8-1 エックスデー(1)
――――よろしく! 「帆奈ちゃん」って呼んでいい?
全てが始まった場面を思い返す。
人生は選択の連続だというけど、瀬奈に心惹かれて共にいられる未来を夢見ることだけは、選択ではなく抗いようのない必然だったと思う。
あたしはきっと、道のりの途中で選択を間違えただけ。
一体どこで、あたしたちは夢にたどり着けなくなってしまったのだろう?
瀬奈が憎しみに染まったのは魔女の影響だから、たぶん、魔女にさせてしまった時点で全ては手遅れだった。
だとしたら、どうすればあたしは瀬奈を魔女にせずに済んだのだろう?
あのとき――――瀬奈が水名の家まで来てくれて、帰り際に玄関に立ち止まったとき。あたしは瀬奈を呼び止めるべきだったと思う。
素直に、あたしは瀬奈のことを想っていて、瀬奈にずっとそばにいてほしいんだって、告げて。
そうして踏み込むべきだった。手を差し伸べるべきだった。
「…………」
過去を振り返っても何一つ変わらないと知りながら、あたしは記憶の海に潜るのをやめられなかった。
あったはずの未来をこの手で壊したのだと、自分に理解させるために。
ずっとそばにいるという瀬奈の描いた未来図を切り裂いたあたしだからこそ、この裏切りを完遂させなければならない。
せめてもの贖罪を、瀬奈の当初の思いを守り抜くことを、成し遂げなければならない。
悪人であるあたしが滅ぶのは当然だ。その当然の報いが瀬奈の命を守ることに繋がるのだから、あたしはむしろ価値ある終焉をくれた運命に感謝すべきなんだろう。
そう――――今日はエックスデー。
瀬奈にお別れを告げる日だ。
最後のマンションを出て、真っ暗な夜空を見上げた。
ギリギリで用意できたあたしの誕生日プレゼント。それを贈るのにピッタリな天候だった。
月も星も見当たらない曇り空だが、雨が降る気配はない。街の明かりが映える背景だ。
瀬奈はどんな顔をするのかな。
約束を破ると決めた1週間前から瀬奈を呼び出していない。
夜景を完成させるのに忙しかったというのもあるけど、瀬奈の要望にはもう応えられないのが何よりもの理由だった。
瀬奈があたしに更なる破壊を求めても、その先に希望が見えなくなった以上、あたしは罪を重ねられない。もちろん、魔女に戻すのはなおさらだ。
だから、無事に夜景を贈ることを優先した。
半年前の自分には想像できないことだろう。瀬奈をこの世に生み落としたことがどうしようもなく嬉しくて、そばにいる全ての瞬間があんなに大切だったから。
あの頃の気持ちを思い出すと胸が張り裂けそうになる。
瀬奈とずっと一緒にいたい――――幽霊との日々が幸福だったからこそ、あたしまでもが同じ願いを抱いてしまった。
罪深いあたしには不相応な願いだった。
今となっては、全てが
「……行くか」
一人、工匠区の川沿いから中央区に向かう。
ここから4駅分ほど歩けば電波塔に着く。
休日夜の中央区は人がそう多くなかった。ショッピングモールは既に閉店時間だし、展望台もあと少しで閉まる。東側の繁華街はまだ賑やかだが、西に行くに連れて通行人の姿を見なくなった。
しんと静まり返った公園の中に入る。
かなり広い公園で、電波塔への近道だ。
時計台を見ると、時針は10と11の間を指していた。今から歩けば、ちょうど展望台の閉館時間に着くだろう。
早足でベンチを通る。
すると、かつての出来事を思い出した。
公園で、穏やかなひと時を過ごしたこと。
瀬奈が初めてまっすぐ好意を伝えてくれたときのこと。
あの日の青空はきらきら輝いていたこと。
「…………っ」
歯を食いしばり、ベンチから顔を背けた。
今になって手に入らないものを希求しても仕方がない。
ずっと一緒の生活はもう、送れない。
チクチクと痛む心臓を押さえつけるようにして息を吐く。
一歩、一歩、足を動かす。
今日は瀬奈にさよならを告げる日だ。瀬奈の前では堂々と胸を張って、最期の画面をその目に焼きつけさせなければならない。
なのに、未だに自分の中には約束への憧れがある。
幸せが足にしがみついて、あたしの歩幅を縮めていく。
それを振り解くために、目を閉じ、深呼吸をし、思い切り前へと踏み出した。
そうしてから目を開けた瞬間、
――――ズバッ、と。
過去に浸るあたしを責め立てるような、
赤。
「――――ッ!」
紅の一閃。稲妻のような刀の残像が朱の花びらを散らかした。
自分の身体から真っ赤な液体が噴き出る。
揺れた視界で、鋭利に収斂する矛先を捉える。
針の先端が、きらりと光ったのが見えた。
しかし、視覚で動きを察したということは、情報伝達に時間が掛かったことを意味する。
脳が働くより先に、次の斬撃が胸部に食い込んだ。
「ぐあ……ッ!」
「まだっ!」
左手の刀で切りつけてきたと思えば、右の刀が眼前に迫る。
和装の少女は容赦なく両手に握った武器を交互に繰り出してきた。
状況を理解した一秒前のおかげで体を大きく回転させて避け、致命傷をかすり傷にする。
(しかし――――)
ためらいなくあたしの身体を壊そうとする動きでありながら、死の気配を感じさせない。
殺す行為と、殺す気のない心持ちが俊敏な動きの中で調和している。
だとすれば、彼女……常盤ななかは、魔法少女の本体がソウルジェムにあることを知っているのだろう。
あたしを徹底的に打ちのめそうとしているが、まだ殺そうとはしていないのだ。
「はあっ!」
次なる煌めきが闇に走る。可憐に、そして冷酷に。
「くっ――――!」
回避しようとするが、切り裂かれた左肩と胸部が泣いて叫ぶ。
痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛
「っ、ぐは――――ッ!」
激痛を気合で耐えて、勢いよく跳んで後ずさる。
どさりと、硬い地面にかかとをぶつけるのと同時に声に出した。
「――――痛みを忘れてッ!」
命令を受け、すっと苦しみが患部から虚空へと抜けていった。
脳が警告を忘れる。鮮血を流しながら健康そのものになる。
ケガがないなんて嘘だ。嘘で現実を塗りつぶしたところで嘘は所詮嘘であり、身体は絶え間なく命を失い続けている。
しかし、強情を張るべきところでは嘘も方便だ。
「あっは……!」
そう笑えるくらいには、暗示が効いてくれている。
素早く変身し、今度こそ身を翻して全速力で逃げた。
「……っ!」
すかさず飛びついてくる赤い影。あたしを逃すまいと、燃え上がるような存在感を纏って追い詰めてくる。
距離を離さなければ話にならない。
常盤ななかの武器は刀だ。接近戦の技術と機動力では向こうが一枚上手である以上、どうにか間合いを取らないとそのペースに巻き込まれてしまう。
マンキャッチャーは近距離で使える対人武器だが、捕らえるという機能をつけた代わりに殺し合いでの使い勝手が槍の劣化版のようになってしまった。そして捕らえるといっても、敏捷な動きの魔法少女に引っかけるなど不可能に近い。
つまり、この場を凌げるものは暗示しかない。
遊具のそばまで走り、サッと砂場に足を突っ込む。
「はぁ――――!」
常盤ななかが詰めてきた。双剣を舞わせ飛び上がり、あたしに決定打を与えるために武器を振り下ろそうとする。
冷めたようで熱い眼差し。
まともにやり合っては、敗北しかないだろう。
だが、空中にいる今が好機だ。
この瞬間、あたしは砂場に魔力の雷撃を思い切り叩きつけた。
「――――!」
ぶわりと粉塵の嵐が巻き起こる。
砂のブラフに隠れ、敵のいるであろう位置にマンキャッチャーを傾けた。
「とま……」
そうして暗示で時間を稼ごうと命令を唱えるが――――
「――――がはッ!」
刹那。
布を切り裂くように、背中の皮膚を突き破られる。
ズサッという音が聞こえたとき、刀は既にマントを貫通して表皮を破壊し尽くしていた。
前方空中から一気に背後に回った超人離れの技。おそらくブラフを逆手に取って、空中にいながら魔力で加速し
仇討ちの時間だからか、規格外の動きをしやがる。
(一応、まだやれるか……)
身体の状態を確認する。
強力な自己暗示のおかげで怯むほどの痛みはないが、あるべきものが液体になってこぼれる感覚は徹底的に気持ちが悪い。
ただ、その吐き気にいちいち構っていられない。
今はとにかく脱出しなくては。
あたしの首を取ったと思ったのか、常盤ななかは攻勢を緩め、刃を続けて振るわなかった。
その隙を狙って、公園西側にあるオフィスビルへ走り出す。
「なっ――――まだ動けると……」
背後から追いかけてくるが、その速度は落ちていた。あたしの固有魔法について思索を巡らしているのかもしれない。
そうする余裕があるということは、あたしを捕まえる他の手立てがあると読んでいいだろう。
常盤ななかはあたしに復讐するためのグループを束ねていた。その策士的な性格からしても、単身であたしに戦いを挑むことはありえない。
そうであれば、あたしは最初からつけられていて、少なくとも4人に包囲されていると考えるのが合理的だ。
「あっは……やっぱりか!」
さっそく答え合わせの時が来た。
退路に立ち塞がっているのは、チームメンバーの一人。爪型の武器を使う、中華風な青いやつ。
「挟み撃ちってことねぇ……」
口角を吊り上げて余裕ぶりながらも、脳内で逃げ道を必死に思い描く。
ただでさえこちらは深手を負っているのに、人数でも不利となるといよいよ袋の鼠だ。
こういうときは、
(地下、地上、空中)
立体的に町を捉え、どこであれば優位に立てるのかを考える。
自分にあって、こいつらにはないもの。
ここ中央区は2年前から活動している場所だ。地理は当然熟知しているし、なにより――――
「……あっは!」
地面を蹴り上げ、駆け出す。それに応じるように目の前の青いやつも高速で向かってきた。
「ななか、今ネ!」
敵の少女がそう叫ぶと、背中の側から凄まじい圧が詰め寄ってくる。
ただ、連携を取る分、二人の動きは予想がつきやすくなっている。どれだけ息ぴったりなチームでも、仲間に配慮する必要がある以上、動きがパターン化されてしまうのだ。
身をよじって髪を掠めるところで攻撃を避ける。そうすると、二人は勢いを減殺できずにすれ違った。
その影と影が重なるタイミングで、右手に握ったマンキャッチャーを突き出し、切り札を切る。
「――――はい止まって!」
瞬時、見えざる手によって拘束されたように、二人はぴたりと動きを止める。
取った。
一旦成功すれば、拙い暗示でも1分ほどは効いてくれる。
そして1分もあれば逃走には十分だ。
再び公園の前にあるオフィスビルを目指して走り出した。
このとき、左右で身を隠して待機していた残り2名のチームメンバーがようやく出てきた。
大通りまで追いかけてくる。
その追跡を振り払うために地面を蹴って、
「なっ――――!?」
呆気に取られたボーイッシュな少女をよそに、垂直の壁をすたすた走った。
もちろん、ウォールランを実現させるために魔力を足に込めている。これくらいは身体強化系の固有魔法がなくても可能だ。
「……っ、それならボクも!」
地上から足音が上ってくる。すぐにコツを掴んで追いかけてこれているあたり、元から身体能力に優れた魔法少女なのだろう。
ただ、こちらとしては壁面での追いかけっこに付き合ってあげている暇がない。
そう――――あと少しでタイムリミットがやってくるのだ。
町が一気に暗くなり、あたしの思いが形になる瞬間が。
「そんじゃ、お先!」
思い切り窓に蹴りを入れてガラスを割った。
破片の向かい風に身を投じて暗いオフィスの中に転がり込む。