狩人はバッチをつけていた BAD END 作:muzineki
暁の爽やかな薄明が、東の空に星々のまどろみを消し去っていく時間の、警視庁屋上ヘリポート。
そこでは特命課の刑事たちが、慌ただしく動き回っていた。
「こちらC班、異常なし!」
「こちらD班、異常なし!」
「突入班、準備完了しました!」
刑事たちの前へ、ヘリコプターに吊るされた金庫が静かに降ろされる。
この中に閉じ込めた女怪盗を逮捕するのが、彼らの任務だ。
仲間の襲撃に備え、屋上の要所には発砲許可を得た狙撃犯が配置されている。
周囲はレーダーやドローンにより監視され、一部のスキもない。
彼らを指揮する氷室も、ヘリポートの上で作業を見守っていた。
「金庫の積み下ろし、完了しました」
「よし、A班とB班は金庫を包囲、突入班は扉の前で待機しろ!」
的確な指示で、部下を手足のように操る氷室。
その隣ではサングラスをかけた男が、モニターで金庫内を見張っている。
彼は情報処理のエキスパートで、情に流されやすいきらいはあるが、氷室が信頼する部下の一人だ。
「中にいる『子猫』の様子はどうだ?」
「子猫は金庫中央でうつ伏せになっています、先ほどからピクリとも動きません、おそらく仮死状態かと」
報告を受けた氷室が、モニターを覗き込む。
赤外線カメラから送られる映像は不鮮明で、顔はぼんやりとしか見えない。
だがうつ伏せに倒れる女を認識するには、十分であった。
相当に苦しんだのであろう、長い髪は乱れ、袖なしのレオタードに包まれた全身は、べっとりと汗にまみれている。
「X線検査装置の分析結果を報告しろ」
「はっ! 子猫が所持していた物品は、投擲用カード12枚、閃光弾、小型工具、針金、通信機、そして小型のスプレー缶でした」
「スプレー缶だと! まさか酸素缶の類では無いだろうな」
「警視庁にある子猫のデータと照合した結果、98パーセントの確率で催涙スプレー、または催眠ガスとの結果が出ました。また赤外線カメラの映像も分析しましたが、子猫がこの道具を使用した動きは見られません。酸素を供給する道具である可能性は、0.1%未満です」
「ふむ、なら失神したフリをしている可能性は、考えなくても良いな」
氷室はホッと胸をなでおろした。
この作戦『ホットドック』は、彼が上へかなりの無理を言って許可を得たものだ。
多大な予算も投入されている、失敗すればエリートコースを歩む彼とてただでは済まない。
どんな小さなリスクであっても、警戒するに越したことは無かった。
「よし、子猫の確保を開始する、金庫の扉を開け!」
サングラスの男がパスワードを入力し、金庫内へ空気を注入する。
そして分厚い扉がゆっくりと開いた。
闇に閉ざされていた金庫へ朝日が差し込み、顔を伏せて倒れる女の姿を映し出す。
「突入!」
氷室の号令と同時に、拳銃を構えた刑事たちが一斉に金庫内へと駆け込む。
そしてうつ伏せになって倒れる、青いレオタード姿の女を囲んだ。
「広域連続窃盗犯P112号、通称キャッツアイ! 動くな、警察だ!」
銃口を向けて叫ぶ刑事の声に、レオタード姿の女はピクリとも反応しない。
刑事たちはしなやかな両腕を慎重に掴むと、背中の後ろへと捻り上げた。
そして特命課がキャッツアイ用に造った特殊手錠を、細い手首へあてがう。
ガチャリ!
冷たい音と共に、大型の手錠が背中の後ろで瞳の両手を戒めた。
ラチェットも閉められ、絶対に抜けることが無いようきつく手首を締め付ける。
さらにワイヤー入りの腰縄も巻かれ、手錠にしっかりと繋がれた。
「戒具の装着を確認、子猫はまだ失神しています」
「子猫の身体を起こして顔を確認しろ、すぐに身体検査もするんだ」
氷室の命令に従い、刑事たちはレオタード姿の肩と腕を掴んで頭を上げさせた。
そこではじめて、キャッツアイの正体がグラマーな美女であることに驚く。
だが彼らの手は止まらない。
2名の女刑事がレオタードに包まれた身体を探り、容赦のない身体検査を行う。
X線検査装置により隠し場所を把握していたため、彼女らは手際よく道具を奪い、一つ一つジッパーの付いたビニール袋の中へと入れていった。
「子猫の顔と容疑者リストにある写真が一致しました、正体はやはり『H』でした」
「浅谷刑事のカンは当たっていたな、犬鳴署より先に確保できて良かった」
「移送のため、子猫を蘇生させてもかまいませんか?」
「むろんだ、周りが騒がしくなる前に特命課へと連行しろ、これより『ホットドック』は第二段階へと移行する」
「はっ!」
サングラスの男は、抵抗する術を奪われた女怪盗の口に酸素供給機を当てた。
整った顔立ちに赤みが戻り、すらりと伸びた体にも生気が蘇る。
その美貌にサングラスの男は、思わず息をのんだ。
(やれやれ、こんな美人なのに可哀そうなことだ、いっそ窒息死していた方が幸せだったろうに)
サングラスの男は、思わずため息をついた。
この美しい女怪盗の運命を考えると、同情せずにはいられなかった。
「うぅ……」
しばらくすると、瞳に意識が戻ってきた。
重く閉じられていた瞼がゆっくりと開き、悪夢という名の現実が目の前へと現れる。
「……こ、ここは!」
目を覚ました瞳が最初に見たのは、自分を囲む刑事たちの姿であった。
反射的に立ち上がろうとするが、上から肩を抑えられていて動けない。
後ろ手に手錠を嵌められていることにも、すぐに気が付く。
「抵抗は無駄だ、観念するんだな、キャッツアイ」
薄ら笑いを浮かべる氷室が、瞳にキャッツカードを突きつける。
隣にいる女刑事が持つビニール袋の中には、瞳が所持していた全ての道具が入っていた。
それを見た瞳は、酸素と血流が戻った頭で全てを理解した。
(あぁ……私、逮捕されたのね)
ある程度の覚悟をしていたせいか、瞳は思ったより冷静にその事実を受け入れた。
両脇から屈強な刑事に腕を掴まれても、取り乱すことなく自分の脚で立ち上がる。
そして自分を逮捕した男の顔を、しっかりと見据えた。
「逮捕した時間は午前4時55分。容疑は美術品の窃盗未遂と、金庫内の照明を破壊した器物破損だ。何か言うことはあるかね?」
氷室の言葉に、瞳は沈黙で応じる。
これほどの罠を仕掛けた相手に、いまさら言い逃れをしても無駄だと思った。
(姉さんと愛さえ無事なら、まだパパを探すことはできる。これからは二人にキャッツの容疑が届かないよう、私が頑張らないと……)
後ろ手に拘束された手を、ギュッと握る瞳。
遠からず自分の顔と名前はマスコミにより晒され、日本中を騒がした盗人として、好奇の目で見られることになるだろう。
世間の非難を受ける中、厳しい取り調べに耐え、警察の捜査が姉妹へ届くのを防ぎ、最後はキャッツアイの罪を一人で背負って刑務所で長い懲役に服する。
そんな孤独な戦いへの覚悟を、瞳は固めていた。
「それでは被疑者の移送を開始する。各員、持ち場に付け!」
氷室の号令と共に、両脇から瞳の腕を掴む刑事たちが歩き始める
周辺はスタンガン付きの警棒で武装した刑事が目を光らせ、一分の隙も見られない。
両手を後ろ手に拘束され、刑事に腰縄を握られる瞳が逃げ出すことは不可能であった。
(……これでもう、あの日常には戻れないわね)
連行される瞳の頭に、内海刑事の顔が浮かぶ。
彼とは3日前に、井の頭公園でデートをしたばかりだ。
二人で笑いあった幸せな日々は、もう二度と戻ってこない。
いつか彼から婚約指輪を受け取ることを願っていたが、それも叶わぬ夢となった。
(私がキャッツアイだと知られたら、きっと彼は警察に居づらくなるでしょうね。せめて世間から非難されるようなことが無いと、いいのだけれど……)
彼の今後のことを考えると、ズキンと胸が痛む。
こらえていた涙が、はじめて目からこぼれた。
しかし瞳はまだ知らない。
これから先に待っているのは、彼女の想像をはるかに超えた悪意と陰謀であることを。