「なー傑、OBの噂知ってる?」
2006年、呪術高専。
梅雨時になり、二年生にも慣れてきた五条悟は、すっかり親友となった夏油傑にいつものノリで問いかけた。
「OB? 夜蛾先生の学生時代の黒歴史でも発掘したのかい?」
時刻は昼休み。教員がいないのをいいことに、悟がまたいたずらでも思いついたのかと、傑は半ば適当に相槌を打った。
「そんなレベルじゃねえんだって、タケちゃんに聞いたんだけどさ」
なお、タケちゃんは2学年上(4年生)の先輩だ。五条悟に先輩を敬うという発想はないらしいが、それはそれで上手く行ってる相手もいるようだ。
「俺たちの8コくらい上のセンパイに、後輩の女の子妊娠させた奴いるんだってよ!」
しかもふつーに卒業したんだって、ヤバくね!? と同意を求めてくる悟だが、夏油は笑い事で済ませなかった。
「呪術師以前に人として最低じゃないか。よく笑い事にできるね」
「え~他人がやらかしてる分には面白いじゃん」
意見の相違により教室に緊張した空気が漂うが、それに割って入る声があった。
「もしかして空閑先輩の話? 私も聞いた」
家入硝子。この学年――と言っても、この三人だけだが――では紅一点となる女子生徒がお花摘み、もといタバコ休憩から帰ってきた。もちろん校則どころか法律違反だが、少なくともこの場にそれを気にするものはいないし、硝子も慣れたもので、匂い消しは万全だった。
「あれ結構エグい話だよ~? お子ちゃま2人には刺激強いんじゃなーい?」
呆れたように煽ってみせる硝子は、どうやら先輩からの聞きかじりである悟や、そもそも初耳の傑より事情に詳しいようだ。
「へーへーお子ちゃまで悪うござんした。で、大人の硝子お姉さんは事情を教えて下さるんですよね?」
「ウザ。夏油なんとかして」
「家電みたいなものだし、2,3発殴れば調子も戻るんじゃないかな」
「君ら俺の扱い悪くなーい?」
三人で一通りの漫才を済ませると、硝子がトーンを下げて本題感を出す。
「ま、これは代々女子の間でだけ伝えられてる話だから、野郎はそりゃ知らないよね」
「ここまで来て勿体ぶんなよ」
悟の催促を受け、硝子は少しずつ当時の話を語り始めた。
「ハイハイ。アンタら"
「しょーもない奴ら」
「君も一員だろうに。陛下よりお役目を賜っている6つの家柄のことで、"御三家"よりもう一段階広い名門の括りのことだろう?」
吐き捨てるような悟と、教科書的な定義をきちんと返す傑。
「そ。京都に纏まってる五条・禪院・加茂が御三家。これに福岡の空閑、山梨の雨宮、長野の守矢を加えた6つの家柄のことをそういうまとめ方するんだって。田舎の、お山の大将ってやつ?」
「つっても、俺みたいに気まぐれでも起こさない限り、そいつらは高専出てこないっしょ? 気にする必要なくない?」
悟のあくまで敵意マシマシの言いぐさを遮るように、傑が続けた。
「まぁ、言い方はともかく事実ではあるらしいね。高専区分の各等級相当の術師であることを担保する"特別等級"という制度もある。呪霊狩りの際に共闘するときはこの尺度を使うんだ」
「……御三家出身でもないのによく知ってんな」
「呪術規定に明記されているよ」
「傑あの辞書みたいなの全部読んでんの? えっマジ?」
「ハイハイ、話続けるからね」
茶化し半分の悟を尻目に、今度は硝子が話を戻した。
「二人が言った通り、本来名門の術師は高専に来ない。自分らで教育できるし、相伝のノウハウは家の方が伝承がカンタンだしね。でも例外がある」
空閑家。
福岡県南の地方都市に本拠地を置くその家は、詔勅六家で唯一、代々の次期当主を京都の高専に送り込む伝統があった。
「あーアレあいつらまだやってたんだ……律儀っつうかなんつーか……」
「悟、知ってるのかい?」
「知ってるっていうかご先祖のビビリの結果。確か江戸時代、慶長? その辺の時期に急に出てきた空閑家の初代がバケモンでさ、京都にカチコミされたらデカい顔できなくなっちゃうと焦った俺の先祖、禪院の先祖、加茂の先祖がトリオ結成して帝に直談判。お役目の名目で九州の呪術的守護を任じてもらって、要らんことしないように京都に次期当主を人質として寄こすように吹っ掛けた。そん時の慣例を未だに守ってるって事っしょ?」
さすが名門・五条家というべきなのか、悟は当時の状況を見てきたように情感たっぷりで語ってのける。
「まぁ、大体はそう。んで、その空閑家の御曹司が8つくらい上にいた訳なんだけど」
――1年の後輩を妊娠させて、そのまま家庭に入れたんだって。
◆ ◆ ◆
1999年、福岡県某市。
JRの駅と市役所周辺がかつての城下町だが、そこから車で数十分離れたところに、地方呪術師の名門・空閑家の本邸はある。
地方都市の例に漏れず、このあたりは駅の周り以外は全く栄えていない。空閑家も半ば山の麓のような位置に所在し、周囲には瓦屋根の家がポツポツと建っているくらいで、最寄りのスーパーまで約2km。
この頃はまだ九州新幹線も開通しておらず、ゆめタウンも誘致されていない。人気のある場所と言えば駅前のデパートと商店街くらいというありがちな田舎町であった。
「ほほほ本日はおひがらもよきゅっ」
「落ち着け、大丈夫だから」
その空閑家の玄関。武家屋敷のごとき偉容にすっかり気圧され、しどろもどろになっている小柄な少女と、それをかばうように立っている長身痩身の青年がいた。
京都高専1年、星見令奈(ほしみ れいな)。
同じく3年、空閑徹大(くが てつひろ)。
二人は恋人同士であり、年末年始の連休を利用してお互いの実家に挨拶回りをしていた。すでに京都にある令奈の実家に行った後であり、今度は徹大の側にということであった。
「よう帰ったね、坊ちゃん。応接間にご当主さんのおらっしゃる。さ、上がらんの」
玄関で出迎えた年配の女性は、令奈は祖母か誰かと思っているようだが使用人である。代々空閑家に仕える家柄の人間で、高等小学校卒業以来60年に渡ってこの家に雇われて来た「女中さん」だ。今では最古参として家の使用人たちを統括する立場にあり、家のことは文字通り何でも知っている。
「来らはったよ」と家中の人間に呼びかける様は、いわゆる東京式の礼儀には適っていないが、確かな経験を感じさせる所作だ。
「まあ、入ってくれ。家の人間に話は通してある」
「う、うん」
徹大はいつもの冷静な口調でそう告げると、令奈を家へと招き入れる。ちなみに、一応公式の話をする場ということで、現在は二人とも高専の制服姿だ。
このとき、見るからに恐縮しきりな令奈はもちろん、徹大もそれなり以上に緊張していた。ただ動揺が態度に表れないよう、次期当主候補としての振る舞いが染みついているだけだ。
――恋人二人で訪れている通り、ここへは結婚の挨拶をしに来た。
だが、この結婚話はほぼ徹大の独断でごり押ししたものだ。令奈の実家はともかく、空閑家ではやや反対の意見が強い。
先の老家政婦が「おとっつぁん」ではなく「ご当主さん」と言ったのは、空閑家の当主として応対するということだ。
一方で当主本人ではなく家政婦が玄関に出てきたのは、令奈を客人ではなく身内扱いし始めているということ。
全く無理筋というわけではない。そう判断して、徹大は令奈を先導した。
◆ ◆ ◆
「さ、飲め飲め!」
大広間。
畳敷き100畳を越そうかという広大なこのスペースは、主に盆正月の宴会に使われる。
今行われている宴も、次期当主候補筆頭である徹大の連れてきた彼女をひと目見ようと親戚中が詰めかけたものなので、やはり例年通りの賑わいと言えた。
「増崎さん、俺はまだ18……」
「堅いこと言うな、誰も見ちゃおらんが!」
結論から言えば、結婚の挨拶はすんなり認められた。
空閑家当主、徹司としては、家の運営もある手前軽々しくOKを出す訳にはいかなかったが、彼女同伴で直談判に来たことで必要な面目は立ったものとした。要するに、きちんと挨拶するなら最初から認めるつもりだったのである。
かくして、ご当主がウンと言わなかったら残念会になる予定だった親戚共の集まりは、きちんと「婚約お祝い会」として運行される運びとなった。
「す、すごい人……」
一方、徹大の陰に隠れてオレンジジュースをすすっているのは、先の会談で「あれは不器用な男だ。支えてやってくれ」と言われた令奈だ。
星見家は血筋をたどると平安時代にまで行き着く由緒ある家柄だが、今やすっかり没落して歴史が長いだけの一般家庭と化しつつある。
親戚づきあいも現代らしく希薄で、せいぜい直系の祖父母くらいまでしか会うことがなかった令奈にとって、100人超の一族郎党が集結しての大宴会はかなり時代錯誤に映っていることだろう。
現に、ここにいるのは宴会の主役である令奈を除けば男たちだけで、女たちは台所にて現在進行形で料理に追われている。次回以降、自分が「主役」でなくなったらあっちを手伝いに行かなければいけないのだと、察しのつかない令奈ではなかった。
「よか嫁ば貰うたな、お人形さんのごつして可愛らしか。うちん嫁と取り替えて欲しかよ」
「で、結局もうモノにしたとか? 具合はどげんね?」
「おまえはあてがいにも興味ば出さんやったけん心配しとったばってん、もっとこまかつが良かったとか。そぇん気になるとやったらそうち言えば良かったとに」
恐縮しきりの令奈に代わって、男どものデリカシーのかけらもない質問攻めは徹大が防波堤代わりになって捌いている。これは空閑家としてはよくある光景だ。
本家は特に術式を重視して外から嫁を貰うことも多く、それなりに近代化も進んでいるが、分家の人間は伝統的な九州人としての生き方しか知らない。焼酎を割るのは女々しいとか言い出すし、京都より東に出た人間のことは身内扱いしないし、血縁のないよそ者には当たりが強い。
そうでなくとも、知らない家へと嫁入りしてくる「嫁」の居場所になってやることが、旦那の最初の仕事であった。
◆ ◆ ◆
「家柄だか政略結婚だか知らないけど、高専2年のうちには妊娠して3年に上がる前に寿退学。本人に聞いても"私は幸せだから心配しないで"の一点張り。ご両親は飛び上がって喜んでたってさ」
いつも通り飄々として見える硝子だが、その口調には明確に侮蔑が浮かんでいる。
「チッ、高専入ってても守れねーのか……」
「先生たちも凍り付いてはいたけど、バックに空閑家が付いてて黙るしかなかったって話だよ。そのあとのことはよく知らないけど……今も連絡とってる子の話では、今年5人目が生まれたんだってさ」
――24歳で双子なし5人の子持ちって信じられる? 21世紀の日本の話だからね?
そう問われて、男2人はいよいよ返答のすべを失った。
彼らは知らない。
星見令奈は、確かに現代の倫理観で考えればまったく非人道的な取引の末に結婚することとなったが、当の本人が割とまんざらでもないということを。
これを「玉の輿」と呼んでしまえる精神性の持ち主で、今も立派に「空閑の嫁」が務まっているということを。
ただし、それはひとえに、星見令奈という人物がタフだったから実現されている平穏であって、彼女の気の持ちよう一つで、この顛末は全く救いようのない悲劇になりえたことを追記すべきであろう。