魔力を自分にぶつけよう!
豪華絢爛に身も魂も散らして、生誕を祝うに足る緋色の供物となろう。
だって、そう、これは儀式だ。
こんな血生臭い儀式に応じてくれる偉大なる神様は悪魔に違いない。
こちとら既に一度
そうと決まればナイトメア・キャッチャーだ!
変身して、マンキャッチャーを虚空に掲げる。
やろうとしているのは、武器を複数生成できることの応用編。魔力を一箇所に集中させ、体内でデッッカいマンキャッチャーを生成してソウルジェムごと串刺しになるのだ。
「あっは……ははっあっは……!」
来る。来る来る来るクルクル!
ようやくたどり着ける……!
あたしがあっちに行って、あんたがこっちに来るその刹那。
あたしたちは
ああ、そうだ、最後に始まりのメッセージも添えよう。
命には祝福が必要だ。
頭の中で思い浮かべれば、自ずと胎に伝わるのだろうか?
グダグダ言っててもつまらないだろうし、手短で行こう。
あのね瀬奈、あの日から世界はモノクロに戻ったんだ。
それが色を取り戻すにはあんたが必要だ。
たとえあたしがその美しい世界を見ることが二度と叶わないのだとしても、あんたには見ていてほしい。
それじゃ、一足先に――――ハッピーバースデー!
そして、さようなら。
…………。
…………。
「……あれ」
高く掲げていた武器を下ろし、自分の身体を見下ろした。
手応えはあった。全力を胸の奥にぶつけたつもりだ。
なのに、
「ちょっと……生きてんだけど」
無傷だった。
何? 心優しき神様が死に急ぐなって今更あたしに奇跡を起こしてくださったってこと? それとも死ぬ前に大学ノートを誰かに渡して善行を積んどくべきだった?
……うわあ。
せっかく最高の気分で散ろうとしたのに、冷や水を浴びせられて一気に興醒めだ。
余計なお世話。無用の親切。ありがた迷惑!
あーもうっ、これじゃ渾身のバースデー・メッセージがただのぼっちの独り言じゃんか!
まだなんとか見れたこの
神様に不満を見せつけるように頬を膨らませ、屋上を去ろうと振り返る。怒りをタンッとコンクリートにぶつけて踏み出した。
その瞬間。
――――強い風が吹いた。
夜闇の中、ごう、と轟く。
反射的に目をつぶり、わななく体を抱きしめた。冷風は罪人を責めるように脆弱な皮膚を切りつけ、制服一枚のあたしを巻き込もうとぐるぐるぐるぐる渦巻く。
深海に吸い込まれるように、大気でできた鳴門の真ん中で立ち尽くしていた。
少しだけ目を開けると、屋上の景色がミキサーに掛けられたみたいに強風によってかき混ぜられて、どんどん濁った色に変わっていった。
どうせ光が途絶えてしまうなら、しばらく目を閉じたままでいよう。
1、2、3、4…………。
真っ暗な中、悪寒に耐えながら時間を数える。
……348、349、350。
数字は止まり、すっと、周囲の空気が静まった。
「はっ……ぁっ……」
金縛りにあった身体が硬い。
5分もあたしはこの異変に見舞われていたのか?
いや、違う。
覚めた脳は言う――――何事もなかった。お前の
あたしはまさに、時の概念が通用しない世界に投げ入れられていた。
「……?」
一瞬でも統合失調症になって幻覚を見ていたような不思議な感覚に戸惑いつつ、目を開ける。
何だったんだろう?
さっきまで無風だったのに、突然あんな暴風が吹くことなんて……。
そんな疑問は、
「――――――」
飛んだ。
月光が蒼い。空は紺に満ちて、妖しく揺蕩する夜気の終点にその小さな人影を映し出した。
かつてのそれより幾分感情の抜け落ちた表情が、夜に生み落とされた少女の本質を物語っていた。
そこには、幽霊がいた。
…………。
言葉が、出ない。
悲願が叶った瞬間、世界はひっくり返ったように有意義かつ無意味になる。
満たされた。完成された。あるがままに存在した。世界はようやく欠けたピースで埋まった。この世全ての概念が価値を持って全ての概念が理由づけをなくした。
ああ、神なんていない。要らなかった。
世界に二つ目の絶対があってはならないんだ。
天に
もし全ての希望と絶望に光と影を与える存在が神であると定義したならば、あたしはとっくの昔から殉教している。
この瞬間、あたしの全ては報われた。
「瀬奈……」
ようやく口が動く。
語り切れない妄念がその名に集約した。
なにせ時間が経っていた。あまりにも長い時間が、この短い間経っていたのだ。
ただもう一度声が届く歓喜に震えていた。
言葉はこうして価値を取り戻した。
この世界が色を取り戻したように。
「帆奈、ちゃん」
「――――っ」
透明な声音が、きらきらと鼓膜を打つ。
あたしは腹を抱えた。しかし笑えない。これ以上面白くはなれない。目頭が熱くなった。しかし泣けない。完成された世界では涙が出る必要すらなくなった。
代わりに――――代わりに駆け出した。
炎に飛び込む羽虫は突き進んだ。
その熱に燃やされたかった。
それで死ねたら本望だ。
ああ……焦がれていた姿が、蜃気楼が、どんどん大きく細かく視覚を埋めていく。
目が価値を取り戻した。あたしの生命は満ちた。これが希望の味だった……!
空を飛ぶように走る。
その声以外の音も色も今は遮断されている。
3メートル、2メートル、1メートル。
今、瀬奈はあたしの目の前だ――――
ズドンッ!
と、思ったら、瀬奈はあたしの背後に置いていかれてしまった。
「いっててて……」
頭にたんこぶができる勢いでこけた。
……なぜ?
擦り傷でじんじん火照る額に手を当てながら、もう片方の手を支柱にして上半身を起こす。
とことこ、と心配そうな顔をしながら瀬奈があたしの方に駆け寄ってきた。
「帆奈ちゃん、大丈夫!?」
「あっれれぇ~……抱きついたはずなんだけど……」
「それはたぶん、その……説明すると長くなるんだけど」
耳が垂れたイヌのようにしゅんとする瀬奈。
一つ一つの仕草があまりにも記憶の中の瀬奈と一致しているから、自分が瀬奈と会話できている奇跡が日常的なものに感じられる。
今までがおかしいのであって、この世界こそが本来あるべき姿なのだと。
「いいよー、話して! あたし暇だし……あっは!」
身体をよじって立ち上がり、今度はゆっくりと瀬奈に歩み寄る。
月明かりの下に佇む少女の姿は、まぶたに焼きついた瀬奈みことそのものだ。
ただ星のない夜空を背景にしているからか、無邪気な印象と同時に無機質な冷たさをも感じさせる。もしこれこそが自然体の瀬奈だとすれば、今の瀬奈はかつてより余裕があるといえるだろう。
瀬奈の真正面に立ち、向き合った。
あたしに応えるように、瀬奈も目を逸らさずにあたしを見つめている。
…………本当に、瀬奈だ。
ずっと追いかけていた幻がようやく手に入って、心がどんなふうに感動を反映させるべきか悩んでいる。もしかして、それすらも放棄しているのかもしれない。
今は喜びも悲しみも忘れて、ただただ溺れるように瀬奈の存在を享受していたかった。
目の前にいる瀬奈がどういう心境なのかは分からない。同じように振る舞っているから、同じような気持ちなのかも。
10秒くらい黙ったままお互いを見つめ合っていると、そのうち、瀬奈は口を開く。
「……私、あのとき魔女になったでしょ?」
「うん」
「実はその直前に、帆奈ちゃんに魔法を使ったの。
私の固有魔法、本当は移植の魔法だったみたいで……それで人格を帆奈ちゃんに全部移植したの」
「へ~、そっかぁ。どーりで瀬奈の存在を感じてた!」
「…………」
「あれからずっと瀬奈がどこかにいるような感じがしてたの! ずっとずっと! ずーっと瀬奈のこと探してたんだよ!」
事実を伝えると、瀬奈は困ったように眉をひそめて、小さくつぶやいた。
「すんなり受け入れてくれるんだね。私がここにいることを……」
「は? どこかにいる気がしてたって言ったでしょ?」
だから思いついたことは全てやった。
つまらないのも苦しいのも痛いのも、瀬奈の生誕のためだと思えば喜んで成し遂げられた。
粉骨砕身の気持ちで頑張ったのは本当だけど……その内容は聞いてて気持ちのいいものじゃないし、瀬奈には黙っておこう。
「……ありがとう。それで、次は私の状態のことなんだけど」
「うん」
「――――私は魔女なの。
帆奈ちゃんの中に逃げたことでどうにか影響を免れているけど、このこと自体は事実で……。
例えるなら、私は魔女というコンピュータの中に潜むウイルス。ある程度独立して機能を果たせるけど、同じハードウェアを使っている以上、私は少なからず影響を受けてしまうの」
「……そのコンピュータが壊れてしまうと?」
「そしたら、私も消えると思う」
つまり瀬奈は本体の魔女と運命を共にしていると。
本体の魔女が誰かに退治されてしまうと、瀬奈も一緒に消えてしまう。
そうだとすれば、瀬奈を保つためには本体の魔女――――鏡の魔女を守らなければならない。
あたしが保護しているのもあってだいぶ大きく育ってくれているが、あっちの瀬奈はあまり好戦的な子ではないから、今の話は聞いていて一抹の不安を覚える。
密かに心配するあたしに、瀬奈は続ける。
「最後の話。私は今帆奈ちゃんにしか見えない虚像……イメージにすぎないから、触れるのはもうできないと思う」
「イメージ……」
「うん。帆奈ちゃんだけに見える意識体、って言えばいいかな?
帆奈ちゃんからは外に立っているように見えるけど、気温は分からないし、帆奈ちゃんの声だって頭の中で聞いている。一方で、帆奈ちゃんはたぶん目と耳でしか私を感じられないと思う」
「……なーるほど。だからさっきもすり抜けたのか」
腕を伸ばしてみる。瀬奈の折れそうな白い手に触れたと思いきや、指がするりと虚空を抜けていった。
そうか。瀬奈はあたし以外の誰にも察知されない。
つまり――――
「瀬奈、本当の幽霊になれたんだね~!」
「……?」
「こんなところから姿を消して自由に生きられるの、すーっごくいいね!」
本心から羨ましがって言う。
すると、瀬奈はおかしそうにくすりと笑った。
「ふふ……そうだね」
「――――――」
その笑顔を見た瞬間、懐かしい仕方で胸が疼いた。
いや……昔と比べて、優しく、控えめに。
本当に長い時が経った。だから、心臓が跳ね方に戸惑っている。
瀬奈のこの仕草を見ることは二度とないと思っていた。目を細めて、口に手を当てるの。
あたしは幸せ者だ。ただでさえ悪行を働いてばかりなのに、ここで残り僅かな徳をも使い果たしてしまったら、地獄の更なる下まで落とされるかもしれない。
ぼうと見惚れていると、瀬奈はふと思い出したように色を正して背筋を伸ばした。
「……実はね、帆奈ちゃん。見つけてもらったら必ずお願いするって決めてたことがあるの」
握り拳を作ってまっすぐ下ろし、真剣な面持ちであたしに告げる瀬奈。
ちょうどあたしも、瀬奈が誕生したらプレゼントしてやろうと密かに進めていた計画があった。命を捧げると決めた時点では諦めていたけど、今ならできる。
やりたいことがあるのはお互い様だったようだ。
「そうなの? なになに?」
「私ね、帆奈ちゃんと一緒にいるとき、すごくきらきらして楽しかったの」
「うん」
「ずっと、本当のことにしたかったの」
「……うん」
遮らずに、短く答える。
「だから帆奈ちゃん、お願い――――」
「ずっと帆奈ちゃんと一緒の生活を送らせてほしい」
言い終わると、瀬奈は力んで上がっていた肩を戻し、拳を緩めた。
そよ風が夜空に吹く。この屋上に咲いた花に滋養をつけさせるために、優しく、撫ぜるように。
……意外だった。瀬奈が憎しみではなく、希望を口にしたことは。
ボタンの掛け違いで、あたしは取り返しのつかないところまで来てしまった。長い時はあたしを暗闇の最奥にまで運んだ。
この城の上から眺める城下町の灯が、あたしを断罪する人々の持つ
あたしが終わるべき者であることを、瀬奈は知らない。
――――だが、それでも。
「いいよ!」
あたしは頷いた。
簡単に頷いてはいけない懇請に二つ返事で頷いた。
だって、頷くしかないんだ。
瀬奈が再びあたしの前に現れて、真っ先に口にしたお願いなんだもん。
今のあたしたちが何者であろうと、その願いは叶えてやりたい。
……それが、
「ほら、約束!」
瀬奈の前に小指を差し出す。
キョトンとして、目をぱちぱちさせる瀬奈。
昔のあたしがこうして積極的に瀬奈に応じることはなかったから、ビックリしているのかもしれない。
そのまましばらくすると、瀬奈は笑った。
涙を湛えたような眩しい笑顔を咲かせ、小指をあたしの手の前に出した。
「うん、約束!」
スッと。
絡みようのない小指と小指を揺らして、あたしたちは誓いを立てた。
奇跡が起きない限り、裏切りの終焉にしかたどり着かない誓いを。
ずっと一緒にいよう。
たとえずっと一緒にいられないとしても、ずっと一緒にいよう。
奇跡を信じよう。
もしくは、運命を覆そう。
……あたしには希望がある。
絶望に染まり切ったあたしでも、ただ一つ、希望がある。
それは絶対に叶う。
今この瞬間だって叶っている。
人間は負けるためにつくられていないから、抗い続ける限り、あたしはそれを叶えられるんだ。
こうして、あたしと瀬奈の共同生活は幕を開けた。