大東に着いたとき、雨がぽたりぽたりと降り始めた。
小雨が勢いを増す前に、急いで避難用の宿に転がり込む。
幸いこちらの家は見つかっていないようだった。
しんとしたリビングに踏み入り、明かりをつけないまま部屋の中に入る。
「はぁ〜……」
銭湯に行く前に、ぽふっと大の字になってベッドに倒れ込んだ。
いくら魔法少女でも長期的に筋肉を酷使していると、意図して自然治癒に魔力を当てない限り筋肉痛に見舞われる。
そしてそれは精神的疲労によって増幅され、気が緩んだ瞬間に無情に襲いかかる。
……要は、疲れた。
「帆奈ちゃん……」
「お風呂行くのだるいなぁ……まあ行くけどさ〜」
「…………」
ベッドのそばに立ってあたしを見下ろす瀬奈。その表情は険しかった。
「瀬奈?」
「……なんで、帆奈ちゃんがこんな目に遭わなくちゃいけないの」
「説明したでしょ。あたしが悪いことをしたからだよ……あっは……」
仰向けだった体を瀬奈の方に回転させる。
すると、瀬奈は憤りのこもった低い声で心中を吐露した。
「そんなの、不公平だよ。帆奈ちゃんが魔女を操っていたのは、
「瀬奈、それは違……」
「違わないよッ! 何なの? 私はようやくただ一つの幸せを手に入れたのに、なんでそれすら奪おうとしてくるの? ただ帆奈ちゃんとずっと一緒にいたいだけなのに、なんでそれさえ許されないの……?」
追手のことだけでなく、自分の境遇も含めたような言い草だった。
そうして瀬奈は、キッと牙を剥いたような顔から突如平静に戻る。淡々と、ベッドに横たわったあたしを見つめて言い放った。
「――――あいつら、グリーフシードにしようよ」
「……!」
「そうだよ、きっとそれがいい……! ねえ帆奈ちゃん、あの人たちをグリーフシードにしようよ。散々私たちを追い回して苦しめてきたんだから、優しくする必要なんてないでしょ。ううん、他の魔法少女もみんな魔女に変えよう! そしたらグリーフシードも確保できる……帆奈ちゃんはずっと私と一緒にいられるようになる。ね、いいでしょ?」
戦慄するあたしに気づかずに、段々と調子づいて語り出す瀬奈。
その声音は無邪気に明るく、提案の正しさを信じて疑わないものだった。
何かが壊れていくのを感じる。
その確かな気づきに目をつぶりながら、あたしはシーツを掴んで起き上がった。
はっきりと、告げる。
「――――やらない」
「……っ! なんで……?」
「そんなことに暗示を使えないから」
「……ッ」
あたしが頷くと思っていたのか、瀬奈はぎしりと強く歯を噛み締めた。
そうして、不平を訴えるように眉間に皺を寄せてあたしを睨む。
「帆奈ちゃんは、自分は悪い人間だっていつも言う。だけど本当は優しいまま……私以外の人たちにも優しいままの帆奈ちゃんだ。
……優先してくれないんだね、私との約束を」
「それと約束とは話が別でしょ」
「別じゃない! 本当は気づいてるんだ――――私を維持するためにはたくさん魔力を消費してしまうこと。帆奈ちゃんは私に言わないけど、実はグリーフシードのストックが減ってきているんでしょ?」
「…………」
「……ほらね。もし私との約束を優先してくれるのなら、帆奈ちゃんは魔法少女を魔女にしてグリーフシードを集めてくれるはずだよ? だけど帆奈ちゃんにはできないんだよね、みんなにも優しいから……!」
両手を握りしめ、小刻みに肩を震わせる瀬奈。
きっとあたしを心配してくれているのに、当のあたしに提案を却下されたことで裏切られたような気持ちになっているのだろう。
……でも、瀬奈は誤解をしている。
だからあたしは、あたしを責めるその視線にまっすぐ向き合い、教える。
「瀬奈は勘違いしているようだけど、理由は思いやりなんかじゃない。言ったでしょ――――あたしはそんなことに暗示を
「なにそれ……!」
「いいから聞いて。あたしが暗示を使わずに生活している理由、更に言えば極力暗示を使わずに魔女を倒している理由は魔力の節約だけじゃない。暗示が人からの貰い物だからだよ」
「人って、そんなの……」
「そう――――これは瀬奈みことのものだから」
一度間を置く。瀬奈はしかめっ面のままだが、黙ってあたしの説明を待っていてくれた。
瀬奈の昂りが抑えられたのを確認してから、今まで言う必要のなかったことを言葉にする。
「暗示は瀬奈のためにしか使わない。あたしのためには使えない。これはあたしの大事な人がくれた唯一の形見なの」
「だったら、なおさらじゃない……!」
「瀬奈、あたしは魔法少女をグリーフシードにしなくてもあんたと生きていける。グリーフシードは確かに減ってきてはいるけど、それは一時的なもので、すぐ元通りになる。
だからあたしはそんなことに暗示を使えない。あんたとの約束を果たす上で必要なことじゃないから、それは
「…………」
「……怖いの? 魔女に取り込まれそうになっていることが」
長らく避けていた質問をすると、瀬奈は露骨にギクリとした。
「……そんな、こと」
「瀬奈は昔からそう。思い悩むと急に不安定になって、空回りし始める。今だって不安を紛らわすために変なことをしようとしている」
「――――ッ、分かったふうなこと言わないでよ! 私がどんな景色を見せられているのか、どんな目に遭ってるのか、なんにも知らないくせに……ッ! だったらどうすればいいのッ? 帆奈ちゃんは私を助けてくれるというのッ!?」
「……瀬奈」
「どうせ帆奈ちゃんは助けてくれないんでしょ……ッ! 本当は大丈夫じゃないって、私はとっくに狂ってるって知ってるのに、いつまでも嘘をついている帆奈ちゃんなんだもんッ!」
荒ぶって吐き捨てるようにあたしを責め立てると、
「――――あっ……」
瀬奈は我に返って、全ての動きと言葉を止めた。
本当の気持ちを――――あたしに対する率直な不満を、ここまで明確に口にするつもりがなかったのだろう。
瞳が途方に暮れたように揺れ始め、そのうちまぶたに涙が溜まる。
唇をぱくりと噛んで真っ赤な血を流したのが見えたとたん、
瀬奈は消えた。
ぽかんとした虚空が残る。
身体に通したはずの魔力はソウルジェムに戻った。
瀬奈の方から魔力を拒絶したのだ。
「…………」
……あたし、瀬奈に拒絶されたんだ。
瀬奈は今不安定な状態にあるから、仕方のないことだと理解している。
ただ、瀬奈がこうやって気持ちをぶつけてくることは初めてで……少し、ショック、なのかもしれない。
大声が響いていたついさっきまでに反して、ここにあるのは静寂だけ。
瀬奈のいなくなった部屋は、全てが冷たい。
四肢が凍えるから、体育座りになって膝を抱きしめた。
頭の中で瀬奈の言葉が再生される。
――――どうせ帆奈ちゃんは助けてくれないんでしょ……ッ!
瀬奈が追い詰められているのは知っている。だから棘のある物言いはさほど気にしていない。
問題は、あたしが実際瀬奈を助けてやれていないことだ。
瀬奈の見る悪い夢も、抱えている不安も、ぶつける先のない怒りも憎しみも。
全てあたしの力が及ばないところで起きている事柄で、解決の手立てがまるで見つからない。
膝に深く顔を埋めてから、
「…………魔女退治でもするか」
無理やり平気そうな声を出した。
ここで縮こまっていては、抜け出せないところまでネガティブな感情に飲み込まれてしまう。
だから、ふらりとベッドから立ち上がり、リュックを持って宿の外に出た。
◇
吹き込む冷気の間を針のようなにわか雨が突き抜けていった。
風は脆い木造建築を打ち壊そうと凶暴に街を駆けていく。無力な窓がガタガタいっているのが、外からも聞こえる。
重い足を引きずって鏡となったアスファルトを踏んでいった。もやがかった世界の中を、当てもなく。
「いないな、魔女……」
手のひらの上に乗せた、大気と同じく曇ったソウルジェムを見つめる。朝に浄化したばかりなのに、さっそくあたしの心と連動して暗雲が垂れ込めていた。
歩道橋の階段を上る。
どんどん激しくなっていく雨に肩を打たれながら、さながら幽霊のように浮浪する。
それで。
ぱたり、と。
膝を折って地面に座り込んだ。
このままではダメだ。
魔女の侵食が日一日と広がっている。
魔女と完全に一体化した暁には、きっと他の魔法少女と同じように人格が吸収されて……この世から瀬奈がいなくなってしまうんだ。
あたしにできることは何もない。そんなふうに見える。でも、たとえ本当に何もできなかったとしても、必ず何とかしないと。
ここであたしまで希望を諦めてしまったら、誰も瀬奈を救えなくなるから。
「……絶望、か」
――――そうだ、魔女の本質は絶望だ。絶望ゆえに憎しみに染まり、絶望ゆえに怒りを覚える。
だとしたら、
「絶望の原因を取り除けばいい……」
希望を見せれば瀬奈は助かる可能性がある。
ふと、瀬奈がいなくなった当初の自分がしていたことを思い出した。
再会した日に言わなかった計画を、今度こそやってみよう。
成功するかどうかは分からない。徒労に終わるかもしれない。それでもやってみなきゃ始まらない。
瀬奈にとって希望溢れる世の中に作り替えることで、憎しみではなく愛情をもって生に臨めるようにする。
そうして夜景を見せよう。世界は瀬奈のことを必要としているんだって、瀬奈に知らせるんだ。
「グリーフシードは……」
リュックを正面に置き、前ポケットを外から触る。
濡れた滑らかな表面から2つの硬いものを感じ取った。
「……ちょっとキツいけど、ギリいけるか」
背負い直して、歩道橋の向こう側へと歩いていく。
可能性が脳裏にチラついた。これは賭けだ。
もしこの賭けに負けたとしたら――――
「…………」
右手の小指を出し、それを見つめる。
過去にそうしたようにそれを揺らしてみてから、そっとしまい込んだ。
◇ ◆ ◇
「瀬奈」
翌朝、あたしは団地の屋上で瀬奈を呼び出した。
雨上がりの爽やかな空気がきらきらと少女の形を映し出す。
瀬奈はあたしの求めに応じてくれた。頭を冷やして自責に苛まれている頃合いだろう。
「……帆奈、ちゃん」
予想通り、出てきた瀬奈は泣くのを我慢するように顔をこわばらせながら、あたしから目を逸らして俯いていた。
「ごめんなさい。帆奈ちゃんにひどいこと言って、逃げて……私、本当にどうかしてた」
「いや、瀬奈の言ってた通り、あたしは何の行動もしないで口先ばかりだった。瀬奈に無理をさせてた」
「そんなこと……!」
「だからさ――――」
深呼吸して、提案する。
「全部、台なしにしようよ」
「え……?」
キョトンとして疑問を漏らす瀬奈に、続ける。
「家族とか学校とか、そんなくだらない日常が瀬奈を憎しみに縛りつけている。なら、それらを壊せば瀬奈はしがらみから解き放たれる……でしょ?」
「壊、す……?」
「そう。あたしは魔女を操って町を混乱させていたって言ってたよね。本当は再会した日、瀬奈にこのことを提案しようとしていたんだ……あっは!」
そう言うと、瀬奈は不安げに眉をひそめた。
「で、でも、手持ちの魔女は足りてるの? それに、暗示を掛けるならグリーフシードの数が……」
「だいじょーぶだいじょーぶ! 瀬奈との約束があるし、グリーフシードの数は計算済みだから」
「……本当に?」
「本当!」
約束に支障を来さないことを確認して初めて、瀬奈はほっとした顔で頷いた。
「うん……帆奈ちゃんがそう言うなら。分かった」
「よし、それなら手始めに家族といってみよう!」
瀬奈の腕を引っ張って、さっそく実行に移そうとする。
……が、その前に、まずは今後行動する地域を決めておかないと。
あたしたちは――――
❖東で行動する。 (→7-2-1へ)
❖西で行動する。 (→7-2-2へ)