「ぐあぁ、あっ、アァ――――」
うるさい。うるさい。うるさい。
人って刃物で刺したらすぐに死ぬと思っていたけど、どうやらそんなに脆くできていないみたい。それならボタン一つで静かに息を引き取ってくれるロボットの方が先進的だと思える。
図太い金切り声を掻き消したくて、もう一度奥を目がけてズバッと包丁を突き立てた。
魔法少女に持てるありったけの力を込める。そうすれば、物理攻撃が得意ではない私でも、内臓の方まで届いてくれるはずだから。
「ア、ァ…………」
どうやら再度の刺突は効果的なようで、耳障りな音がどんどん小さく細くなっていく。
最終的に、部屋は静寂に包まれた。
なんだ。
殺すのってこんなに簡単だったんだ。
今までくよくよ悩んでいたのがバカみたい。流した涙も我慢した分の食費もソウルジェムの魔力も返してほしい。
死体となった男の胸から、ぐい、ぐいと包丁を抜く。
最後らへんになるとなんか硬いものに当たるし、何かに引っかかってしまって抜きづらかったけど、どうにか鮮血と人の肉が付着した刃を取り出すことができた。
つい先刻まで鋭く煌めいていた刃先は、私のソウルジェムと同じように輝きをこの男に持っていかれていた。日常的に料理に使っていた仲間だから、私と同じ目に合わせるのがなんだか申し訳ない。
自分の成果をしばらく観察していると、ドサッと、後ろから音がした。
振り向けば、腰が抜けたのか、裸の女が床に座り込んでプルプル震えている。逃げもせず、叫びもしない。それくらい恐怖に打ちひしがれているのだろう。
「…………」
あとはこの刃物を使って、この女に同じことをするだけだ。
彼女が死ねば、私の間違った願いも希望も全部正しく無に帰する。
楽になれる。もう二度と手に入らないものを欲しがらなくて済む。
お金も手に入る。
私は孤児になって、どこかに引き取られるかもしれないし、帆奈ちゃんみたいに一人で暮らすことになるかもしれない。
それもそれで素敵だ。それこそが大丈夫な暮らしだ。こいつがいるせいで神様がこの場所に来なくなったんだ。
「…………」
私は、目線が彼女より少し上に来るように屈んだ。
そして、腕を振り上げる。
あとは、包丁を下に突き立てるだけ。
包丁を振り下ろそう。
包丁を振り下ろそう。
突き刺そう。
振り下ろそう。
包丁を、振り下ろそう。
『みこと』
振り下ろそう。
振り下ろせ!
振り下ろせ、振り下ろして。
振り下ろして、それで。
それで、殺せ。
『みこと』
殺せ。
殺せ。
殺せ。
殺、せ、殺せ……殺さないと。
『みこと』
殺さないとダメだ。
殺さないとダメ。
全部ダメになる。
ダメになる。
全部ダメなままだ。
台無しになる。
だから殺す。
殺さないと。
殺せ殺せ殺せ。
殺せ……殺してよ!
――――ガチャン、と。
落ちた。
包丁が。
なんでこんなことばかり思い出すの……?
私は変わろうとしているのに、なんで引き止めるの?
私はようやく向き合おうとしているのに、どうしてそれを責めるの?
殺さないと、私は苦しいままだよ。
この灰色の世界に縛りつけられたまま。
この人は私が家出をしても、何の心配もせずに男と寝て……私がいながら、私以外をずっと求めている。ずっと、私以外で埋めようとしている。
なんでそうなの?
なんで私を選んでくれないの?
私じゃダメだった?
私があの人を家から追い出したから?
どうして私に価値を求めるの?
価値がないと選んでもらえないの?
価値がないと人って生きちゃいけないの?
「ぅ…………くっ、う」
できない。
殺せない。
私には、無理だった。
私が私の話を聞いてくれない。
ただ思い出が溢れてばかり。
今更すぎる。もう全部失ってしまったのに。
なのに、溢れるのが、止まってくれない。
「…………あなたは」
声を、そして魔力を、絞り出す。
「――――あなたは、何も見ていない。これは、他の人が、やったの。だから……」
「もう消えるから。お母さん」
◇
手を洗って、着替えて、玄関で靴を履いた。
◇
拝啓、帆奈ちゃん。
今日は晴れ晴れとしたご機嫌な土曜日です。
青空が綺麗。
私は今、あなたとの秘密基地にいます。
あなたの暖かさに包まれている感じがして、今は昼の太陽も心地よく感じます。
屋上の縁に上りました。
建物のパラペットからは、活気溢れる町の景色がよく見えます。
今日は特にキラキラして、眩しいなと思いました。
きっとここがあなたとの秘密基地だからです。立っているだけで、あなたがそばにいる感じがする。
もう何の価値もない私のそばに。ずっと。
それが、私の最後の救いでした。
スマホの画面をつけて、チャットアプリを立ち上げる。
『帆奈ちゃん、今までありがとう』
これだけ入力して、送信ボタンを押そうとした。
「…………」
しかし、これは違う気がして、やめた。
こんな短文で片づけられるような気持ちじゃない。だけど、帆奈ちゃんのことは巻き込みたくない。
だから消す。
私は突然消える。
ある日消えた過去の思い出。
それで時の経過と共に忘れられていけばいい。
…………というのは、ちょっと嘘だけど。
たまに胸が疼くくらいの傷痕をつけられれば、嬉しいかも。
なんていう身勝手な願い事を青空に託してから、私は広がる大東の町を見下ろした。
私をここまで連れてきた町に、感謝と憎悪を込めて。
私の血を返そう。
――――飛ぼう。
――――飛ぼう。
――――飛ぼう。
――――飛ぼう。
――――飛ぼう。
――――飛ぼう。
――――飛ぼう。
――――飛ぼう。
――――飛ぼう。
――――飛ぼう。
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