秋月さんが昏睡状態になってから朝潮さんの壊れ方が変わりました。怯えているかと思うと急に笑いだします。そうかと思えば急に落ち込み、食事も睡眠も取らなくなります。あまりにもうるさかったので、一度部屋から追い出しました。
朝潮さんも、今までに何人も見てきた、壊れていく人間の一人でした。
「翔鶴さん」
秋月さんが起きなくなってから一ヶ月ぐらいした頃、朝潮さんに声をかけられました。早朝のことでしたが、この日の朝潮さんは珍しく落ち着いていました。
「どうしました?」
「翔鶴さんはどうして平気なのですか?」
「私だって平気ではありません。ただ、慣れとストレスを解消する方法を知っているだけです」
「……それが深海棲艦の虐殺ですか?」
「そういうことになりますね」
朝潮さんが布団をかぶりました。
「狂ってます……」
「否定はしません。ですが、それで私が生きていることも事実です」
「生き延びたければ狂えということですか……?」
答えに困りました。狂った人ほど生き残っているのは事実ですが、例外もあります。どう説明すればよいでしょうか?
「狂えとは言いません。ただ、自分の役割を理解し自分の仕事をこなせる人間が生き残るのだと思います。ですが、狂っている人間の方が多く生き延びているのもまた事実です」
「そうですか……」
少しの間、沈黙が流れました。
「翔鶴さん以外の人も狂っているのですか?」
「この鎮守府では、誰もがどこか壊れてますね。比較的まともなのは陽炎さんぐらいでしょうか?」
「司令官もですか?」
「喪失前提の戦闘をさせ、仲間の介錯を強制する人が常人だと思いますか?」
「不知火さんは……」
「復讐鬼ですよ。提督を苦しめることだけが彼女の生きがいです」
それ以上朝潮さんは何も話しませんでした。少しは現実を理解してくれたのでしょうか?
執務の時間が迫っていますし、話を切ることにしました。
「厳しいことを言いますが、生き延びたいのであればそれ相応の努力をするべきです。それでは私は……」
「翔鶴さん」
部屋を出ようとしたら声をかけられました。
「生き延びる方法を教えてください……私、何でもします」
そう言った彼女の声からは、現実に立ち向かおうとする気持ちが感じられました。
「今は忙しいので空いた時間に指導しますね」
今までは逃げてばかりでしたが、今の朝潮さんなら生き残れるのかもしれない。そう思いました。
覚悟を決めてからの朝潮さんは真面目に指導に取り組みました。怯えるのは相変わらずでしたが、怯えを深海棲艦への警戒心に変えることができるようになりました。
その甲斐もあって、朝潮さんは終戦まで生き延びることができました。
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終戦の前日はとても退屈でした。
待機を命じられてるだけで何もやることがありません。朝潮さんから何冊か本を借りて読んでみましたが、理想ばかり語るつまらない本でした。
「戦争は終わるのでしょうか?」
お昼ごろにベッドに座っていた朝潮さんが呟きました。
「明日には終戦が宣言されるらしいですね。私としては暇ですが」
窓の外で陽炎さんと不知火さんが歩いているのが見えました。とても暑い日なのに元気だと思いました。
「戦争が終わったら何をするおつもりですか?」
「分かりません。なるようになるとしか言えないと思います」
「艦娘になる前、翔鶴さんはどのような人だったのですか?」
答えに詰まりました。戦前の私を思い出そうとしても何も浮かびません。私は何だったのか……かろうじて、大学生だったことは思い出しました。
「大学生だったと思います。それ以外は、ほとんど覚えていません」
「何もですか?」
両親の顔や実家の場所、文学部にいたことはかろうじて思い出せました。しかし、交友関係や何が好きだったのかは思い出せません。
「ほとんど思い出せませんね。戦前の私は今の私とは別人なのだと思います」
口にして、得体のしれない何かを感じました。戦前の私はどんな人だったのでしょうか? 戦前の私が分からないなら今の私はいったい……?
「私、やっぱり翔鶴さんが分からないです。悪い人ではないのに、どこか空虚で残酷で……感情があるのにない気がします」
「分からなくて当然だと思います。私自身も分かりませんから」
そう言わざるをえませんでした。今までの私なら自分を壊れた軍人と定義できましたが、今は何も分かりませんでした。
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終戦の日はとても暑い日でした。部屋の窓とドアを全開にしていましたが、汗が流れました。朝潮さんの荷物の整理を手伝っていたら、正午の放送で終戦が宣言されました。放送が終わると、短い沈黙が流れました。
「終わりましたね」
「そうですね」
遠くで発砲の音が聞こえました。勝利を祝う砲声というやつでしょうか?
「翔鶴さん」
朝潮さんがスーツケースを手に取りました。
「今までありがとうございました。私、翔鶴さんのおかげで生き延びられました。このご恩は一生忘れません」
「気にしないでください。当たり前のことをしただけですよ」
「失礼します」
朝潮さんが頭を下げて部屋を後にしました。
窓から外を見ました。防波堤の光景は変わりません。戦勝を祝う砲声や歓声が聞こえることだけが違いです。戦争が終わったという実感が湧きませんでした。
少しして陽炎さんが逃げるように走っていくのが見えました。不知火さんの復讐が終わったのかもしれません。最後の最後にやることがあるかもしれません。部屋を出て執務室に向かいました。
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執務室に近づくにつれて笑い声が聞こえました。不知火さんの声です。
執務室のドアを開けると彼女がゲラゲラと笑っていました。その目の前には拳銃を握り締めた提督が倒れており、頭から血を流していました。
「終わりましたか?」
「ええ、終わりましたよ。あはは……」
不知火さんは壊れたように笑いながら話しました。
「提督の処理をしたいのですが、よろしいですか? 可能であれば部屋から出ていただきたいのですが……」
「ええ。お好きになさってください」
不知火さんが執務室から外に出ました。
提督に近づき脈をとってみましたが、脈は感じられませんでした。彼の死体の下には遺書がありました。
一人でため息をつきました。
「最後の最後に面倒なことになりましたね……」
うだるような暑さの中、外では蝉の声と不知火さんの狂った笑い声だけがしていました。