死ねない。
どうしても死ねない。
あと1歩で楽になれるのに、体が言うことを聞かない。
限界を迎えた恐怖が、会いたいって駄々をこねている。
帆奈ちゃんに会いたくて、会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて仕方がなくて。
頼りたくて、全てを打ち明けて赦されたくて。
そんなふうに、叫んでいる。
そんなの、分かってる。分かってはいる。巻き込んじゃいけないって。
だってこれはもう迷惑どころじゃない。私は今や犯罪者で、この
お母さんに掛けた暗示は時間稼ぎにはなるけど、いつ解けてもおかしくないもので、根本的な解決にはならない。
露見したら私はおしまいだ。
いくら魔法少女でも、この社会全体に抗うほどの力はない。
本当は、お母さんをも殺して、さらに証拠隠滅までやり遂げなければならなかった。
それができない以上、私は帰る場所をなくしてただ制裁を待っているだけの殺人者だ。
…………だけど。
スマホを取り出し、帆奈ちゃんとのトークルームを再び開く。
「…………」
せめて。
せめて、ここに書き切れない思いの一端を、そして胸に秘めたままの真実を伝えたい。
全てを聞いた上で軽蔑してくれれば、今度こそきっと死ねる。私はようやく現世に対する執着を捨てて、思い切ってこの美しい景色に飛び込むことができる。
反対に、もしそれでも私を受け入れてくれるとすれば……私は、帆奈ちゃんの望む生き方をしよう。
それは、私に第二の生を与えてくれたってことだから。
◇
本当のことを伝えに水名まで戻った。
今朝通った帆奈ちゃんの家までの道のりを逆方向で再びたどる。
帆奈ちゃんの家は、ただでさえ落ち着いた雰囲気の水名の中でも一等静かな住宅地にある。
古いつくりの日本家屋や木造の一軒家が多く、古来の伝統を伝える街並みになっている。
この地域全体が帆奈ちゃんみたいにしっかりしていて余裕があって、どんなに辛い状況でもそっと見守ってくれるような感じがする。もし帆奈ちゃんと一緒にここに住めたらな、なんていう遅すぎる夢を見てしまった。
来た目的に反してそんな生活を思い描いていると、
「――――っ」
突如にグラッとした。
背筋が爪で一直線に引っ掻かれたように粟立って、内臓に冷気が吹き込まれる。
怪しげな冷気は膨らみ、内から臓器を破って生を得ようとしている。
「ぅ……あ……ッ」
震えが止まらない。
するりと足から力が抜けて、立つだけで精一杯になった。
またこの現象だ。
影から身体のあらゆるパーツに糸が伸びて、気まぐれな手によって弄ばれているような感覚。
「はぁ……ふっ……」
深呼吸を試みて、身体の支配権を取り戻そうとすると、
「ぁ、はぁ……」
幸い、どうにか倒れずに済んだ。
今回はそこまでひどくなかったようだった。
気持ちを落ち着けて、しばらく同じ体勢で立ち止まっている。
少し休憩すると、霧散した筋力が虚空から身体に返却されて、前回同様何事もなかったかのように回復した。
……この現象は一体何なんだろう。
まるで私を飲み込もうとしているようだ。何かが故意に私を塗り替えようとしている。臓器に異変をもたらすのが重要なのではなく、その先にある意識――――あるいはもっと大切なものを奪い取ることが目的のようで。
気になるけど……どうせ私はもうすぐおしまいだから、いいや。
真相に思索を巡らすのをやめ、私は帆奈ちゃんへと続く階段を上った。
◇
今朝出たばかりの部屋の前に立つ。
ここにあるチャイムを鳴らせば、またドアの向こうにいる帆奈ちゃんに会える。
この扉が開いたら、私の全てを告げよう。私の嘘と本当を、まるごと全部。
どこから説明したらいいんだろう。
家族のことから?
それとも学校のこと?
……ううん、まずは人を殺したことを伝えよう。
人を殺した。これだけで私がいかに悪い人間で、いかに嘘つきなのかがよく分かるはずだから。
大丈夫。
大丈夫だよ。
今は、嫌われても平気。
きっと平気。
だって私は、嫌われたら死ぬだけなんだ。
「……」
ピンポーン、と、音がした。
私がチャイムを鳴らしたからだ。
心の中のストップウォッチで、終わりまでの時間を計ってみる。
5秒。
10秒。パタパタ。
15秒。
20秒。
ちょうど20秒後に、ドアが開いた。
「あ…………」
ガラッと開いたそこに、帆奈ちゃんがいる。
帆奈ちゃん。帆奈ちゃんだ。
帆奈ちゃんだ……。
いつもの小さくて大人っぽくてクールでかわいい帆奈ちゃん。仔猫みたいな帆奈ちゃん。そんな帆奈ちゃんが、そこに立っている。
口を結んで、私を見つめながらこちらの出方をうかがっている。
そんな警戒心の強いところも、いつもと変わらない帆奈ちゃん。
帆奈ちゃんは変わらない。帆奈ちゃんの周りにある温かい景色も変わらない。穏やかな夢の時間がこの部屋にある。
だからこそ私は固まった。
胸が高鳴るより先に、脳が怒涛の勢いで突き進んだ列車を引き止めようと、狂ったように停止信号を飛ばしていた。
――――こんなの無理だ。
無理だよ。
言えるわけない。
帆奈ちゃんに打ち明けるなんて、絶対に無理だ。
その顔を見た瞬間、分かっちゃった。私には自分から帆奈ちゃんに嫌われに行くような真似だけは絶対にできないって。
口が動かない。
動かそうとしても、硬直した唇がお互いから離れてくれない。
「…………」
そんな怖気ついた私を、帆奈ちゃんは待ってくれている。
私が何か言おうとしていることに気づいて、私に時間を与えてくれているんだ。
ああ……そうだ。言わなきゃ。
できないことを、それでもやり遂げなければならない。
これ以上帆奈ちゃんを裏切り続けるのはもう嫌だ。
せめて全てを知ってもらった上で死のうって、そう決めたはずだ。
しかし、口を開けるように指示を飛ばしたとたん、ぐらぐらと質素な部屋が歪み始める。
天井も、床も、照明も、廊下の先のドアも。全部全部蛇状に揺らいでいる。
赤い。熱い。赤い。怖い。
心が、これ以上の負荷はもう無理だって叫んでいた。
拒絶を拒絶して、言葉を解き放とうとする喉を脅すように握りしめている。
どうせなら、きれいな姿だけを見せたまま死にたいって、わがままを言って。
「……瀬奈」
このとき、清らかな声が鼓膜を打った。
私の名を呼んだ意図は分からない。ただ急かすためではないことだけは伝わった。
帆奈ちゃんがまっすぐ私を見ている……見守っているから。
背中を見せるわけでもなく、近づくわけでもない。帆奈ちゃんは同じところにいて、同じ姿勢で私を待っていた。
……そうか。
帆奈ちゃんは、恐怖に飲み込まれそうになっていた私に、あたしがいるよって伝えてくれたんだ。
そうだよ。
帆奈ちゃんは私のためにたくさんのことをしてくれた。ずっと私に寄り添っていてくれた。今この瞬間だって、無力な私を置いていかずに、その光を分け与えてくれている。
だったら、私は最後の時だけでも帆奈ちゃんにお返ししないと。
意を決して、口を開く。
――――帆奈ちゃん、私はね。
私は、人を殺したの。
「ぁ…………」
しかし、声が出ない。
声が出ない。出ない。出ない。出ない。出ないっ。
帆奈ちゃんに嫌われるのが、怖い……!
「……っ」
しっかりしろ……しっかりしろ!
言わなきゃ。
そのためだけにここに来た。さよならを告げるために。
これが、私の「ありがとう」の伝え方なんだ。
静寂を破ろう。
勇気を出して、全てを壊そう。
「あのね、帆奈ちゃん――――」
❖「……何でもない」 (→5-1へ)
❖「私、人を殺したの」