フローラと九尾の狐は、姿だけでなくコマ落としのようにその場にいた全員の頭の中からも消え失せた。
フローラの召喚した九尾の狐は、その物理的な戦闘能力だけでなく、人を惑わす能力にも長けている。近場にいる不特定多数の人間から、自らに関わる記憶を強引に削除することも可能だった。
「ハッ・・・!何を、何をされたの・・・?」
だが、一人だけ記憶に介入されたことに強烈な違和感を覚えていた人物がいた。レーナである。
彼女は帝都で数多の犠牲者を生んだ『認識阻害』の魔法の使い手である。九尾の狐の記憶削除にした系統の能力の使い手であったために、何となく自分の身に何が起きたのかを肌が、頭の片隅が、無心のうちに感じ取っていたのである。
しかし、レーナのように気付く者は他には皆無だった。
自分の頭からゴッソリ強引に記憶を削り取られた人間は、自らの精神保護のために自分の身に何があったのかについて、強引な解釈をし出した。
スコーンがそうである。
スコーンは唐突に自分があられもない姿になり、なおかつボコボコにされていることに精神が崩壊しそうなほどの衝撃を受けた。無理もない。
「わ、私のこの恰好は・・・部下達のこの有様は・・・一体何があったというのだ・・・」
スコーンの頭からは、フローラの九尾の狐に関する記憶が抜けている。故に何があったのかと全く覚えていない。理解が出来ない。
そして、その場にいたレーナ達を見ながら、強引に記憶の補完を試みた。
「『光の戦士達』の女達のせいである!この私を逆レイプしようとここまで俺を辱めたのである!なすすべもなく吾輩はこんな惨めな姿にされてしまったのである!」
スコーンがそう言い出した時、意識のある黒鉄の騎士達、そしてギャラリーしていた冒険者達は「あいつ何言ってるんだ?」「何あのエッチな恰好」「一人称統一しろよ」と口々に小ばかにしていた。
だが、人類最強の一人と名高い帝国騎士団最強のスコーンを打ちのめし、辱めることが出来る人間などそうはいない。
この場においてレーナ達以外にそれが出来る者はいないのだ。
「・・・本当に、彼女達が・・・?」
「なんと悪趣味な・・・」
「シュウが逃げ回ってるから、溜まるもん溜まって男なら誰でも良くなったんじゃないか?」
「そういやあの女戦士、ちんぐり返し得意そうだわ」
それぞれ思い思いに勝手な憶測を広め始め、「スコーンを逆レイプしようとした」ことが、レーナ達の知らぬ間に既成事実として成り立ちつつあった。
「ちょっと!?どうしてこんなことに・・・」
慌てるアリエス。シュウは逃げる。サーラも逃げる。そして唐突なスコーンへ逆レを仕掛けた説。アリエスは完全にテンパっていた。
「一体・・・何が・・・記憶の操作が・・・?」
レーナは自分の身に起きたことを探ろうと、考え事をしながら一人ブツブツと独り言つっている。アリエスはそんなレーナの首根っこを捕まえ、ズルズルと引きずりながら全力疾走してその場を逃げ出した。
「わけわからないけど、とりあえずこれ以上面倒になる前に逃げましょう!」
ひどい風評被害に晒されそうになっているが、黒鉄の騎士達が瀕死の重傷を負って動けないのは事実。逃げるには今しかないと、アリエスは火事場の馬鹿力でレーナを引っ張ってその場を後にした。
「ぬぅぅぅぅ!エチエチな女達めぇ!待っていろ!必ず部隊を立て直し、地の果てまでも追いかけて、攻めだろうと受けだろうとどっちに転んでも絶対に脱童貞してやるぞぉぉぉぉ!!」
スコーンは死屍累々の黒鉄の騎士達のいる中、一人恥ずかしいことを叫んでいた。
「・・・」
健在のうちに残されたのは、セレスティア軍団と冒険者達。
セレスティアはハッと我に返った。
「えーっと・・・何か知らんけど、残ったのは私らだけか?気を取り直してダーリンを追うか」
九尾の狐の能力によって記憶を削り取られているが、セレスティアは特にそれほど気にするでもなく気を取り直してシュウの追跡を続けようと考えた。
しかし、そのときセレスティアの侍従であるハーゲンという男が、前に出て土下座をしたことで空気が変わった。
「・・・え?何?」
突然のことに、思考が停止したセレスティア。
ハーゲンは土下座姿勢で地面に頭を擦り付けながら叫んだ。
「お嬢!申し訳ねぇですが、一旦追跡はここで打ち切りにしてくれませんか!!」
「・・・あ?」
「嬢の想い人との恋を、俺達は応援してぇし叶えてやりてぇんです!けど、もう、もう・・・金がねぇんです・・・っ!」
バッと顔を上げたハーゲンは、涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らしていた。
あまりの迫力に、セレスティアは言葉を失う。
「聖地リリカでの包囲網で金を使い過ぎて、もう手持ちがほとんど残ってなくて、物理的に追跡を続けることが出来ねーんです・・・!オーバーキル達も、ここ最近は飯は皆モヤシばかりで凌いで倹約してるし、煙草はランクを落とし、酒も薄めて飲んでる始末なんですぜ・・・」
「はぁ?そ、そんなことに・・・」
セレスティアはハッと気づいた。
そう、彼女が先導したシュウ包囲網は、冒険者達の必要経費から何から負担して時間をかけて布いたものだった。普通に考えれば、並みの貴族ならとっくに家を傾かせているほどの出費をしているのである。
だがセレステイアは、シュウへの執着のあまりその辺の現実が見えていなかった。
好きになった男は一直線にアタックするのがアドネイド家の女であるが、そのために今、配下達に過酷な負担を強いてしまっていることを遅ればせながら自覚し、セレスティアは戦慄する。
ふと見れば、屈強だったはずのオーバーキル達は、今やツーサイズくらい体格が細くなっていた。超筋肉逆三角形の奇形体系だった男も、ヘロヘロのヒョロヒョロになっている。
ナガタというヘビースモーカーの葉巻吸いの配下も、今や道に落ちていたと思わしきシケモクを「新品のシケモクにゃあ」とグルグル目で言いながら吸っていた。
オーバーキル達はシュウ包囲網のために、経済的負荷を軽くしょうと過酷な節約に努めていたのだ。全てはセレスティアの恋のために。
「私としたことが・・・盲目になり過ぎていつの間に・・・!」
セレスティアは恥じた。いくら盲目とはいえ、もう少し早く気付いても良さそうなほどのオーバーキル達の変貌ぶりではあったが。
「それとお嬢・・・ご報告がございます」
神妙な表情で、愕然としているセレスティアにハーゲンが言いにくそうに切り出した。
「最近、オーバーキルが帝都を留守にしたことで、これまで沈黙してた抗争相手の襲鬼組、南条会、ビアンコファミリーが活気づいてきやがって、帝都での『トンプソン』の運営に支障が出とります」
「・・・何だって?」
オーバーキルは、アドネイド家が率いる『トンプソン』の選り抜きの実行部隊。それがシュウ追跡のためにいなくなった隙をライバルである抗争相手達が突いて来ることで、帝都三強である『トンプソン』の牙城が今揺らぎかけているということであった。
「・・・帝都に戻るぞ。戻って体勢を立て直す」
セレスティアは血の涙を流しながら、絞り出すようにそう言った。
自分の恋より、組織を優先した結果だ。ていうか金がないなら物理的に無理である。
「お嬢ぉぉぉ!俺らが情けないために、申し訳ねぇぇぇですぅぅぅぅ!!」
オーバーキル達の号泣。
皆ガリガりのヒョロヒョロだ。これまで娯楽と命を削って自分についてきてくれた配下達に、セレスティアは目頭が熱くなる。
「お前らこそすまねぇ・・・私が不甲斐ねぇばかりに。けど、これで終わりじゃねぇ。次は絶対にしくじらねぇようにする。ぜってぇ諦めねぇからな」
何やら熱いドラマを身内で繰り広げて、セレスティア軍団は帝国への帰路についた。
残されたのは冒険者達。
「え・・・?あれ・・・?何?解散・・・?」
何だかいつの間にか投げっぱなしで放置された冒険者達は、茫然とただその場に突っ立っていたのだった。
報酬にもありつけず、ただただ徒労に終わった挙句に最後に捨て置かれた彼らこそが、今回の最大の被害者なのかもしれない。
ちなみに、ジードは瀕死の重傷だがすっかり本当に忘れ去られていた。