「だからね、瀬奈――――瀬奈は必ず生きていて。
憎しみを全部忘れてとは言わないけど、今日のことを思い出して、世界は瀬奈に優しくなれるんだって信じてほしい。瀬奈が生きることは、あたしの唯一の望みなの」
胸の内を打ち明けると、瀬奈は当たり前のように答える。
「私は生きるよ、帆奈ちゃんとずっと一緒にいるって約束したんだもん」
「――――あたしがいなくても、生きていて」
覚悟して、伝えなければいけないことを伝える。
瞬間、瀬奈の顔が分かりやすく固まった。
「どういうこと……?」
「あたしはこれから
あたしは多くの人を殺して、色んな人を傷つけた。要は――――今のあたしは瀬奈を苦しめていたやつらの同類だ。悪いやつは相応の裁きを受けなくちゃならない……そうしないとすごいムカつくでしょ? そんなところにいても、瀬奈は幸せになれない」
「そんな、こと…………。
――――約束、破る、の?」
瞳孔を小さく収縮させて、瀬奈は頭の中が真っ白になったような表情であたしに聞く。
胸が痛い。
けど、正直に、明確に答えなければいけない。
だからあたしはしっかりと頷いた。
「ごめんね、瀬奈。だけど、こうするしか
「滅びを、止める……?」
「あんたの魂にはあたしが刻まれている。そうであれば、あたしが滅びることで魔女は滅びに対する抵抗を覚える」
「…………」
瀬奈は信じられないというように目を見開いてあたしを見てから、夜景の方を顔を向けた。
そうして、震え始める。
瀬奈は町明かりに怯えるように肩を震わし、しかし見惚れたように目を離さず、あたしからのプレゼントを注視していた。
やがて、言う。
「…………帆奈ちゃんは、約束はおかしくなっちゃったって、そう言ってるんだよね」
「…………」
「ごめんね、もう分からないや……約束が大事なこと以外、何が正しくて何が間違っているのか、どんな気持ちだったのか……もう、全く……」
夜景を映す瞳から、透明の液体が溢れてきた。
瀬奈は自分の誕生を祝福する町をどういう心境で見ているのだろう。
愛したくても愛せないのかもしれない。
今や魔女の憎しみは瀬奈の一部となってしまって、患部を取り除こうとすると全身が機能しなくなる。
希望を持てと瀬奈に言っても、それは無理を強いることでしかないのかもしれない。
それでも、その魂に何かが残ることを祈り、瀬奈を見守る。
静寂。
それを経て、痛ましい微笑を浮かべ、瀬奈は口を開いた。
「帆奈ちゃん、逃げようよ。帆奈ちゃんが生きてくれるなら、もう滅びなんて言わない。だから逃げよう」
「……魔女はそれで納得してくれるの?」
瀬奈は首を横に振った。
「魔女の気持ちに抗うなら、いずれ私は消える。だけど、帆奈ちゃんが生きていればそれでいい」
「だったら、ダメ。あたしは瀬奈を消させないから」
「それは私もだよ……。それにね、帆奈ちゃん。私は帆奈ちゃんと一緒にいたいという願いで送り出された人格だから、帆奈ちゃんを失ったら今度こそ全てに絶望してしまう。私はきっと帆奈ちゃんを奪った世界が許せなくなる……そうなったら、きっと歯止めが効かなくなって、かえって世界を恨んでしまうの」
「…………」
あたしの命を選ぶなら、瀬奈は魔女に適合しなくなって死んでしまう。瀬奈の命を選ぶなら、あたしの死で魔女を止めなければならない。そしてそれが吉と出るか凶と出るかは、現時点判然としない。
ずっと一緒にいる方法は人類を皆殺しにすることだけ。
だけど、あたしはそんなことをさせない。
船が沈没する中、一人しか乗せられない未来への小舟に誰を乗せるか。
結局、シンプルな問題だ。
瀬奈も同じことに気づいたのか、諦めたようにスッパリと言った。
「帆奈ちゃん、生きられるだけ生きてみよう。それで、全部終わるときは、もう……一緒に死のうか」
「…………ダメ。瀬奈は消させないって言ってるでしょ」
その案には賛同できない。
しかし、
(これ以上何を言っても押し問答、か)
代案なんて、もうない。
瀬奈はきっとあたしを止めるだろう。世界か自分を犠牲にして、あたしを守ろうとするだろう。
……なら、あたしが先に入水すればいい。
そうして残った小舟に、瀬奈を無理やり乗せる。
幸い、常盤ななかにやられた傷口が少しずつ治ってきている。今なら動けるだろう。
地面に手をつき、膝を立てて立ち上がる。
「帆奈ちゃん……どこ行くの? 休まないと……」
「今から魔女に滅びを見せる」
「――――ッ! だ、ダメッ! ダメだよ、帆奈ちゃん……!」
あたしを止める悲痛な声。聞かなかったふりをして、鉛のような足を引きずって非常口に向かう。
瀬奈はあたしの腰にしがみついて止めようとした。しかし、どれだけ力を込めようと試みても、幽霊の瀬奈は物理的にあたしを引き止めることができない。
「ダメッ! 帆奈ちゃん、そんなことしたら許さないからッ! 絶対に、私は絶望する……世界に絶望するからッ! 世界が許せなくなるから!」
「……でも、今のままだって滅ぼしたいんでしょ。だったらやってみなきゃ分からない。それにあたしは悪いやつなんだ。相応の罰を受けるのが筋だよ……その筋を通しに行かないと」
「罰なんて知らないよ……! ――――ああ、そう……帆奈ちゃんが死のうとするなら、私が先に動けばいいんだね」
ふと、瀬奈はあたしに抱きつくのをやめて、立ち止まった。
不穏な動きにすぐ振り返る。
涙でぐちゃぐちゃになった赤い頬を軽く擦り、瀬奈は背筋を伸ばしまっすぐあたしに目を合わせた。
「――――――」
その姿になぜか恐怖を覚えた。
まるで瀬奈こそが死地に赴く者のようで、その気迫に飲まれ、不覚にも肌が粟立った。
そうして瀬奈は言葉を発した。
「――――切り捨てるよ。魔女に染まった部分を、全部」
「なっ……!」
今の瀬奈には魔法を使うことはできないはずだ。しかし、確かな魔力反応があたしの中から抜けていき、展望台の大気に溶けていく。
困惑するあたしに、瀬奈はクスリと笑った。
「んふふ……帆奈ちゃん、暗示の魔法は解除できるんだよ? そして、私の魔法は、本当は移植の魔法――――つまり、移植の魔法も解除できるの」
未だに外に流出していく魔力。その正体に気づいたとき、心臓が重々しく胸を打ちつけた。
瀬奈は自分の記憶をベースにして、あたしの中に人格を植えつけた。それを解除するということは、
「瀬奈……っ、だ、だめっ、そんなことしたら、
瀬奈は自分の記憶を――――今の瀬奈にとって身体となるものを永遠に放棄することになる。
これは禁じ手だ。
記憶を基盤に作り上げられた人格が記憶を失えば、必ず歪みが生じる。
今までの瀬奈を構成していたものは分解され、再構築される。今まであたしと笑い合っていた瀬奈みことは、二度とこの世界に存在しなくなる。
「っ……やめてッ! 今からでも止めて……! 瀬奈ッ! お願いだから……っ!」
「帆奈ちゃん、焦ってるんだね……。あんなに暗示が得意なのに、忘れちゃってる。暗示の解除そのものは魔力を送る行為じゃなくて、既に送り出した魔力の解除する条件を事実上満たしてあげることなの。だから、一度条件を満たせば、魔法を切って解除を中断するなんてことはできない。
全部、帆奈ちゃんが教えてくれたことだよ?」
「……っ、あぁ…………」
「ねえ、帆奈ちゃん――――それでも死ぬと言うなら、私は魔法をまるごと解除して、私を殺すよ。だから、帆奈ちゃんは死ねないの……私が消えるまで、帆奈ちゃんは死ねない」
「だって帆奈ちゃん、私のこと殺せないもんね?」
瀬奈の幻像が揺らぐ。ノイズが入って、瀬奈みことという存在がどんどん曖昧になっていく。
魔法少女の衣装がチグハグになっていく。
微笑んだ瀬奈の表情が、どんどんぼやけていく。
ようやくこの世に生み落とした瀬奈が、失われていく。
記憶の欠片が落ちていき、少しずつ生が死となる。瀬奈の温もりが、冷えていく。
「…………あ、あぁ……」
「ぅあっ……く……っ……」
「瀬奈…………瀬奈……!」
「ぁ、れ。帆奈ちゃん……」
音を立てずに、瀬奈は倒れ込んだ。
息する仕草すらなくなる。
そうして半透明になって……一糸纏わぬ生まれたままの姿で、上体を起こした。
「帆奈、ちゃん。私、なんか夢を見てたみたい……」
「…………」
「ここ、展望台……帆奈ちゃんと来たところだよね」
「……それは、覚えて、るんだ、ね」
絞り出した言葉に、瀬奈は小さく頷く。
「うん……展望台なのしか分からないけど……」
「…………この町がどこなのか、分かる?」
「ん……分かんない。どこなんだろう?」
瀬奈は小首を傾げて、目をぱちぱちさせた。
「……そっか。契約のことは? 家族のことは……」
「契約? なにそれ?」
「……ッ」
自分の命と引き換えに得たものを、瀬奈は躊躇なく捨て去った。そうであれば、あれだけ瀬奈の心で大きな割合を占めていた家族のことも、
「家族も、分かんない。私、帆奈ちゃんしか知らないよ?」
忘れてしまっている。
「…………そっか。現時点で、覚えていることは……?」
「うーん、帆奈ちゃんと初めて会って、メッセージもらって、学園祭回って、お泊まりして、何かと戦って、パフェ食べて……」
「…………」
あたしも知っていることばかりだった。
瀬奈はあたしとの時間以外全て捨てたのだろう。
裏を返せば、あたしとの時間以外は全て魔女に染まってしまっていた。
瀬奈は苦しい中で、あたしとの記憶を一番大切に守ってくれていたのだ。
これで、瀬奈みことの人生を知る者は一人もいなくなった。何を愛し、何で傷ついたのか、何を欲していたのか。それらが全て、世界から失われてしまった。
「っ……」
ポタリと、雫が落ちる。
展望台の床にぶつかり、広がる。
その液体は実体を持っていた。
「帆奈ちゃん、泣いてるの?」
瀬奈の心配そうな声が聞こえる。
しかし、涙が止まってくれない。
手で目を覆う。そうしても、指と指の隙間から涙がこぼれてしまう。
あたしは瀬奈を守れなかった。瀬奈に自分の手足を切り落とさせてしまった。
しかも、魔女に染まった部分を消すことは応急処置でしかない。魔女の魂に依拠する限り、瀬奈は今後も自分がなくなるまで……あたしとの記憶を全部失うまで、自分自身を殺していかなければいけないのだ。
移植の解除は根本的な解決にはならない。一緒にいられる時間を最も長く伸ばせる方法にすぎなかった。
「分からないけど、泣かないで。ほら、夜景……すっごくきらきらしてて綺麗。ハッピーバースデー、だって」
「…………綺麗に、見える?」
「うん、きっとすごく恵まれた人へのメッセージだよ。素敵だね……」
瀬奈はあたしに純朴な笑顔を咲かせたあと、頬を緩めた表情でうっとりと夜景を見つめていた。
こんな形で笑ってくれるとは思わなかった。こんな形じゃなきゃ、笑ってくれない。
「…………」
「んふふ、夜ってこんなに明るかったんだ」
ああ、でも……その笑顔が本当に眩しくて、胸の欠けていたところが温もりで埋まっていく。
だから、あたしは瀬奈を抱きしめた。
人生の重みを全て掛けたつもりで、瀬奈をぎゅうと抱きしめた。
「――――ハッピーバースデー、瀬奈」
「え?」
「これは瀬奈へのメッセージなの。……瀬奈、生まれてきてくれてありがとう」
締まりのない涙声で告げる。
「わた、し? ……そっか。帆奈ちゃんが作ってくれたんだね……こんな、素敵なもの……、……っ」
あたしの気持ちが伝染ったのか、瀬奈まで嗚咽を漏らし始めた。
静かな展望台で、二人泣いている。
今から筋を通しに行くはずだったあたしは、ある意味生まれてきたばかりの瀬奈を腕の中に入れて、思う。
――――生き延びないと。
悪は裁かれなければいけない。滅びを受け入れてはならない。
だけど、移植の魔法が解除できると判明した以上、あたしが死んだとき瀬奈は必ず残りの自分をも殺す。
瀬奈を生かすためには、生きていくしかない。
だから、たとえこれが罪であっても、不条理を肯定することになっても、あたしの心が耐え切れなくなっても、あたしは生きていくしかない。
正しい社会を証明して復讐を成し遂げることよりも、あたしは瀬奈を生かすことを選ばざるを得ない。
あたしには瀬奈を殺せないから。
どれだけ苦しい未来を迎えることになろうと、あたしはそうせざるを得ないのだ。
この先に絶望が待ち受けていようと、今は生きていくだけ。
瀬奈が魔女に追いつかれるまでの猶予時間で必死にもがきながら、今を生きるしかない。
だから、
「ねえ、瀬奈」
「――――ふたりで、生きよう」
あたしは瀬奈に告げた。
命のおもりを乗せられてひび割れた精神が、どれだけの時間に耐えられるかは分からない。
あたしが壊れるのが先か瀬奈が壊れるのが先か、それとも奇跡がまだあり得るのかも、分からない。
そんな不確かな未来を、理想を折り曲げてでも醜く求めている。
生きるとはそういう言葉だ。
不思議なことに、瀬奈の無邪気な泣き顔を見ているとそんな罪を重ねてみようと思えてくる。
不条理に満ち溢れた醜い世界を肯定することになっても……生まれ変わった瀬奈が不条理の中を生きることを肯定することになっても、だ。
(瀬奈)
(あたしを必要とするのは、けっこー間違ったことなんだよ……?)
(そこだけは、瀬奈が悪いからね……)
瀬奈を抱いたまま、心の中でつぶやく。
そんな罪の意識を知らずに、瀬奈は泣き笑いであたしに答えてくれた。
「うん……ずっと一緒に生きよう、帆奈ちゃん」
そうして、小指を差し出してきた。
2本の細い指はすぐに折れてしまいそうな重みを乗せながら、絡まり、揺れた。
明日にでも果たせなくなりそうな約束を交わし、朝が来たら覚めてしまいそうな夢を見る。
ほんのりと照らされた手と手。それを離してから、くすりと笑い合う。
夜の砂時計が数えている。
聞こえないふりをしながら、あたしたちは罪深い約束に浸るように、抱き合った。
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