中央区の空き家に着いて、さっそく寝支度に入った。
こっちの都合でしばらく中央区の周辺で行動することになる。
瀬奈への誕生日プレゼントのこともあるけど、東にも西にも徒歩で行けるという点でも戦略的要衝といえよう。
まだ早いけど、今日はこれで終わりにする。
カーテンを開けて月の光だけを部屋に入れると、ベッドに横たわった。
「帆奈ちゃん、おやすみ」
瀬奈は昨日同様、あたしの毛布に潜り込んで甘えるようにくっついてくる。
さらり、と落ちる長い髪。
それも含めて腕の中に入れた。
「おやすみ」
返事して、まぶたを閉じる。
すー。すー。
暗闇の中、規則的な瀬奈の息が聞こえる。
幽霊なのにそういうところまでちゃんと再現されている。おそらく呼吸はもう必要ないだろうけど、生前からの習慣が抜け切らないのだろう。
思えば瞬きもしているし、外界からの刺激を受けて反射的に動いたりもするし、あたしが注視していないところを見つめたりもする。
ますます幽霊の仕組みが謎めいてくるが、それに関しては瀬奈と暮らしているうちに情報が集まってくると思う。
今はそれより――――
「……おやすみ、瀬奈」
魔力を意図的に切って、起き上がる。
そう、今日はこれで終わりにする。
となりにはもう瀬奈がいない。
「……寒いなぁ」
凍える夜の温度。瀬奈がいないと、現実はこうしてあたしに迫ってくる。
薄い毛布を畳んで、部屋の床に置いてあったリュックの中にしまった。
入浴と就寝を前倒しにするのは、決して生活リズムを整えるためではない。あたしがそんなくだらないことのために行動パターンを変えるわけがないのは、瀬奈もなんとなく察していたと思う。
寝たふりをしたのは、瀬奈へのプレゼントを用意するためだ。
朝から計画に取り組んだ方が楽っちゃ楽だけど、わざわざ一緒の生活を送りたいと言ってきた瀬奈をそれに付き合わせるわけにはいかない。それに、ネタバレのリスクは減らすに越したことはない。
部屋に持ち込んだものを全てリュックに片づけてから、ガラリと窓を開けた。3階だが、魔法少女にとって飛び降りるのは容易い高度だ。
ひょいと跳んで、無事に着地する。
小走りでマンションの裏道を出ると、すぐに賑やかな大通りに入った。
ここ中央区は全体的にはオフィス街としてデザインされているから、昼の方が活気づく傾向がある。しかし競馬場のある工匠区に近いところまで行けば、風俗店やギャンブル施設などで賑わう夜の街も多く見受けられる。
今日の宿は東の方に立地しているので、5分も掛からないで騒がしい区域になってしまった。
そこをずかずか歩く。こういう場所は魔女を探したり身を隠すときには便利だが、今日はそれが目的ではない。
明るい夜空を見上げ、まだ営業している中央区のシンボルマークを目指して早足で繁華街を通り抜けた。
幸い、電波塔の展望台は夜のデートを楽しむカップルたちのために午後11時まで開いている。今から向かっても、スケッチの細部を詰める時間は一応あるだろう。
◇
再度エレベーターに乗って、展望台に着いた。
夜の展望台は昼より更にカップル客が多く、フロア全体が甘い雰囲気に酔いしれていた。その中を単身で歩くのだから、少々肩身が狭い。
東に面する窓の前に座り、リュックの中から大学ノートを取り出した。昼にスケッチしたページに細かいところを描き込んでいく。
そうしておおよその位置を再現したら、神浜全域を記録した地図を広げ、それと照らし合わせた。
「……一回現地に行ってみないと分からないか」
地図で分かるのは全体の位置関係だけだ。
地図に描いてある場所には実際にどんな建物があり、誰によって管理されているのかという肝心な部分までは分からない。
ノートと地図をリュックに詰めて立ち上がる。
思い立ったが吉日、とりあえず一回やってみないと実現可能性が判断できない。
さっそく作業に取り掛かろう。
展望台を離れる前に、一度振り向いた。
真っ黒なキャンバスに色鮮やかなスプレーを掛けたように、小さな点と点が沈んだ太陽の代わりに輝いている。
あたしのメッセージがそこに書き込まれた様子を想像してみた。そして、それを受け取って、目を大きく見開き世界を眺望する瀬奈の姿も。
「……頑張ってみるか」
自分に活を入れてリュックを背負い直し、エレベーターホールに向かう。
そうして待機列の最後方に加わろうとしたが、
(あれ?)
エレベーターのとなりに、壁と一体化した白い扉があるのが目についた。
近づき、ハンドルを回してみる。
扉はガタガタと動くだけで、開かない。
仕方ないので引くのはやめて、扉全体をまじまじと観察する。
この展望台ができたのは随分前なのに、扉の表面にはほとんど傷がないから、普段は使われていないのだろう。
そんな、何の変哲もなく白いだけの板。これが壁ではなく扉だと分かるのは、ハンドルとその下にある小さな鍵穴のおかげだ。
その鍵穴を見つめていると、
「お客様、こちらの階段は非常時以外開放されていませんよ」
背後からエレベーターの案内スタッフに声を掛けられた。
「あ……はい」
素直に握っていたハンドルを放す。
スタッフが持ち場に戻ったことを確認してから、再び非常階段の扉を見つめた。
(……階段)
もし使えれば、閉館時間となる夜11時以降もここに入って進捗の確認ができる。
上る時間と労力を考えれば普通にエレベーターを使うに越したことはないが、鍵を手に入れといた方が色々融通が効きそうだ。
それに――――サプライズするなら貸切の方がいい。その方が美しい。
きっとここが暗示の使い所だ。
鍵の取得手順を頭の中に思い描きながら、エレベーターの待機列に並ぶ。
次は建物の下調べだ。
◇
大学ノートを手に工匠区寄りの街を歩く。
本当はサプライズを贈るのに大東の建物を使いたかったけど、さすがに展望台からは遠すぎるので工匠区辺りで妥協した。
あたしの計画は言葉で説明する分には簡単だ。
中央区から工匠区にかけての一定範囲内にある建物の電気を消すだけ。周りを暗くすることで、相対的に夜景にバースデー・メッセージを浮かび上がらせるって寸法だ。
「まずはここか」
起点となる建物を見上げる。どこにでもあるような青いオフィスビルだった。
さっそく理想と現実の相違でつまずきそうになる。なにせ、ブレーカーを壊してどうにかなるような場所ではない。壊したところで、翌日に修理されて終わりだ。
もし電気回路相手に暗示が掛けられるならよかったが、残念ながら暗示は意思ある生命体にしか効かない。ここはもう、管理者に暗示を掛けて消灯してもらうしかないだろう。
ソウルジェムを出し、色を確かめる。
魔女退治のあと浄化したばかりだというのに、この短時間で既に穢れが中を漂い始めていた。
……穢れが溜まるスピードは昨日よりマシだから、喜んでおくべきか。
意識しているかは分からないけど、瀬奈はあたしの魔力を使うのが上手になってきている。
ただ、今後の魔力の消費量が見えない以上、迂闊に魔法は使えない。
特に、夜景のために暗示を掛けて回るとなると、本当にとんでもない量の魔力が求められる。
今は先を急ぐのではなく、それぞれの建物について誰が消灯できるのかを調査しておくべきだろう。
五里霧中の状態だが、やるしかない。
もう一度、あたしのサプライズを受け取った瀬奈の驚く顔を思い浮かべた。
――――やってやろう。
青いビルの自動ドアを通り、壮大な計画に着手した。