結界が解けて、あたしと瀬奈は仄暗い路地裏に送還された。
未だ淡いオレンジ色に染まっている空は、あたしたちが魔女退治にそう時間を取られていなかったことを意味している。
グリーフシードをソウルジェムに当て、くすんだピンクのそれを元の色彩に戻す。
魔力の消費量が激しいことは隠していたいから、あまり瀬奈の前でソウルジェムを出したくはないけど、ここで浄化しないとかえって怪しまれるだろう。
「次はどこに行くの? そろそろお風呂にする?」
「今日はこれくらいにしよ。瀬奈が帰ってきてくれたおかげでよく眠れるようになったし、生活リズムを戻したいの」
「……帆奈ちゃん、眠れていなかったんだ」
両手を握り合わせてまたもや申し訳なさそうにしている瀬奈。
「瀬奈のせいじゃないって! むしろ瀬奈のおかげで眠れるようになったんだから、ここは喜ぶとこなの!」
「……うん」
頷くが、納得したからではなく、あたしに配慮しての動作だろう。
瀬奈は人間だった頃からあたしに迷惑を掛けることを極度に嫌がっていた。あたしに何か負担を掛けるたび、罪悪感に苦しむ素振りをする。
確かにあたしの運命は瀬奈と出会ってから大きく動き出したけど、冴えない自分でもこんなきらきらしたものが手に入ることを教えてくれた存在だから、瀬奈はむしろ救いを与えてくれたのだ。
……たぶん、あたしの伝え方が下手くそだからだろうな。
どうしたものかと思案しつつ、出口に向かって入り組んだ路地裏を歩く。
すると、
「――――帆奈ちゃん、魔法少女!」
瀬奈は突然焦った大声であたしに伝えた。
深く息を吸って、魔力の振動に集中する。
人間としての機能を魔法少女としての機能に切り替えるイメージで感覚を研ぎ澄ますと、あたしにも細かい魔力の移動が伝わった。
ためらうことなくこちらに近づいてくる。
まるであたしがここにいることを既に知っていて、追い詰めるためだけに接近しているかのような動き方。
(この魔力反応は……!)
すぐさま地面を蹴って身を翻し、全速力を出した。
風の音と共に、高速で切り替わるビルとビル。
「帆奈ちゃん、どうしたの!?」
「――――」
今は説明している暇がない。とにかく逃げ切ることを優先しなければ。
逆走する灰色の景色の中、誘導するための魔力を周囲に散りばめながら極力音を立てずにアスファルトを叩く。
ある程度地上に魔力の残滓をばらまくと、今度は目星をつけていた螺旋階段に向かい、高所を目指した。
逃亡する者は、いついかなる場合も地下、地上、空中の避難経路を立体的に把握しなければならない。
追手に位置を捉えられてからの逃走劇は久しぶりだが、幸い水名区から中央区にかけてのここら一帯はまさに自分のテリトリーだ。地理に関してはこちらにアドバンテージがある。
螺旋階段を上り、最上階までたどり着くと手すりを蹴って屋上に飛び上がった。屋上に着地するや否や、経年劣化で崩れ落ちた壁を遮蔽物にして隠れる。
ここからの逃げ道を確認したあと、こっそり壁の横から顔を出した。この角度からは蛇のように曲がりくねった路地の様子を一望できる。
「ねえ、一体どうしたの?」
ようやく立ち止まって乱れた息を整えていると、瀬奈は先ほどの質問を繰り返した。
「……あれ、見て」
遠くに人差し指を向ける。
指し示した先には、あたしがブラフで残した魔力を探知して徘徊している人影があった。
赤紫色の和装を身に纏った魔法少女。
瀬奈が小さく可憐に咲く秋明菊だとしたら、彼女は鮮烈な血の華を咲かせる椿だ。
仇敵の手がかりを得た今でも取り乱さず凛々しく胸を張り、優雅な佇まいを忘れない。いや、忘れないというのは語弊がある。その気品は意識によるものではなく、育ちのよさから染みついた習慣なのだろう。
温和な動静の内に、常に無形の剣幕を秘める女だ。
彼女の恨みは特に深い。そして、彼女にはその目的を果たすだけの策や戦力がある。だから、あたしも追手の中で最も警戒すべき一人だと認識している。
ただ、今日は前に追われたときより殺気が立っていなかった。彼女も彼女で、単身での戦いを望んでいないのだろう。
「その魔法少女、知り合い?」
「一方的に知ってるだけ。あ、いや、ある意味向こうからも知られてるか。
常盤ななかっていうんだけど……面白そうなやつなんだわ」
「ふーん……」
瀬奈に紹介すると、全く面白くなさそうな顔をして頬を膨らませた。
なんか、怒らせちゃった?
「帆奈ちゃん、私がいない間気になる女の子できたんだね」
「え、なんでそうなるの」
「面白そうだから見てたんでしょ?」
「見てたっていうか、ちょっかい掛けてたっていうか……」
軽い気持ちで事実を告げるが、口に出したあとすぐに後悔した。
瀬奈の表情が更に険しくなっている。瀬奈にしては珍しく、明らかにあたしに対して怒っているのだ。
もしかして、とんでもない誤解をされているのでは……。
「ちょっかい、掛けるんだ。他の女の子に……」
「いやいや、そういう意味じゃなくて……! つか、あたしは瀬奈にちょっかいなんて掛けてないでしょっ」
「私にはちょっかい掛けないのに常盤ななかさんには掛けるんだ」
「えぇ……?」
人生初の、あたしをキッと睨みつける瀬奈の拗ねた顔。
柳眉を逆立てる、と表現するには幼すぎる顔つきだった。
こじれた状況になってしまったけど……その、こんな表情をする瀬奈は大変新鮮で、胸の辺りがちょっとタイヘンなことになる。
正直このまま見ていたいが、なぜかやきもちを焼かれてしまっているようだから、誤解は解いておかないと。
この怒りようじゃ、少なくとも今日の終わりまで口を利いてくれなさそうだし。
「……ちゃんと説明するから、まずはお風呂に行こうよ」
どうせいつかはしなくちゃいけない話だ。ちょうどいい機会だから、そこら辺はまとめて話すことにしよう。
常盤ななかが追跡をやめて路地を出たのを見届けてから、あたしは瀬奈を連れて銭湯に向かった。
◇
「せ・つ・め・い!」
お湯に浸かった次の瞬間、タオル一枚の瀬奈が眼前に迫って説明を求めてきた。
あれから発した最初の言葉がこれだから、本気で怒っているのだろう。
しかし、この距離はまずい。くっつくくらい半裸の体を近づけられるのはまずい。なんかこう、首筋とか鎖骨とかその下のタオルで隠しきれない胸部の凹凸とか……まずくない?
華奢な身体から目を逸らしつつ、水を掻き分けて瀬奈から距離を取る。が、瀬奈は逃さんとばかりにあたしに追いついてくる。しかも実体を持たない瀬奈は水の抵抗を受けないから、あたしなんかより断然速いのだ。
すぐに追いつかれ、ぴったりと身体を押しつけられて追及された。
「せーつーめーい」
繰り返す瀬奈。
「わ、分かったって! でもちょっと離れて……っ」
「常盤ななかさんには近づくのに私は離れなきゃいけないんだ」
「あーもうっ! 違うから!」
恥ずかしさで思わずパシャっと前に水を掛けてしまった。こうかがないようだ…。
ムッとした顔で、瀬奈は向き合う形でずしりと膝に乗ってくる。太ももと太ももがくっつき、あと少しで最終防衛ラインが突破されるところまで来た。
ので、目をつぶることにする。
そうだ、あたしは目と耳でしか瀬奈を知覚できないのだから、目を閉じれば心の平穏が保てる!
得たりや応と実践してみたところ、突如、耳元で瀬奈の息掛かった声が響いた。
「帆奈ちゃん、どうして目を合わせてくれないの? 後ろめたいってこと……?」
……耳がガラ空きであった。
もうお手上げです。
「あのさ……服着てない状態でコレはちょっとよくないと思わない?」
「……え? 私、タオル巻いてるよ?」
「だーかーらっ、それでもドキドキするのっ!」
ぶちまけてからチラッと目を開けると、瀬奈はぽかんと大きく口を開けてから――――
「え、えへへ……うん」
突然嬉しそうな照れ笑いを浮かべて、素直に距離を取ってくれた。
今ので機嫌を直してくれたのはなんかフクザツだが、あたしの入浴環境が健全さを取り戻したのだからよしとしよう。
一息ついて、浴槽の段差に座る。
目の前の壁には立派な富士山が描かれていた。それを、風呂からふわっと立ち上る白い湯気が霞ませている。
温かいお湯の中、足をまっすぐ伸ばして長時間働かされた筋肉をほぐしてあげた。水圧が心地いい。
……さて、そろそろ本題に入る時間だろう。
さっきまでは羽目を外していたけど、今から瀬奈に話すことは軽々しく受け止められるものではない。
普通なら、それを受け取るだけで火傷するような言葉の劇薬だ。
だけど、瀬奈ならきっとその全てを笑って受け入れてくれると分かっているから、そこは心配していない。
ここに至るまでの記憶をたどりながら、必要な部分を抽出してそこだけ瀬奈に語ることにした。もちろん、それっぽいテンションで。
「ん、まぁー。その。あたしが一人になったあとは、ちょっと荒れてたんだよね〜。
許せないことがあって……んで、それをぐちゃぐちゃに壊すのが唯一面白かったわけ」
「許せないこと?」
「うん、ちょっとね……。とにかく! それであたしは色々面白いことをやったんだ~!
魔女を町に放ったり、家庭を壊したり、なーんも知らないで既得権益で幸せになってるやつらを不幸にしたり!
そーゆーのやってさ、少しでも気持ちいい世界にしよ~って! あっは!」
「そっかぁ」
膝を抱えて体育座りになった瀬奈。
表情からはどんな気持ちでこの話を聞いているかは推測できないが、あたしの言葉を待っているのは確かだ。
「まあでも、魔女を操るからな~、当然犠牲はつきもので。
……間接的に殺したんだ。把握してるだけでも10人以上は」
「……っ!」
「その中には魔法少女もいれば、ただの人間もいる。放し飼いだから、あたしの知らないところで死んでるやつもきっといると思う。
ま、要は――――あたしはすっげー悪いやつなんだぜ? 瀬奈」
「…………」
「あの常盤ななかも、あたしが操った魔女に大事なものを壊された一人。それがキッカケで
……どう? 納得した?」
欠伸をするように腕を伸ばしながら、揺らめく水面を見つめた。
――――失望した?
一瞬そう聞いてしまいそうになったが、そんなことは言わなかった。
瀬奈の答えは分かっていたからだ。
かつてのあたしは軽蔑されることを恐れていたが、全ての真実が明らかになった今、瀬奈がくれる返事は知れている。
分からないのは、どんな気持ちでその返事をくれるか、ということだけだ。
「帆奈ちゃん」
あたしを呼ぶ声が二人きりの浴場に響き渡る。
水面から瀬奈に視線を移すと、瀬奈は膝に頬をむにっとくっつけた姿勢で、口元を緩めて慈しむようにあたしを見守っていた。
「私は魔女だよ。すーっごく悪いやつなんだ」
「…………あっは、やっぱそう言うんだ」
「んふふっ、そう言うに決まってるよ。だってそうなんだから」
瀬奈は目を細める。
帆奈ちゃんがどんな悪いやつでも構わないよ、と、そう言ってくれているみたいに。
……よかった、そういう顔をしてくれて。罪悪感だけは抱いてほしくなかったから。
あたしの過去を聞いても、あたしのことを嫌わないでいてくれるのは予想できた。
――――喜ばないとお姫様も男の人もかわいそうじゃない。
瀬奈はあのとき、悪者の姫をそう受け止めた。
だからきっと、瀬奈だけは悪性にどっぷり浸かったあたしでも笑って許してくれるんだろうなと思ったんだ。
「あっは……ホント優しいね、瀬奈は」
もし罪を許すことを優しさと定義したならば、瀬奈はあたしなんかよりよほど優しい。
だって――――瀬奈は最低のあたしに笑いかけてくれるけど、あたしにはできない。
あたしには許せないことがある。それを許せないでいる限り、あたしは永遠に断罪を待ちわびることになる。
心の奥底で、延々と断頭台に掛けられることを夢に見ているしかないのだ。
もちろん、終わりを希求する自分自身を押し殺そうとは思っている。
今のあたしは、正義への憧れもちっぽけなものになるほど大きな約束を抱えているからだ。
瀬奈が笑顔でいられるのなら、あたしは罪を抱えながら幸せな日々を維持していこう。
今度はあたしがそっと、感触のない瀬奈の手に手を乗せた。