4-1 SOLUTION
「……じゃあね」
カチャッとドアを開けると、背後から淡々と私を送り出す帆奈ちゃんの声がした。
振り向く。
腕を組んで玄関前に立っている帆奈ちゃんは、相変わらずクールな表情だった。
私に関心がなさそうに振る舞っているけど、本当はあえて踏み込まないでくれたのだろう。
私がこれ以上帆奈ちゃんに迷惑を掛けて自分のことを嫌いにならずに済むように、私に空間を残して、そっと見送ってくれたんだ。
「うん。バイバイ」
引き止められなかったことに安堵しつつ、手を振る。
きっと帆奈ちゃんの顔をずっと見ていたら、さっきみたいにおかしくなると分かっていた。
だからもう一度振り返るようなことはせず、さっさとマンションの階段へ歩き出した。
さっき帆奈ちゃんの家を出ようとしたとき、なぜか突然頭が真っ白になって、玄関に立ち尽くしていた。
本当にどうかしていた。昨夜といい、私はここ最近とんでもないミスばかり繰り返している。
そう、昨日も話しているうちにどんどん私を許してくれるような言葉が欲しくなっちゃって、帆奈ちゃんにあんなことを言わせてしまった。
――――あたしは瀬奈が来てくれると嬉しい。来てくれないかなって、ずっと考えてたから。
帆奈ちゃんは優しい。だから私を傷つけないように、私の欲しい言葉を選んでくれる。
それに値する価値がもう私にはないことを、知りもしないで。
ソウルジェムを手のひらに出す。
それは墨を固めた石ころのように黒くなっていた。あと数回暗示を掛ければ濁り切るレベルに達している。
まるでグリーフシードみたいだな、と思った。
ソウルジェムが濁り切ったら、きっと魔法が使えなくなるだろう。
それ以降もグリーフシードで浄化できるかもしれないけど、それはあくまで希望的観測だ。キュゥべえから回収されて、魔法少女の資格を剥奪されてしまう可能性だってある。
今帆奈ちゃんが構ってくれているのは、私が魔法少女だからだ。
心優しい帆奈ちゃんのことだから、私が魔法少女じゃなくなったとしても同じように接してくれる可能性はあるけど……そんなのは私が一方的にその優しさに甘えて足を引っ張っているだけにすぎない。
ううん、今だってそうだ。私が一方的に帆奈ちゃんの優しさに甘えて、一人歩きできる帆奈ちゃんの足を引っ張っているだけ。
帆奈ちゃんは単独での魔女狩りも不可能ではないくらいに強くなった。しかも頭がいいから、一人で暗示の魔法を研究することだってできる。
魔法少女としての私の価値は、もはや「いたら便利」くらいに薄れている。
更に、たとえ友人だと思ってくれていたとしても、嘘で固めた私にはそんな価値がない。自己暗示で散々帆奈ちゃんを騙したし、昨日だってお父さんとけんかしたってごまかした。
帆奈ちゃんが知っている私は表面上の私。
全ての真実が明らかになったとき、帆奈ちゃんは私の裏切りをどう思うんだろう。
「…………」
空を見上げる。途方もない青空。
燦々と煌めく太陽に照らされて、幸せそうだ。
にっちもさっちも行かないこの状況でも、世界は過不足なく、順調に悠々自適に回っている。
「帆奈ちゃんがいなくなったら……」
私に何が残るんだろう?
灰色の家。灰色の学校生活。透明な自分。
誰かの空気にすらなれない、本当にいてもいなくてもいい自分しか残らない。
「……っ」
痛い。それを考えると胸が締めつけられて、息が詰まる。
それと同時に、手足の感覚がなくなっていく。その他の表皮が蠢く幼虫に覆われたようで不快極まりない。肝臓も心臓も脾臓も肺も腎臓も全て自分の物じゃなくなったような感じがして――――
「あ、れ」
おかしい。明らかに体がおかしい。
思考が混濁していく。重力に吸い寄せられて地底に沈むように、体が重い。
胃が焼けそうになっている。高熱に魘されている。
「あ……ぅぐっ……」
突然心臓に激痛が走る。体のところどころがマリオネットのように、他者に操られているようで。
「はぁ……は、はぁ」
意地で息を整える。道路横のレンガ壁に手をつきながら踏ん張って姿勢を正し、一歩、一歩、進んでみる。
すると、
「あれ、治った……?」
痛みがスッと抜けた。
早足で歩いてみる。何の問題もない。
腕をぶんぶん回してみる。何の問題もない。
さっきまでの身体の異常が嘘だったように、私はすっかり回復していた。
呼吸は当たり前のようにできているし、皮膚も内臓も全てちゃんと自分の物だ。
まるで突然起きたバグのような痛みは完全に消えている。
一体、なぜ?
「まぁ、いっか……」
魔法少女は病気に掛からない。だとしたら、先ほどの異変は心の問題なんだろう。
気がかりではあるけど、帰ろう。
本当なら気持ちが落ち着くまで外で時間を潰した方がいいかもしれない。でも、私は昨日何も言わずに家を出ていったから、早めに帰って顔を見せるべきだ。
お母さんが家を空けることはよくあるけど、私がいきなり家出したことは一度もない。
怒られてもいいから、とにかく無事を伝えておかないと。
◇
電車で大東まで帰った。
自分を甘やかして水名の帆奈ちゃんに会いに行ったせいで、財布の中身が悲惨なことになってしまった。
お母さんと掛け合ってみよう。思えば生活費を増やせとちゃんと口に出したことはなかったから、僅かな可能性でも賭けてみる価値はある。
朝なのにどんよりとした雰囲気の団地の廊下を進み、ドアの前に着く。
鍵を制服の胸ポケットから取り出そうとしたが、思い直して、そのまま古めかしい扉を押した。
案の定、昨日家を出たときのまま、鍵が掛かっていなかった。
「……ッ」
むせ返るようなアルコール臭が鼻を襲う。
長く家にいると慣れてくるけど、いつまで経っても入った瞬間に吐き気がするのは変わりない。
キラキラした帆奈ちゃんとの時間から、いつも私をどん底に突き落とす匂い。
せっかく帆奈ちゃんと同じシャンプーを使ったのに、この匂いに染まってしまうと考えると、すごく辛くなった。
玄関でローファーを脱ぐ。
いつもの場所に置こうとしたら、よく磨かれた大きな革靴がそのスペースを占拠していた。
昨日の男、まだ家にいるんだ。
「…………」
もういい。放置する。私には関係ないことだもん。
帰ってきたことをお母さんに伝えたら、全てを放り出して部屋で寝ているから、大丈夫。
神様から見放されたような、光の届かない廊下を進む。その終点に、散らかったリビングが見えた。
昨日よりもひどい有様だった。
こぼれたお酒と思わしき液体が床についていて、ボトルやティッシュの量が増えている。
別に、いい。片づけてあげる義理はない。私とは関係ない。
ゴミを踏まないように気をつけながら、リビングの隣にあるお母さんの部屋まで向かう。
お母さんを呼ぼうとして、少し空いた引き戸の隙間から中を覗いた。
…………。
…………。
…………。
…………?
……??
?
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???
???????????????????????????????????????????
あれ、なんで悩んでいたんだろう?
こんな簡単な解決策、すぐそこにあったのに。
私はふと、すごく冷静になっちゃった。
たぶん、私の論理的思考を邪魔していた頭の中のどこかの認識阻害バリアが今割れたガラスみたいにパラパラと落ちて、その音で私はようやく目を覚ますことができたのだと思う。
そう、この世界は契約したときのまんまだ。
何一つ成長していない。
悪い人は楽しく生きられるのに、私はまだお腹を空かせている。すごく不公平で、すごく非合理的だ。
唯一違うのは、私が世界の摂理から外れた魔法少女だってこと。今なら、もう誰も私を懲らしめることはできない。
だから、殺せばいいんだ。
私がこんなに苦しいのはこの男のせいでこの女のせいだ。
だったら、苦しみの種を取り除けばいい。
そう、殺してこいつらを取り除けばいい。
気づかせてくれてありがとう。
神様ありがとう。
私、思い出したの。
殺すのはとっても簡単だってこと。
何かあっても暗示の魔法が使える。
死体は魔女結界の中に捨てられる。
そっか……もう殺せない理由はないんだった!
こうなったら包丁! 包丁で殺そう!
契約前は切れ味が心配だったけど、魔法少女になった今はもう抵抗される心配はない。
逃げようとするなら、暗示を掛けて動けなくしよう。使い魔にするのと同じように。
だってこの人たち、災厄を振り撒いているでしょ?
どうして悪い使い魔は倒してよくて、悪い人間は殺しちゃダメなの?
もういいよね。散々我慢したもん。
殺したら財布からお金を取って、今まで奢ってもらった分のお金を全部帆奈ちゃんに返そう!
♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰⋱✮⋰ ⋱♱
キッチンのスタンドから包丁を抜き取って、ガラリと部屋の引き戸を開けた。
私は堂々とここに立っている。
まるで神様の代わりに裁きを下す正義のヒーローみたいな登場の仕方だ。
今この瞬間、薄暗い室内に光が差し込んだ。
だからベッドの上の男女はピタッと動きを止めて、同時に振り返って私を見る。
ぽかんとした顔。裸のままで変なの。
うん、でも、裸の方が都合がいい。服に邪魔されて中まで切れないのは嫌だし、ブランドものの服なら売り払ってお金に変えられるかも?
「みこと、それ……」
それ?
あ、包丁。
包丁のことか。
真っ先に包丁のことなのは、ちょっと悲しいかも。
おかえりなさいって言ってくれてもいいのに。
「お、おい……」
今度は男の人が話しかけてきた。
壁に後ずさって、まるで化け物を見たかのような顔で私を見る。
包丁を持っているとはいえ、中学生相手にこんなに怯えられるとは思わなかったな。こんなのにビクビクしていた自分がおかしくて笑っちゃった。
一歩踏み進めるたび、すごい匂いが鼻につく。お酒と汗ともっと別の匂い。
初めてこんな匂いを知った。これも人生経験かなって思った。
でも私はもう染まらない、少し触れたとしてもすぐに洗い流せる。ここをきれいにしたあとは、帆奈ちゃんの使っているブランドのボディソープとシャンプーを買って、体の隅から隅まで帆奈ちゃんの匂いになるから。
だから私は迷わずベッドに上がった。
ビショビショで気持ち悪いのは我慢してあげる。最後の我慢だ。帆奈ちゃん以外の事象が私の皮膚に接触する痛みは正義を完遂させる任務の上で必要な犠牲だ。
私は壁の端っこに追い詰められた標的をじっと見て、考える。
どこを切ろう?
やっぱり首かな。それか心臓に向かって突いた方がいいかな。包丁ってなんとなくそういうイメージがある。
目の前の人間は、逃げ道がないことを悟ってかようやく臨戦態勢になった。胴体を守るように手を前に突き出して、私を睨みつける。
「や、やめろ……こんなことしてただで済むと思ってんのか!?」
済むよ。魔法少女だもん。
あんまりうるさく喚かれるのも近所迷惑だから、手っ取り早く殺そう。
私はこの人の胸部に――――
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