『帆奈ちゃん、今日は調理実習あるんでしょ?
帆奈ちゃんは何作るの? どんな食べ物が好きなのか知りたいな。
今度一緒に作ろうよ』
邪念を払うように、投げやりに送信ボタンをタップした。
普段と違う振る舞い方をしたら、帆奈ちゃんに今の切羽詰まった状況を勘づかれてしまうかもしれない。私の魔力が減っていて、あと少しで役に立たなくなってしまうことを。
「……っ」
分かり切っていた事実でも、改めて思い出すと胸が張り裂けそうになる。
でも。
「あ……ふふっ」
少し遅れて表示された既読の二文字を見つけて、胸につかえていた不安がすっと和らいだ。
そうだ、私はこれで満足しちゃうんだった。
どんなスタンプが来るんだろうって考えを巡らしながら、遠く西側にいる帆奈ちゃんに思いを馳せているだけで、私は幸せになれちゃうんだった。
期待で浮ついた心を落ち着けようとしながら、帆奈ちゃんからの返信を待つ。
スタンプで好きな食べ物を教えてくれるかな。
いつもブラックコーヒーを注文するけど、その都度渋い顔をしながらごくごく流し込んでいるから、たぶん苦いのは苦手なんだろうな。
もやし、好きだったらいいな。
昨日もやしのスタンプをダウンロードしてくれたし。
もやしなら、惜しみなく帆奈ちゃんに料理の腕前を披露できると思う。
それで、一緒に料理しようって誘われて、スーパーでもやしを買って……。
それで……。
…………。
「…………遅いな」
もう授業が始まっちゃうよ、帆奈ちゃん。
私、何かダメなこと言った? それとも無料のスタンプを探してくれているだけ?
本当は毎回毎回メッセージを送っているのに呆れていた?
『あたしが返信しないときは、単に忙しいか操作ミスって考えて。
瀬奈のメッセージ、ちゃんと読んでるから』
かつて帆奈ちゃんにそう言われたことがある。
だから分かっている。
帆奈ちゃんはいつも通りだ。
私がちょっと余裕をなくしてしまって、一人で焦ってしまっているだけ。
「帆奈ちゃん……」
もうすぐ授業が始まるというのに、なかなか階段を下りる気にはなれない。
帆奈ちゃんからの返信がないと、笑顔で演技するための電池が切れたままで、どれだけスイッチを押しても私という機体がうまく働かない感じがする。
意地でも待ってやる。それしかない。
そう硬い壁の端っこに思いきり背中を押し当てたときだった。
プルルルル、と、携帯が振動した。
『パスタ作った。ケーキ食べたい。お店一人で入りにくいから一緒に来て。今日は神浜市駅で待ち合わせね』
ようやく返信が来た。しかも、文章で。
「……!」
しかし何より驚いたのは、帆奈ちゃんがメッセージに続いてウェブページのリンクを送ってきたことだった。
すぐにタップして開く。
すると、チャットアプリから検索エンジンに飛んで、オシャレなデザインのホームページが表示された。
私なんかには縁遠い、いかにも恵まれた女の子たちが行くようなケーキ屋さんのホームページだった。名前の横には「神浜市駅前」と書いてある。
帆奈ちゃん、こんな素敵な場所、一緒に行こうって誘ってくれているの?
動悸がする。願ってもないことだ。想像するのも怖いくらい。
だって、帆奈ちゃんとふたりっきりでスイーツデートだよ? それが叶うなら、きっと眠るたび夢に出てくるような、そんな一生忘れられない思い出になるに違いない。
だけど。
「そんなお金、ないよ……」
わざわざメニューを見なくても掌を指すほど明らかだ。絶対に私じゃ手が届かない。
現実を突きつけられて、理想との距離に胸が張り裂けそうになった。
下の階から音がする。
急かすように鳴り響く本鈴を遠くに聞きながら、熱の抜けた指先をせわしなく動かして返信を打つ。
『誘ってくれてありがとう!
本当はすごく行きたいけど、お小遣いがピンチで……。
お母さんに聞いてみるから、ちょっと待っててもらってもいいかな?』
帆奈ちゃんがどうしても行くと言うのなら、もう、あらゆる手を尽くしてお金を工面するしかない。
家にある物を売り払ってもいい。お母さんが最近連れてくるあいつの財布から取ってきてもいい。最悪、暗示を使って集めてもいい。
人に使うのはダメだと思って自制してきたけど……私を助けてくれない人たちのことはもう、どうでもいい。
できた文章を送信する。
もう授業が始まったからか、既読はついていなかった。来るであろう返答を憂えつつも、私もさすがに下の階に向かう。
「遅刻の言い訳は、お腹が痛かった、でいいかな……」
……だったらこのまま嘘をついて、トイレか保健室に行って返信を待っていようかな。
そんなことを考えてしまい、慌てて頭をぶんぶん振る。
それじゃ学校に来た意味がなくなってしまうじゃない。
空腹感と緊張で胃がじんじん痛むのを感じながら、私はクラスメイトの注目を恐れつつも階段を駆け下りた。
◇
『いいからとにかく来て!』
◇
帆奈ちゃんは「とにかく来て」の一点張りだった。
いつもはツンツンしているふうに見えて私の意見を尊重してくれるタイプだから、珍しく押しが強い帆奈ちゃんに私はこれ以上口を挟まなかった。
そんなわけで、私は久しぶりに電車に乗って、神浜市駅に到着した。
階段を上り、改札口に向かう。
すると。
「――――!」
なんと、改札口の外に見えた帆奈ちゃんはワンピースを着ていた。
初めて見る帆奈ちゃんの私服姿。貝紫色のサスペンダーワンピースに白いブラウスを合わせていて、童顔の帆奈ちゃんなのに大人っぽい雰囲気を醸し出していた。
落ち着いた佇まいと相まって、裕福な家の聡明なご令嬢みたい。
帆奈ちゃんは中学生で一人暮らしだし、調べたら学費免除を受けている特待生って出てきたから、何か事情があるのかなって思っていたけど……本当は水名のお嬢様だったかもしれない。
「帆奈ちゃん!」
込み上げてくる憧憬を声にして、私は帆奈ちゃんの方へ駆け出した。改札口のフラップドアがパタンと邪魔をしてくるから、バンバンバンとセンサーをICカードで叩きつける。
なんか帆奈ちゃんがやれやれと首を横に振りながらため息ついているけど、帆奈ちゃんに釣り合うようにもうちょっと優雅に行動した方がよかったのかな。
ともかく自動改札機を抜けた私は、小走りで帆奈ちゃんの前に向かう。
「お待たせ帆奈ちゃん! 今日は学校じゃなかったの?」
そのワンピースを指差すと、帆奈ちゃんは視線を宙に泳がせながら答える。
「あ……まあ、調理実習で汚しちゃったから」
あまりにも露骨に目を逸らすから、まともな理由のはずなのに、すぐに嘘だと分かってしまった。帆奈ちゃんは本当に自分を隠すのが下手くそだ。
「そうなんだ、大変だったね……。それなら私も私服に着替えた方がよかったかな」
「いや、瀬奈はいいよ。こっちは仕方なくだし」
「でもワンピースの帆奈ちゃんすごく大人っぽいし、ケーキ屋さんに行くなら、私場違いじゃない?」
「そんなことないでしょ。……つか、あんたは私服じゃダメだから」
今度はなんだかそわそわしてぎこちない。
間違いなく言外の意味があると思うけど、残念ながらその真意までは読み取れなかった。
そうして私と帆奈ちゃんは目当てのケーキ屋さんに向かった。駅前と宣伝しているだけあって、駅前広場に出たらすぐに木の看板が目に飛び込んだ。
広場のタイルを革靴で叩きながら、帆奈ちゃんに再度念を押す。
「私、今月金欠だから、本当にお金ないよ?」
「いいから」
「…………」
たぶん、帆奈ちゃんは私の分まで払う気だ。さすがにここまで来ると分かっちゃった。
本来なら断るべきなんだろう。
そんなの帆奈ちゃんに悪いって、帆奈ちゃんにそんな迷惑掛けられないって。
でも、帆奈ちゃんがこれほど頑固になって私を引っ張ってくれるのは初めてだ。帆奈ちゃんはフリではなく、本当に私の分のお金を払ってでもこのタイミングで私とここに来たいと思っているのだろう。
その意図はまだ断定できないけど、私が遠慮したところで帆奈ちゃんはきっと折れないし、かえってイラつかせて反感を買うと思った。
だからおとなしく帆奈ちゃんに従って、お店の中に入る。