次の日、約束していた喫茶店に向かうと、三人は既に席に座っていました。
「翔鶴さん、お久しぶりです」
「大鳳さん、お久しぶりです。矢矧さんもあの時以来ですね」
「お久しぶりです」
大鳳さんは私を敬意のこもった目で見ていましたが、矢矧さんは少し警戒している様子でした。
冬月さんの隣に座りました。
「あの時はありがとうございました」
大鳳さんが頭を下げました。
「勤務実習の時ですか?」
「はい。あの時の経験を着任先で活かせました。翔鶴さんのおかげです」
「あの時の経験を、か」
冬月さんがクスリと笑いました。その言葉を聞いた大鳳さんの表情が引きつりました。
「冬月。意地悪はしない約束でしょ?」
「すまない。そうだったな」
矢矧さんの指摘を受け、冬月さんが笑うのをやめました。
「何かあったのですか?」
「すみません。翔鶴さん、また次の機会に話します。なので今は聞かないでください」
顔を青くする大鳳さんの横で矢矧さんがそう話しました。下手に触れない方が良いかもしれない。そんな気がしました。
「承知しました。またいつか聞かせてくださいね」
「……翔鶴さんは戦後、何をしていらっしゃるのですか?」
少しの沈黙の後に大鳳さんが呟きました。
「共同生活ですね。元整備士の齋藤さんと一緒に暮らしています」
大鳳さんと矢矧さんが驚いた顔をしました。
「えっ、齋藤って兎みたいに臆病なあの人ですか?」
「兎ですか。面白い比喩ですね」
兎という比喩にクスリと笑いました。
「大鳳、もう少し言い方があるでしょ」
「付き合ってるんですか?」
「付き合ってはいませんね。向こうは私のことが好きなようですが」
「付き合っていないのに共同生活をしているんですか?」
「そうですね。家賃を払ってもらう代わりに家事をしています」
大鳳さんの顔に困惑した表情が浮かびました。
「家政婦みたいですが……失礼ですがお金に困っているのですか?」
「そんなことはありませんよ。ただ、何かしている方が肌に合っているだけです」
「そうですか……」
よく分からない。大鳳さんと矢矧さんはそんな顔をしていました。
「翔鶴さんは齋藤さんのことをどう思っているの?」
矢矧さんが聞きました。
「正直に言うと、よく分からないですね」
「よく分からない?」
「はい。悪くは思わないのですが、好きかと言われてもよく分かりません。ここ数日齋藤さんが研修で留守にしているので寂しくは感じますが……」
「それは、好きなのでは?」
大鳳さんが言いました。
「そうですか?」
「大切な人がいなくなると寂しく感じるんです。私がそうでしたから……」
「何かあったのですか?」
大鳳さんがギクリとしました。
「いえ、何でもありません。忘れてください!」
冬月さんが小さくため息をつきました。先程といい、今といい鎮守府で何かあったのでしょうか? 触れない方が賢明だとは思いますが……
ひとまず、話を戻すことにしました。
「大切な人なのでしょうか? 実感がわきませんが……」
「何か起きてからでは遅いんです。翔鶴さん。彼が帰ってきてからでいいので、今を大切にしてください」
「承知しました……」
大鳳さんにはそう言われましたが、何も分かりませんでした。
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次の日の夕方、齋藤さんが帰ってきました。
「ただいま」
「おかえりなさい」
一週間ぶりに彼の姿を見て嬉しく感じました。せっかくなので、お酒を飲もうと思いました。
「休前日ですし、飲みませんか?」
「いいですよ」
料理を何品か並べてビールで乾杯しました。
「研修、お疲れさまでした」
「ありがとうございます」
「大変でしたか?」
「それなりに、でしたね……翔鶴さんは大丈夫でしたか?」
「退屈でしたね。最初の方はナンプレで時間を潰せていましたが、途中から飽きてしまって……」
「そうですか……」
彼が少し残念そうな顔をしました。
「そういえば昨日、大鳳さんと矢矧さんに会いましたよ」
「そうなんですか?」
「はい。お元気そうでした。冬月さんに何か弱みを握られていたようですが……」
ビール缶が空になったので、新しい缶を開けました。
「どんな弱みか分かりますか?」
「詳しくは聞けませんでしたが、色恋沙汰だと思います」
「あの噂、本当だったのかな……?」
彼が呟きました。
「噂?」
「大鳳さんと提督が付き合ってるという噂があったんです。実際どうだったのかは、あまり詳しく知りませんが……」
別れた、もしくは一時的に距離が離れるようなことがあったのかもしれない。そんな気がしました。
「それで……大鳳さん達とはどんな話を?」
「齋藤さんとの共同生活の話ですね」
「共同生活の話ですか……」
「齋藤さんのことをどう思っているのか聞かれた際に少し答え方に困ってしまって……」
「どう答えたんですか?」
齋藤さんは空になった缶を置き、新しい缶を開けました。
「分からないけど、最近家にいないのは寂しいと思う、と答えたんです。そうしたら、大鳳さんが『それは好きなんじゃないか?』と言い出して……」
「何ですかそれ!?」
彼の顔が急に赤くなりました。
「私としてはよく分からないのですが……」
齋藤さんが無言で二缶目を飲み干し三缶目を開けました。そのまま三缶目も飲み干し、四缶目に突入しました。
「飲むペースが速いようですが、大丈夫ですか?」
「平気です……」
顔を真っ赤にしながら彼が答えました。
「話を戻しますが、大切な人がいなくなると寂しく思うもので、今を大切にした方がいいと言われて……齋藤さん、大丈夫ですか!?」
五缶目を飲んでいた齋藤さんが急にテーブルに突っ伏しました。
「大丈夫、です……」
返事はありますし、呼吸も大丈夫そうです。ひとまず、コップに水を入れて渡しました。
「水を飲んだ方がいいですよ」
「ありがとうございます。今日はもう寝ますね……」
これ以上の話は無理そうです。話の続きを聞けなかったことを残念に感じました。
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この日から齋藤さんはやけに緊張するようになりました。声をかけるとビクッとしますし、会話も減りました。夜もあまり眠れないらしく、目の下にもクマができました。
トラブルの予感がしました。以前のように変な誤解で共同生活が終わってしまうのは嫌です。大鳳さん達の話をしてから一週間後、夕食の場で思い切って話をすることにしました。
「最近おかしくないですか?」
「そうですか?」
齋藤さんがビクッとしました。
「やけに緊張してるようですし、あまり眠れてないですよね? 大丈夫ですか?」
「……平気です」
嘘だと思いました。
「嘘はよくありませんよ。以前のように共同生活が終わるのも嫌ですし、話してくれませんか?」
「……分かりました」
彼が下を向きました。
「お酒、飲んでもいいですか?」
「いいですよ。でも、潰れる程は飲まないでくださいね」
「……分かりました」
ビールを飲んだ彼が大きなため息をつきました。
「一週間前のことを覚えてますか?」
「大鳳さんと再会した話をしたことですか?」
「はい。あの時、翔鶴さんが何を言ったのか覚えてませんか?」
あの時……一週間前のことですし記憶が曖昧ですが、大鳳さんに好きなんじゃないか? と言われたことを思い出しました。
「齋藤さんがいないと寂しく感じるのは、好きなんじゃないか? と大鳳さんに言われた話をした気がしますが……」
「それですよ!」
一缶飲み終えた齋藤さんが顔を真っ赤にして大きな声を出しました。
「こちらの気持ちにもなってくださいよ! 翔鶴さんは僕が翔鶴さんのことを好きなのを知ってますよね?」
「はい、知ってます」
「そんな僕が翔鶴さんに好かれてるかもしれないと聞いたらどうなるか想像がつかないんですか?」
「確定事項ではありませんし、気にするほどのことでもないと思いますが……」
「翔鶴さんはそうかもしれませんが、僕は緊張するんですよ! 本当に好かれてるのか勘違いなのか分かりませんし、一日中モヤモヤするんです。寝れないのだってそれが原因なんです」
「イメージがわきませんが、そういうものなのですか?」
「……そういうものです」
沈黙が流れました。状況は理解できましたが、どう反応すれば良いのか分かりません。ですが、私が齋藤さんのことを好きなのだとしたら……
急に胸の中が温かくなるのを感じました。
共同生活を続けたいという感覚、齋藤さんがいないことを寂しいと思った感覚、帰ってきた時に嬉しいと感じた感覚。
それぞれ別の感情だと思い込んでいたものが一本の線で繋がりました。
「すみません。自分勝手な話でしたね……」
「齋藤さん」
席を立ちました。
「翔鶴さん……?」
「一緒に暮らしませんか?」
「暮らす? 共同生活なら……」
「違います。共同生活ではなく、一生を共にです」
齋藤さんが信じられないという顔をしました。
心臓が激しく脈打ちます。顔が熱くなるのを感じました。
「今、気づきました。私は齋藤さんが好きです」
「翔鶴さん……」
静かな夜でした。言葉もなく、時間だけが過ぎていきました。
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目が覚めました。
私は何も身につけていませんでした。隣では齋藤さんが静かに眠っています。彼が起きる前に朝食を作ることにしました。
「あ……おはようございます」
朝食を作り終えた頃、彼が目を覚ましました。
「おはようございます。朝ごはんができてますよ」
「ありがとうございます……」
服を着てから齋藤さんが机に座りました。
「翔鶴さん……」
食事の最中に齋藤さんが呟きました。
「どうしました?」
「……本当に、自分で良かったんですか?」
彼が不安そうにそう言いました。
「逆に齋藤さん以外にいると思いますか?」
「それは……」
彼が顔を真っ赤にしました。
「好きな人に好きと言われたなら素直に受け取った方がいいと思いますよ」
「はい……」
いつも通りの返し方をしたつもりでしたが、自分の言ったことが急に恥ずかしくなってきました。
「ご馳走様です」
「ご馳走様でした」
お互いに無言のまま朝食が終わりました。
「今日はどうしますか?」
「……散歩にでも行きませんか?」
「いいですよ」
朝食の後片付けを終え、二人で外に出ました。
外は雲一つない良い天気でした。風はなく、涼しくて過ごしやすく感じました。
「良い天気ですね」
「そうですね」
それ以上、お互いに言葉はありませんでした。二人で近所の公園のベンチに座りました。公園では数人の子供が遊んでいました。
気まずい雰囲気のままなのは嫌なので、何か付き合っている人同士らしいことをした方が良い気がしました。
「手を繋ぎましょうか?」
「あ……はい」
右手で齋藤さんの手を握りました。温かく、硬くて、傷だらけの手でした。
他人の視線を感じます。少し恥ずかしくなって、顔をそらしました。
「あっ、翔鶴さん。お久しぶりです」
聞き覚えのある声がしました。涼月さんです。彼女の片手には買い物袋がぶら下がっていました。
「涼月さん、お久しぶりです。秋月さんのお見舞い以来ですね。買い物ですか?」
「はい。翔鶴さんは齋藤さんとデートですか?」
「そう見えますか?」
「はい、手を繋いでいたのでてっきり……翔鶴さん。顔が赤いですが大丈夫ですか?」
涼月さんが首を傾げました。
「はい、大丈夫です……」
「あれ? 首元が赤いですが……あっ!」
涼月さんの顔が赤くなりました。首元が赤いと聞いてバレたと思いました。
「失礼します! ご幸せに……!」
涼月さんが逃げるように私達の前から去りました。
「……バレましたね」
「はい……」
齋藤さんが呟きました。
家に帰ると冬月さんからLINEが入っていました。齋藤さんも同じだったらしく、スマホを見ながら顔を真っ赤にしていました。
散々からかわれましたが、最終的には私達の仲を祝福してくれました。恥ずかしくはありましたが、嬉しく感じました。
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夜になりました。
結局、散歩と家事以外に何もしないまま一日が終わりました。気まずさが抜けないまま、夕食の時間になりました。
「翔鶴さん」
齋藤さんに声をかけられました。
「どうしました?」
「……僕は頼りない人間だと思います。意気地無しで情けなくて失敗ばかりです……」
齋藤さんは話しながら視線を落としていましたが、急に私の方を向きました。
「こんな自分ですが、翔鶴さんのことが好きです。結婚してください!」
齋藤さんの顔が火を噴きそうなぐらい真っ赤になりました。もちろん、答えは決まっています。
「ええ。喜んで」
「ありがとうございます……」
齋藤さんが再び下を向きました。私も昨日の告白を思い出し、恥ずかしくなりました。
明るい照明の下で味噌汁から静かに湯気が上がっていました。