一人だけの空虚な日々に逆戻りしました。最低限の家事以外にやることがありません。何もやる気になれず、ただ時間だけが過ぎていきます。共同生活を始める前と同じはずでしたが、あの頃よりも強い空虚感と寂しさを感じました。
あのまま共同生活を続けていた方が良かったと思います。齋藤さんが勝手に傷ついただけで、お互いにメリットがありましたし生活そのものは普通に回っていました。あっさり引いてしまいましたが、もう少し粘って良かったかもしれません。
共同生活が終わってから三週間後、冬月さんからお茶でもしようと連絡がありました。何も予定がなく、暇だったので彼女の誘いを受けることにしました。
「久しぶりだな」
「お久しぶりです、冬月さん」
三年以上ぶりに会った冬月さんは背が伸び、大人になったように感じました。もともとかなりの美人ではありましたが、それにさらに磨きがかかったようにも見えました。
「大学生活は順調ですか?」
「それなりだな。元艦娘だからと嫉妬したり言いがかりをつけてくる馬鹿がいるから実力で黙らせてる」
冬月さんらしい、好戦的な立ち回りにクスリと笑いました。
「冬月さんらしいですね」
「翔鶴さんはどうなんだ? アイツとの生活は順調か?」
「共同生活ですか? 終わりましたよ?」
「え? もう終わったのか?」
冬月さんが驚いた顔をしました。
「一ヶ月ぐらいで終わってしまいましたね。私としてはまだ続けたかったのですが……」
「何があったんだ?」
「生活そのものはうまくいったのですが、齋藤さんが私を助けたいのに生活面で助けられていることに耐えきれなかったみたいです。数週間前にやめないかと提案されてしまいました」
「翔鶴さんは引き止めようとしなかったのか?」
「齋藤さんがそういうなら止める理由は無いと思いまして……残念ではありましたが」
「あの意気地無しが……」
冬月さんがため息をつきました。
「翔鶴さんは共同生活を再開したいと思わないのか?」
「私ですか? 可能ならやりたいと思いますが……」
「一度、話し合ってみないか?」
「私はかまいませんが、齋藤さんが何というか……共同生活が終わってから連絡も取っていませんし……」
「私の方で話をつけておく。あの馬鹿は言わないと何も分からないからな」
冬月さんの話に驚きました。
「良いのですか?」
「見ていられないと思っていただけだ。翔鶴さんは共同生活を続けたいんだろ?」
「それはそうですが……」
「なら断る理由は無い。アイツが自分勝手なのが悪いだけだ。翔鶴さんは何も気にしなくていい」
「そうですか……」
齋藤さんの態度がよほど気に入らなかったのかもしれません。その日の冬月さんはとても機嫌が悪そうでした。
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一週間後、冬月さん立会いの下で齋藤さんと話し合いの場が設けられました。話し合う場所になったのは再会して彼と話したあの喫茶店でした。
「一ヶ月ぶりですね」
「お久しぶりです……」
一ヶ月ぶりに会った齋藤さんは少し痩せたように感じました。
お互いに何も言わずに沈黙が流れました。
「黙ってないでなにか話せ」
私の横に座っていた冬月さんの声に彼がビクッとしました。
「翔鶴さんは共同生活をどう思っていましたか?」
「悪くなかったと思いますよ。うまく回っていたと思います」
「家事が嫌だったりはしませんでしたか?」
「そんなことはありませんでしたよ。むしろ、仕事があって良かったと思います」
「そうですか……」
冬月さんがコーヒーに口をつけました。
「どうして、共同生活をやめようと言い出したんだ? 翔鶴さんは満足していたんだろ?」
「それは……」
「いいから話せ」
一瞬、沈黙が流れました。
「自分が情けなくなったからです。翔鶴さんを助けたかったのに助けられてばかりで……」
「気にしなくても大丈夫ですよ。家賃を払っていただいていましたし……」
「翔鶴さんが良くても自分が耐えきれないんです。翔鶴さんに何もしてあげられないのが嫌で……」
冬月さんがため息をつきました。
「情けない男だな。そんな覚悟で助けたいなんて言ったのか」
「何とでも言ってください。自分には共同生活をする資格なんてありませんから……」
どうしてここまで自分を卑下できるのかと首を傾げました。いくらなんでも自分を下に見すぎです。何が彼をこうしているのでしょうか?
冬月さんがまた、コーヒーに口をつけました。
「もしかしてお前、翔鶴さんのことが好きなのか?」
「あっ……」
齋藤さんの顔が真っ赤になりました。あの日の夜、彼が呟いた言葉は聞き違いではなかったようです。
ただ、どう反応すれば良いのか分かりませんでした。
「翔鶴さんはどう思っていたんだ?」
冬月さんが私に質問を振りました。
「私ですか? 正直、困惑しています。どう反応すれば良いのか分からなくて……」
「嫌だとは思ってないんだな?」
「はい。ですが、自分が誰かに好かれているという実感がわきません。私を好きになる人なんていないと思い込んでましたから……」
「翔鶴さんも鈍い人だな……」
冬月さんがため息をつきました。
沈黙が流れました。齋藤さんは相変わらず顔を真っ赤にして下を向いています。冬月さんは彼を見つめ、私は何を言えば良いのか分からないでいました。
「もう二ヶ月同じ条件でやってみるのはどうだ?」
冬月さんが呟きました。
「二ヶ月後、もう一度ここで会って話し合おう。私もできる限り協力する。相談には乗るし、仲介もやってやる」
「分かりました……」
「翔鶴さんもいいか?」
「ええ、私はかまいませんよ。改めてよろしくお願いしますね。齋藤さん」
「はい。よろしくお願いします……」
齋藤さんが震えた声で話しました。
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一週間後、共同生活が再開しました。あの時と変わらず、荷物は少なかったので引っ越し作業はあっさりと終わりました。少し家事をした後に、昼食は彼の提案で近所の蕎麦屋に行くことになりました。
古風でしたが綺麗な店でした。人気の店らしく、混み気味でしたが運良く席を取ることができました。私が元艦娘だとは知られてないのか、まだ変な視線も飛んできません。注文をしてから二十分ほどして、ざる蕎麦が運ばれてきました。
「翔鶴さん」
私に配慮したのでしょうか? 蕎麦を食べていた彼が小声で呟きました。
「どうしました?」
「共同生活、今度は成功させたいですね……」
「そうですね」
蕎麦に口を付けました。蕎麦特有の風味が強い美味しい蕎麦でした。
少しの間、沈黙が流れました。
「翔鶴さんはどういう男性が好みですか?」
彼が勇気を振り絞るようにして聞きました。彼の質問に少し考えて答えが出ました。
「戦争になってから異性に好意を持ったことがないので考えたことがありませんね」
「戦前はどうだったんですか?」
「あまり覚えていません」
「覚えていない……?」
彼の顔に疑問符が浮かびました。
「思い出そうとしても思い出せないんです。実家や大学の学部は思い出せましたがそれ以外は……」
彼が驚いた顔をしました。
「戦前の私がどんな人間だったのかは私自身も分かりません。ただ、今の私は抜け殻なのだと思います」
「そうですか……」
気まずい雰囲気が流れました。彼が何を考えているのか分かりません。ただ、黙って蕎麦をすすっています。私も話すことがなかったので無言で蕎麦をすすりました。
天ぷらの盛り合わせの皿が置かれました。
「頼んでませんよ?」
「夫婦の日のサービスです」
店員の声に齋藤さんが顔を赤くしました。
「結婚してると思われたみたいですね」
「はい……」
「海老をいただいても良いですか?」
「どうぞ……」
揚げ具合の良い、美味しい天ぷらでした。一つしかない海老を譲ってくれたお礼代わりに、少し安心させてあげようと思いました。
「私は齋藤さんが相手なら一緒に暮らすのは悪くないと思いますよ」
「えっ……」
彼の顔から火が出そうなぐらい真っ赤になりました。
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三週間が経ちました。
仕事に向かう齋藤さんを送り出し、家事をして帰りを待つ日々が続いています。住み込みの家政婦のようでしたが退屈はせず、充実していると思いました。前の共同生活から感じていたことではありますが私は何かやることがある方が良いようです。共同生活を続けたいと思うようになりました。
齋藤さんが私に負い目を感じている様子なのは相変わらずです。ですが、彼なりに何かをしようとしてくれるようになりました。仕事終わりにケーキを買ってきてくれますし、家にいると何かやることはないかと聞かれます。私としては現状に満足していますし、無理に気を使わなくて良いのですが……
秋月さんが目を覚ましたという話を冬月さんから聞いたのはそんなときでした。
土曜日の朝に指定された病院に齋藤さんと向かうと秋月さんがベッドで本を読んでいました。ドストエフスキーの『罪と罰』でした。
彼女の横では涼月さんがリンゴの皮を剥いています。
「お久しぶりです。秋月さん」
秋月さんが顔を上げました。二年ぶりに見た彼女は痩せて見えました。
「あっ、翔鶴さん……お久しぶりです。隣にいるのは整備士の齋藤さんですか?」
「はい。秋月さん、お久しぶりです」
齋藤さんが頭を下げました。
「二年間、ずっと寝てたんですね……翔鶴さん。あの後、何があったのか教えていただけませんか?」
「いいですよ」
秋月さんが昏睡状態になってからの出来事を彼女に話しました。朝潮さんが生存したことにはホッとした様子でしたが、提督が自殺したことには酷く動揺していました。
「何があったのですか?」
「不知火さんのことを覚えてますか?」
「はい。秘書艦の方ですよね?」
「彼女に追い込まれた。私にはそう見えました」
「不知火さんが……? どうしてそんなことを?」
「不知火さんが秘書艦をしていた理由を知ってますか?」
「いえ……」
「復讐のためですよ」
「復讐ですか……」
口止めされているわけではありません。それに、今更話したところで何も言われないはずです。私の知る限りでの不知火さんの内面を話すことにしました。
「そんなことが……」
話を聞いた秋月さんが顔を青くしました。
「不知火さんはその後、どうなったのですか?」
涼月さんがリンゴの皮を剥く手を止めて呟きました。
「分かりません。ただ、終戦時の壊れ方を見る限りだとあまり良い生き方はしていないと思います。推測でしかありませんが……」
「終戦時の不知火さんはどんな感じだったのですか?」
「笑ってました。戦場の私とは違った壊れ方だったと思います。少なくとも、私が不知火さんの笑顔を見たのはあの時だけです」
空気が重くなりました。誰も何も話しません。涼月さんがリンゴの皮を剥く音だけがしていました。不知火さんの話は重すぎたかもしれないと思い、話したことを少し後悔しました。
沈黙が十分ほど続いたあと、病室のドアが開きました。
「すまない。遅くなった」
冬月さんです。急いでいたのか息を切らしていました。
「冬、お疲れ。学校は楽しかった?」
「楽しかったも何も勉強をしてただけだ。秋月姉さんは大丈夫か?」
「私は大丈夫。冬が持ってきてくれた小説を読んでるけど、面白いね」
「病み上がりには重いと思っていたが、大丈夫なのか?」
「うん。今の私にピッタリだと思う。正しいと思って色々な人に迷惑をかけたから……冬も無理に押し付けてごめんね」
「いいんだ。私が汚い人間だということを秋月姉さんは許してくれただろ? それで十分だ」
二人の会話が引っかかりました。冬月さんは無神論者でしたが、秋月さんに話したのでしょうか? 聞いてみることにしました。
「冬月さんはあのことを話したのですか?」
「ああ、全部話した。涼にも秋月姉さんにもな……」
「冬には無理をさせたと思います。私が我儘だったせいで……」
「秋月姉さんは私を許してくれただろ? それだけでいいんだ」
「ありがとう……」
秋月さんが小声で呟きました。
お互いに歪みを抱え、相容れない価値観のはずなのに最後には姉妹として繋がる……どのような繋がりなのか分かりませんが、二人が分かり合えて良かったと思いました。
「分かり合えて良かったですね」
「えっと……何の話ですか? 自分にはさっぱりで……」
「そうか。お前だけは何も知らなかったな」
冬月さんが一通りのことを話す間、齋藤さんは驚いた様子で聞いていました。彼の知る冬月さんとは違う一面を見たのかもしれません。
「そんなことが……」
「お前が知らないのも無理はない。これまでは涼と提督と翔鶴さんにしか話していなかったからな。印象もかなり変わったんじゃないか?」
「はい……自分が思っていたよりもずっと複雑な人だと思いました」
彼が言いづらそうに話しました。
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しばらくの間は雑談が続きましたが、車椅子に乗った秋月さんを連れて散歩をすることになりました。
外は良い天気で暖かく少し風が吹いていました。春が終わり、初夏に入る頃の気候でしたが過ごしやすい日でした。
「そういえば……冬から聞いたのですが翔鶴さんと齋藤さんは同居しているのですか?」
散歩を始めて五分ほどして、秋月さんが思い出したように呟きました。
「そうですね。家賃を払っていただく代わりに私が家事をしています」
「上手くいってますか?」
「私は上手くいってると思いますが……」
齋藤さんを見ると申し訳なさそうな顔をしていました。彼を見た冬月さんが呆れた顔をしました。
「またか?」
「はい……」
「上手くいっていないんですか?」
秋月さんが彼に聞きました。
「表面上は上手くいってると思います。ですが……」
彼が私と冬月さんをチラリと見ました。
「正直に話さないと、何が悪いのか伝わりませんよ」
「……分かりました」
秋月さんの言葉に覚悟を決めたように彼が呟きました。
「負い目を感じています。何もできていない自分なんかが家事をやってもらっていいのか。翔鶴さんを家に住まわせておいてよいのか悩んでいます」
「家賃を払っていただいているので気にしなくても……」
「翔鶴さん」
何度目か分からないやり取りをしかけた直後、冬月さんに会話を切られました。
「翔鶴さんはどうしたいと思っているんだ? 同居生活をやめてもいいと思っているのか?」
「それは……」
答えに詰まりました。やることがあった方が退屈しませんし、同居生活は続けたいと思います。ですが、齋藤さんが負い目を感じているのに本当に良いのでしょうか?
「正直に言った方がいい。秋月姉さんも言っていたが、言わないと伝わらないぞ」
「分かりました」
冬月さんの態度から話した方が良いと判断しました。
「同居生活を続けたいと思っています」
「えっ?」
齋藤さんが驚いた顔をしました。
「齋藤さんは負い目を感じているみたいですが、何かやることがあった方が落ち着くんです。一人だと何もやる気になれなくて空虚で退屈で……なので私は同居生活を続けたいと思うんです」
「翔鶴さん……」
「さて、翔鶴さんはこう言っているがお前はどうするつもりなんだ?」
冬月さんの質問に齋藤さんがハッとしました。
「同居生活を続けたいです。翔鶴さんの役に立てているならやめる理由はありません」
「質問を間違えた。お前はどうしたいんだ?」
「……翔鶴さんと一緒にいたいです」
そう言った齋藤さんはスッキリした顔をしていました。