呪術高専、東京校。
古びた木造校舎の空き教室に集められた一団は、1年生・2年生・3年生からなる東京校のほぼ全戦力だった。
年に一度の定例行事である京都校との交流戦に向け、試合前の最後の調整を兼ねて顔合わせが行われているのである。
特に今回は1年生も動員されているからと例年より長めの作戦時間が与えられた結果、畳張りの待機部屋はすっかりボロの部室の様相を呈していた。
「よーし、作戦会議すっぞ。京都の連中全員ぶっ潰す!」
1台だけ用意されているホワイトボードをバンと叩いて注目を集めた禪院真希は、2年生だがこの中で一番のやる気を見せている。
「真希先輩、張り切ってんね?」
「去年散々やられたらしいからな、雪辱戦なんだよ」
「せつ……?」
「……リベンジだ」
「おお、お前頭いいな」
「いやあんたがバカなのよ今のは」
虎杖、伏黒、釘崎の3人は、端に座ってヒソヒソ話している。下級生だから先輩に座布団を譲ったとかそういう殊勝な話ではなく、単に集まるのが遅くて座るところがなかったからだ。
「いいじゃねぇか。どうせやんなら熱くしねーとな」
「異議な~し」
奥側にあるローテーブルと旅館のような座椅子に陣取っている3年生2人、秤金次と星綺羅羅は、この中だと最上級生だが、特に場の主導権を握る気はないらしい。
強い呪術師にありがちなことだが、彼らはあまり団体行動のできるタイプではない。盛り上がってるからと、水を差さないでいてくれるだけマシな方という状態だった。
「ま、去年に引き続き1年生まで駆り出したんだ。軽~くひねりつぶしてやるぜ、憂太さんが」
「しゃけ」
「えぇ、僕と里香ちゃんが出たら危なくないかな……」
2年組のパンダ、狗巻、乙骨は、ホワイトボード前を陣取った真希に引っ張られる形で座布団片手に集まっている。
1年3人、2年4人、3年2人。
本来2・3年のみの行事である対抗戦に、東京校の戦力ほぼ全てが集結したのには訳がある。
本来の歴史と異なり、人数不足ではなく、
「つーか去年、そんなにヤバかったん?」
わざとらしく耳打ちのジェスチャーで伏黒に話しかける虎杖。
「……そうだな、こん中だと見てたのは俺だけだし、説明しとくか」
伏黒も一年だが、彼は幼少期から五条悟の弟子として高専と関りがある。昨年度のこういった内部の事情には詳しかった。
「表向きは無効試合だ。そこの乙骨って先輩に憑いてた特級過呪怨霊が出てきちまったことを理由にな。だが実際のとこ、去年の東京校は終始押されっぱなしで、その怨霊が出てきたのだって乙骨先輩がやられそうになったせいだ」
その時点で他の先輩たちはとっくに全滅してたしな、といつもの深刻そうな顔で語る伏黒を受けて、虎杖と釘崎は表情を引き締めたところだった。
「オイ伏黒! 随分去年の試合に詳しいじゃねぇか」
いつの間にか室内の注目は伏黒側に集まっている。ちょうど、授業中おしゃべりに夢中になっている内に先生が授業を中断し、喋っている生徒に注目を集めたときのような状態だ。
それに気づいた1年生3人はばつが悪そうな顔で伏黒を見、罪をなすりつけに動く。
だが、見れば真希の陣取っていたホワイトボードにはよくわからない絵と「ぶっ潰す!」という意気込みが書かれているのみで、会議があまり上手く行っていないらしいことは見てわかった。
「去年の試合は俺も見学してましたんで」
伏黒が答えると、室内の空気が明るくなる。
虎杖と釘崎は認識を改めた。
これは怒られる流れではなく、マトモに説明できるヤツが現れて普通に助かってるんだ、と。
「よし、オマエが説明しろ」
「はぁ……」
虎杖らの予想を裏付けるように真希が無茶ぶりを投げ、根がまじめな伏黒は渋々ホワイトボード前に移動し、マーカーを握った。
――京都の戦力ですが、向こうはこっちと比べて組織的というか、チームワークを重んじる傾向にあると言われています。呪力抜きの殴り合いでもかなりやれる奴が多いですが、一人を除けば、単体での戦力の質はこっちが勝っていると言えるでしょう。
向こうは2年、3年が4人ずつです。人数が多いので、ウチみたいに数合わせで1年を連れて来るようなことはしてないですね。
その中で特に注意が必要なのは3人。2年の空閑徹也、3年の東堂葵、そして同じく3年の空閑徹です。
まず、空閑徹也。さっき話に出て来た空閑徹の弟です。再契象という希少な術式を使い、領収書や契約書から現物を生成してきます。術師としては珍しく、現代の兵器や機械を積極的に利用してくるタイプで、去年の時点で1人で機関銃陣地を構築されてかなり手こずりました。そして厄介なことに術式の「底」がまだ見えていません。迫撃砲にその弾薬、土塁、備え付けの重火器をフルセットで出してピンピンしてる呪力効率、どんな隠し玉を持ってるか分かりません。警戒すべきです。
次に東堂葵。学生にして空閑徹と並ぶ一級術師、去年の新宿・京都百鬼夜行でも特級呪霊1体、1級呪霊5体を祓ったと言われる本物です。
未確認情報ですが、相手と自分を入れ替える術式を使います。見た目ゴリゴリのマッチョ野郎で、実際肉弾戦だけでかなり戦えるのでこれも要注意。
そして、ダントツでヤバいのが空閑徹。去年の試合はほぼこいつ一人にやられたと言って過言じゃありません。向こうの生徒のまとめ役で、福岡の名門、空閑家の長男でもあります。
空閑は禪院の傘下にあたる一族として知られていて、特に近年では両家の関係は強化されています。以前から縁戚関係だったのもありますが……
――あの人は俺と同じ、十種影法術を使います。
◆ ◆ ◆
真希が実家を飛び出し、東京高専に転がり込む前。
姉妹共々家で虐げられていた頃、「炳」筆頭、禪院直哉に声を掛けられたことがある。
「禪院家当主になる方法。教えたろか? 真希ちゃん」
「あ?」
声を掛けられること自体はよくあった。
6割は暴言を吐くためで、残り4割はセクハラをするためだったが、そのたびに反撃・反論を試みては口答えするなと制裁されるため、要するに暴力を振るう前振りである。
それでも手を変え品を変え神経を逆撫でしてくるこの男を、真希は未だに無視することが出来ずにいた。
「なんやその返事、女の癖に敬意いうもんはないんか? せっかく美人さんやのにそないな態度やとお嫁に行ってから苦労するで。順調に育ち方間違うとるようで従兄として悲しいわあ」
この通り、1つ言い返せば10倍になって返ってくる直哉の嫌味に、それでも真希は屈しない。
「チッ、お前に聞いたのが間違いだったよ」
「逆ギレすなや、教えを乞う立場やで? 躾けて貰えるだけありがたいと思わな。こら将来の旦那は苦労しはるやろなぁ。言うとくけど、俺は身内の真希ちゃんを心配してやっとんねんで? 家ん中ではそうして甘えたこと言うとっても優しくしつけられるだけやけど――」
「てめぇらのどこに優しさがあんだよ」
「だだ甘やろが、だって真希ちゃんまだ五体満足やん。そもそも畜生腹と分かったら産まれた時片方〆るんが当たり前やのに生きとるのがおかしいねん。そんだけやない、”夜這い失敗事件”の時とか、扇のオジさんが各方面に頭下げて回らんかったら今頃手足の腱切られて座敷牢やで?」
座敷牢に入れられたものは、はじめから存在しなかったことになる。
存在しないものは問題になり得ない。辛うじて食事は出るが、扱いについてはお察しの通りだ。
「真希ちゃん美人やし、乳もデカいし、合理的に考えるんやったらそっちの方がお似合いやったんちゃう? 知らんけど」
言いながら、正面に立つ真希の着物の隙間から手を突っ込み、よく育っている乳房を揉みしだく。
「っ……」
真希は抵抗しない。
奥歯を噛み砕く勢いで歯を食いしばり、直哉を睨み付けるのみだ。
「あ? 何やその顔」
だが、それも真希には許されていない。
一瞬の後、真希の鳩尾には深々と直哉の拳がめり込んでおり、ほぼ同時にガラスが砕けるような音と激しい衝撃が真希を襲う。
「か、はっ……おぇ、げほっ!?」
「一々生意気なことすなっちゅうねん。そない難しいこと言うとる? 俺」
うずくまり、悶える真希の頭を、直哉は容赦なく踏みつける。結果的に土下座している真希の頭を踏みにじるような姿勢だ。
「何とか言ったらどうなん? "実力"でならのし上がれるとか思てたんやろ? でも現実はこうや。力っちゅう土俵でもオマエはカスや言うてんねん。カスはカスらしく身の程弁えろや、なんでそんな簡単なことも分からへんの?」
グリグリと足に力を込めながら、吐き捨てるように直哉は続ける。
「……そういう意味では扇のオジさんもえらい慈悲深いお方やわ。折角こさえた娘が畜生腹、片方は呪霊も見えん、ロクに務めも果たさん、その癖いくら教えても跳ねっ返りが治らん。前世でどない悪いことしたらそうなるねん、俺やったらカッコよすぎて首括ってまうわ。真希ちゃんもちっとくらい申し訳ないとか思わんの?」
「何にだよ」
「決まっとるやろ、生きとることに対してや。真希ちゃんが服着て、飯食って、風呂に入って、息をしとる間中ずっと、親父さんの顔に泥ぉ塗り続けとるんやで。家族親類全部に迷惑かけ続けとる自覚がないんか?」
「……」
「人間は恥を知る生き物なんやで? その自覚も持てんのやったらいよいよ畜生の精神構造やんけ。流石畜生腹は出来が違うわ」
煽るように足で顔をペチペチと叩く直哉だが、真希は答えない。
「そんで……あー何の話やったっけ? 真希ちゃんあんまり分かっとらんから話が脱線してもうたわ。あーそうそう、禪院家当主になる方法やっけ。簡単やで」
――空閑の徹くんに取り入ればええねん。
そう言われ、真希の身体がびくりと震える。
予想以上の反応を受けて、直哉の口角が上がっていく。
「相伝が外向いとるんはクソやけどな、空閑家は一応ウチの傘下やし、何より実力がある。認めたないけどアッチ側や。俺と同じく禪院家当主候補に名乗り出る"資格"がある。家を出た甚爾くんの息子なんぞを担ぎ出すよか万倍マシや」
それは、直哉らしくもない掛け値なしの誉め言葉だった。
「せやから真希ちゃんが徹くんとこ嫁に行けばええ。徹くんは禪院家当主には興味ない言うとったからなあ。身体でも何でも使てオマエが説き伏せりゃええねん。そんで名前だけ禪院家当主になってもろて、それから実際の支配権を恵んで貰えばええねん。真希ちゃんにそこまで出来るんやったら俺はなーんも文句あらへんよ」
わざとらしく肩をすくめ、「コメくいてー」のポーズで煽り散らかす直哉。
「はは、そんなにキレんなや。俺は真希ちゃんが取りうる中で一番現実的な作戦を教えてやっただけやろが」
しかし質の悪いことに、直哉の言うことは事実だった。
特別一級術師の直哉はともかく、今の真希では準一級術師にも勝てるか怪しい程度の実力しかない。実力主義の禪院家で当主を目指すには明確に実力不足。
一方で、術式の兼ね合いで定期的に禪院家を訪れている空閑徹から、真希は何かと気にかけられているのも事実。
彼女にとってそれは理由の分からない「施し」であり拒絶に値する「同情」で、直哉ら禪院の男性陣から見れば「見た目が性癖に刺さったんだろう」というくらいの認知度。
「原作で出て来るキャラに無体なことはしたくない」などという本心を探り当てられる者がいたとしたら、その者は読心術式か同郷の転生者の二択だろう。
「ま、真希ちゃんがグズグズすんのは勝手やで? ただ――」
――真依ちゃんはやる気たっぷりやったなあ。
◆ ◆ ◆
真希が高専に入学して半年後。
1年生も駆り出された姉妹校交流戦で、彼女は初めて相対した。
「悪いけど、手加減する気はない。本気で来い」
あくまで模擬戦闘。
真希の眼前に立つ徹は、この試合を任務と割り切り、いっそスポーツ的な爽やかさすら醸し出していた。
真希のこの日最後の記憶は、この直後、徹の構えた刃引きした真剣に袈裟懸けにされたところで途切れている。
「……?」
徹からすれば、真希はその「先」に控える「呪いの女王」や「4分間の無敵」を控えた前座のようなもの。
少しの戸惑いと共に振り下ろされた同田貫は、真希のフィジカルギフテッドを容易くぶち抜き、首元から背骨近くの肉を容赦なくえぐり取った。
(やめろ。私をそんな目で見るな)
暗転していく意識の中で思ったことは、明確な敵意だった。
(私を、憐れむんじゃねえ――!!)
この後、徹と別行動していた嵌合獣「顎吐」によって秤が足止めされ、乙骨は追い詰められた拍子に里香を解放。
最終的に、制御を離れ事実上の完全顕現となった里香と八握剣異戒神将魔虚羅が共倒れしたことにより、表向き無効試合という形で隠蔽されるに至る。
そして、今。
「…………お姉、ちゃん」
「んだよ、厚化粧はどうした」
この世界においても、東京校と京都校、2校に分かれた姉妹による戦いが始まろうとしていた。