一週間後、齋藤さんとの共同生活が始まりました。最初に決めたルールは、いつでも共同生活を終わりにできることと家賃を払わない代わりに私が家事を担当することになりました。
「齋藤さん、よろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくお願いします……」
彼が緊張した様子で呟きました。部屋の中は片付いていましたが、隙間に押し込まれたような痕跡も多く、慌てて片付けた感じがありました。広い部屋だったのであまり気になりませんでしたが……
荷物が少なかったこともあり、引越し作業はあっさり終わってしまいました。時計を見ると十一時を少し回った所でした。
「少し早いですがお昼にしますか?」
「そうですね」
「何か作りますね」
冷蔵庫の中を開けましたが、ろくなものがありませんでした。ですが、簡単な料理ぐらいは作れそうです。
「あの、出前とかでも……」
「これだけあれば大丈夫ですよ」
一時間ほどして、ご飯と卵焼きと野菜炒め、味噌汁の四品が机の上に並びました。
「ありがとうございます。恥ずかしながら自炊はたまにしかしないので……」
「役割ですから。気にしないでください」
いただきますを合図に食事が始まりました。
「口に合いましたか?」
「はい、すごく美味しかったです」
「ありがとうございます」
彼の口に合ったと聞いてホッとしました。もっとも、合わないなら合うように調整するだけですが……
「片付けも私がやりますね」
「あ、あの。自分が手伝えることは……」
「ゆっくりしていただいて大丈夫ですよ。その約束ですから」
二十分程して食器を片付けました。
「他にすることはありますか?」
「えっと……じゃあ掃除でも……」
「承知しました。掃除機がけぐらいならすぐに終わると思います。休んでてください」
「はい……」
申し訳なさそうに呟きました。
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家事や買い物を済ませると夜になっていました。夕飯を終えて後片付けをしていると気づけば寝る時間になっていました。
「今日はありがとうございました」
「家賃を払っていただいていますから、気にしないでください。入浴と寝場所はどうしますか?」
「あっ、えっと……」
彼がしまったという顔をしました。
「……翔鶴さんが先に入ってください。その間に自分の寝場所は確保しますから……」
「承知しました。初めに使わせていただきますね」
シャワーを終えて居間に戻ると彼が布団を敷いていました。目が合った彼が顔を赤くしました。
「どうかしましたか?」
「何でもありません……! 自分は玄関側なので、翔鶴さんは窓側でいいですか?」
「はい、大丈夫ですよ」
彼が私とすれ違い、急ぎ足でシャワールームに向かいました。
「言い忘れましたが」
彼が足を止めました。
「変なことはしないでくださいね。正当防衛で何をするのか私自身も分かりませんから」
「はい……」
彼に釘を刺してから就寝の準備に入りました。布団を敷いて準備が整いましたが彼はまだ出てきません。先に寝ることにしました。
多忙ではありましたが、やることはいくらでも見つかりました。何もせずにただ一日が過ぎることよりはずっと良かったと思います。
自分のために何かをする気になれませんが、他人のために何かをするのは合っているのかもしれない。そう思いました。
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翌朝になりました。
時計を見ると五時を指しています。朝早くに目を覚ます習慣は艦娘の時から変わらないようです。齋藤さんはまだスヤスヤと寝ています。朝食の準備をすることにしました。
準備をしていると彼の近くでアラーム音が鳴りました。時計を見ると六時を指していました。
「うるさいなぁ……」
「齋藤さん、朝ですよ」
ハッとした顔をした彼が起きました。
「おはようございます」
「翔鶴さん、おはようございます……」
「お早いですね。仕事は八時からなのでは?」
「普段は色々やることが多いので、もう少し早く起きてます……翔鶴さんもかなり早いですね」
「艦娘時代の生活習慣が残っているだけですよ。朝ごはんにしますか?」
「お願いします……」
彼が申し訳なさそうに起き上がりました。
朝食はご飯と焼き魚と味噌汁というものでしたが満足していただけたようです。片付けを終え、掃除をしていると彼の出勤の時間になりました。
「行ってきます……」
「お仕事、頑張ってくださいね」
笑顔で齋藤さんを見送りました。
「さてと……」
彼が出勤するのを見送ってから、物の整理を始めました。本棚の本はグチャグチャですし、洗濯物もタンスに無理矢理押し込まれた形跡があります。彼が居ない今のうちにやっておこうと思いました。
「これは……?」
洗濯物の整理を終え、本棚の整理をしていると奥に薄い本が押し込まれていることに気づきました。手前の本をどけて出して、軽いため息をつきました。
いわゆる、いかがわしい本というやつです。表紙絵の女性に覚えがありました。
「帰ってきたら聞いてみましょうか」
その本を机に置いて整理を再開しました。
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夕方になり、齋藤さんが家に帰ってきました。
「ただいま」
「おかえりなさい、夕飯にしますか?」
「あ、はい……」
齋藤さんは少し緊張した様子でしたが、机の上に置いてあった本を見て血の気が引きました。
「あ、これは……」
「気になるものがあったので、話をしておこうと思いまして……」
彼の額に汗が浮きました。やらかした、と思ったのかもしれません。
「趣味を否定する気はありませんし、男性がその手のことに苦労するのは知ってますが、時と場はわきまえてくださいね」
「はい……しまってもいいですか?」
「いいですよ」
彼が顔を真っ赤にして本棚に押し込みました。
表紙絵の女性は冬月さんに似ていました。本を見つけた時から浮かんでいた疑問をぶつけることにしました。
「冬月さんに気がありましたか?」
私の質問に彼がビクッとしました。
「答えなきゃダメですか?」
「興味本位の質問なので、答えなくてもいいですよ」
少しの間、沈黙が流れました。
「気になってましたよ……戦争中も戦後も何もできないままですが……」
彼が手を強く握りました。話した所で傷を深めるだけかもしれませんが、齋藤さん自身も知っておいた方が良いと思います。現実を話すことにしました。
「恐らくですが、齋藤さんは冬月さんの眼中にないと思いますよ」
彼がため息をつきました。
「どんな人が好みだったのか知ってますか?」
「私がいた鎮守府の提督を覚えてますか? 彼のような人です。直接見たわけではありませんが、色目を使うこともあったみたいです」
「そうですか……」
齋藤さんが椅子に座りました。
「……帰って早々悪いですが、お酒を飲んでもいいですか?」
「かまいませんよ。お付き合いしましょうか?」
「お願いします……」
冷蔵庫からビールやチューハイの缶をいくつか出して机の上に置きました。
しばらくの間、齋藤さんは何も言わずに酒を飲んでいましたが三缶目に入ったところで手が止まりました。
「薄々分かっていたんですよ。だけど、認めたくなくて……」
「誰かを好きになるのは仕方ありませんよ。相手が悪かっただけです」
「そうですか……」
彼がチューハイに口をつけました。
「冬月さんはかなり高望みですよ。顔が良くて家柄も良くて能力のある人が好きですから」
「何一つ自分に当てはまりませんね」
彼が何度目か分からないため息をつきました。
「齋藤さんも悪い人ではないと思いますよ。秋月さんや涼月さんなら狙えたかもしれないですね」
「あの二人か……」
三缶目が空になり、彼が四缶目に手をつけました。
「翔鶴さんは好みの男性とかいないんですか?」
「私ですか?」
彼の質問に少し戸惑いました。好みの男性と言われてもピンと来ません。戦前の私ならともかく、今の私にはいないと思います。
「……分からないですね」
「そうなんですか?」
「はい。何も浮かばなくて……」
私の飲んでいた缶も空になったので新しい缶を開けました。
「翔鶴さんは美人ですし、モテるんじゃないですか? かなり人気なイメージがありますよ」
「そうですか? 容姿が良くても私を知れば知るほど避けたくなると思うのですが……」
「それは……」
また、沈黙が流れました。私の言葉を否定できなかったのかもしれません。
「遠慮なく言っていただいてかまいませんよ。私も分かってますから」
「自分は好きですよ」
彼の一言に戸惑いました。
「え?」
「すみません。何でもありません」
齋藤さんが私から顔を背けました。
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次の日の朝、齋藤さんは目を覚ますと私に謝りました。
「昨日のことは忘れてください!」
「何も気にしてないから大丈夫ですよ」
告白まがいのことをされた時は驚きましたが、何かの勘違いだろうと聞き流すことにしました。私のことを好きになるなんて有り得ませんから……
「ごはんが冷めますし、朝ごはんにしましょう。お仕事もありますし……」
「本当に申し訳ありませんでした」
朝食の後はまともな会話もなく、彼は逃げるように仕事に向かいました。
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一ヶ月が経ちました。
共同生活はうまく回っていると思います。私としてはやることがあって、充実してますし、齋藤さんが美味しいと言ってくれるので料理を考えるのも楽しくなってきました。
ただ、齋藤さんの顔は日が経つにつれて暗くなっていきました。毎日申し訳なさそうな顔をして仕事に向かい帰ってきます。無理してないかと心配されますし、目を逸らされることも増えました。負い目を感じているのでしょうか? 私としては住まわせてもらっていますし、そんなことは気にしなくて良いと思いますが……
「明日、泊まり込みになりました」
ある日の夕飯の時に彼がそう言いました。彼の言い方に違和感を感じました。
「承知しました。明日の夕食と明後日の朝食は不要ですね」
「翔鶴さんはゆっくり休んでください」
そう話すと彼は食器を持って洗い場に向かいました。
齋藤さんは嘘をついている。そんな気がしました。ですが、たまには何もない日も良いかもしれないと思い、何も指摘しませんでした。
次の日の夕方はとても退屈でした。夕飯を作って一人で食べてそれで終わりです。やる家事はありますが、齋藤さんがいないと不思議と寂しく感じました。
次の日の朝も寂しく何かをする気になれませんでした。齋藤さんがいれば、洗濯物をしたり買い出しに行ったりと何かしらはあるものですが、前の日に全て終わらせています。自分のことをすることになりますが、自分のこととなるとあまりやる気がおきません。時間だけが過ぎていきました。
「ただいま」
夜になり、彼がやっと帰ってきました。
「おかえりなさい。すぐに夕飯にしますね」
退屈だったこともあって彼の帰宅を嬉しく感じました。
「翔鶴さん」
夕食を前にして机に座った彼が呟きました。
「どうしました?」
「共同生活をやめにしませんか?」
思いもよらぬ提案に驚きました。
「……理由をお聞きしてもよろしいですか?」
「翔鶴さんに申し訳ないんです」
彼が呟きました。
「公園で会った時、放っておけないと思ってました。だけど、何もできないのに共同生活が始まってみると、助けてもらってばかりで……」
「家賃を払っていただく代わりに家事をする約束なので大丈夫ですよ。気にしないでください」
「翔鶴さんが良くても自分が嫌なんです」
彼が下を向きました。
「助けるつもりが翔鶴さんに迷惑をかけてばかりです。翔鶴さんのためにもなりませんし、自分が何をしてるのか分からなくて……翔鶴さんも、本当は嫌なんじゃないですか?」
「そんなことはありませんよ。私は仕事を与えられて満足しています」
「無理に嘘を言わなくていいですよ。自分がいない昨日の方が楽だったんじゃないですか?」
彼の言葉に引っかかるものを感じました。齋藤さんがやっていることは自己否定です。
「自尊心が傷つくのが嫌だ、ということですか?」
「……はい」
小さくため息をつきました。
「承知しました。共同生活は終わりですね。明日、荷物をまとめるのに付き合っていただけますか? たしか、明日は休日でしたよね?」
「はい……それぐらいなら……」
彼がオドオドした様子で話しました。
「残念ですね。私としては悪い気はしていませんでしたが」
口から出た言葉は私自身にも意外なものでした。