結局体育館で行われることになった大トリの串焼きバーベキュー大会も終わり、ようやく帰宅する時間になった。
濡れた廊下を早足で歩き、余韻に浸かって談笑する女生徒たちの間を通り抜ける。
スマホの画面は夜9時を表示していた。
ついでにと、チャットアプリを開く。
「…………」
瀬奈と別れてから何度も確認したが、メッセージが来ていなかった。
いつも別れた後は何かしら送ってくるのに、今日に限って何もない。
言い難い不安を覚える。
別れ際の言動を見ると、怒らせたわけじゃなさそうだけど。
「なんかあったのかな……」
魔女に襲われた、とか。
もし本当にそうだったとしたら、まだ連絡が来ていないということは、瀬奈は危ない状況にあるということだ。
「……っ」
そこまで考えると居ても立ってもいられなくなって、折り畳み傘をぱっと広げて校舎を飛び出した。
メッセージを打つ前に襲われたとすれば、まだ水名にいるはず。それも駅までの道のりのどこかだ。
ソウルジェムを呼び出して、反応があるかを確認しながら小走りで校門に向かう。
早く瀬奈を助けないと。
そう一心不乱に足を動かしたが、
「あ」
校門を出るや否や、探していた姿がそこにあった。
瀬奈はずぶ濡れだった。冷たい雨に打たれながら、静かに、じっとそこに立っている。
祈るように両手を握り締め、何かに耐えるように俯く。
さながら捨て猫のような少女は、あたしが近づくとようやく気がついて顔を上げた。
「あ――――帆奈ちゃん……」
「……風邪引く気?」
事情を聞く前に、とりあえず傘に入れる。
すると瀬奈はきゅっと結んでいた口元を少し緩めて、
「……ふふっ。帆奈ちゃん、魔法少女は風邪を引かないよ。頑丈なんだから」
と指摘してきた。
「そういうことじゃなくて……」
「分かってる。んふふっ、ありがとう、帆奈ちゃん」
水たまりを踏む音。瀬奈は自分から傘を持ったあたしに近づいて、笑みをたたえながら言う。
「でも、帆奈ちゃんが思ってるようなことじゃないから。ただ水名の街を堪能しようと散策してたらいきなり降られちゃって、ずぶ濡れになっちゃったから電車に乗れなくなっただけ」
「雨宿りすればよかったのに」
「雨宿りできる場所がなかったの」
「……そう」
そこら辺にあるコンビニで傘を買えばいいのに、とか、そこら中にあるファミレスで待ってればいいのに、とか、言えることはたくさんあったけど、言わなかった。
瀬奈がそう主張しているならそういうことにする。今はそれがいいと思った。
「それで、今からどうするの」
「……どうしよっかな」
「はぁ……」
こうして校門前であたしを待っているということは、あたしを頼るしかないと考えたのだろう。
「シャワー、貸すから」
「ほんと?」
最初からこう言わせるつもりだったくせに、瀬奈は目を輝かせる。
都合よく乗せられてしまった気もするが、他に選択肢がないのも確かだ。
「言っておくけど、ウチはシャワーしかないからね?」
大通りへと歩き出す。
すると、瀬奈はるんるんと弾むような足取りでとなりを歩きながら、傘を持つあたしの右手に冷たい左手を添えてきた。
◇
鍵を回し扉を開けると、見慣れた室内があたしたちを迎え入れた。
無機質な壁。天井。玄関の収納棚。最初からついているコート掛け。これだけ。
ほぼ物は置いていないから、我ながらあまり生活感がない方だと思う。やってきたばかりの頃とさして変わらない配置になっていて、その気になればいつでも住処を移せそうだ。
「ちょっとここで待ってて」
あたしに続いて玄関に入ってきた瀬奈にそう告げ、革靴を脱いで洗面所の棚に向かった。
ビショビショのままで入られると廊下が汚れてしまうから、先にタオルで体を拭いてもらった方がいいだろう。瀬奈もその方がスッキリするだろうし。
廊下を進みながら、目に飛び込むであろう光景を想像する。
瀬奈がタオルを受け取って、しっとりした髪に当てる。流れるように首へ。水滴が細い首筋を伝って、露わになった鎖骨に落とされる。そのまま……。
…………。
「あああああもう!」
バン! と棚を乱暴に開けて、白いタオルを雑に引っ張り出した。
頬を叩いて目を覚ます。
瀬奈だ。あの瀬奈だよ? 魔女見て「ウサギ~!」とか言ってる瀬奈みことだよ? バカじゃないの!
鏡に向いて、しかめっ面を作る。
あたしが振り回されていることは、絶対に悟られたくない。
「ふぅ……よし」
いつも通りの顔に戻ったことを確認して、玄関に戻る。
「はい、タオル。先に拭いて」
手に持ったタオルを瀬奈に差し出す。
「すごい! ぽふぽふだね、ぽふぽふ!」
それを受け取って、瀬奈は手触りを褒めてきた。
とにかく何かしら褒めたいのは分かるけど、人ん家のタオルまで対象に含めるのはやはり必死さを感じる。
呆れるあたしに気づきもせず、瀬奈はタオルを広げて頭を包んだ。
「……っ」
先ほどの想像を思い出して慌てて目を背けようとする。が――――
ワシャワシャワシャワシャ!
瀬奈はイヌにやるような拭き方で豪快に自分の髪を拭き出した。
水しぶきが飛んでくる。
「え」
胸を撫で下ろした反面、思い切りのよさに目を疑ってしまった。
人に見られながらそんな遠慮のない拭き方するか、フツー。
効率的ではある。色気の
「帆奈ちゃん、拭けたよ!」
まだ手渡したばかりなのに、驚くべきスピードで身体の表面を乾燥させた瀬奈みことだった。
「あ……うん。じゃあシャワー浴びてきて。さっきあたしが入ったとこ」
引き気味にそう伝えると、瀬奈は楽しそうに見回しながら洗面所に向かった。
疲れ果てた身で部屋に戻る。
とたん、重要な問題が今さら頭に浮かんだ。
「……服」
そう、瀬奈の服は濡れているから、あたしが着替えを用意してあげなければいけないのだ。
タンスを開ける。私服はワンピース3着くらいしか持っていないため、中はだいぶ寂しいことになっている。
「私服か、パジャマか」
そもそも瀬奈は帰るつもりなのか、それが問題だ。
シャワーだけ借りていくような言い方をしていたが、もう遅いし……もし帰りたいのなら、最初から傘を買うなり雨宿りするなりしてどうにか帰っていたはずだ。
それに、
「…………」
明らかに訳アリって顔をしていた。
踏み込むつもりはないけど、瀬奈も瀬奈で何かしら抱えているだろう。
夕日を眺めたあのときも、瀬奈は自分の中の何かを押さえつけているような感じだった。
あたしに知られる必要がないから笑って取り繕っているだけで、同じくこの社会の仕組みに苦しめられているのかもしれない。
……まあ、だからといって関与するつもりは毛頭ないけど。
あたしだって人に知られたくない過去の一つや二つはある。いや、それ以上だ。全部。全部知られたくない。
だったら、そんなあたしが瀬奈のことをもっと知りたいだなんて思うのは、きっと筋違いだ。
時に踏み込むことは、人の尊厳を踏みにじることに等しい。
それをよく理解しているつもりだから、
「……今は服だよ。服」
外出用のワンピースを取り出して、ベッドの上に置いた。
そう、きっとこれでいい。
瀬奈はシャワーを借りに来ただけ。そしてあたしはコンビとして良好な関係を築くため、その要望に応えただけ。泊める義理なんてない。
適度な距離感を保たないといけない。だって、あたしは既にたくさん譲歩した。チャットを読んであげたり、一緒に学校を回ってあげたり。あたしは散々、「あたし」を踏み外したじゃないか。
だからきっと、これで
――――悪意に追い詰められて、あのときあたしは崖を飛び降りたのだ。
…………。
「……もう遅いし」
あたしはワンピースを畳んで、元の場所に戻した。
代わりに奥からパジャマを取り出す。
もう遅いから、コンビを組んでいる相手に寝る場所を提供するくらいの便宜は与えてもいいだろう。
その方が良好な協力関係が築けるから。
パジャマを持って、洗面所のドアを開ける。
幸い鍵が掛かっていなかったので、中に入ることができた。
降り注ぐシャワーの音が鼓膜を打つ。何かのメロディを口ずさむ瀬奈の声も聞こえる。
黙ってシャワールームの引き戸の前まで行き、外にあるバスケットの中にパジャマを入れた。
ちゃんと入れたのを確認して、逆方向に身を翻し、バタンとドアを閉めた。
ドアに寄りかかる。
パジャマを入れた。その事実を咀嚼した。
「あっは……あっははは……」
結局こうしてしまうのがおかしくて、あたしは腹を抱えながら足から崩れ落ちた。
溢れてくる笑い声を押し殺しながら、肩をぷるぷる震わせる。
なーにが「もう遅いし」だ。夜9時半なんてフツーにパトロールしてるわ!
「ははっ……はぁ……」
笑いすぎて足りなくなった酸素を補うために息を吸って、顔を仰向けた。
天井は口を挟まず、静かにあたしを見下ろしている。
「バッカだなぁ……」
歯止めが効かなくなった自分に対する素直な感想をつぶやいて、膝を抱きしめた。
薄い板を2枚挟んだだけのすぐとなりで、瀬奈がシャワーを浴びながら楽しく歌っている。
それに耳を傾けながら、ドアにもたれかかったあたしは、止まった時に浸るように目を閉じた。