薄闇が黒に変わった頃、あたしは一旦水名に戻った。
昼の時間を犠牲にした分、今日の残り時間は全て瀬奈に当てよう。
長時間の単純作業で気持ちも落ち着いてきた。今ならちゃんと瀬奈と向き合える。
ソウルジェムから体内に魔力を流す。
「……あ、帆奈ちゃん」
瀬奈はすぐに出てきた。
やはりどんよりと曇った顔だった。いきなり魔力の供給を断ったあたしに怒っているのか、それともまた悪夢を見たのか。
判然としないが、元気がない姿には胸が痛む。
今の瀬奈にサプライズの夜景を見せたところで笑ってくれるか、それすら自信を持って答えられなくなってしまった。
「……体の調子は?」
「大丈夫。ごめんね、私……」
瀬奈は俯いて憂愁の色を深めた。
おかしくなっていたことについての謝罪の言葉だろう。
「瀬奈のせいじゃないよ」
「ううん……私、帆奈ちゃんにひどい態度を取って……。それだけじゃない、はじめから私のせいで今の状況になったんだ。そこは理解しているから……」
「違う。瀬奈がまた会いに来てくれて、あたしはやっと生きる気になれた。それを間違いだとは言わせないよ」
「……うん」
瀬奈は頷くが、顔に影が差したままだ。
これ以上あたしから何か言ったところで、届きそうにない。
だから宿でリフレッシュしようと瀬奈の手を取る。
「ちょうど今日で見つけた空き家を一巡したから、最初の家に戻るよ」
「……最初の?」
「瀬奈と再会した日の家。覚えてる?」
聞くと、瀬奈は少し考えてから、
「……んふふ、覚えてる。楽しかったね」
と、悲しげな笑みを浮かべながら答えてくれた。
きっと、もうあの頃の自分には戻れないと思い込んでしまっているんだ。
その諦観に焦りを覚える。
だから、悟られないように精一杯の無表情を作った。
死んだように静まり返った住宅地に入り、入り組んだ古風の街を通り抜ける。
たどり着いたマンションは、ところどころに部屋の明かりがついていること以外、人間の気配を感じさせない。
手すりにつかまることなく軽快に階段を上り、2階の廊下に出る。
薄暗い中すたすた歩いて奥を目指すと、半年前の扉が目についた。
古びたそれを開けようとして立ち止まる。
と、
「――――っ! 帆奈ちゃん!」
瀬奈が声を張り上げた。
ドアを見上げ、その理由を瞬時に悟る。
(セロハンテープが剥がれている……!)
その情報と共に濃い魔力の残滓が一気に押し寄せてきて、自分の状況を客観視させられた。
――――追われている。
この魔力パターンは、やつらだ。
「常盤ななか……!」
タッ、
と床面を蹴って、盛大に空中で一回転したあと外庭の地上に落ちた。
後方から魔力の移動を感じ取る。
建物の方で複数の魔力が右往左往している。あたしの反応を察知して、慌てて方角を確認しているようだった。
「……あっは。まだあたしのこと見つけられてないんだ」
瀬奈と手を繋いだまま裏に回り、鉄の柵をぴょんと飛び越える。
幸いやつらとはある程度距離が離れている。どこかであたしの手がかりを得て調べていたが、本人がお出ましになるとは思っていなかった、といったところだろう。
ただ、復讐のために集結しただけあって、ネズミを追いかけるネコのように逃げ切らせてくれない。
あたしのいる方向を確認したあと、今度こそ追手たちはまっすぐこちらに向かってきた。
「はぁ……はぁっ」
自転車を漕ぐようなイメージで足を動かす。
頭の中で必死に水名の地図を思い浮かべながら、最短ルートを駆けていく。
どこかで息を潜めるのは無理だろう。不気味に静かなここでは音が率先して自分の居場所をバラしてくるし、魔力反応を探ればすぐに捕まる。
だから、アスファルトの上を疾走しながら水名駅を目指した。電車に乗ってしまえば追いつかれることはない。
「帆奈ちゃん……っ」
瀬奈はあたしに手を掴まれながら虚空を飛び、心配そうにあたしを呼んだ。
「大丈夫っ、あとちょっとで駅だからっ!」
後ろからなお接近してくるやつらの気配を感じる。
振り撒こうと、今だけは筋肉痛に苛まれていた足に魔力を流して体力をカバーする。
いよいよ遠くに明かりと人混みが見え始めた。いくら水名でもこの時間帯は退勤する会社員で混雑している。
走りながら背負っていたリュックをずらして中からICカードを取り出し、無遠慮に人と人を押しのけて高速で改札口を飛び越えた。
道行く人々からは奇異の目で見られるが、構わず発車ベルが鳴り終わる寸前の車両を目がけて走る。
盛大な駆け込み乗車の後、逃亡劇の終わりを告げるように、ばたんと扉が閉まった。
ぜーぜー息を切らしながら周囲の魔力反応を探る。
ソウルジェムは共鳴しない。さすがにここまでつけられることはなかったようだ。
車内はぎゅうぎゅう詰めとまではいかないものの人でいっぱいになっていた。楽な姿勢に整えてから液晶ディスプレイを見上げると、大東行きなのだと気づいた。
……このまま大東まで逃げよう。今水名に戻るのは危険だ。
状況が一段落したところで、瀬奈が眉をひそめながらあたしの顔を覗き込んできた。
「大丈夫……?」
「あっは、平気平気。それより、今日は大東でやり過ごすよ」
「うん……」
あたしの判断に従いながらも、瀬奈はやるせなさそうにワンピースの裾をぎゅうと掴んだ。