『帆奈ちゃん、夜7時の門限って早すぎるかな?
すぐに帰ってしまってごめんなさい。
今度お父さんと掛け合ってみるね』
◇
「帆奈ちゃん、夜7時の門限って早いと思う?」
問いかけに対して、返事がない。ここには帆奈ちゃんがいないから。
ここには帆奈ちゃんがいない。
ここには帆奈ちゃんがいない。
ここには帆奈ちゃんがいない。
耳鳴りのようにぐるぐる回っている。耳の中。ハエのように。
灰色のベッド。灰色の天井。灰色の壁。灰色の窓。灰色に包まれている。灰色に溶ける。
気持ち悪い。
のしかかるような空気。お酒の匂い。呼吸しているだけで酔ったように吐き気を覚える。意識が朦朧になっていく。
ああ、ここは大丈夫じゃない。
こんな大丈夫じゃない場所にいては、どれだけ大丈夫な人でも、その形を歪められていく。
深海に落とされたようにベッドの底へ沈みながら、私は手に持った唯一の明かりを――――私の携帯を、握りしめる。
――――プルルルルルル。
バイブレーションにはっとしてすぐさま画面を目の前に持っていくと、帆奈ちゃんが珍しく文章で返信してくれていた。
『もし必要なら、今度親御さんに挨拶してきてもいいけど、どう?』
…………。
「ふふっ」
いいわけないでしょ。
でも帆奈ちゃん、私と一緒にいるためなら両親に挨拶してくれるんだ。それくらい私が使いたいってことなんだね。
そう考えると大丈夫な気がしてきた。全部、大丈夫だ。帆奈ちゃんが画面の向こう側で私のことを考えてくれているってだけで。
『帆奈ちゃんにそんな迷惑掛けられないよ。
お父さんは理解力ある方だから、私がちゃんと説明すればきっと聞き入れてくれると思う。
ありがとう、帆奈ちゃん』
そう嘘をつくと、帆奈ちゃんは何秒か後にOKのスタンプを送ってきてくれた。
私はそのスタンプを撫でるように指でなぞって、そこにある帆奈ちゃんの意思を感じ取る。指の先から全身に向かって、私は大丈夫になっていく。
それは夢の中に溶けていくような感覚だった。現実と夢が判別つかなくなって、どれが本当のことなのかあやふやになっていく。
この昏い部屋がただの悪い夢になっていく。鼻につく酔いしれた空気も、ただの悪い夢。繰り返される問いかけも、頭の中の怨嗟も、全部悪夢から芽生えた幻像にすぎない。
そうだ。目が覚めたら、全部大丈夫になるんだった。
「帆奈ちゃん……」
画面をなぞる。帆奈ちゃんの送ってくれたスタンプ。帆奈ちゃんがとなりにいてくれている感じがして、悪い夢に苛まれていた五感が麻痺していく。
身体を抱きしめ、存在を確かめた。私はここにいる。帆奈ちゃんのとなり。帆奈ちゃんのとなりに置いてもらえている。
シーツにシワができた。
身を丸くし、胸に置いた手をするりと下へと滑らせる。ヘソへ、下腹部へ。くるりと丸を描くようにしてそこを撫ぜてから、こもった熱のすそ分けをするように、ゆっくりと股間に手を這わせていく。
ネグリジェの布越しに、ぐっとそこを押さえつけた。
始まりの合図に、渇いた身体がキュンと疼く。もっと注いでくれとねだり始める。アルコールの匂いに溺れたこの空間で、認識を歪めるような愛欲が湧き上がる。
ワンピースのスカートを持ち上げて、黒いレースの下着に人差し指を当てた。隆起と隆起の間、くぼんだところに指を食い込ませて。
「……っ」
よりはっきりと伝わる快感。しかし、これだけじゃたどり着けそうにない。
熱病に掛かったような身体から異物を取り除くように、乱暴にネグリジェを掴み、上へと剥がす。布が脱げると、手と胸を隔てるものはブラジャーだけになった。
外す暇も惜しんで、左手はカップの中に潜り込む。ふっくらとした実りを鷲掴みにしながら、股間のくぼみに押しつけていた右手の力をぐっと強めた。
「ぁ……っ」
感じる。でも、足りない。もっと白くなれるものを、飛ばすようなものを、呑まれるものを、欲しい。
甘くて甘くて甘いだけの感覚に捕食されて、血管に砂糖を流し込まれて、それで溺死したい。
悶える足をバタバタと上下に動かしながら、邪魔な布地をぶっきらぼうに足の方へと引き離す。そしてついには早く自由になりたい腕を引っ込めて、下ろしたブラジャーのホックを外した。
脱ぎ捨てた服に囲まれた、真っ裸の自分。
偽りのないありのままの私をさらけ出して、私は感じ取る。帆奈ちゃんがとなりにいる。絡めた帆奈ちゃんの手の温度。一段と高い帆奈ちゃんの声に、幼くてかわいい帆奈ちゃんの顔。
何かをしてもらうわけじゃない。ただそばにいてもらうだけ。それだけで、身体の隅から隅まで痙攣する。
私は既に愛液でビショビショになった秘部を中指で触った。
確かめるように、このまま指の先を少しだけ挿れる。
両辺の肉を掻き分けて、蜜に塗られた細道を進んだ。膣は肉壁と挿れられた異物との間に粘り気の強い涎を垂らし、焦がれる存在を迎え入れるための準備をしている。
指がヒダをよじ登るたび、その悦びに打ち震えて、子宮が揺れる。
「あっ……はんな、ちゃっ……」
一人じゃ深くまで挿れられなくて、もどかしくなる。だからそれを補うように、左手で右の乳首を強く摘んだ。
脳が快感しか受容できないように作り替えられて、痛みが全て気持ちイイ。
突起をもっと強く引っ張り上げる。
「はっ……ぁっ……」
神経が狂い踊り、血液が奔走する。
ごぼごぼと膣は性液を吐き出した。ねっとりとしたそれはしわくちゃのシーツを這うように進行し、行為を物語る染みを作った。
一人では奥まで届かないので、左手を恥丘まで持っていく。人差し指でハート型を描いて、性器の形状を確認した。
「んぁっ……はんなちゃっ……」
てっぺんにあるクリトリスをつねる。今度は明確な目的――絶頂に達したいというまっすぐな情欲――から来た衝動が稲妻のように脳天を突いた。
ダメだ。ダメだ。帆奈ちゃんがとなりにいるのに、欲を露わにした表情しかできない。塞がれることを待っている口をパクパクさせて、制御の効かなくなった表情筋でだらしなくなった顔を見せているしかできない。
いやらしいと思われてしまうのに。
「帆奈ちゃんっ、はんなちゃ、帆奈ちゃんっ」
なりふり構わず恋しい名を呼び上げる。淫猥な水音と共に、帆奈ちゃんへの思念が狭い世界に響く。
この気持ちに名前をつけるようなことはしない。そんなの必要ない。私のこの行為にとって、悪い夢から最も遠い存在である帆奈ちゃんが浮かぶのはごく自然なことだから。
「あっ……はぁっ、帆奈ちゃんっ、見て……っ」
裸の、ありのままの汚い私を見届けて。
この汚れた場所に溶け込んだ汚れた私を、ただ見ていてほしい。
見ていて。欲しい。私だけのモノを。そして私だけを求めてくれる者を。
クリトリスを摘む力がぐっと強まる。それに合わせて膣の筋肉が収縮して、負けじと指の抽送が早まっていく。
「んっ、ぁっ……はんなちゃ、はんなちゃんっ……!」
挿入物を膣が搾るたび、トーンの外れた声が歪んだ口から漏れ出る。唾液に濡らされた唇は押しつけるあてを探して震えて、開いた足は囲い込む身体を探して虚空を迷う。
あるべきものが埋まらないもどかしさ。その穴を埋めるには、快感の潮にもっと飲まれていくしか道はない。
膣内の愛液を泡立てるように指でピストンをし続け、充血してぷっくりになったクリトリスの先端を強くつねる。
「はんなちゃんっ、はんなちゃんっ、はんなちゃんっ」
窒息するくらい抱きしめて。
折れるくらいに強く。
私を支配して。
みことって呼んで。
――――みこと。
「んっ、ぅあ――――ッ」
たった三文字をつぶやく、聞いたことのない帆奈ちゃんの声。
それが聞こえた瞬間、全てが真っ白になって、飛んで、呑まれた。
そうやって大丈夫になった。何もかもが、甘く甘く塗り潰される。私の細胞が幸せに生まれ変わる。ぐちゃぐちゃに人格が潰れて、蜜に溶け込んで、本当の私になっていく。
震動する世界の中、夢と現実がミキサーにかけられたように、まぜこぜになった。
ただ一つ残された真実は、帆奈ちゃんがとなりにいるということ。
「帆奈、ちゃん……」
裸のまま、シーツに染みを作った肉体のまま、既に何度も呼んだ名がこぼれ落ちた。
このふざけた全てを、大丈夫にしてくれる名を。
そうしてまぶたを閉じる。
✧*。+:・゚♡・。+:・゚♡・。+:・゚♡・。+:✧
この真っ黒な
帆奈ちゃんは私がいなくちゃいけないから、私にここにいてと乞うの。
私がいることで、帆奈ちゃんは生きていく。
そうして私はここに存在したことになるんだ。だって私がいないと世界にとって必要な帆奈ちゃんが生きていけないから。
私は世界を完成させるためのピースなんだ。
悪い夢から目覚めれば、ここは帆奈ちゃんの部屋。となりには帆奈ちゃんがいて、私の手を握っていてくれる。私が欲しいから、ぎゅっと、その温もりを分けてくれる。私をずっと見つめていてくれる。
「……んふふっ」
そう。だって帆奈ちゃん、私のことが必要なんでしょ。知ってる。
帆奈ちゃんのことなら何でもお見通しだもん。
帆奈ちゃんは私が便利だから一緒にいてくれることも、便利な私が離れないように一生懸命優しくしてくれているのだということも。
全部、知ってる。
私にスタンプを送って、私に傘を差し出して、私を家に泊めて、今日も私を心配してくれた。それらは全部、私が使える魔法少女だからだ。
ああ、私、使える魔法少女で本当によかった。
暗示の魔法は、何も持っていなかった私に神様が与えてくれた最高の幸運。私より強い魔法少女なら山ほどいるけど、暗示の魔法が使える魔法少女は今のところ私と帆奈ちゃんしかいない。
そんな暗示の魔法が使える私が、こうして損得抜きで無条件の協力関係に応じてあげているのだから、帆奈ちゃんは私を手放すわけにはいかない。
そうだよ。帆奈ちゃん。
研究成果を教えてくれるのはいいけど、帆奈ちゃんはあまり上達しないでいいから。
帆奈ちゃん一人で楽して魔女を狩れるようになったら、私が要らなくなるじゃない。
「……っ」
それを考えると、きゅうと胸がキツく締めつけられる。酸素が気管を通らなくなる。幸せな世界を映した鏡の表層が、パラパラと割れて崩れ落ちていくのが見える。
その鋭利な欠片から身を守るように、私はありのままの自分を再び抱きしめた。
大丈夫。目を開けたら、そこには帆奈ちゃんがいて、私だけを見つめている。
だから私は大丈夫。
大丈夫なんだ。
孤独と恐怖と苦悩と思慕を煮詰めた情念が、夢と現実の狭間に吐き出される。
それとは反対に、無意味な足掻きを見透かした心は相変わらず冷たかった。
ああ、そうだ。これだけじゃ信じ切れない。邪魔な理性を取っ払わなくちゃ。
「――――幸せな夢を見よう」
昏い人影を俯瞰する脳に麻酔を打つように、私はまたもや甘い薬を口にした。