「帆奈ちゃん、眠れなかったの?」
翌朝、マンションを出て瀬奈を呼び出すと、早々に寝不足を勘づかれてしまった。
結局昨晩は午前3時まで作業していた。おかげで頭がぽかんと真っ白だ。
「これはねぇ〜、いきなり生活リズムを変えちゃうと、深夜に目が覚めてかえって眠れないやつね」
「じゃあ、今日はお家でゴロゴロしてる?」
「そんなことしたら余計に体内時計が狂っちゃうから、だーめ」
うーんと頭を悩ませる瀬奈。
真剣に心配してくれているのを見ると、おそらくあたしの単独行動には気づいていないのだろう。
密かに胸を撫で下ろしつつ、瀬奈を騙していることに後ろめたさを覚える。
心配を掛けないためにも、今日はちゃんと寝よう。毎日3時間睡眠なのはよくないだろうし。
「つーわけで、今日の予定なんだけど……瀬奈は何がしたい?」
「私?」
「そう。昨日はあたしが決めてたから、今日は瀬奈が決めて!」
「……何でもいいの?」
甘い小声で、おねだりするように聞いてくる瀬奈。どうやらやりたいことがあるみたいだ。
「何でもいいよ! 言って言って!」
「じゃ、じゃあ……」
もじもじ手を動かして、言葉を紡ぎ出す。
「デート。心残り、だったから……だめ?」
そう言うと、瀬奈は立ち止まってチラッとあたしを見た。
……デート、という表現はいいとして。
心残りということは、人間だった頃にできなかったことを今度こそやりたいのだろう。
あたしとふたりで最後までできなかった散歩――――何のことを指しているのかは明らかだった。
「……そっか。水名、回りたいんだ」
「うん……いい?」
「いいに決まってるでしょ。ちょうど鏡の魔女に会いに行かなきゃいけないし、水名に向かおう」
ぱあっと顔を輝かせる瀬奈。その手を引いて、体の向きを西に切り替えた。
背中に朝日を浴びながら、あたしたちはひとまず廃ホテルに向かうことにした。
◇
鏡の魔女は今日も結界の最深部にこもっていた。
ただ、深い眠りについたように動かなかった昨日と違って、楽しげにコピーたちと遊んでいるようだった。
コピーというのは、この結界を踏破しようとのこのこやってきた魔法少女たちをそっくりに複製した使い魔だ。
色とりどりの鏡が虚空に浮かんだ奇異な空間で、魔法少女の姿をした使い魔が理解できない言語で魔女に話しかけている。
魔女の反応は薄いが、時々コミュニケーションをとるように黒い手を振ったりしている。
……かわいい。
「は、早く出ようよ……!」
瀬奈はおさげをぎゅっと握りながら、照れたように顔を魔女から背けた。
確かに、もう一人の自分が使い魔を使って一人遊びに耽っている様子を見られるのは公開処刑に近い。
しかし、いい機会だ。使い魔と話している内容次第では、魔女の考えていることが分かるかもしれない。
「瀬奈、使い魔の言葉は理解できる?」
「あれ、帆奈ちゃんには分からないの?」
瀬奈は小首を傾げた。
どうやら、瀬奈には日本語と同じように聞こえているらしい。
「あたしには分からないけど、なんて言ってるの?」
「……えっとね。
…………。
……どうしても聞きたい?」
顔を真っ赤にして、今度は両手を握る。やはり恥ずかしいみたいだ。
「差し支えなければだけど……」
「…………」
「…………」
「……その……なんか、おままごとしてるみたいで。
使い魔がお母さん役で、魔女があ、あ……赤ちゃん……らしい」
赤ちゃん。
恥を忍んで自身の潜在的な赤ちゃん願望を吐露した瀬奈は、肩を丸めながら涙目で地面をじっと見た。
……これは申し訳ないことをしてしまった。紛うことなき公開処刑だ。
正視に耐えないこの状況で早く瀬奈をフォローしようと、口を開く。
「かわ…………じゃなくて、そっか!」
「〜〜〜〜〜ッ」
開くが、間違って心の声を半分こぼしてしまい、じろりと睨まれてしまった。ごめん。
怒った瀬奈はどすんと地面を踏みしめ、180度向きを変えた。不憫だし、ここはさっさと結界を出てあげよう。
未だおままごとに興じている魔女に手を振り、帰路に着く。
直接的な収穫はなかったが、あっちの瀬奈の心に少し触れられた気がした。
◇
晴れやかに澄んだ空の下、瀬奈と水名の街をゆっくり歩く。
水名城付近は特に昔ながらの城下町としての性格が色濃く残っており、歴史博物館や中央図書館を擁する歴史の街の貫禄を感じさせる。
道路の左側にはおもちゃ屋や駄菓子屋があり、右側には自然豊かな公園が広がっている。
公園から更に進めばかつての栄光たる水名城がひっそりと佇んでいる。
そこにはのんびり散歩する人、天守閣に登ろうとする人、観光客から風景画家まで、種々多様な人たちが集まってくる。
そんな荘厳さと親しみやすさを兼ね備えた美しい光景だが、今はそれをじっくりと味わう気分ではない。
というのも――――
「んふふ……」
となりの瀬奈が時々照れた素振りで笑い声を漏らしながら、あたしの左手に細い指を絡めてくるからだ。
本人はデートの続きのつもりだからだろう、表情が普段より慎ましやかで柔らかい。しかもご丁寧に服は当時の制服に着替えている。
つまりあたしは今、瀬奈みことと制服デートという字面だけで破壊力抜群な行為を実践しているのだ。
おかげで普段通りに振る舞えるはずもなく、
「……なんか、晴れてるね~!」
「ふふふ、晴れだねー」
こんなバカみたいな会話しかしていない。
普段は以心伝心で拈華微笑……とまではいかないものの軽口は叩き合える間柄なのに、デートという三文字を意識するだけでこうもぎこちなくなるのだから言霊ってすごい。
追い打ちを掛けるように瀬奈が妙に瀬奈らしからぬお行儀のよさだし。
お互いを意識するあまり、会話がすぐに途切れてしまった。
対人スキルの低さはこういうときに露呈する。こんな時に備えてガールズデートの話題を勉強しておけばよかった。
こんな調子で一直線に歩いていたら、いつの間にか公園の入口まで来てしまった。
「……公園入る?」
「入る!」
聞くと、秒で返事が飛んできた。
間を置かない返答から察するに、入りたかったというよりとにかくあたしにリードしてほしいのだろう。
……リードという言葉もなかなかそれっぽくてこそばゆい。
脳内で勝手に盛り上がりながら、瀬奈の手を引いて前に踏み出した。
休日昼だからか、水名城の公園は普段より利用者が多かった。
遊具のそばで小学生くらいの子どもたちがキャッチボールをしていて、保護者たちがそれを見守っている。あとはイヌの散歩をしている人も数名いた。
穏やかな風景の中に溶け込むように座っていると、緊張した気持ちが少し和らいでくれた。
家族連れもいるような公園で、瀬奈とこうしてどこにでもあるような日常の一部になっている。
なんだか不思議な気持ちだ。
青空を眺めながら、となりの瀬奈に聞いてみる。
「瀬奈は本当にこれでいいの?」
「いいって?」
「毎日魔女探して、街を歩き回ってるだけでしょ? あたしと一緒の生活が送りたいって言うけど、退屈じゃない?」
答えは予想つくが、謝罪の意味も含めて瀬奈に言う。
たとえば、デートすると言っても、あたしはこうやってぶらぶら散策するくらいしか何かをしてあげられない。魔女退治するための時間はどうしても必要だし、豊かな生活を送らせることもできない。
結局は終焉に向かう下りエスカレーターを一生懸命上っているだけのつまらない人生に付き合わせているだけだ。
運命がもう少し違っていたなら、あたしも瀬奈もより多くの選択肢を与えられていたかもしれないけど、今のあたしたちはそれぞれ厳しい制約を抱えている。
あたしはあまりにも多くの罪を重ねたし、瀬奈はそもそも実体を持たない。
この公園にいる他の人たちが享受している日常生活を真に送ることは、もはや手の届かない夢物語となってしまった。
「……帆奈ちゃんは、退屈なの?」
小さな声で、質問に質問で返された。
瀬奈はまぶたを伏せてまつげを揺らし、アンニュイな横顔をあたしに見せる。
その聞き方だと敵わない。
「あたしは全っ然楽しいよ! 瀬奈と一緒だし! あっは!」
あえて声を張り上げて答える。
すると、楽しそうにキャッチボールをしていた子どもたちがビックリしてあたしの方を見た。ヒソヒソ何かを相談したあと、あたしのいるベンチから離れて遠くの遊び場に移動する。
……当たり前の反応だ。あたしはこうして瀬奈と喋っているだけでも、そうやって世間の日常に拒まれる。
もちろん、だからといってやめるつもりはない。どれだけ奇異の目で見られようと、堂々と振る舞ってやる。
「帆奈ちゃん……」
「なーに?」
「……んふふっ。私も楽しい!」
何を思ったのか、瀬奈もあたしに倣って大声を出して、顔を綻ばせた。
突然、瀬奈は手をあたしの手の上に乗せた。
ぎゅっとしてくる。触れられないけど分かる。力を込める仕草だから、そう意図しているのだって分かる。
「私、誰にも見えないから、こんなこともできるんだよ」
――――こんなことって?
瀬奈の方に顔を向けると、次の瞬間。
瀬奈は唇をあたしの唇の上に重ねていた。
何も感じないはずの唇に、温かくて、柔らかなものを押しつけられている。瀬奈のあまりに端正な顔立ちの、すごく細かいところまで、見えて。
「――――っ」
バグる。
心臓も、肺も、気管も、おかしくなった。
不足する酸素を取り入れるために速度を上げるべき脈拍が止まったように感じられた。それでいて血液が勢いよく臓器を突き抜けている。唇に与えられた熱を体の隅々まで分け与えようとほとばしって。
動けない。
動かさないけど……。
何秒経ったかはうまく知覚できなかった。
唇が離れたとき、あたしも瀬奈も黙り込んだ。
恥ずかしさとか気まずさとか、そういうものを遥かに上回る何かで沈黙が流れた。その何かに支配されて、言葉が出てこない。
白紙となった頭の中を埋め尽くす電気信号。
なんて表現すればいいんだろう。
体の一部が重なっただけでビルの屋上から飛び降りるより脳内がぐちゃぐちゃになったというか。
でもすごくシンプルですっきりしているというか。
他人の薔薇色の人生の片鱗を味わった感覚というか。
自分にあってはならないはずなのに、それを直接身体に流し込まれた。
気づけば自分を守るように体を抱きしめていた。熱を注射されて、身体が狂っている。
ようやく心臓の音が力強く響いているのが自分にも聞こえ始めた。胸が反応しなかったわけじゃなくて、一瞬電気ショックを受けて動きを止められてしまっただけだ。
拙くも頭が動き出す。
瀬奈の味。
初めてのキス。
瀬奈の好意。
デートの意味。
瀬奈とキス。
瀬奈とキス?
……キス?
???
せっかく流れ出した思考がとんでもない事実に塞がられて、再度停滞してしまった。
「……帆奈ちゃん、しちゃったね」
「…………」
「…………ふふ、こんな真っ赤な帆奈ちゃん、初めて見たかも」
「……あ、うん……」
何を肯定しているのか自分でも分からないまま肯定した。
「キス……しちゃったから、帆奈ちゃんの、か……カノジョ、になっちゃったね」
「…………?」
「へへ……」
全く噛み合っていない会話だったが、瀬奈は一人で納得したようだ。
カノジョか。
カノジョ。
って何……?
ゴールドバッハの予想ストーンヘンジバビロンの空中庭園などなどに連なる世界の謎に挑みながら、あたしはとりあえず思索を止めて瀬奈に導かれるままに公園を出ていった。