ふいに、風が道路をよぎった。
ふわりと吹き上がる桜吹雪が青空に白いスプレーを掛ける。
キャンパス内は満開の桜で彩られていた。
それを瀬奈に見せようと、大声を出す。
「せーなー」
「はーいっ、帆奈ちゃんっ!」
あたしに呼ばれて、元気のいい返事と共にひゅるりと背後から瀬奈が現れた。
ぽふっ、と、いたずらっぽくあたしの背中に抱きつく。
ぽふっ、というのは比喩ではなく、本当だ。
今の瀬奈には感触がある。
「ねえねえ帆奈ちゃん、私も授業に出たい!」
「だーめっ、瀬奈は授業妨害するから許しませんっ」
そう言うと、瀬奈はぷくーっとほっぺを膨らませた。
「帆奈ちゃんばっかりずるい」
「だったら、授業中に変ないたずらしてくるのはやめて」
「だって、帆奈ちゃん真っ赤になってかわいいんだもん」
全く反省していないので、ぷいっと顔を背けて却下だ。
勉強中は魔力の供給を切ると決めている。
瀬奈がとなりにいると、抱きついてきたり……えっと、もっとすごいことをしてきたりするからだ。
「でも……そっかぁ」
ふと、感慨深そうに声を漏らす瀬奈。
「帆奈ちゃん、もう大学生さんなんだ。背も、私を超えちゃってるもんね、んふふふっ」
――――あれから3年後。
あたしと瀬奈は、神浜から遠く離れた町に住み着いた。
最初は流浪の生活で本当に大変だった。瀬奈は魔女の侵食でよく悪夢にうなされていたし、あたしもグリーフシードの確保に苦心していた。明日が見えない中で、終わりへのカウントダウンに抗って必死にもがいているしかできなかった。
しかし、奇跡が起きた。
神浜はあれから色々あったようで――――魔女化を回避する自動浄化システムがあそこから世界中に広まったのだ。
そのシステムのおかげで瀬奈を魔女の束縛から解き放つことができた。
というのも、瀬奈という
ただ、それはあたしが即座に魔女化するくらい魂に負荷が掛かる行為だから、実践することができなかった。
しかし、今は自動浄化システムがある。定期的にドッペルというものを出せば、ソウルジェムを浄化することができるようになった。
もちろん得体の知れないシステムに乗っかりすぎるのもよくないので、あたしたちもあたしたちで色々工夫している。
瀬奈は大部分の記憶を切り捨てた上、あたしと共通する部分は一つのストレージにまとめて整合性を取った。あたしの方も、全ての過去を瀬奈に見せて記憶を司る部分が自由に使えるようにすると共に、瀬奈と魔力の支配権を共用する形にした。
つまり、瀬奈は本当に二重人格の片方に近い状態になったのだ。
時間の経過もあって、今の瀬奈はあたしの身体で生まれたかのように馴染んでいる。だから、もう半年ほどドッペルを出さずにやってこれている。
最近は暗示を使って瀬奈の触感を再現したり、少しの間だけ他人に瀬奈の姿を見せたりするといった芸当も可能になった。
……ただ、この幸せは代価の上に成り立っている。
「桜、綺麗だね。昔の私は好きだったのかな」
「うーん、変身したときは花の髪飾りをつけてたし、花は好きなんじゃないかな」
「確かにそうかも……」
このように、あたしの記憶にない情報は全て失われてしまった。
更に、過去の経験を切り捨てた影響で瀬奈の心は幾分幼くなった。ただこれに関しては、最初はかなり顕著だったものの、あたしと生きて経験を積み重ねていくうちに、今は中3の頃くらいには成長してくれている。
一方で、あたしの方は、
「ぁ、ぐ――――」
「……帆奈ちゃん?」
「ぁ……はッ、ぅあ……ッ――――!」
「は、帆奈ちゃん! しっかり!」
「あ……っ」
瀬奈の大声で我に返る。
気づけば、瀬奈は心配そうにあたしの背中を上下に撫でていた。
「また見たの……?」
「うん……いつものやつだから、もう大丈夫」
……あたしの方は、無心で歩いているときにかつての光景がフラッシュバックする、なんてことがよく起きる。
ひどいときは現実を忘れて、思考ごとあの頃に戻り自死を試みることがある。
実際、気を抜いていたら、本当にビルから飛び降りたこともあった。
ソウルジェムが割れなかったおかげでなんとか無事だったけど、医者に相談できないことだし、一生この症状と付き合っていくことになるだろう。
こんなふうに、あたしたちはどこかしら癒えない傷を抱えている。
それでも、あたしたちはずっと一緒の生活を送れる幸せを噛みしめながら、大事に奇跡がくれた続きの時間を過ごしている。
かつてのあたしたちじゃ想像できないような日常が、今はこんなにも近くにある。
「ほら、瀬奈」
桜の下で、瀬奈の小さな手を取る。
幼くてふにふにした、あたしより一回り小さい中学生の手を。
「んふふ……」
ぎゅっとそれを包み込むと、瀬奈は甘えるように腕に寄りかかってきた。
「きらきらするね、帆奈ちゃん」
瀬奈がそう笑うと、あたしも笑顔を返す。
「――――うん。きらきらする」
青空を見上げ、遠くに思いを馳せる。
これは悪人が滅びることなく、罪を抱えて幸福になる未来。
今は罪悪感に耐えるために子ども食堂などのボランティアに行ったりなんてこともしているが、あたしが自分を許せるようになる日はきっと来ないだろう。
それでも、裁かれ方は死だけではないと、少し大人になった今はそう思える。
幸福と苦しみは共存し得る。
あたしはこの罪を抱えて生きていくことで裁かれようと思った。
そして、この社会の仕組みを内側から少しずつ、しかし根本的に変えていこうと考えている。
再度奨学金を取って大学に入ったのもそのためだ。
「瀬奈」
小さく名を呼んで、身を屈めた。
手を握ったまま、桜に隠れるようにして小さな女の子の唇を奪う。
何秒か経って、口を離すと――――瀬奈は珍しく真っ赤になっていた。
思えばキザなことをやっちゃった気がしないでもないけど、ようやく手に入った時間なんだ。思いは伝えるに越したことはない。
たぶん紅潮した顔で、つんと取り澄ました表情を作ってみる。
そのとき、またもや強い風が吹いた。
一斉に流れる桜の花びらが、あたしたちの行く道に散りばめられる。
その道の先へ、瀬奈の歩幅に合わせて……
あたしはゆっくりと一歩踏み出した。
END:幽霊