「ん……おはよ、瀬奈……」
寝ぼけ眼で毛布の中から起き上がり、となりの瀬奈に挨拶する。
と、となりには瀬奈がいないことに気づいた。
朝の光に満ちた部屋の中、あたしがぽつんと一人ベッドの上に座っている。
ズンと頭上から、大気が極端に重くなったような激しい倦怠感がのしかかる。
肩、肘、膝。全ての関節が凍ったように強張って、動かすだけで一苦労だ。
さながら貧血状態。
そうだ……魔法少女にとっての血液が足りていない。
「あちゃ……魔力……」
ソウルジェムを呼び出すと、それは案の定、昨夜の幸せに反してひどく濁っていた。
理由は考えるまでもなく――――瀬奈だ。
あたしが自死で瀬奈をこの世に生み落とそうとしたとき、確かに手応えはあった。なのに、自分自身にダメージは与えられていなかった。
つまり、あのとき自分にぶつけた魔力は瀬奈の顕現のためにごっそり持っていかれたのだろう。
今瀬奈が消えているのも、単なる魔力切れだと思われる。
魔力を与えないと消えてしまうのは昨夜の実験で分かっていたことだから、そこは心配しなくていいとして。
「……けっこー消耗するんだよなぁ、これが」
魔力の減り方が凄まじい。
あんなに澄み切っていたソウルジェムが、今やドロドロな赤土色になっている。あと1日したら魔女になるくらいだ。
とりあえずベッドを下りて、玄関に向かう。
玄関に置いたリュックサックの中には予備のグリーフシードがあった。魔法少女の結末を知っている以上、グリーフシードは常に持ち歩くようにしている。
フロントポケットから黒い玉を取り出して宝石に当て、穢れを吸い取ったそれを再利用するために再び中に入れた。
「瀬奈に言うのは…………ないなぁ」
わざわざ一緒の生活を送らせてほしいとお願いをしてきた瀬奈に、魔力の消費量を打ち明けるのは残酷すぎる。
それに、真実を知ったら、瀬奈はきっともう自分に魔力を分けるなって言うに決まっている……ふたりで交わした約束を諦めて。
誰がそんなことするもんか。
「……大丈夫、まだ手はある」
魔力をガソリンと見立てると、瀬奈はそれを消費するエンジンのようなものだ。
今はまだ規格の異なるエネルギーに困惑しているけど、今後上手い使い方を覚えていってもらえれば、それに適合して駆動してくれるはず。
そうだ、共同生活に浮かれている場合ではない。より一層魔女退治に励まないと。
「あっは……!」
ここまで考えて、思わず笑ってしまった。
結局あたしも希望に縋る非力な人間で、なんだかんだキュゥべえの思う壺にはまっているのか。
ま、具体的な方針はおいおい考えることにしよう。瀬奈の意見も尊重しないといけないし。
朝の支度を終えたら、瀬奈のことを呼び出そう。
宿を出て、真っ先にセロハンテープをドアと上の壁の間に貼った。
誰かに嗅ぎ回られていないかを確認するためだ。空き家だから、剥がれていたとしても管理会社の人が見に来ただけかもしれないけど、用心に越したことはない。
左見右見して不審な動きを勘づかれていないことを確認したあと、あたしは早足でマンションの階段を下りていった。
◇
敷地の外に出てから、思い切り頭の中に魔力を込めて瀬奈を呼び出した。
頭の中というのはイメージで、実際はソウルジェムこそが瀬奈の居場所に近いと思う。
瀬奈は本体の魔女をコンピュータ、意識体をその中のウイルスと例えていたが、本当は意識体ではなく魔女の方こそが増殖したウイルスだ。それに侵食された本来の瀬奈は、あたしの魂の一部をセキュリティソフトにして命脈を保っているのだろう。
この推論が正しければ色々と手を打てるような気もするが……瀬奈が出てきたから考えるのは後だ。
朝日がきらきらと少女の姿に変わっていく。
「あ、帆奈ちゃん」
「おはよう。瀬奈はよく眠れた?」
意識体である瀬奈に聞くのも変だが、普通の生活のように口にしてみる。
ちなみに、あたしは約1年ぶりにぐっすり眠れた。
「ん……よく分からないけど、
「前回、かぁ」
「うん。今回は帆奈ちゃんがおはようって言ってるから、昨日のことだった?」
「そうだよ~」
どうやらあたしが寝ている間、瀬奈には時間の感覚がないようだ。
もしかしたら、前回と今回の間が1分でも10年でも瀬奈は同じように感じるのかもしれない。
「それで、今日は何をするの? 中央区に行くって言ってたよね?」
「そ! でもその前に一回挨拶しに行こーぜ!」
「挨拶?」
「ウイルスさんに」
瀬奈はハテナを浮かべて首を傾げる。
本当に自分の方こそウイルスだと思っているみたいだ。
そう思わせている仕組みに腹が立つ。希望を抱いている方が端に寄せられて、自分自身を異端扱いしてしまうのだから。
数秒くらいの思索を経て、瀬奈はようやく「あっ」と思い当たったように顔を上げた。
「私の魔女のこと?」
「そだよー。水名で育ててるから、一回見に行こっか」
「育ててるって言われるの、不思議だなぁ」
「じゃあ、仲よくしてる、って言った方がいい?」
それを聞くと、瀬奈はちょっと複雑そうにムッと口を尖らせた。
「……だったら、『育てる』の方がいい」
「……うーん?」
あっちの自分とは仲よくされたくないようだ。何か確執でもあるのだろうか?
「会いたくなかったりするの? これからは毎日様子を見に行くけど、嫌なら魔力を切っとくよ」
「ううん。会うのは別にいいけど……帆奈ちゃん、毎日見に行くの?」
「だって本体が倒れたら、幽霊の瀬奈も消えてしまうんでしょ? だったら守らないと」
「守るんだ……」
また拗ねるように顔をしかめた。
一体どこで引っ掛かってるんだろう……?
瀬奈の真意は分からないけど、一応了承を得たことだし、あたしたちは水名の街を歩いて神社の近くに着いた。
あまりいい思い出のある地域ではないから、嫌な気分にさせてしまわないかヒヤヒヤしていたが……幸い、瀬奈の様子は至って正常だった。
◇
廃業したホテルの跡地に入り、前に見たときより力を増した結界の前に立つ。
最初は路地裏での下積みから始まった鏡の魔女は、今や広大な屋敷に鎮座する強力な存在となっている。
もちろん他の魔法少女が見逃すわけもなく次々と挑戦者が現れているが、この魔女のとある性質が幸いして倒す優先度が低くなっているため、今のところ無事に大きく育ってくれている。
「んじゃ、入ろっか」
渦巻く入口をくぐると、中は色とりどりの鏡が置かれたキュビズミックな空間だった。
さっそくハウスキーパーの子がベルを鳴らしながら飛び出してくる。
「わっ、相変わらず人懐っこいなぁ~」
抱きついてくるそいつを受け止めてよしよしと撫でていると、
「ふーん……。帆奈ちゃん、もう行くよっ」
瀬奈は明らかに不機嫌な顔をしてずかずかと奥に向かっていった。
どうやら使い魔と仲よくするのも気分を害してしまうらしい。やっぱり自分を乗っ取ったウイルスとは相性が悪いのかな?
変質したといっても瀬奈の魂であることに変わりはないから、あたしにとって魔女も特別な存在ではあるけど……。
仕方がないので、瀬奈の要望通り使い魔には構ってあげないことにする。
手下たちが一生懸命もてなそうとしてくるのに無視を決め込むのは、尻尾をぶんぶん振っているイヌを甘やかさないくらい良心の呵責に苛まれるが、ここはご主人様の意向を優先しなければ。
いくつもの鏡層を通り抜け、一番奥の部屋にたどり着いた。
鏡の魔女はそこでひっそりと成長し続けている。
ただ全てから身を隠そうとしているこの魔女は、他の魔女のように殺人といった極端な手段で魂を満たそうとしない。
だから成長のスピードは遅い方だけど、色々なギミックで来訪者を中に誘い入れて魔力をおすそ分けしてもらう性質があり、着実に力をつけていっている。
「こっちの瀬奈ー、来たよ~! 元気ー?」
「……おじゃましまーす」
あたしのノリに合わせてか、幽霊の瀬奈まで魔女に挨拶した。
見上げる。
鏡の魔女は芸術的な黒い影だった。シンメトリーな姿をしていて、黒山羊の角を丸めたような螺旋状のモチーフが散りばめられている。
元の魔法少女を想起させる、しなやかで可憐な魔女だ。
「瀬奈、どう? 何か感じる?」
「物理的に近づいて何か変わる感じではないみたい。帆奈ちゃんが私をあそこに戻したら完全になる、っていうのは分かるけど」
「そうなんだ。魔女の主導権を握るのは?」
「それは、私が魔女に戻らない限り無理だと思う……。
膨大な魔力量が備われば、戻ったタイミングでそれを利用して、意思を持って魔女を操ることもできなくはないかもしれないけど……それが叶うのは、私の意思まで絶望に染まって魔女と適合したときだと思うから」
「そっかぁ」
希望に向けた思考回路で絶望に染まった魂を操るのは基本的に不可能だということなんだろう。
「ま、それが分かっただけでも大きな進展だね。じゃあまた明日見に来よっか」
「うん」
「バイバイ瀬奈~」
魔女に手を振りながら
振り向けば、瀬奈は口を結んで真剣な面持ちで巨大な魔女を見上げていた。
しばらくそのまま対峙していたが、
「追いつかれた先が地獄でも……」
そうつぶやくと、瀬奈は決別するようにその長いポニーテールを凛と舞わせ、立ち去った。