瀬奈が眠っている記憶のストレージに魔力をたっぷり込めた。
プログラムが立ち上がるように、虚空がゆっくり瀬奈の形をなしていく。
「帆奈、ちゃん……」
呼び出された瀬奈は目を皿のようにしてあたしを見つめた。
1週間ぶりの少女に、夜景の方を指差して告げる。
「瀬奈、あっちを見て」
「……なんで?」
「え?」
しかし、瀬奈は窓の方に目を向けることなく、吸い込まれたようにあたしをじっと見ている。
震える低い声で、あたしに聞く。
「なんで帆奈ちゃん、そんな傷だらけなの?」
――――痛。
痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛
「――――アッ、ぁがっ、アァ……ッ!」
「帆奈ちゃんッ!」
瞬間、暗示が解除される。
そうして初めて見えた……いや、見えていたものが初めて認識された。
ガラスに映ったあたしの身体は、ビッショリと真っ赤だった。
血液に濡れた人体。
斬撃による肩、胸と背中の創傷が炎のように燃えている。大量出血で酸素が届かなくなった部位の感覚がない。
傷口の周囲が生に縋って痛みを叫び、傷口そのものは既に死んでいる。
これは、局部的に死んだ人体だ。
「ぁ……ぐ、アアア……ッ!」
ドサッと尻餅をついて、反射的に手で肩を押さえた。
ベッチョリとした内臓を触るような感触。新鮮で水っぽい肉をふにゅっと摘んでいる。
身体の内部に直接触れるのは痛い、しかしそれを押さえつけなければ狂ってしまいそうだ。
ああ、熱い。回復しようとする身体の働きが熱い。
生の代償が熱すぎる……!
「帆奈ちゃん、無理しないで! まずは痛みの遮断と治癒の方に魔力を回して! こんなのグリーフシードで浄化すればすぐに……」
「グリーフ、シードっ、もう、ない……っ」
「え……」
瀬奈の言う通りに痛みの遮断と治癒に魔力を使ってから、呼吸を整えるのに専念する。
「ぅあ、はっ……ハァッ……」
「帆奈ちゃん……!」
「はぁっ……はぁ……だい、じょーぶ……」
幸い本物の内臓までは壊されていなかったから、回復系の固有魔法がなくても共通スキルでなんとかカバーできる傷だ。
痛みが魔力の嘘によって隠蔽されていく。
そのうち、正気を保てるくらいには傷口の熱さを緩和できた。
「あのね、瀬奈。実は魔力は別のことに使ったんだ。
――――後ろを見て」
座り込んだまま再び瀬奈に言うと、ようやく瀬奈は目を外の景色の方に向けてくれた。
「――――――」
「誕生日おめでとう、瀬奈。ちょっと遅れちゃったけど……お祝いはでっかいのやったげるって言ったでしょ?」
「…………。
…………これ、私の、ために?」
ぽかんとした顔で、瀬奈は自分に贈られた夜景を眺めている。
「うん。世界中が瀬奈の誕生をお祝いしてくれてるんだよ」
「……それで、私のために帆奈ちゃんがこんなケガをしたの?」
「それは関係ない。ケガはちょっとした事故なの」
「――――っ、ちょっとなんかじゃない! 帆奈ちゃん、どうしてケガしたのっ? 誰にやられたっ?」
ずいっと身を乗り出して。
打って変わった険しい表情で、瀬奈はあたしの手を両手で握りしめた。
あたしが負傷した状態では夜景どころじゃないのか、あたしに合わせて膝を折った瀬奈は深刻そうにまっすぐこちらを見つめてきている。
確かに、今笑顔でこの贈り物を受け取れと言っても無理があるだろう。
(ああ、またやらかしたな……)
一番肝心な場面で間違えてばかりだ。
本当はとびっきりの笑顔が見たかったのに、どうしてこんなふうに困らせてしまうんだろう。
笑って受け取ってもらって……そうしてあたしの言いたいことを理解してほしいのに、瀬奈にちゃんと伝わった気がしない。
「……帆奈ちゃん、どうして答えないの? 私には言えないってこと? やっぱり私のせい……?」
「いや、そうじゃなくて……。分かった、今から説明するから」
……しくじったっちゃしくじったけど、今がどんな状況であろうと、このライトアップされた町が思いを伝える時の背景に最もふさわしいことは変わらない。
気を取り直して、視線を瀬奈の顔に固定する。
「ケガは、いつもの追手にやられたやつね。ただ、瀬奈にはあいつらのことを悪く思わないでほしい」
「そんなの……!」
「あたしが悪いもん。悪いやつが罰されるのは当たり前だよ」
瀬奈の声に自分の言葉を覆い被せて、続ける。
「それとね、瀬奈。あたし、今まで言わなかったよね。あたしがなんでこんなふうになったのか、なんで罪を重ねたのか、瀬奈が生まれるまでに何があったのか」
「……それを話すのは今じゃなくていい。今は早く逃げて、それで帆奈ちゃんを治さないと……っ!」
「――――いや、今から全部話すよ、瀬奈が魔女になった日のことから」
「なんで……」
「あたしは決めていたんだ……瀬奈へのプレゼントと一緒に、あたしの記憶も渡しておこうって。そうすれば、瀬奈が生きているってことがあたしにとってどんな意味を持つのか、きっと分かってもらえると思うから」
あくまで押し切る。
あたしにはこれ以上時間が残されていないし、今言わないと瀬奈にはあたしの意図を知ってもらえない。
だから、ここだけは強引になる。
「帆奈ちゃん……」
「あたしには計画があるの。それも含めて、全部伝えようって思ってるんだ」
「……計画?」
「うん。だから、聞いて」
語気を強めて、再度要求をした。
すると、瀬奈は納得しない顔で涙を浮かべながらも、
「…………帆奈ちゃんがそこまで言うなら、分かった」
と、やっと頷いてくれた。
了承が得られたので、窓の方に視線を移す。
ただ一人に贈られた世界のバースデー・メッセージを眺めながら、あたしは瀬奈に語った。
◇ ◆ ◇
「瀬奈ッ! 瀬奈、しっかりして! 瀬奈……ッ!」
瀬奈はあたしの目の前で魔女になった。
ある日、突然に。
……と、あの時は思っていたけど、前触れなく起きたことではなかった。
あの日、瀬奈は味覚がおかしくなり、しかもいきなり倒れてしまった。
予兆があった以上、原因を知った上で正しく対処すれば瀬奈は今も人間として生きていたはずだ。
しかし、あたしはグリーフシードで瀬奈のソウルジェムを浄化せず、回復したばかりの瀬奈を外に連れ出してしまった。
そして皮肉なことに……あたしは万が一のために取っておいたグリーフシードを家に置いていた。
あたしには瀬奈に償う義務がある。そう思った。
瀬奈に手を差し伸べることなく、傷ついていく過程でずっと見てみぬふりをした。
他の魔法少女を避けて情報収集を怠ったゆえに、ソウルジェムの状態確認を軽視した。
万が一の事態がまさに起きようとしている状況で、グリーフシードを持ち歩かなかった。
明らかに体調が悪化していた瀬奈を安易に連れ回した。
瀬奈の死はあたしの責任だ。
――――ゴツン! ゴツン! ゴツン!
鏡の魔女を暗示で退去させたあと、あたしは神社の石畳に何度も頭を打ちつけた。
願いの力で平穏な生活を手に入れて、大切な人と幸せな時間を過ごして、暗示という最強の道具を手にした。
これであたしは冷たい世界から逃げ切れる――――そんな幻想を打ち消すために。
硬いもの同士のぶつかる悲愴な音は境内に響き渡っているのに、額の痛みはちっとも感じない。
それくらいにあたしは魂を抜き取られて、空っぽになってしまった。
それから、瀬奈の遺体を抱き上げて、深夜の町を歩いた。
日が昇っていた頃に喜んでくれたような抱き方で、遺体を運ぶ。
水名から大東まで歩いた。
とんでもない距離だけど、疲れなかった。もう感覚が全てなくなっていた。あたしはもはや動くために動く機械だった。
瀬奈の住んでいた神浜大東団地に入り、廊下と階段をぼうとした頭でひたすら移動する。
そうしてようやく「瀬奈」と書かれた表札を見つけた。
試しにドアを押してみると、それは手応えなく開いた。
腐臭にアルコール臭。
むせ返るような匂いに、ようやく現実感を取り戻す。瀬奈から聞いた話とは大違いの空間だった。
吐き気に耐えながら、あたしは暗い廊下を突き進む。
そうして目に飛び込んだ景色は――――
死、だった。
「――――ッ!」
瀬奈があまりにお粗末に証拠を残すから、全てが手に取るように分かっちゃった。
男の遺体のそばで、裸の女が酒瓶に囲まれて眠っている。
見た目からして、それが瀬奈の母親だということは明らかだった。
(…………)
(……あたしは)
(瀬奈をこんなところに、一人放置して……)
(――――みんな、瀬奈をこんなところに一人放置してたの?)
既に濃茶になった血液の汚れが散りばめられたフローリングを見て、あたしは胸の奥底からただ一つのものが無を突き破って噴き出るのを見つける。
――――怒り。
その瞬間、あたしは世界から瀬奈を奪ったものの正体を知った。
瀬奈を追い詰めた全ての
だとしたら、理不尽が――――悪があたしの敵だ。
知らない間に、唯一大切なものを奪われた。
唯一きらきら輝いていたものを穢された。
唯一愛したものを壊された。
胃から込み上げてくる。
綺麗なものが悪に追い詰められてどん底に転落する現象は心底嫌いだ。
どうして瀬奈は傷つかなければならなかったんだ。どうして瀬奈まで手を汚させられてしまったんだ!
このときあたしは、一つの結論にたどり着く。
――――この社会は間違っている。
悪意がまかり通るこの社会は間違っている。瀬奈をこの環境に陥れ、助けを求める瀬奈を無視し、瀬奈の心を濁らせ、今も知らん顔をして昨日と同じように回っている、あたしを含むこの社会は間違っている。
昔から悪意ばかりが日の目を見ていた。
あの男もあの女もあたしをいじめたやつらも、そしてこうして瀬奈を苦しめたこの女も、社会は罰してくれなかった。
悪意を放置して、何事もなかったかのように綺麗事ばかり言っていた。
だから力のない者は善のまま打ちひしがれるか、悪から逃れるために自ら悪になるしかなかった。
これは間違っている。
「そうだ……」
復讐。
復讐だ。
復讐しなくては。
瀬奈の死を背負ったあたしは、この罪責を負うあたしは、瀬奈を奪ったこの間違った社会に復讐をしなければいけない。
全部壊そう。
搾取し、圧迫し、
そのために何を捧げてもいい。
たとえあたし自身が、悪の権化に成り下がったって構わない。
ここを瀬奈に優しい世界にしよう。そのために全ての時間を費やそうと思った。
荷物をまとめて、家を出た。
学校、未来、人間関係……あたしはあたしを取り巻く一切をバッサリと切り捨てた。
モノクロになった世界を放浪する。
魔女を操ることで既存の社会を否定しながら、当てもなく生きていた。
心の支えになったのは、鏡の魔女だった。
どれだけ名前を呼びかけても反応してくれないけど、現実に怯え閉じこもって夢を見る黒い影の魔女は、間違いなく瀬奈みことそのものだった。
そして、半年ほど経つと変化が生じた。
鏡の魔女に他の魔女を捧げ、討伐しに来た魔法少女を追い払ったりして育てているうちに、あたしは自分の周囲に瀬奈の気配を感じるようになったのだ。
だから、街に出て群衆の中から瀬奈の面影を探したり、呼び出すために血液で魔法陣を描いたりと、色々なことを試して瀬奈を呼び出そうとした。
復讐のためだけにやっていた破壊工作も、瀬奈がこの世に誕生したときに少しでも幸せに生きていけるようにするという目的を得た。
あたしはその間に瀬奈の敵である悪になってしまったけれど、瀬奈が生きていくためならそれで構わなかった。