あまりにも長くなったので前後編での投稿になります。
――"渋谷事変"は、主犯の目的のほとんどが達成されることなく鎮圧された。
"主犯"たる「夏油傑の偽物」の目的は、天元の結界を悪用して日本人を丸ごと呪力に最適化、1億超の魂を用いて未曾有の呪霊を作り上げることだったと本人の口から判明している。
その企みは、「日本最高の呪術師」となった空閑徹によって阻止された。
犯人の亡骸は完全に頭部を踏み砕かれて原型を留めておらず、呪術がらみの事件では異例となるDNA鑑定を用いた犯人同定が行われた。これは討伐にあたった空閑徹の怒りの深さを表しているとまことしやかに囁かれている。
しかし、大量に放たれた改造人間、複数の特級呪霊と1級相当の呪詛師、そして強引に復活させられた「両面宿儺」と「呪胎九相図」。そして主犯たる「
それらの戦力による被害を完全に抑えられたとは言えず、羂索が討たれ、その企みのほとんどが潰えてなお、日本は「表」「裏」を問わず深刻なダメージを受けることとなった。
「表」の被害としては、皇居を中心とする東京23区ほぼ全域が丸ごと壊滅。のちに閣僚をはじめとする要人は大半が生存していることがわかったが、ハロウィンで人の入りが多かった所で行われた戦闘による死者は多数。
事件中、限定的に復活を果たした両面宿儺によって文字通り細切れにされた者、焼き尽くされた者。
およそ1000年ぶりの完全顕現となった史上最悪の土地神"ミシャグジさま"の呪殺に巻き込まれた者。
未確認の特級呪霊による隕石攻撃が直撃したもの。同じく、改造人間へと変貌させられた者。
そして、空閑徹と羂索の戦闘に巻き込まれた者。
これらの「一次被害」に限っても、1度のテロで発生した死者数としては当時世界一だった9.11テロの数字を大幅に更新。
しかし、この事件で犠牲者数の9割以上を占める死因は、それらの超人たちによって生み出されたものではない。
羂索が最後っ屁とばかりに解き放った(あるいは、死後に制御が放棄されその場に発生した)1000万を超える呪霊。その全ては関東圏に集中し、圧倒的な物量でもって一都三県の一般市民を食らいつくした。
日本中の術師・補助監督・窓に至るまで根こそぎ動員しての総力戦で環状七号線のやや内側に円形の防衛線を構築、皇居を中心に張られていた結界を環状七号線まで延伸し固定する荒業により、宮内庁がひそかに抱えていた術師のほぼ全員と引き換えに呪霊の大部分をその内側に押しとどめることに成功する。
政府の情報操作により「呪霊」は東京都心とその周辺にのみ出現するとして周知され、結界内は完全に放棄されることが決定。この時点で結界から脱出できたのはおよそ500万人だった。
結界発動の時点で外に出ていた「はぐれ呪霊」への対策のため、旧皇居から富士山山頂までの半径100㎞、東京・埼玉・千葉・神奈川の全域と山梨県の東半分、静岡の北東部、茨城県・群馬県・栃木県の南側は術師とその関係者以外の立ち入りが禁止される。
世界一の人口密度を誇った東京都市圏は、今や生きた人間の存在しない世界最大級のゴーストタウンと化した。
間接的なものを含む災害関連の死者数はおよそ500万人。東京都民の1/3以上が死亡または行方不明となり、続く避難政策によって少なくとも3000万人が家を失った。
避難民の大半は、自らの伝手か政府主導の避難誘導を頼って名古屋か関西へ。
一部コネのあった者や優秀な者は勤め先の支社に受け入れられたが、大半の人間は着の身着のまま。中部地方、特に静岡から名古屋にかけて巨大な難民キャンプが設営され、政府が緊急で用意した復興のための公共事業に駆り出される形で日銭を稼いで暮らしている。
関西圏は政府機能を移転され、消滅した東京の企業に代わって経済の中心を担うことになったが、待っていたのは海外投資家による売り注文の嵐だ。
呪霊被害への恐れから全世界的な不買運動が起こり、日本製品の需要は落ち込み、何より外国人が日本に近づきたがらなくなったことで貿易機能が麻痺。復興のため特需となるはずの製造業がむしろ傾く事態となる。
資本を海外ファンドに頼っていた企業はほぼすべてが連日ストップ安ののち倒産、旅行客は最盛期の1/10未満になり観光産業も壊滅状態。
過去に類を見ない規模の円安により、通貨信用度も中央アジアやアフリカの新興国並みに下落。取引そのものが止まって交換できなくなった通貨もいくつかある。
事態を重く見た米国が緊急措置として固定相場制を復活させたため現在のドル円レートは1ドル=360円で、米ドルが間接的に価値を担保する形でかろうじて下げ止まりした訳だが、あれがなければ中華資本に国ごと買い取られていただろう。
その米国も、渋谷事変の日に東京に向けて核攻撃するかどうかをホワイトハウスで議論していたことがリークされ外交問題になったりもしたが、少なくとも現在の所は日本の味方をしてくれている。
これは、存在を公表された呪力という資源について、あわよくば自国で独占、最悪でも他国に渡さないための行いと考えられている。
上層部では「これ以上貸しを作れば研究名目での呪術師の招聘(事実上の拉致と人体実験)を断れなくなる」と危惧されているが、少なくとも米国の庇護により、表面上他国からの軍事介入という最悪の事態だけは避けられているのが現状である。
激動の経済を生き残れた企業は極めて少なく、かつての仕事を求めて関西までやってきた避難民のほとんどは職にあぶれ、大阪周辺の大半の土地がスラム化している。このことは、司令塔と輸送経路を失って操業できなくなった地方の工場とともに目下最大級の社会問題として取りざたされている。
事件翌年のGDP成長率はマイナス43%。普通はこんな数字が出る前に国が瓦解するので、これは先進国のまっとうな統計に基づく数字としては、未来永劫破られないアンタッチャブルレコードとみられる。
だがこれはまだいい方だ。ここまでの動向を見ればわかる通り、避難民はそのほぼ全員が西側に避難した。
これによって東京とそこから放射状に延びていた輸送経路を丸ごと失った東北と北海道は、名古屋以西の文明と完全に切り離されてしまい、物資輸送のほとんどを海路に頼らざるを得なくなってしまった。
そのうえ働き口のほとんどを東京からの需要に依存していたことで、地域経済は致命的な打撃を受ける。受けたダメージは変わらず「本土」に売れる農産物などの価格に転嫁され、関西では昭和10年以来となる「飢饉」を経験することとなった。それ以来、本土と北日本との亀裂は深まる一方である。
そして、日本を裏側から守ってきた呪術界もまた、無傷という訳にはいかなかった。
日本政府と相談の上、東京にのみ出現するものとして呪霊を公表。合わせて自らも表舞台に立たざるを得ず、これにより1000年以上続いた「呪術の秘匿」は終焉を迎えた。
現在は、呪霊への対抗手段として術師の存在は事実上公表されるに至っている。これは前述した「環状七号の戦い」に際して事実を隠しきれなくなったことと、自然発生的に露見して迫害されるくらいなら、という消極的な理由によるものだ。
そのままにしておけば「術師の戦いに一般人が巻き込まれて500万人死んだ」というような形で理解されかねないと危惧した呪術界は、術師の士気高揚と一人でも多くの戦力補充のため、呪術師の仕事を「東京から出てこようとする呪霊を抑え込むヒーロー」として宣伝、素質の持ち主を一般からも広く「徴兵」する策に出る。
選び出された者たちは呪術界唯一の拠点となった呪術高専京都校……ではなく、放棄された横須賀の防衛大学校を改造した前線拠点に集められ、半年間の促成課程を経て環状7号周辺の監視と呪霊の間引きに投入される。
渋谷事変において人員の損耗こそ最小限に収めたものの、せいぜいが3桁の単位でしか存在しなかった術師が、現在においても魔界と化した東京から人の世を守れているのは、このなりふり構わぬ方針転換のおかげであった。
――「渋谷事変」の幕引きから数年。
首都圏を中心に甚大な被害を受けながらも、政府機能を関西に移した日本はかろうじて存続。国内に生じた混乱と諸外国の介入をどうにかやり過ごしながら、二回り以上縮小した経済規模がようやく日常のものになり始めた時代。
関東以北の広い地域が東京消滅によって経済基盤を失い暗黒時代に立ち戻りつつある一方で、九州はその影響が最も少ない地域であったと言える。
理由はいくつもあるが、事件現場からシンプルに遠いことで、間にある関西圏が難民のほとんどを吸収してそれらに悩まされなかったことがよく上げられる。
経済的にも、辺境の地方都市であったために指揮系統や輸送網が半ば独立していたことが大きい。
北海道や四国と異なり関東資本企業よりも地場大企業の力が強い土地柄のために、打撃を受けこそすれ壊滅は避けられた企業が大半で、事件後の混乱期に全国で唯一電気・ガス・水道の寸断が起こらなかった。
結果、最悪の事態の後始末を押し付けられて疲弊した大阪を尻目に安定したあり方を続け、周りが沈んだせいで一時的に県あたりのGDPで日本一になるなどの事態が頻発。福岡近辺は今や大阪、名古屋と並んで日本三大都市圏に数えられるまでになっている。
何より、福岡がここまで急速な発展を遂げたのには、「日本最高の呪術師」にして呪霊の脅威から日本を守った英雄、空閑徹の本拠地であるからという理由が含まれる。
それまで「最強」の存在であった五条悟は、渋谷事変に際して不覚を取ってまんまと封印されてしまい、のちに有志の手によって「獄門疆・裏」から復帰するまでおよそ2年間行動不能になっていた。
これは事件発生当時、犯人が「夏油傑」であるとされたことから呪術界上層部が五条悟の封印を解く行為を罪と断じたことによる。
後に渋谷事変主犯の「夏油傑」は何者かに乗っ取られた死体だったことがわかり、さらに真犯人たる「羂索」が過去の呪詛師「加茂憲倫」と同一人物だったことが暴かれたことで上層部の母体だった加茂家が失脚する政変が発生。
悟不在で弱っていた五条家を押しのけ、この時点で禪院と空閑の力関係はすでに逆転していたことから、空閑家が呪術界総監部の事実上の頂点に立つことになる。
それとほぼ時期を同じくして、空閑徹が満を持して空閑家当主に就任。当人の最初の仕事として、同時期に行われていた改元の恩赦にかこつけて、五条悟の免罪と復活が指示されたのだ。
ただし、それは五条家の復権をもはや意味しなかった。
本人の責に帰すところではないとはいえ、東京壊滅・呪霊大量発生・それらから日本を守り続けた2年間。
一番居てほしかった時期に限って封印されていたことは、彼のなけなしの人望を根こそぎ奪い取るに十分であり、呪術界はすっかり「空閑徹」を先頭に据えた体制へと移行していたのだった。
「いや~参った、政治力ってのはこういうことを言うんだっていう御手本見てる気分」
「なりふり構ってる場合じゃなかったものですから」
「別に敬語じゃなくてもいいよ~、徹はさ、もう実質日本で一番偉い訳でしょ?」
――当の「元最強」は、何ら気負うことなく空閑徹の執務室で戸棚の菓子を漁っている。
「否定はしませんが、国の政体としてあまり健全ではないですね。英雄による挙国一致体制なんかロクなもんじゃないですよ。そこに
答えたのは、20代も中盤にさしかかり、呪術界の若き英雄としての風格が身に付きつつある徹だった。
五条の言は正しい。(一般人から見て)突如として目の前に現れた呪霊の脅威に唯一立ち向かえる存在である呪術師は、徹の厳命により表立って政界進出こそしていない。
だが現在でも、呪霊の恐怖を体に叩き込まれた一都三県出身者による絶大な支持と、呪術界が率先して行ったプロパガンダのもと、呪術師の言葉に異を唱えられるものは事実上いない状態が出来上がっている。
民衆の支持は――少なくとも表向きは――呪術師へ。
「それは言えてる。公民の教科書に書いてた失敗政治パターンのハッピーセットじゃん、うける」
国体が危機に瀕する。状況を打破してくれる強い指導者を国民が求める。条件に合う、または合っているように思わせられる英雄が現れる。民衆は熱狂し、その英雄の独裁体制を自ら作り出す。
人々と、そして空閑徹以外の呪術界上層部は自ら、そこへ回帰しようとしている。
「――でも、別によくない?」
五条悟の戦闘能力は、まったく衰えてなどいない。
表向き「最強」の看板を下ろさざるを得なくなっただけで、その実力は今も隔絶した所にあることを、少なくとも呪術界の面々は知っている。
故に、彼が法と秩序に従うのは、亡き親友の善悪の判断を、自らの意思で自分に課しているからに過ぎない。
「呪術師は人間を守るためにある。でもこれって、呪霊からってことでしょ? それ以外のことまで面倒見てやるのは、もう支配するのと同じだ。自分から支配されに来てる今は、色々操縦してやっても放っておいても結果は同じ、ならもう放っといていいんじゃない?」
悟は面倒臭さ全開でそう言い放った。
徹は少し面食らったような表情を見せたが、すぐに得心が行ったようにうなづく。
「……そうですね。結局のところ、我々は実質的に人間と別種だ。人間のことは、あくまで隣人として見ているべきなんでしょうね」
五条の言った「放っておく」を本人の文意とは違う方向に解釈した徹だったが、悟からすればそれこそ「些事」であったので気にしなかった。
「そうそう。徹はそれより、さっさと嫁さん安心させてやんなよ」
「独身に言われたかないですよ」
名実ともに呪術界の頂点に立った徹を相手にこんな口を利けるのは、もはや五条悟だけだ。
だから徹は、事実上の部下となった悟が執務室に入り浸ることを咎めなかったし、悟もそれが分かっていて徹に舐めた態度を取っていた。
日本が滅亡の危機に瀕してから2年。
「表」にも「裏」にも問題は山積していたが、何より徹には、プライベートの方に片づけるべき問題があるのだった。
7/24追記:一部表現を加筆修正。