元いじめられっ子TS美少女ぼく、ぼくをいじめていた一軍イケメン男子が雑魚ちんぽだと知り、(性的に)いじめ返すことを決意する 作:虫野律
ぼくは言葉を失っていた。
小学生の子供が自ら体を売ろうとしたというのも、そうせざる得ないほど追い込まれていたというのも信じたくなかった。
先ほどとは違った種類の涙が込み上げてくる。
上月が優しげな苦笑を浮かべた。「何でお前が泣くんだよ」
そう言った彼の指が、ぼくの目の際を撫でた。
「だって、そんなの──」あんまりにも君がかわいそうで。
「ま、とにかく俺はホモ監督にそう提案したんだ」上月はおどけるような軽い口調で言った。「で、監督はそれを快諾した──晴れて俺はエースの座を獲得したわけだ」
その時のチームメイトの反応を想像する。少なくとも好意的ではなかったのではないか。
眉間にしわが寄る。「チームの子たちは……」
言いさしの言葉でもぼくの懸念を察したらしき上月は、また苦笑した。
「お察しのとおり、『何でミヨシじゃないんだ』って声がたくさん上がった。けど、監督はそんな意見を一蹴した。『打者としてはミヨシのほうが明確に上だが、投手としてなら上月のほうが安定してる。ミヨシと違ってサボらねぇから成長やコンディションを計算しやすいのも俺らとしちゃ助かるんだ』とか何とかもっともらしいことを言ってな。
相手は小学生のガキだ、そんなペラい言葉でも十分だった。
過程はどうあれ俺はエースになった。その肩書に恥ずかしくないパフォーマンスができるように最大限の努力もした。その
そこで上月は、ふん、と──あるいは自嘲的に──鼻で笑った。
「馬鹿だよなぁ、そんなやり方でたかだかリトルでエースになったってプロになれるわけねぇのによ」
上月は今は野球をやっていない。それが意味するところは──。
ぼくは黙って続きを待った。
「当たり前だが、そんな日々は長くは続かなかった。俺が六年生になって少ししたころ、ミヨシと二人でグラウンドのトンボ掛けをしてたら、ミヨシに言われたんだよ──」
心臓が軋み、ずきりと痛んだ。
「『お前、野球楽しいか』って。
──楽しいわけねぇだろ、遊びでやってんじゃねぇんだ、俺は親父を超えなきゃなんねぇんだよ、お前らとは違うんだ。
言い返す言葉はいくらでも浮かぶのに、何も言えなかった。ミヨシもそれ以上何も言わなかった。たぶん全部知ってたんだろうな。あれは俺を哀れむ目だった。
その日は晩飯が喉を通らなかった。体作りのために食わなきゃいけねぇとは思ってたんだが、どうしても無理だった」
上月は溜め息をついた。生きることに疲れた時に出る、ぼくも嫌というほどよく知る溜め息だった。
上月は、夜に漂う過去の面影を見つめるように遠くの空のほうへ視線をやった。
「自分が気持ち悪くてしょーがなかったんだ。クソみてぇなやり方に頼る自分が気持ち悪くて吐きそうだった。そうしなきゃ結果を出せない無能な自分が大嫌いだった。
全部、必死に考えないようにしてたことだった。けど、ミヨシに言われて否応なしに自覚しちまった。そしたらもう駄目だった。次の日にはもうまともに投げられなくなってたんだ」
〈イップス〉という単語が浮かんだ。精神的なことが原因で上手く投げられなくなって引退したプロ野球選手がいたような気がする。名前は思い出せないけれど、その人もイップスだと言われていた。
「自分では普通に投げてるつもりなのにてんで見当違いのとこに飛んでくんだ」上月は言う。「病院にも連れてかれたし、親父のとこのコーチやトレーナーにも相談したが、どうしてもストライクゾーンに入らなかった。当然そんな状態でマウンドに上がれるわけはねぇ。俺はエースの座から転げ落ちた」彼は、ふ、と小さく笑った。「そうすっとミヨシが先発することになるんだが、そっちのが楽に勝てんだよ、笑えるよな」と少し声を軽くした。「あいつ全然失点しねぇんだもん。素人の中に一人だけプロがまじってるみてぇだった。つーか今もそんな感じだしよ──いや、今は素人の中にメジャーリーガーって感じか? 何せ百六十キロだからなぁ、相手がかわいそうだよ」
もしかしたらミヨシという少年は、上月にとって憧れのヒーローのような存在なのかもしれない。ふと、ぼくはそう思った。
わずかな間の後、「結局、俺は良くならなかった」上月は不意に言った。「で、俺は野球を辞めた。そん時、親父は何て言ったと思う?」
「……わからない」嘘。ほんとは想像できてる。たぶんぼくも言われたことがある言葉だから。
「『お前は失敗作だ』だとよ」
「違う!」言下にぼくは強く発していた。
この言葉が、上月に対する慰めなのか、彼の父親に対する怒りなのか、はたまた失敗作と言われつづけてきた自分を慰めたいだけのものなのか、判然としなかった。それでも、ぼくは言わずにはいられなかった。
「上月君は失敗作なんかじゃないっ。野球ができなくても上月君はかっこよくてかわいくて優しくて──」
「いいや、やっぱり失敗作だよ。人として欠陥があるんだ」しかし、上月ははっきりと断言した。「何にも悪くないお前をいじめてたんだからよ」
「……」ぼくは口をつぐんだ。
その事実を思うと上月を信じられなくなる。自嘲するように失敗作だと言う彼を否定できなくなってしまう。彼がわからなくなってしまう。
握った手はこんなに優しくて温かいのに。
「ねぇ、上月君」だから、とうとうぼくは尋ねた。「君はどうしてぼくをいじめてたの?」
上月は流し目でぼくのほうを見た。「お前が好きだからだよ」
「?」
ぼくの不出来な頭では、上月の発言の意図を理解できない。その言い方だと、
「女の子になったからぼくを好きになったんじゃないの?」
男の子のころから好意を持っていたというふうに聞こえる。でも、さっき、『普通に女が好きなノンケだったのに』って言って──あれ、と気づいた。
『ノンケ
上月は答える。
「ああ、男だったころから好きだった」
「上月君もサドッ気があるの?」ずっとMのほうだと思っていたのだけれど。
ははは、と上月は笑った。「そうじゃねぇよ」
それならどうして、と目で促すと、
「男を好きになった自分を認められなかったからだ」
「……」少し考えてぼくは、やっと上月の心がわかった。そうか、そういうことだったのか、と。
上月はうつむきがちに、静かに言葉を連ねる。
「俺は監督が嫌いだ。それなのに、そんな俺が男であるお前を好きになっちまった。あのホモと同じになったように思えて自分が許せなかったんだ。だから、お前をいじめてお前の存在を否定することで、お前を好きな気持ちも否定しようとした」
そして上月は、「すまなかった」と言葉にした。「あんなのは自己嫌悪の八つ当たりだ。柚は何一つ悪くないのに。ただ俺が弱かっただけなんだ──」
上月の大きな体が小さく見えた。
上月もつらかったんだな、と思う。
「なぁんだ、そういうことだったんだぁ」ぼくは、湿った空気を入れ換えるように努めて明るく言い、「いいよ、大丈夫、もう怒ってないよ」と優しく続けた。
ぼくは晴れやかな心地だった。不安がる必要なんてなかったと、杞憂だったと、それどころか、上月はぼくが男であろうと女であろうと好きでいてくれると理解して心底安堵していた。
また何の前触れもなくTSして男の子に戻るかもしれない、と思っていた。その不安もあった。でも、そうなってもこの関係は終わらない。ぼくは独りぼっちにならなくてもいい。
上月がぼくに顔を向けた。驚いたような表情だった。「俺が憎くないのか? 気持ち悪く思わないのか?」
「今はまったく憎くないし、それに気持ち悪いと思ったことは一度もないよ」
「何で、何でだよ……」上月は眉間に苦悶を浮かべていた。「だって、ガキなのにホモに買ってもらって、ズルして、それなのに負け犬で、親父にも見放されて、挙げ句お前を──」
ぼくは手を伸ばして上月の頭を撫でた。つらかったね、今までよくがんばったね、えらいえらい、と。
呆然とぼくを見る瞳に言う。
「上月君は自分のことが嫌いなんだね」
「そりゃ好きになれねぇよ、こんなんじゃ」
「ふふ、ぼくと一緒だね」
ぼくも自分のことが大嫌いだ。ずっとずっと大嫌いだ。
だからだと思う。だから、上月はぼくに惹かれた。似た者同士だったから心地よい存在だった。
そう思うと、自分のことが嫌いな自分を少しだけ好きになれそうだった。嫌いだから好き。好きと嫌いがない交ぜになって訳がわからないや。
「上月君」ぼくは穏やかな心音を奏でる柔らかな胸に彼の頭を抱き寄せた。そして、「ぼくね、上月君のこと好きだよ」と嘘をついた。
本当は好きかどうかわからない。男の子だったころは女の子が好きだった。男の子に抱かれることなんて想像もしなかった。
そんな自分が一年もしないうちに男の子を好きになるかな、と疑わしく思う。
執着しているだけのような気もするし、孤独を癒やせるなら、傷を舐め合えるのなら誰でもいいような気もする。
けれど、それでもぼくは、「大好きだよ、上月君♡」と繰り返した。「ぼくの全部を貰ってほしいと思えるくらい愛してるんだよ?♡」
どうしてここまでするのかな、と考えはじめて、すぐにやめた。
たぶん答えは出ないだろうし、今はただ、ぼくの胸で
その想いに嘘はない。それがわかるだけでぼくは満足だった。
これで三章完結です。