5-1 日没前
「っ…………」
あと一歩のところで、言葉が喉に引っ掛かった。
そのうち、諦めた心によって水門が閉ざされる。
私は言えない。たとえ言わないことが裏切りになるとしても、私は言えない。
帆奈ちゃんが私の前にいて、私を見つめているから。
「……何でも、ない。ごめんね、いきなり」
俯く。そうしてその巨大さゆえに吐露できない罪をぐっと飲み干した。
私の罪は、ずっと私に抱かれたまま。墓場まで、ずっとだ。
「……そ。ま、上がりなよ」
明らかに挙動不審なのに、帆奈ちゃんは軽く流してくれた。表情を変えずに体を回転させ、ためらうことなく廊下の先に向かう。
その後ろ姿は日常そのもので、まるで私がつい先ほどまで悪い夢を見ていただけみたいだった。
この部屋では全てが規則正しく動いている。こちらこそが現実なのではないかと、そう勘違いしてしまうほどに。
「……うん」
だから、私は帆奈ちゃんの言葉に従って靴を玄関に並べた。
こんなことをしている場合じゃないのに、帆奈ちゃんの家に長居してはいけないのに、私は浅い夢に縋りついてまぶたを閉じてしまった。
◇
リビングに入ると、帆奈ちゃんはキッチンの流し台で手を洗っていた。
「ご飯、もう食べた?」
「あ……まだ」
「ふーん。じゃあ作る」
蛇口のレバーを押して水を止め、冷蔵庫の方に振り向く。
「そ、そんな。悪いよ……!」
人の家に上がり込んでおいて何を言ってるんだって感じだけど、日々食費の節約に悩んでいた人間として食事のありがたさはよく理解している。
それに、あと少しで死ぬ予定の私が食事するのはもったいない。
そんな気持ちで帆奈ちゃんを見つめていると、帆奈ちゃんはしかめっ面をこっちに向けていきなり言ってきた。
「じゃあさ、瀬奈。あんたが作って」
「……え?」
「あたし、料理下手なの。で、あんたのサンドイッチ、おいしかったでしょ? だからあんたが二人分作って。調理費と材料費でおあいこ」
言い終わると、帆奈ちゃんは一度ぷいっと顔を背けてからすたすたキッチンを出ていった。
まるで、この場所を私に譲ると言っているかのように。
「帆奈ちゃん……」
また私に配慮してくれてる。なんで帆奈ちゃんはこんなに優しいんだろう。
私にちゃんとした食事をしてほしくて、こんな提案をしてくれた。
本来なら遠慮すべきだろうけど……こんな交換条件を考えてくれてまで、帆奈ちゃんは私に食べていってほしいのかも。断ったら、そんな帆奈ちゃんの気遣いを無駄にしてしまう。
それに、私のわがままもある。
いつか帆奈ちゃんにちゃんとした手料理を振る舞いたいと、そんな夢を密かに抱いていた。
人生が幕を閉じる寸前にそれが叶ってしまうのは皮肉な話だけど、せっかくこんなチャンスに巡り会えたんだ。私のわがままも、これで最後にしよう。
「……うん。頑張るね!」
既に食卓の方に座って待っている帆奈ちゃんに笑いかける。
帆奈ちゃんの家はダイニングとキッチンが一体になっていて、食卓からキッチンがはっきり見える。逆に言えば、キッチンからリビングまで見渡せることでもある。
つまり、帆奈ちゃんは食卓で私の採点をしているのだ。
そう考えると燃えてきた。この最後の晩餐ならぬ最後の午餐は負けられない戦いだ。
必ず帆奈ちゃんの記憶に強く残るような……それで私を惜しんでもらえるような、そんなご飯を作ろう。
意気込んで、冷蔵庫をばこんと開ける。
すると――――
「!?」
もやしが、大量に詰め込まれていた。
やけ食いする予定だったのかと疑ってしまうほどの量。具体的にはガラガラな冷蔵庫の中段だけ満員電車のようにパンパンになっている。
――――帆奈ちゃん、まさかのもやし愛好家さんだったんだ……!
容量が小さいとはいえ、傷みやすい野菜であるもやしで詰め尽くされた冷蔵庫は壮観だ。いくら私でもこんなに買わない。
帆奈ちゃんの隠れた趣味が分かって嬉しいけど、なかなかマニアックだな、と思った。
「……よしっ」
もやし料理なら大得意だ。
他の料理は人並みでも、もやしを活かした旬な節約料理に関しては誰にも引けを取らないと自負している。
ただ、これほどもやしを買い込んでいるということは、帆奈ちゃんだってもやしの舌が肥えているはずだ。並のもやし料理では帆奈ちゃんの胃袋が掴めない。
このスカスカな冷蔵庫の中にある数少ない材料や調味料を駆使して、帆奈ちゃんがずっと忘れられないような味に昇華させないと。
確認したところ、お肉がない代わりに野菜類と卵は入っている。そうするとレシピが自ずと限られてくる。
さて、どんな料理でこの最後の午餐を飾ろう?
❖もやしと卵の炒めもの (→5-1-1へ)
❖もやしとニンジンの和え物 (→5-1-2へ)