎮守府に向け全速力で走りました。
---------------------
偵察機越しの視界に黒い煙が映りました。
「まさか……」
「何か見えたのか?」
冬月さんが呟きました。
偵察機で鎮守府周辺を見回しました。本部棟が倒壊し煙が上がっています。周囲には工廠の整備士や艦娘達が消火活動と救助活動を行っていました。
「急ぎましょう」
鎮守府に近づくにつれ、物が焼ける臭いが強くなりました。
「救助活動と消火を最優先してください。冬月さんは周囲の索敵を。矢矧さんは動ける人を集め、救助と搬送を。私は提督を探します」
陸に上がり、本部棟へ向けて走りました。
---------------------
到着から数時間後に提督は見つかりました。彼は瓦礫の中で息絶えていました。その手は万年筆を握ったままでした。彼らしい最期でした。
提督の発見から一時間後、冬月さんが鎮守府を空襲したと思われる艦隊を発見しました。私は艦隊を引き連れ撃破に向かいました。私の一撃でヲ級を仕留め、その後はとても陰惨な掃討戦になりました。
誰も私を止めませんでした。むしろ、壊すことに加担した艦娘すらいました。徹底的に破壊してから鎮守府に戻りました。
夜になり、救助活動も一段落しました。
一休みしようと仮設本部のパイプ椅子に腰をかけました。薄暗い照明の中で冷たい風が吹きました。
提督が死んだ。その事実が信じられませんでした。しかし、私は彼の死体を見ています。
私の手綱を握り鎮守府を回していた彼が……
胸が締め付けられるのを感じました。視界が滲んで、体が震えました。
思えば彼は初めて壊れた私を人扱いしてくれた人でした。彼がいたからこそ私は空母として活躍できたのだと思います。
「翔鶴さん」
冬月さんが私の横に座りました。
「泣いているのか?」
「……そうかもしれませんね」
「失礼かもしれないが、貴女が泣くのは初めて見た」
「そうだと思います。私も泣くのは艦娘になって、初めてです」
「そうか……」
冬月さんが震えるのが見えました。
「尊敬していた。もっと教えてもらいたかった。なのに、あの人にはもう会えない……」
冬月さんも声を押し殺して泣き出しました。
人の死がこんなに辛いとは思いませんでした。瑞鶴が死んだ時も祥鳳さんが死んだ時もここまで辛くありませんでした。
凍るように冷たい夜の中、時間だけが過ぎていきました。
---------------------
「翔鶴さん」
提督の死から二日後、仮設テントの食堂で夕食を食べていると秋月さんに声をかけられました。秋月さんの顔からは張り付いたような笑顔は消えていました。
「どうしました?」
彼女が頭を下げました。
「私が間違ってました。本当に申し訳ございませんでした」
「布教活動のことですか?」
「はい……勝手にわがままを言って皆さんに迷惑をかけて……」
本気で謝罪しているように見えました。信仰そのものは捨てていないかもしれませんが、布教活動はもうしないと思います。自分の間違いにもっと早く気づいてほしかったですが。
「過ぎたことは仕方ありません。私達は今できることをするだけです。提督ならそうおっしゃると思います」
あの人なら間違いなく言う。確信がありました。
「そういえば、転勤の話がありましたよね?」
少しの沈黙の後に秋月さんが呟きました。
「はい。もっとも、本部機能を失った鎮守府自体が解体されることが決まったので転勤するのは他の方も同じですが……」
「私を前線に送ってくれませんか?」
秋月さんの言葉に耳を疑いました。
「本気で言ってますか?」
「はい。大規模作戦で私は何度も皆さんの足を引っ張りました。罪滅ぼしをしたいんです。前線ならもっと人を助けられると思って……」
「志願するのはやめた方が良いと思いますよ」
笑顔で言い切りました。
「あそこにいるのは狂人か壊れた人間です。提督も例外ではありません。壊れなければ生きていけませんし、死ぬ時には死にます」
「死んでもいいんです。贖罪ができない方がずっと怖いです。また、同じことをしてしまうかもしれませんから……」
「自己満足では?」
「そうかもしれません……ですが、やらないと不安なんです」
危険だと思いました。信仰から贖罪に依存先が変わっています。彼女が勝手に死ぬのは構いませんが冬月さんがどうなるか考えていないようです。
「冬月さんとは話をしましたか?」
「いえ……まだです」
「呼んだか?」
話を聞いていたのか冬月さんが秋月さんの横に座りました。
「冬? 聞いてたの?」
「少しな……姉さん、前線に行く気か?」
「うん」
秋月さんが頷きました。
「反対だ。危険すぎる」
「でも……」
「でもじゃない。秋月姉さんが死んだら、私も涼も皆が悲しむんだぞ! 分かっているのか?」
「分かってる。でも行かなきゃいけないの」
「孤児院から一緒だった姉妹は姉さんしかいないんだぞ! 姉さん、お願いだ。頼むから前線はやめてくれ」
「冬」
秋月さんが冬月さんを抱き締めました。
「ごめんね。冬が嫌なのは分かってる。でも、行かなきゃいけないの」
「姉さん……」
冬月さんの目から涙が流れました。冬月さんが泣く間、秋月さんは彼女の頭を撫で続けました。
「……翔鶴さんと二人きりで話をさせてくれないか?」
五分ほどして冬月さんが顔を上げました。
「いいよ」
秋月さんが立ち上がってテントの外に出ました。
冬月さんが何を話したいのか察しました。流石に不謹慎だと思ったのでいつもの笑顔をやめました。
「翔鶴さん、秋月姉さんを止めてくれないか?」
「申し訳ありませんが、前線に志願するかどうかは本人の意思なので……」
「お願いだ! 私が姉さんのことを大切にしてることを知ってるだろ! 書類の捏造でも何でもできるんじゃないのか?」
「そうは言っても私にも立場があります。秋月さんを止める権利はありませんし、書類の捏造なんてやったら軍法会議ものです」
「じゃあ、秋月姉さんを説得してくれないか? 翔鶴さんならできるだろ!」
引き下がるつもりは無いようです。冬月さんとは付き合いがありますし、受けてあげたい気持ちもあります。ですが……彼女の覚悟が本気なのか試すことにしました。
「質問をしてもよろしいでしょうか?」
「何だ?」
「秋月さんと冬月さん、どちらかが前線に行かなければならないとしたら冬月さんは行きますか?」
「いきなり何を言い出すんだ!」
冬月さんがテーブルを叩きました。
「現実の話をしただけです。今までは涼月さん以外が引き抜かれたことはありませんでしたが、秋月型の皆さんは引く手あまたの人材ですよ? 誰かが前線に引き抜かれる可能性は非常に高いです。それは分かりますか?」
「それは……」
「誰が引き抜かれるかは分かりません。秋月さんかもしれませんし、後方にいる涼月さんかもしれませんし、冬月さんかもしれません。ですが、なんの前触れも無くある日突然、転勤を命じられると思います」
「……私か秋月姉さんが行けばそれが無くなるというわけか……」
「絶対とは言いきれませんが、前線は秋月型の誰かを一人は欲しがるでしょうし、一人が志願すれば残りの二人から引き抜かれる確率はかなり減ると思います。冬月さん、貴女が秋月さんを止めたいと言うのであれば、その覚悟はありますか?」
冬月さんが下を向いて黙りました。試されてるとようやく気づいたようです。
「正解のない問題ですし、答えるのも今すぐにとは言いません。ですが、時間が無いので明日の日付が変わるまでには答えを出してください」
「分かった……」
食べ終えた食器を載せたトレーを持って席を立ちました。
---------------------
約束の時間になり、冬月さんを仮設テントの食堂に呼びました。
「答えは決まりましたか?」
「ああ。決まった」
静かな夜でした。深夜で、暖房のきいていない食堂は寒く感じました。
「姉さんを前線に連れて行ってくれ……」
冬月さんがそう言いました。
「理由をお聞きしてもよろしいですか?」
「言わなきゃダメか?」
「冬月さんの決意が聞きたいです」
「分かった……」
冬月さんが下を向いて息を吸いました。
「秋月姉さんの意思を尊重したい。それに、秋月姉さんが行けば涼が前線に行く可能性は減る。それと……」
「話せませんか?」
「いや……ここまで来たんだから全部話す。私は生き延びたいんだ!」
覚悟を決めたのか冬月さんが胸に手を当てて叫びました。
「こんなところで死ぬなんてごめんだ。提督と翔鶴さんに教わって強くなれたし、賢くなれた。死にたくないからこんなに苦労したのに……私は死にたくない!」
冬月さんが急に笑い出しました。
「最低な女だろ? 自分が死にたくないがために大切な姉を前線に送るなんて……私の善意なんて所詮そんなものだ。姉想いを装っている、本当は自分が可愛いだけの女。本当に嫌になる。笑ってくれよ。滑稽だろ?」
「冬月さんがそう決めたのであれば尊重されるべきです。過度に自分を責める必要はありませんよ」
「冬!」
秋月さんがテントの外から中に飛び込んできました。外で待機させていましたが我慢しきれなくなったようです。秋月さんは、冬月さんの隣に座りました。
「秋月姉さん!?」
「辛い思いをさせてごめんね」
「秋月姉さん……今からでも遅くない。前線に行くのをやめると言ってくれないか? そうすれば私が……」
秋月さんが首を横に振りました。
「大丈夫。覚悟はできてる。それよりも冬が悩んでいる方が心配なの。辛かったね」
「姉さん、本当にすまない……ごめん」
冬月さんが子供のように泣きだしました。秋月さんはただ黙って冬月さんの頭を撫でました。普段は冬月さんの方が大人に見えますが、この時だけは逆に見えました。
冬月さんが泣き続ける中、夜は更けていきました。
---------------------
「冬月さん」
鎮守府最後の日、防波堤に座っていた冬月さんに声をかけました。
「何だ?」
「本当に隠したいことは秋月さんに話しましたか?」
冬月さんの顔が曇りました。
「秋月姉さんはいないか?」
「はい、大丈夫です。朝食中ですから」
「無神論のことか?」
「そうですね。それともう一つありますよね?」
少しの間、沈黙が流れました。
「話していない」
「良いのですか? 人生で最後の機会かもしれませんよ?」
「いいんだ。話してしまうとそれこそ全てが終わってしまう気がする。誰にも話すつもりはない。秋月姉さんか涼が戦後まで生きていたら話は別だがな……」
「冬月さんらしいですね」
関係を壊すぐらいなら話さなかったことを後悔したとしても秘密は墓まで持っていく。彼女らしいと思いました。
「私が臆病なだけだ。本当は話すべきなのにな……」
冬月さんが立ち上がって空を見つめました。曇った空から白い雪が舞っていました。粉雪の中で防波堤に佇む彼女は一枚の絵のように見えました。
「翔鶴さん」
冬月さんが呟きました。
「今までありがとうございました。貴女にはとても世話になった。翔鶴さんは何も思わないかもしれないが、私は感謝している。それだけは受け取ってほしい」
「私も冬月さんには感謝してますよ。冬月さんがいたから鎮守府を回せました」
「そうか……お互いに生きていたらまた会おう」
「幸運を祈ります」
「お元気で」
凍るような風が吹く薄暗い空の下、雪だけが積もっていきました。