三週間もすると朝潮さんは崩れ始めました。不機嫌になり、反抗的な態度が増えました。しかし、さらに二週間すると口数が減り、さらに三週間経つと何も言わなくなりました。毎日空襲警報と出撃に怯え、布団でガタガタと震えています。
寝られる時に寝て食べられる時に食べておけと助言はしましたが、それをする余裕も無さそうでした。陽炎さんが何度か朝潮さんを見に来ましたが、彼女も余裕が無くなったらしく、すぐに来なくなってしまいました。
「翔鶴さん、少しいいですか?」
着任から二ヶ月近く経った頃、夕食の際に秋月さんに声をかけられました。
「どうしました?」
「新人の狭霧さんのことなんですが……最近、毎日泣いてるんです。心配して声をかけても話してくれなくて……何かしてあげられることはないのでしょうか?」
秋月さんの目の下にはクマができていて疲れた顔をしているように見えました。
「そうは言ってますが、秋月さんは他人を心配する余裕があるのですか?」
「私は大丈夫です」
無理をするのは変わらないなと心の中でため息をつきました。指摘しても無駄なので話を戻した方が良さそうです。
「話を戻しますが、信仰を勧めてみるのはどうですか?」
「えっ、信仰ですか?」
「秋月さんの得意分野なのでは?」
「そうですけど……」
前いた鎮守府のことを思い出したのかもしれません。たしかに、あの時は迷惑なだけだったかもしれません。ですが、今は状況も彼女自身も違います。
「あの時は無理矢理広めようとしたから指摘しただけですよ。拒絶されないことが前提になりますが、相手が必要として求めるのであれば勧めるべきだと思います」
「わ、分かりました……。ありがとうございます」
ふと、朝潮さんに信仰を勧めてみてはどうか? という考えが浮かびました。
「そういえば……朝潮さんは大丈夫ですか?」
秋月さんが思い出したように言いました。考えていたことは同じなのかもしれません。
「なるようになるとしか言えませんね」
「助けようとは思わないのですか?」
「新人研修の時を覚えてますか? 今の朝潮さんはその時の秋月さんと同じです」
「そうですか……」
秋月さんが呟きました。
「翔鶴さん、朝潮さんに会ったら私の部屋に来るように言っておいてください」
「承知しました」
上手くいくかどうかは分かりません。ですが、このままだと朝潮さんは死ぬだけです。それよりはマシなのかもしれません。
---------------------
しばらくして秋月さんと朝潮さんと狭霧さんの三人が食事を共にしているのを見かけました。朝潮さんもどうにか日々を切り抜けられるようになり、私の助言にも以前よりは反発しなくなりました。笑顔で声をかけても避けられるのは変わりませんでしたが……
過酷な日々ではありましたが、三人は結びつき、戦争という厄災に抗っているように見えました。
しかし、そんな日も長くは続きませんでした。
三人が結びついてから二ヶ月程したころ、作戦中に狭霧さんが被弾しました。意識の無い彼女を秋月さんが背負い、何とか鎮守府まで帰ることはできましたが、明石さんに助けようがないと判断されてしまいました。
この鎮守府で助けようがないとなると、結末は決まっています。
「少しいいか?」
容態を報告しに行こうとしたら、医務室を出た直後に提督に声をかけられました。
「どうされましたか?」
「狭霧は助けようがないんだな?」
「ええ、明石さんがそう仰ってました。今、丁度報告に行こうとしていたところです」
「そうか……」
提督の顔に一瞬、苦しみが見えました。
「命令だ。秋月に介錯をさせろ」
「提督が言わないのですか?」
率直な質問のつもりでしたが、提督の顔に明らかな動揺が浮かびました。
「いいから、やらせろ。俺の命令でいい」
「理由をお聞きしたいのですが。泥を被るだけなのは良い気がしません」
「いいからやれ!」
「お断りします」
提督の額に汗が浮かびました。彼の体は小さく震えていました。
「……理由を話せばやってくれるか?」
「理由によります。嘘は聞きたくありませんから」
「分かった……」
提督が私から顔を逸らしました。
「あの女が怖いんだ」
「あの女?」
「お前もよく知ってるだろ。鎮守府の最古参のアイツだ」
不知火さんだと察しました。ですが、彼女を恐れる理由が見えてきません。
「どうして不知火さんを恐れるのですか?」
「あの女は俺を恨んでいる。恨んでいるから最悪の形で復讐をしようとしてくる」
「最悪の形、ですか?」
「俺だって本当は部下を殺したくない。だけど、アイツはそれを知っている。これ以上はもう耐えられない……!」
話が終わった頃には提督は軽い息切れを起こしていました。
開き直ればいいのに、と思いましたが言っても無駄だと思います。それに、不知火さんから睨まれるのも嫌です。多少の軽蔑を感じながら話を戻すことにしました。
「鎮守府の決まりという体裁にすれば良いですか?」
「そうだな、それでやってくれ。後は……任せた」
「承知しました」
提督から拳銃を受け取り、医務室の中に入りました。
---------------------
医務室の中に入ると、秋月さんと朝潮さんが狭霧さんを心配そうに見つめていました。狭霧さんは頭と腹部に血塗れの包帯を巻かれ、浅い呼吸を繰り返していました。
「翔鶴さん、報告は終わったのですか?」
「ええ、終わりましたよ」
秋月さんに拳銃を手渡しました。
「これは……?」
「狭霧さんの介錯をしてあげてください」
「えっ……?」
秋月さんが信じられないという顔をしました。
「翔鶴さん……。今度という今度はいくらなんでも許せません! 仲間を何だと思っているのですか?」
「鎮守府の決まりですから。秋月さんにやらせるのが嫌なら朝潮さんがやりますか?」
「貴女は!」
「翔鶴さん」
秋月さんが朝潮さんの声を遮りました。
「介錯をする理由はあるのですか? それだけ教えてください」
「秋月さん!」
「いいんです。私が守ってあげられなかっただけだから……でも、理由だけは聞きたいんです」
そう話した秋月さんは覚悟を決めたように見えました。
「助けようのない人を楽にしてあげるためです。ですが、この鎮守府の通過儀礼でもあります。死んで行った仲間を背負うため。他人の死を無駄にしないためのものです」
「翔鶴さんもやったのですか?」
「やりましたよ。もう、何年も前のことになりますが……」
私の場合は名前も知らない子だったことを思い出しました。ろくに関わりのない子が相手だったから、かなりマシだったのかもしれませんが。
「そうですか……」
秋月さんが手元の拳銃をジッと見つめました。
「頭に当てて引き金を引けば良いですか?」
「そうですね」
「了解です……」
「秋月さん!」
朝潮さんが止めようとしましたが、秋月さんは無視して、拳銃を狭霧さんのこめかみに当てました。
「守ってあげられなくて、ごめんね……本当にごめんなさい……」
パンと乾いた音が医務室の中に響きました。
---------------------
狭霧さんが死んだ日、朝潮さんは部屋に帰ってきませんでした。後に秋月さんから聞いた話ですが、二人で秋月さんの部屋の中で泣いて過ごしたようです。
秋月さんが狭霧さんの介錯をしてから三日後、今度は朝潮さんが介錯を経験しました。朝潮さんに睨まれ、拳銃すら向けられましたが、彼女は私を撃つことはありませんでした。
---------------------
一年が経ちました。終戦の半年程前だったと思います。反攻作戦で忙しい日々の中のことでした。
久しぶりに朝日が見たくなり、夜明けに散歩に行こうとしたら、廊下で秋月さんに会いました。
「おはようございます。こんな時間に珍しいですね」
「おはようございます。起きたら寝れなくなってしまって……」
「散歩に行こうと思っていましたが、一緒に来ますか?」
「はい、お願いします」
秋月さんとの朝の散歩が始まりました。
鎮守府を出ると辺りは一面の銀世界でした。薄暗い空は澄んでいて、昨日の悪天候が嘘のようです。気温が低い上に風が刺すように痛く感じました。銀世界であることを除けば、私が開き直ったあの日の光景と何もかもが同じでした。
「かなり降りましたね」
秋月さんがそう口にしました。
「そうですね。雪かきが必要だと思います」
しばらくの間、秋月さんとの会話はありませんでした。彼女は何かを話したいようでしたが、言葉が出せないようにも見えました。
「翔鶴さん」
少ししてから、秋月さんが呟きました。
「どうしました?」
「この戦争は終わるのでしょうか?」
「分かりませんね」
率直な意見を言いました。
「反攻作戦は順調です。ですが、何が起きるか分からないのが戦争ですから……」
「そうですか……」
ふと、涼月さんと冬月さんのことが気になりました。
「そういえば、涼月さんと冬月さんは元気そうですか?」
「はい、二人とも元気そうです。つい先日、涼は戦闘で被弾したみたいですが……」
「涼月さんも前線に?」
「少し後ろではあるみたいですが……」
「後方も戦場ですか。末期ですね」
人手不足とは聞いてましたが、後方の艦娘まで投入され始めたとなると本当にギリギリなのかもしれません。
「翔鶴さんは戦争が終わったらどうするおつもりですか?」
一段と強い風が吹きました。
答えに困る質問でした。
「その時になってみないと分かりませんね。なるようになるとしか言えないと思います。秋月さんはどうしますか?」
「涼と冬に会いたいです。その後は……翔鶴さんと同じで分かりません」
「そうですか」
戦争が終わったら……考えたことがありませんでした。もっとも、平和な世界の私は異物でしかないと思いますが。
歩いていると、あの日の景色を見た防波堤に着き、足を止めました。水平線は明るく見えます。日の出はもうすぐでしょうか?
「翔鶴さん?」
「日の出が見たくなりました。他の所に行ってもかまいませんよ?」
「いえ、私もお付き合いします」
沈黙が流れました。風は強く海は荒れています。水平線から黒い海に一筋の光が差しました。
「……翔鶴さんは何を見てきたのですか?」
意を決したように秋月さんが質問をしました。
「質問の意味が分からないのですが……」
「答えるのが嫌なら答えなくてもいいです。翔鶴さんが艦娘になって、何を見てきたのか知りたいんです」
答えるか迷いました。話したところで何かが変わるわけではありませんし、メリットもありません。ですが、言葉にしてみるのも良いのかもしれない。そんな考えが浮かびました。
「……艦娘になる前の話になるかもしれませんね」
「どういうことですか?」
「私が昔見た光景です。上手く話せるかは分かりませんが……」
水平線から日が昇りました。あの時に見た眩しく、痛く美しい景色でした。
「夏に雪が降る光景でした」
「夏に雪ですか?」
秋月さんの声に疑問符が付きました。
「そういう光景だと割り切ってください。今見えるこの景色のように辺り一面に雪が降り、積もっていました」
「はい。分かりました」
前提条件がおかしい光景だと思いますが、分かってもらうしかありません。そのまま話を続けました。
「人けのない、廃墟同然のスーパーマーケットに二人の兄妹がいました」
頭の中にあの時見た光景が浮かびました。鮮明ではなく、ボンヤリとしたものでしたが。
「二人は人型の影のような化け物に襲われます。兄は妹を守るために戦います」
強い風が吹きました。太陽は水平線から完全に姿を現しました。
「化け物を切り刻み赤黒い魔法で吹き飛ばします。そんな光景でした」
「異様な光景ですね……」
秋月さんが呟きました。
「とても陰惨で暴力的な光景でした。ですが私はそれを美しいと思いました」
「綺麗なのですか?」
「あくまでも私が感じたことです。秋月さんがそれをどう見るかは分かりません。ですが、その時の光景が私の根本なのだと思います」
あの光景を綺麗だと思うのは私だけなのかもしれない。そんな考えが浮かびました。
「戦争が始まって艦娘になってこの鎮守府に来ました。秋月さんもご存じだと思いますが、この鎮守府は常人が耐えられるものではありません」
「はい……」
「当然ながら私も壊れることになりました。ある日の出撃の時に生き残りのイ級を飛行甲板で何度も殴りつけました。その時の記憶は残っていませんが、見ていた人に聞くと笑っていたようです」
「その日のうちにその時の夢を見ました。夢の中で追体験させられました」
秋月さんから返事はありません。そのまま話を続けました。
「その後もいろいろありましたが……最終的に開き直るしかありませんでした。その時に気づいたんです。昔、あの光景を見た時から私は何も変わらないと……今も昔も私は私のままなのだと思います」
冷たく強い風が吹き、足元に転がっていた紙屑を遠くまで吹き飛ばしました。日の出の光景は美しく痛いものでした。瞬きもせずに私はそれを見続けました。
鎮守府の方が急に賑やかになりました。雪かきが始まったようです。
「雪かきがありますし、戻りましょうか」
「はい……」
秋月さんと共に鎮守府に戻りました。
秋月さんとの散歩から三ヶ月後、彼女が被弾しました。大破でした。一命は取り留めたものの、戦争が終わるまで意識が戻ることはありませんでした。