もやしとニンジンの和え物にしよう。
これだけだと寂しいから、あとでもやしと卵の炒めものも合わせよう。きっとおいしく食べてもらえるはず。
さっそくまな板と包丁を用意して、ニンジンのへたを取って3つに切る。それから回しながら皮を剥き、タンタンタンと千切りにする。
ガスコンロの火をつけてお湯を沸かすと、もやしとニンジンを一緒に入れてさっとゆでた。
あとは水気を切って、食器棚から持ってきたボウルでごま油、醤油と砂糖と混ぜるだけだ。
ここまでは体に染みついた動きでスラスラできていたけど、味見してみないと出来栄えが分からない。
なにせ、馴染みのない調味料だ。
そもそももやし節約料理の真髄は味つけにある。
節約レシピはどうしても簡単なものにならざるを得ないから、いかに舌をごまかすかが勝負どころだ。
一回食べてみよう。
ボウルの中の和え物を少しだけお箸でつまんで、口の中に入れてみる。
すると。
「――――」
……味がしない。
驚くほどに味がしない。水を食べているみたい。いくらもやしが水分を多分に含んでいるとはいえ、しょっぱさも旨味もないのはおかしい。
「帆奈ちゃん家の醤油、味薄いのかな……」
もうちょっと醤油を加えたらよくなるのかな。
幸い、味が濃すぎると材料の量を増やさないといけないのと違って、味が薄い場合は後から調味料を加えればいいだけだ。
とにかく、ここはおいしくなるまで調味料を入れてみよう。
◇
ようやく納得する味になった和え物を持って、ご飯や卵炒めと一緒に帆奈ちゃんの前に置いた。
なんか醤油でビショビショになっちゃったけど、味見してみたら案外おいしかったから、喜んでもらえると思う。
「帆奈ちゃん、食べてみて……!」
「うん。いただきます」
妙な見た目の料理を前にしても、帆奈ちゃんは迷わず食卓に並べたお箸を手に取り、和え物をつまみ上げた。
ドキドキしながら帆奈ちゃんを観察する。
ゆっくりと口に入れる帆奈ちゃん。それをもぐもぐして飲み込むと、
「…………」
帆奈ちゃんは何かが引っかかるように、私の方に振り向いた。
それはどちらかというと驚きに分類されるような表情だった。しかし、同じ驚きでも、サンドイッチを食べてくれたときとは全く別物だ。
帆奈ちゃんの瞳から感じ取るのは――――心配だった。
「……おいしく、なかった?」
分かりやすかった。帆奈ちゃんは、どこかおかしいと思って私を注視している。
失敗を告げるその顔を見ていられなくて、視線を床に落とした。
絶対に成功させようと思ったのに。
もうこれが最後なのに。
どうして神様は有終の美を飾らせてくれないんだろう。
……そんなときだった。
落ち込む私に対して、さっぱりとした声が上から響く。
「――――いや、おいしくてビックリしてた」
「え……」
再び帆奈ちゃんと目を合わせると、帆奈ちゃんは口元を緩めて私に頷いたあと、カチャカチャと箸を動かしてビショビショの料理を食べ出した。
帆奈ちゃんはおいしそうに食べている。もやしとニンジンの和え物も、もやしと卵の炒めものも、本当においしそうに。
嘘が下手な帆奈ちゃんなのに、まるで本当のことのように食べていた。
「瀬奈、やっぱり料理上手だね」
「…………」
「うん、おいしい」
不思議だった。
さっきの戸惑いようで分かる。帆奈ちゃんは絶対に料理の味をおいしいと思っていない。
そのことには納得している……どう
でも、帆奈ちゃんは心からおいしそうにそんなものを食べていた。絶え間なく料理を口に運んでいるし、穏やかな表情を浮かべながらそれを味わっている。
そんな矛盾した帆奈ちゃんの振る舞いが、すごく不思議だった。
帆奈ちゃん、まずい料理を食べるのが好きなのかな。もやし以上にマニアックな趣味だ。
「……私も食べるね」
でも、帆奈ちゃんがこんなふうに料理を受け入れてくれたとしても、こんなものを全て帆奈ちゃんに食べさせるわけにはいかない。
キッチンに戻り、自分の分も器に盛った。
食卓にそれを置いて帆奈ちゃんのとなりに腰掛ける。
「いただきます」
お箸を取って、和え物にそれを近づける。
一体どこを間違えたのか食べて確認しないと。
そうして腕を前に伸ばすと――――
世界が反転した。
「――――ッ」
逆さまの世界は暗闇に閉ざされる。
真っ黒な中、鈍痛が胸に走る。
からりと、
箸が落ちた音。
冷たい地面の感触。
自分が床に倒れたことは分かる。
でも、盛大に倒れたことによる痛みはなぜかない。
ここにある痛みは内臓を握り潰すように圧迫された感覚だけ。
ああ、痛い。
痛い……!
「…せ…なっ……っ……な、――――瀬奈!」
声にはっとして、目を開けた。
真上で帆奈ちゃんが一生懸命私を呼んでいる。
間近なのに、ラジオを聞いているみたいで寂しい。
水で視界がぼやける。
何も悲しくないのに、涙が出ているんだ。
涙でせっかく見えた世界が歪められていく。
「はっ……ぁ、はぁ……ッ」
息を吸う。体の支配権を渡しちゃダメだ。
何者かが私を塗り替えようとしている。私の機能を停止させて、私の魂を入れ替えようと。
「ぁぐ……ッ、はっ……!」
必死に酸素を取り込む。
すると、肺が本心に返って、影の束縛から解かれた。
こうして世界がようやく正常さを取り戻し始めた。
回る景色の中、帆奈ちゃんがずっと私を呼んでくれている。
音が、光が、どんどん近づいてきた。
「――――瀬奈ッ! 瀬奈、聞こえる!?」
「ぁ、帆奈、ちゃん……」
帆奈ちゃんは泣きそうな顔をしていた。こんなに焦っている帆奈ちゃん、初めて見た。
「ごめん、ね。もう、平気だか、ら」
途切れ途切れの言葉を吐く。
きちんと意識の手綱を握っていれば
これじゃ、立てそうにない。
「しばらく、この、まま……。わたし、うごけ、なくて……」
「……分かった」
帆奈ちゃんは私のそばで正座した。
力なく床に倒れている私をじっと見つめながら、静かに待ってくれている。
時計の音がする。
チクタク、チクタク、と。私に動けって命じている。
その催促から私を守るように、帆奈ちゃんは何も言わずに寄り添ってくれた。
そのうち、筋肉に再び最低限の力が注ぎ入れられた。代わりに闇に沈むような眠気が襲ってくるけど……。
「帆奈ちゃん、もう大丈夫。ごめんね、迷惑掛けて……」
立ち上がろうと腰をひねり、床に手をついた。
すると――――
ひょいっ。
目線の高さが一段と上がった。
仰向けの体が、なぜか食卓より上の位置にある。まだ洗っていないボウルが置いてあるキッチンの流し台だって
柔らかくて温かいものが肩に当たり、背中に何かを回されてガッチリ固定されている。
全身が密着して、安心感があって。
帆奈ちゃんの落ち着く香りがして。
……あれ。
これって。
「は、帆奈ちゃん……!?」
答えを意識した瞬間、顔がぼっと熱くなった。
帆奈ちゃんにお姫様抱っこされてる。
私より背が低い帆奈ちゃんだけど、しれっとした顔で軽々と私を抱き上げた。
ちなみに、しれっとした顔、というのは下から見た感想だ。
至近距離かつこの角度で見る帆奈ちゃんはすごく新鮮で、かわいいのと優しいのと頼もしいのとが次々と心の中に投げ入れられてもうパンクしそうになっている。
そんなしれっとした帆奈ちゃんだけど、
「……ま、また倒れられたら困るでしょっ。いいからベッド行くよ」
声まではしれっとできていなかった。
それでも何事もなさそうな態度を貫く。こんなバレバレなのにうまく隠せてると思っているのも、すっごくかわいい。
帆奈ちゃんも緊張しているのが伝わると、なんだか不安に苛まれていた気分が和らいだ。
「ふふっ。お願いします」
「……っ」
笑いかけると、慌てて目をそらされた。
帆奈ちゃんは人と接するのに慣れていないところがあって、恥ずかしがり屋だ。
そんな帆奈ちゃんなのに、いつもこうして頑張ってくれている。
今だけちょっぴりその優しさに身を委ねる。
甘えるように、私はその胸に顔を擦り寄せて、静かに目を閉じた。