寝支度を済ますと、あたしは部屋の電気を消した。
瀬奈は当然のようにベッドに上がっている。
床で寝るなんて言い出しても、前回で一度決着をつけた以上は無駄だと考えたのだろう。遠慮したくてもさせてもらえないと分かった事柄に関しては素直に甘えてくれるようだ。
……それにしても。
久々に見る、窓からの町明かりに照らされた瀬奈のパジャマ姿。
柔らかな光の粉が、珍しく解いた長い髪に優しく降り注いでいる。
これは久々じゃなくても、心臓がうるさくなる。
脈打つ気持ちが瀬奈に聞こえませんようにと念じながら、あたしは瀬奈と外の世界を隔てるようにして、ベッドの外側に腰を下ろした。
「帆奈ちゃん、私が窓の方でもいい?」
しかし、瀬奈が配置換えを希望してきた。
壁側で寝させようとしたのは、そっちの方が安心感があるかなというあたしなりの配慮だったが……。
「いいけど、なんで?」
「そんな大したことじゃないけど、その……光が見えると、嬉しくて」
どうやら、あたしと違って窓側の方が好みだったようだ。
瀬奈と寝る位置を交換する。
ぽふっと横になると、瀬奈はすかさず枕をあたしの方に押しつけてきた。
「枕は帆奈ちゃんが使って。前回使わせてもらったから」
「いや、あたしは枕なくても寝れるし、瀬奈が使えば?」
「だめ。今日は譲れない」
意固地になって一つしかない枕を拒む瀬奈。たぶんこれ以上あたしに迷惑を掛けたくないのだろう。
仕方なく枕を受け取る。これで瀬奈の罪悪感が消えてくれればいいなと思って。
本当は椅子と同じように枕ももう一つ調達すればよかっただろうけど、枕を二つ並べてしまうのは一緒に寝たいと言ってるのと変わらない気がして……ハードルが高すぎた。
瀬奈に押しつけられた枕に頭を沈めて毛布を掛け、体の向きを壁の方に変える。
「んじゃ、おやすみ」
背後の瀬奈に言うと、小さく「おやすみ」と答えてくれた。
しーんと、静寂に陥る。
この空気はどうも慣れない。お互い起きているのに黙ったままで眠れない時間を潰すのは、なんかこう、効率が悪い感じがする。だったら話しながら寝落ちした方が時間を有効活用できるのではないか。
しかも普段は饒舌な瀬奈が静かなので、なおさら居心地が悪い。
「……帆奈ちゃん、起きてる?」
同じ気持ちだったのか、瀬奈は答えを知りながら質問を投げてきた。
「うん。……なんか寝る気分じゃないっていうか」
「んふふっ、私も」
後ろからベッドの
……いや、これは、ちょっと、近すぎる。
瀬奈が文字通り目の前にいる。
艶やかな髪が糸のように流れ落ち、少し乱れたパジャマの襟ぐりから触れるだけで壊れてしまいそうな鎖骨が覗く。
ゆっくり吸ったり吐いたりを繰り返す首筋も、血管が透けるほど透明感のある肌も、少し力を加えるだけですぐにパラパラ崩れてしまう芸術品みたいだ。
あたしのツレは少々……いや、だいぶ心臓に悪い。
寝るどころか交感神経を刺激されたあたしだが、瀬奈はこの距離を何とも思っていなさそうにニコニコあたしの名を呼んだ。
「ふふふっ、帆奈ちゃん。はーんなちゃん」
「な、なに……」
「帆奈ちゃんだーって思って」
わけの分からないことを口にしながら、瀬奈は毛布を首の方に掛け直す。まるでこの近さで寝ると宣言するかのように。
「不思議なの。帆奈ちゃんとこんなふうに一緒に寝ることになるなんて。
これ以外にも、一緒に屋上で夕日を見たり、学園祭回ったり、ケーキ屋さんに行ったり……色んなところで色んなことをして。
そういうの、すごく不思議だなって思った」
「……まあ、数ヶ月前までは赤の他人だったからね」
「んふふ、でもね帆奈ちゃん。私、こうなるって予感はしてたんだよ?」
口角を上げ、続ける。
「秘密にしてたけど……出会ったとき、帆奈ちゃんとならきっと仲よくなれるって思ったんだ。だから一緒に戦おうって誘ったの」
「え、あたしを見てそう思ったの?」
ビックリしてしまった。決して近寄りやすい雰囲気ではないと思っているが、どうやら瀬奈には相性がよさそうに見えたらしい。
「そうだよ? 学校の友だちって、魔法のことはどうしても話せないじゃない? だけど同じ魔法少女だったら、きっと何でも打ち明けられるような親友になれるって、そう思ったの」
「あ、そういう……」
「んふふっ、最初は本当にそれだけだった。
でもそのうちにね、帆奈ちゃんがすごく優しくしてくれて……チャットに返信してくれるし、一緒に遊んでくれて。それに、私が困っていたときにも助けてくれて……それが嬉しくて」
「…………」
「気づいたら、帆奈ちゃんが一番大切な人になっていた。世界で一番」
さらりとすごいことを言う瀬奈。
よく照れもせずにそんなことを言ってのけるなと感心しつつ、さっきからおかしい心拍数が更に狂っていくのを自覚する。
「だからね、帆奈ちゃん。私は帆奈ちゃんにいいとこ見せたくてしようがないのだと思う。でも帆奈ちゃんに知ってほしいのも本当で……」
「……うん」
「わーっ、言っちゃった。本当のこと」
にへらっと笑ったかと思えば、瀬奈はそっと記憶に耽るように目を閉じた。
「帆奈ちゃん、覚えてる? 前回来たときも、私本当のことを言ったよね。あのとき、帆奈ちゃんに怒られるつもりで言ったの」
「怒られるって……別にあたしが怒るようなこと、言ってなかったじゃん」
確か、水名を散策してたら雨に降られたと嘘をついたことだったっけ。あまりにも些細なことで忘れてた。
「でも、私が帆奈ちゃんに嘘をついたことに変わりはないでしょ? それでも帆奈ちゃんは許してくれた。それがすごく不思議で……なんで、帆奈ちゃんはいつも許してくれるんだろうって」
「…………」
「今日も、私がいきなり来ても怒らなかったでしょ?」
「……それは」
「なんで帆奈ちゃんはこんなに優しいのかなって」
「だからそれは……何度も言ってるけど、あたしは瀬奈が来てちょうどよかったの。
いや、もうこの際はっきり言うよ――――あたしは瀬奈が来てくれると嬉しい。来てくれないかなって、ずっと考えてたから……」
結局こうして言わせられる。でも、ここまで言わないと瀬奈には伝わらないといい加減学んだ。
自分の本音に一縷の望みを託す。伝われ伝われと念じながら、あたしは瀬奈に「本当のこと」を告げる。
あたしの言葉を受けて、瀬奈は閉じていた目を見開いた。
全てを吸い込まれそうな瞳に、再びあたしの顔が投影される。緊張してこわばったあたしの顔。真っ裸なあたしの感情が、瀬奈の中に収束する。
そう。瀬奈は確かにあたしの声を受け止めた。
――――しかし、瀬奈は喜ぶわけでもなく悲しむわけでもなく。
笑顔だった表情を戻し、冷めた目であたしを見つめていた。
不信感。
瀬奈は突然、不信感を露わにした。
「――――――」
あ、これは。
なかなか、堪える。
返事として、あたしとの温度差を冷酷に投げつけてきたようで。
あたしは瀬奈の言う「本当のこと」を全て受け入れるつもりでいるのに対して、瀬奈はあたしの「本当のこと」を嘘だと決めつけた。嘘だと決めつけた上で、諦観している。
瀬奈は今、あたしを拒絶したんだ。
世界で一番大切な存在というポジションに舞い上がった先刻までの自分がバカみたいだ……言葉を受け入れるくらいの信頼すら置いてもらえていないのに。
「帆奈ちゃん、やっぱり優しい」
瀬奈はあたしをあしらうように笑顔を作った。
「…………」
「本当にありがとう、そう言ってくれて」
「…………」
瀬奈の一言一句に、胸がズキズキする。
受け取ってもらえなかった。
瀬奈は知らない。あたしがこの瞬間もいっぱいいっぱいになっていることとか、バカみたいに紅茶を買い込んでしまう理由とか、土日より平日の方が好きになってしまったこととか。
瀬奈は知らない。知ろうともしない。瀬奈にとって万華鏡を覗く人がいることが重要なのであって、あたしの感想はどうでもいいのだ。
「…………ごめん、もう眠いから寝る。おやすみ」
瀬奈が目の前にいるという事実が耐えがたくなって、あたしは再び壁に顔を向けた。
ズキンズキンと、ひたすら胸が痛い。
瀬奈は初めてのツレで、初めて優しくしてくれた人で、初めて心を開いた存在だ。
瀬奈がいいと言うなら、瀬奈を連れてこの歪な社会から逃げたって構わない。瀬奈があたしに暖かさを教えてくれたように、あたしも瀬奈にとって暖かい場所になりたいと思っていた。
でも、あたしはとことん無力だ。
瀬奈のメッセージに返信したって、瀬奈のためにサプライズを用意したって、こうして瀬奈を家に泊めたって、あたしの素直な気持ちを優しさなんてものに曲解されてしまう。
あたしは優しくなんてない。瀬奈と一緒にいたいという下心だってある。
それら全てひっくるめて、あたしは瀬奈の力になりたいと思っている。
この切実な思いをまるで気まぐれのように言われるのは、心からの願い事を貶されているのと一緒だ。
瀬奈はあたしを空気扱いする。
だからこれは一方通行だ。
あたしの願望が所詮身勝手なものでしかないと改めて認識すると、こんなに近くにいながら何も変えられないのは相応の罰のように感じられた。
「帆奈ちゃん、おやすみ」
しばらくすると、背後からトーンの変わらない声がしてきた。
瀬奈は今どんな顔をしているのだろう。
いきなり会話を拒んだから、もしかしたら傷つけてしまったかもしれない。
幸い、声を聞く限りは平気そうだが……。
……気づけば、あたしはまた頭の中でぐるぐる瀬奈の心配をしていた。
まるで自傷行為みたいだ。
結局、あたしは微睡みの中で自問自答を繰り返して、浅い眠りにしかつけなかった。