電車に乗って、3日ぶりに大東まで来た。
瀬奈が生まれ変わってからは中央区周辺で歩き回っていたから、街の雰囲気が新鮮……と表現するにはみすぼらしすぎるが、そう経っていないにもかかわらず慣れない感じがした。
駅から出てすぐ、外壁がひどく汚れた低層住宅が並ぶ。
ところどころに再開発の産物として高層ビルが立っているが、華を添えるわけでもなく、景観のバランスを無遠慮に崩しているだけだ。
……と、このように好き放題言っている通り、あたしは大東があまり好きではない。
いや、こう言うと語弊がある。大東全体を嫌っているわけではないのだ。
町自体に恨みはないが、ここで顕著に表れるヒエラルキーがどうしても気に食わない。
そういうものが被害者を加害者にして、悪を再生産する。
綺麗なものが悪に追い詰められてどん底に転落する現象は心底嫌いだ。
そしてこの町はそういう理不尽を頻繁に引き起こす。
そういう体質なのだ。
「大東は久しぶりだねー」
「あっは……まだ3日前の話なんだけどね」
「秘密基地で私を起こしてくれたもんね」
そう、町の仕組みは好きじゃない。
……ただ、場所そのものは嫌いになれない。
ここは瀬奈の生まれた町で、瀬奈が綺麗だと自慢してくれた秘密基地のある町だから。
瀬奈にこの世界を好きになってもらいたいあたしが、ここで暮らす人々や場所まで嫌ってどうするんだって話だ。
苦しみばかり作り出す社会の構造さえ変われば、ここは真に美しい場所になれる。
そう信じて、瀬奈を呼び出すまではこそこそとここで色々なことをやってきたわけだ。
◇
駅から少し離れたところに、瀬奈の墓が立っていた共同墓地がある。
経済的に豊かではないこの地域では共同墓地の需要が高く、規模の大きいものが町のあちこちに見られる。
敷地内に入り、瀬奈の墓があった場所に向かった。
並び立つ墓石をひとつひとつ通り過ぎる。
道に沿ってまっすぐ歩けば、すぐに墓石が不自然に抜けた場所があるのが目についた。
急ぎ足でそこに向かう。
「うーん」
見下ろすと、墓碑以外はきれいなままで、地面が荒らされた形跡もなかった。
魔女は手当たり次第物をかき集めたわけではなく、狙いを定めて自分のものだけを持っていったようだ。
「私のお墓があったところだよね、たぶん……」
「うん。魔女に持ってかれたねー」
意図はまだ分からないが、少なくとも魔女が抱きしめていた墓石はここのもので間違いない。
顔を上げ、一面に広がる墓地を眺める。
「もうちょっと周りを調べてみるか」
「うん。墓石を持っていくことだけが目的だとは思えないし……なんでだろう?」
周囲を見回しながら、清らかな音を立てて石タイルの上を歩く。
広大な墓地なので、どこから着手すべきか迷うところだ。
そもそも墓碑は視野を遮る障害物でもあるから、当てもなく歩いているだけでは効率よく調査を進められない。
かといって、この広い敷地で、入口の方から一つずつ丁寧に調べるのは労力が掛かる。
全貌を一度に見渡せる高所まで行くべきだろう。
そう言おうとして、口を開く。
が、突然、瀬奈はズバッと奥の方を指差した。
「――――あっち!」
「あっちに何かあるの?」
「魔力の残滓を感じるの。魔女はあっちにも行ったはずだよ……!」
言い終わらないうちにぐいと強引に手を引っ張る仕草をして、瀬奈はせかせかと指差す方向へと足を動かした。
ここから見て何の変わったところもないが、近づけば何かが分かるかもしれない。
昼の太陽に照らされながら、視界の中どんどん大きくなる目的地の周囲に目を凝らす。
すると、
「――――ッ!?」
心臓がドクンと嫌な感じで鳴った。
「え、帆奈ちゃんっ?」
今度はあたしが瀬奈の腕を引っ張って、全速力でそこに向かって走り出した。
芝生に踏み込み、残像と化す墓石の列を横切り、遠くへと駆ける。
不確かな疑念が、人影が鮮明になっていくにつれて確信に変わっていった。
悪寒。
――――やめてほしい、やめてくれ、やめろ……!
そう願いながら、魔力を切れずにいた。
瀬奈に見せたくない。しかし瀬奈はそれを知らなければならない。いや、いずれ知ることになることだ。
そもそも隠すことはできない。ここまで近づいたら瀬奈だって察知したはずだ。
だから、そこに走り寄る以外の選択肢はなかった。
「ぁ…………」
瀬奈が小さな声を漏らしたのと同時に、疾走していた体を止める。
とある墓標の前。
立ち止まって、地面にある真実を見下ろした。
女性が墓の前で死んでいた。
惨死体だった。
飛び散った深紅の血液は既に乾いている。
血飛沫がそばの道路にまばらに赤い点をつけ、勢いよく噴き出たことを暗に告げている。
そして、遺体の中心はくり抜かれたように分断されていた。
いや、切れた部分の周りがひき肉のように潰れていることから考えれば、おそらく叩き潰されたのだろう。
一部だけが稚拙にぺちゃんこにされた遺体は、目も当てられないほど不気味で、生理的に吐き気を催す形状になっていた。
しかし、あたしたちの間に戦慄が走った理由はこれだけではない。
……知人だからだ。
あたしはこの人を知っている。瀬奈は言うまでもない。
「――――お、かあ、さん……」
細く、揺らいだ声。
死体をお母さんと呼んだ瀬奈は、何歩か前に進んだあと、上半身の重量に耐え切れないというようにがっくりと膝を落とした。
無力に地面に座り込んだまま、両手で口を覆う。
「っ……やっ……あぁっ」
プルプルと。
過呼吸したように胸を上下に震わし、全身をひどく痙攣させていた。
その反応はまるで今日見た魔女みたいだ。
……あたしがどうにかフォローしないと。
功を奏するかは分からないが、膝を折って瀬奈の肩に腕を回そうとする。
しかし――――
「ダメ――――ダメッ! ぁッ、うぐッ……!」
刹那、鋭い大声が鼓膜を突き抜けた。
「や、やめ……アァアアアッ!」
両手で頭を押さえつけ、耐え難い頭痛を鎮めるように髪をムシャムシャと掻き乱したり叩いたりし出す。
瀬奈は乱暴に握った髪の束を引きちぎろうとすらした。
そうしながら、束縛を振り解こうと大袈裟に左右に腰を揺らして身体をくねらせる。
頭を道路に叩きつけようと身を屈めては、
「ァ、ヤダッ……ヤメ……ロッ!」
瀬奈に似ても似つかない歪に低い声を息混じりに吐き出し、天を仰ぐ。
もはや過呼吸どころではなく、全ての筋肉をコントロールできていない。
悪魔に取り憑かれたような仕草を見て、差し出そうとした手を一旦引っ込めた。
――――今は魔力を切った方が安全だ。
そうして瀬奈へのパスを閉ざそうとしたとき、
「……あっ、はぁ……はっ」
ふと、瀬奈は憑き物が落ちたように髪を掻きむしるのをやめた。
両手を地面について、呆然と下を見つめ、一生懸命呼吸を繰り返している。
瀬奈は酸素を必要としないが、通常の精神状態を維持するためにあえて人間らしい動作をしているのだろう。
少しずつ様子が落ち着いてきたとはいえ、瀬奈の心が危殆に瀕しているのは明らかだ。
改めて瀬奈のそばに歩み寄り、後方から壊れそうな身体を守るように抱きしめる。
「あ……帆奈ちゃん……」
「無理しないでいいから。休憩したいなら魔力切るけど?」
「…………帆奈ちゃんと一緒がいい」
一人にはなりたくないようなので、要望通りにこの姿勢のまま瀬奈を待つことにした。
待っている間、墓の前に広がっている惨状に目を向けるようなことはせず、何事もなかったかのように瀬奈の乱れた後頭部に視線を固定する。
瀬奈を刺激しないようにするためだ。
少しでもこの現実をほのめかすようなことをしたら、瀬奈はまた発作を起こすかもしれない。そうならないように、せめてあたしはできるだけ平静を保たないと。
瀬奈がどれくらい母親にこだわっていたのかは知っている。
かつてのあたしを徹底的に打ちのめし、そして今のあたしを形作ったあの赤い光景の中で、瀬奈の母が佇んでいたからだ。
だから、今はただ瀬奈に伝えよう。あたしがいるって。
そう思ってもう少しだけ腕に力を込めると、瀬奈はふと口を開いた。
「魔女……魔女は、羨ましかっただけ」
「…………」
「幸せになろう、って、しただけ」
「……うん」
「……でも、魔女は、憎しみしかないから……だからこれが、魔女の幸せのなり方」
普段よりも幾分か低い声で、続ける。
「私に怒ってた、って、思ってた。でも違う……羨ましかっただけなの。
心が幼いから、幸せな私を手に入れれば、自分も幸せになれるって思っただけ。なのにそれが叶わないから……だったら苦しい原因を取り除こうって、したの」
「……魔女の気持ちが瀬奈に伝わったの?」
「…………」
瀬奈は答えない。答えずに、再び震え出した。
もしかしたら、瀬奈が錯乱に陥っていたのは魔女の情報を受け取っていたからかもしれない。
憎しみに染まった魔女の記憶を直接脳内で再生されたと考えれば、先ほどの狂気じみた反応も頷ける。
頭の中で推測しつつ、瀬奈の言葉に耳を傾ける。
「帆奈ちゃん、私ね……私は魔女なの。魔女も私。すっごく悪いヤツなの。笑えちゃうよね……んふふふ……」
「瀬奈、それは……」
「聞いて。私ね、この人見て思ったの……」
そう言うと、瀬奈はあたしの腕の中から抜け出して、ゆらりと立ち上がった。
魔女に圧殺されたであろう母親の前まで歩いて、瀬奈は冷たい声音でぽつりと突き放す。
「――――なんで私のお墓の前じゃないの? って」
「――――――」
「このお墓、私のものじゃないよね? なんで赤の他人のためにお墓参りをしているの? そんなのおかしいよね? なんで、この人は他人のお墓の前にいるのかな?」
「…………」
「自分自身の墓石を持ち去ったのだって、気に掛けてもらえないならいっそなくなっちゃえって思ったからだよ……!
んふふ……そう、私は魔女だった……。どれだけ人間の真似事をしても、心の方は変われないの……!」
瀬奈は皮肉そうに口角を吊り上げた。それは先ほど一人で震えていた少女とは別人と思えるような表情で、瀬奈の一部が故障したことを物語っていた。
それを呆然と見上げる。
まるで、あたしが大事にしていた手鏡が上空から落とされて、パラパラと割れた瞬間を眺めるように。
呆気に取られたあたしの方に向いて、瀬奈は悲しそうに笑った。
「帆奈ちゃん、ごめんね。そんな顔にさせるつもりじゃなかった」
「別に、あたしは……」
「失望した? 私が思ってたよりもっと悪いやつで」
「そんなわけ、ないでしょ」
「そっか……うん。だって帆奈ちゃんは分かってたもんね――――私がこのお墓の人を殺したってこと。
分かってて私を抱きしめてくれたんだもん。だから帆奈ちゃんはこんな私とずっと一緒の生活を送ってくれるって言ってくれたんだよね? 殺人するような私でも好きでいてくれるんだもんね?」
瀬奈はそう言うと、曲げていた口を直線に結んで、あたしから顔をそらした。
堪えるように血が滲むほど、唇を噛みしめる横顔。
その表情を下から見て気づく。
――――瀬奈はあたしに否定してほしいんだ。
もし本当に魔女に染まり切ったなら、このように……我慢するように皮肉を言わない。
憎しみを燃やして、あたしを含むこの世の全てに怒りの矛先を向けていたはずだ。
そうしないのは、あえてそれらしく振る舞って、あたしに嫌な自分自身を消させるためだろう。
「……っ」
瀬奈は泣きそうなまま、無言を貫いている。
否定の言葉を待って、冷酷に見えるように突っ立っている。
これはある種八つ当たりだ。
だって瀬奈は自分ではなくあたしに約束を破らせようとしている。あたしに嫌われようとしている。あたしを悪者に仕立てようとしているんだ。
……だから、救いが見えた。
あたしの手鏡は割れていない。
目の前の瀬奈は、人より少し思い込みが激しくて、人より少しワガママで、だけど誰一人拾い上げてくれなかったこんなあたしにも眩しい笑顔を向けてくれるいつもの瀬奈だ。
「……瀬奈」
口元を緩め、起き上がった。
過去の過ちを正す機会をくれたなら、あたしはそれを正そう。
瀬奈に一歩近づき、まっすぐ向き合う。
「瀬奈は『違う』って言わせようとしてるみたいだけど、違わないよ」
「…………」
「そもそも人数で言ったらあたしの方が上だよ……あっは! ついでに瀬奈に言っとくとね~、あたしは瀬奈と出会ったときから人を殺してたんだ」
「……え?」
「契約ん時の願いでね。あたし、いじめてくるやつらを消してって願ったの。あのときからあたしはれっきとした悪人だよ」
告げるのが遅すぎた真実を打ち明けてから、瀬奈にはっきり言う。
「だから、あたしは人を殺したとか魔女になったとか、そんなことで瀬奈のことを嫌いにならない。つか、一生瀬奈のことを嫌いにならない。死んでからも嫌いにならない」
「……でも、さっき言ったこと……お母さんを見てそんなことを思ったのは本当だよ……?」
「そもそもさ、それって悪いことなの? 家族ならどれだけ自分を苦しめた相手でも思いやらないといけないの? そんなの、世間が勝手に強要しているだけでしょ。なんで瀬奈が罪悪感を覚えないといけないの?」
率直な気持ちを吐露すると、瀬奈は唖然としてあたしの顔を見つめた。
家族にこだわっていた分、既成概念を覆すような見方に衝撃を与えられて、うまく飲み込めていないのだろう。
構わず続ける。
「あたしさ、最悪の家庭環境だったの。それはおいおい話すとして……とにかく! 親が死んだときはめっちゃ喜んだね〜! やっと死んでくれたーって、もう、狂喜乱舞してたよ……!」
「帆奈ちゃん……」
「だからさ……瀬奈がその人をどう思っていたのかは分からないけど、瀬奈の感じたことは間違いとは思えない。嫌いになる云々以前の問題として、嫌いになる理由がない。もしあたしに嫌われたいのなら、それは諦めて」
本音を一息に伝えてから、瀬奈に深く頷いた。
瀬奈は信じられないというふうにあたしをまじまじと見た。
そのうち、大粒の涙が瀬奈の目元に浮かぶ。
ぐすっ、と。
またもや口元を両手で覆い、咽び泣いた。
それを、今度は正面からぎゅっと腕の中に収めて、寄りかかる場所を与える。
そうすると、瀬奈はようやく安心したように目を閉じて、あたしの肩に頬を擦り寄せた。
「ありがとう、帆奈ちゃん……」
「うん」
瀬奈がくれたのが謝罪ではなく感謝の言葉であることが、たまらなく嬉しかった。
嗚咽の声を聞きながら、瀬奈を受け止める。
子どもみたいに甘えるその姿を見て、思い出した。
そうだ……あたしは誓ったんだ。今度こそ守り抜くって。
どんなことがあろうと、どんな絶望が降り掛かろうと、絶対に瀬奈を守り抜く。
瀬奈を守り抜いて――――瀬奈との約束を果たすんだ。
ずっと一緒の生活を送る。そんな儚い希望も、瀬奈を腕の中に抱くと揺るぎないもののように思える。
瀬奈の願いを叶えよう。
瀬奈が笑顔でいられるように。
この世界に存在する瀬奈の温もりに生かされながら、あたしはそっと誓いを重ねた。