「…………」
まだ鳴っていない目覚まし時計をオフにして、虚空を見つめた。
原点回帰のような夢を見たためか、朝っぱらからかったるい。
どうして今さら過去のことを思い出すのだろう。
「たぶん、それは……」
人と関わろうとしているからだ。
あたしの防衛機制が、お前はそっちに行くなと叫んでいる。
目的が何であれ、人とは関わるな。関わるとまた痛い目に遭うぞ、って。
「……はぁ」
ベッドから身を起こして、横の本棚からあのノートを取り出す。
いじめられていた1ヶ月前まで、あたしは毎日このノートに考えつく限りの汚い悪口や仕返しの案とかを書いていた。
しかし、黒のインクで紙を染めたからといって、代わりに心の澱は洗い流されやしない。
むしろどんどん深みにはまっていくような感覚だった。
それでもあたしにはぶつける先が……寄り添ってくれる存在が必要だったから、手を使ってたくさん叫んだ。
何にもならないと分かっているのにペンを動かさずにはいられなかったのは、誰かに縋らなければ心が壊れてしまうと無意識に分かっていたからだろう。
たとえその誰かになれるのは、自分しかいないとしても。
ページをめくる。
「あっは……」
並べ立てられた無力な怨嗟を見ていると、おかしくて、いっそ清々しい気持ちになってくる。
そう、分かり切っていたことだ。心配はいらない。
あんなに距離を詰めようとしてきたあの瀬奈みことだって、このノートを見たらすぐにあたしを軽蔑して、遠ざけるようになるだろう。
人間なんて所詮そんなものにすぎない。
このクソッタレな仕組みの中で必死にそれっぽいごっこ遊びをしているだけ。
本音で向き合うそれだけで、全てがあっけなく壊れてしまう。
「だから、瀬奈――――」
あんたは利用させてもらうよ。
あんただってそうでしょ?
戦力にしろつるむ仲間にしろ、そういうものが欲しくて、まるで興味のないあたしをなんとなく選んだだけ。
あたしたちの間に、それ以上の何かは生まれない。
そう自分に言い聞かせて、ノートを閉じた。
◇ ◆ ◇
放課後はさっそく中央区に向かった。
一度途中まで歩いたことがあるため、今日は地図を見なくてもすぐに目的地にたどり着くことができた。
神浜市駅から徒歩10分ほどの場所にある大型ショッピングモール。都会にそびえ立つ前衛的な建築物の前を、スーツを着たビジネスマンやマダムたちが先を急ぐように通り過ぎていく。
そんな人の出入りが激しい正門の前、凛と佇む少女の姿が目に入った。
――――泥中の蓮。
小ぎれいな身なりの人群れの中でも、素朴な制服を身に纏った瀬奈はひときわ目立っていた。
人が何倍増えようと、一瞬で見つけられると思ってしまうほどに。
「……昨日から何考えてんだ」
ぶんぶん首を横に振る。
それだけ目立つ容姿をしていると、変な感想の一つや二つは出てきても仕方がない。
気を取り直して、瀬奈のそばに寄る。
「あ、帆奈ちゃん!」
「ゴメン、待たせ……」
「ううん待ってないよ全然! ほら行こうっ!」
弾んだ声であたしの言葉を遮って、瀬奈は右手を強く握ってきた。
そのままぐいぐいショッピングモールの中に引っ張られていく。先ほどの気品はどこに行った、といった具合に。
……この人、黙っていれば美人とよく言われるだろうな。
「そんなに引っ張らなくても……つか、何買うか分からないでしょ」
ペースに乗せられるまいと、掴まれた手を引っ込める。
「あ、うん……で、でも! 私たまに来るから、お店とか案内できると思う!」
「……服とか買いに?」
「あ、いや……ウィンドウショッピング。ここはほら、大人向けだから」
「ふーん」
広々とした空間を見回す。
白い照明の下、確かにマネキンに着せられている服はどれも上品な雰囲気があり、学生向けとは思えない。
でも……。
「あんたなら似合うんじゃない?」
「えっ」
「あれとか」
適当なワンピースを指差す。
白いミドル丈で清楚な感じとか、結構それっぽい。もちろん容姿の話だけど。
「え……ほ、本当? 帆奈ちゃんそういうのが好きなの?」
「……いや、あたしの好みとかじゃなくて」
「へへ……! 嬉しいなぁ」
褒め言葉と捉えたのか、瀬奈はぱっと無邪気な笑顔を輝かせた。
(……!)
不意打ちを食らって、ドクンと心臓が跳ねる。
……うん、美人が笑うと破壊力が高いな。客観的に。あたしじゃなかったらホイホイ釣られてた。
「あーっと……それより買い物しないと」
慌てて瀬奈から目を逸らして、スマホのリストを表示する。
「あ、うん、そうだね! 何買うの?」
「お菓子とか、リボンとか、服の生地とか……」
「あ――――学園祭の買い出し?」
瀬奈の学校――制服から察するに大東学院――もこの時期なのか、瀬奈は一発で正解を当ててきた。
「いいよね、学園祭! 水名は毎年食べ物すごいんでしょ! 帆奈ちゃんのクラスは何やるの?」
「縁日だけど……」
「縁日! 楽しそう~! 行ってもいい?」
ずい、と顔をすぐ目の前に近づけられて、またもや心臓が勝手に焦り出す。
ふさふさなまつげに、ふにふにそうな頬。
い、いや、これはあっちが悪い。知り合って2日目でこの距離感はどう考えてもおかしいでしょ……!
「よ、よくある出し物だよ。わざわざ見に来られても……」
「でも帆奈ちゃんがいるんでしょ? 一緒に回りたいな!」
瀬奈は目を輝かせながら、応えられない要望を口にした。
「…………」
静かに、波打っていた気持ちが治まる。
返答に困り、黙り込んだ。
正直、学校での自分を他人に見られたくはない。
周りに見下されていることを知られたくないし、嫌なことを嫌だと言えない自分の弱さを暴かれたくない。
かといって、しばらく付き合うことになる瀬奈に「迷惑だから押しかけてこないで」なんて言えるわけがない。
……ここは一旦保留にして、いい感じの言い訳をでっち上げた方がよいだろう。
「帆奈ちゃん?」
「……とにかく、お店に入ろう」
幸い、ダラダラと喋っていたら目的地に着いた。
お茶を濁して、あたしは瀬奈と一緒に店内でお目当ての商品を探した。