確かに、あたしのついた嘘をごまかすチャンスなのかもしれない。
でも……。
「……それはできません」
あたしは初めて、きっぱりと同級生の申し出を断った。
「……え? で、でも、更紗さん、当日空いているんだよね?」
当日空いていれば必ずシフトを代わってあげられる、という考え自体が破綻しているが、断られるとは思いもしなかったのだろう。目を点にしながらあたふたする。
彼女の気持ちは分からなくもない。いつものあたしなら、それを受け入れていたはずだから。
でも……脳裏をよぎってしまった。
『帆奈ちゃんがいるんでしょ? 一緒に回りたいな!』
瀬奈はあたしと一緒に回りたがっていた。何度も拒絶したのに、あたしに会うためだけに遥々水名まで来ようとしている。
だからかな……。
あたしは自分の根っこの部分を揺るがしてしまいそうなことが、どうしてもしたくなったのだ。
「予定が入っているんです」
そう告げると、
「えー、うそー」
と、となりのやつが半畳を入れてきた。
なぜ人の予定を把握できているつもりなのだろうか。内心でツッコみながらも口には出さず、そっと覚悟を決める。
どうせやるなら潔くやってやろう。
こう思えたのは、初めて面と向かって虐げられることを拒絶したからかもしれない。
いや、開放感だけじゃない。膨らんでいく明日に対する期待もまた、あたしを大胆にさせてくれた。
だからあたしは行動であたしの変化を示した。
わざとらしい微笑みを作り、気色悪そうにするクラスメイトに、勝ち誇ったような口を利く。
「――――明日は
そう言って、立ち上がった。
ぽかんとしたままの二人を置いて、あたしは胸の高鳴りを抑えながら食べ終わった弁当箱をロッカーに持っていった。
◇
学園祭当日。
「……早すぎたかな」
スマホの時計を見る。開始時刻の朝9時まであと1時間もある。
校門近くは開場前から既に賑わっていた。生徒はもちろん、その家族や近隣住民、水名志望の受験生や他校生まで、名高き水名女学園の学園祭を見逃すまいとやってくる。
この混みようだと、駅まで迎えに行った方がいいかもしれない。
そんなことを考えていると、
「帆奈ちゃん!」
喧騒の中、あたしだけに向けられた明るい声音がはっきりと聞き取れた。
「――――!」
瀬奈は白いワンピースを着ていた。
これだけの事実で息が詰まりそうになった。
小走りに合わせて、純白のスカートは蝶のように舞う。否、瀬奈自身が白い蝶々みたいだった。華奢で風に吹き飛ばされてしまいそうなのに、健気に羽ばたいている蝶々。
「帆奈ちゃん?」
小首を傾げて、頭の中で変な感想を並べるのに必死なあたしの顔をおかしそうに覗き込む。
その仕草もまた、爆弾級だった。
……本当にやめてほしい。
だってここまで近づかれると、嫌でも気づいてはいけないことに気づいてしまう。
艶やかな曲線を描く鎖骨。すらりとした腕。初めてお披露目になった部分の、あまりにリアルな瀬奈の素肌が、こんな近くにあって。
「にゃ、なな、何でもない……っ」
危険物が至近距離で炸裂した結果、分かりやすく噛んでしまった。
ダメだ、これ以上は危ない。白ワンピを着た美少女は危険すぎる。客観的に。
鬼に金棒ならぬ、美少女に白ワンピ。
ともかく何か大切なものを守るために3歩くらい後ずさってから、こほん、と、改めて挨拶する。
「瀬奈、おはよう」
我ながら不自然極まりない。
「おはよう、帆奈ちゃん!」
しかし意に介さず、瀬奈は弾むような声で返してくれた。
「一緒に回ってくれるなんて、すっごく嬉しい!」
「あ……まあ、成り行きで」
瀬奈には「買い出しを担当したから当日の仕事は代わってもらえた」と伝えている。嘘に嘘を重ねることになってしまったが、嘘も方便ってことで許されていいだろう。
「でも……迷惑じゃなかった? 私、帆奈ちゃん嫌だったのかなって思って……」
「嫌って……そんなこと、ないけど」
嫌というより、学校で肩を並べるのが怖かった。
なんて、絶対に言わないし、言えない。
内心にあった葛藤を隠すため目を逸らす。
「それならよかった……だって昨日、帆奈ちゃんスタンプ送るの遅かったじゃない? それで、嫌な思いさせちゃったのかなって」
「え? スタンプ?」
「うん。いつも読んでくれたあと、すぐにスタンプ送ってくれるから」
思い返す。
言われてみれば、確かに昨日の昼休みはちゃんと返信しようかと考えていたらクラスメイトに絡まれてしまって、スタンプを押すのが遅くなってしまった。
……ええ? 瀬奈、そんなことで悩んでいたのか……。
「あれはちょっとしたハプニングだったというか」
「ハプニング……ハプニング。そっか」
自分を納得させるように二度言う瀬奈。この言い方じゃうまく飲み込んでくれていないだろう。
仕方がないので、この際はっきりと伝える。
「ちゃんと返信しようとしたら人に呼ばれてしまっただけ。
つか、怒ってチャットを無視するとかはしないから。
誰にも立て込んでいるときとかあるし……あたしが返信しないときは、単に忙しいか操作ミスって考えて。
瀬奈のメッセージ、ちゃんと読んでるから」
「……!」
瀬奈は目を見開く。ここで驚かれるとは思わなかったので、こっちも釣られて一瞬キョトンとしてしまった。
「そっか……ふふふ」
そうしてから、大事なものをしまうようにまぶたを閉じて、頬を緩める。
どうやら、今度はちゃんと納得してくれたようだった。
◇
「ここが帆奈ちゃんのクラス?」
ドアの前。道行く同級生たちから驚きと疑いの視線を一身に集めつつ、瀬奈と教室に入ろうとしていた。
ただでさえ瀬奈は人目を引く外見をしているのに、水名ののけ者であるあたしとこうして肩を並べているのだから、注目されない方がおかしい。
身の縮む思いをしながらも、表に出ないように一生懸命平静を取り繕う。視線が痛いからといって背を丸めていたら、なおさら瀬奈との差が目立ってしまうから。
「ほ、ほら、入るよ。別に面白くもないから、見たら終わりね……?」
「えー、帆奈ちゃん遊ばないの?」
「自分のクラスなんだから遊ばないよ……」
言いながら、率先してお祭りをイメージした室内に入る。
「わあ~! かわいい~!」
すると、予想通り背後から瀬奈の大声が響き渡った。
営業スマイルで持ち場についていたクラス全員が振り返って、怪訝そうにあたしたちを注目する。
唇を噛みしめて居心地の悪さに耐えながら、バカにされないよう必死に背筋を伸ばした。
「え、更紗さん……」
固まった空気を破るように、昨日からかってきた同級生の一人が声を掛けてきた。
「……あ。……えっと」
こうなるのは想定済みなので、用意してきた台詞を口にする。
「こここ、これ。ツレ……!」
口にするが、肝心なところで緊張が隠しきれず、最後の方で声が上ずってしまった。
ああ、穴があったら入りたい……。
「え、え……?」
しかし、動揺したのはあたしだけじゃなかったようだ。向こうも口をパクパクさせて、挙動不審になっている。
「本当に恋人いたの……?」
「え」
「だって昨日……」
「……あ」
昨日の昼は恋人がいることを否定せずにツレが来ると告げ、更にこうしてテンパりながら瀬奈を連れてきた。だから盛大な勘違いをされてしまっているんだ。
ヒソヒソ声が聞こえ始める。お嬢様たちが頬を染めたり眉をひそめたりしている。
……そう、この瞬間、卒業まで瀬奈との関係をネタにされることが確定してしまった。
それだけではない。ただでさえ頭が痛くなるようなこの状況なのに、更にややこしいのが横にいた。
「え、帆奈ちゃん、私のことそんなふうに紹介してたの!?」
やはり瀬奈はこの情報を鵜呑みにしてしまっていた。
「そ、そんなわけないでしょ……! ツレが来るってしか……!」
「ふーん。ふふふふ」
意味深な微笑を浮かべられる。たぶんあたしが焦っているのを見て面白がっているだけだと思うけど、頼むからこの場でまんざらでもなさそうな反応をしないでほしい。
ほら、クラスメイトたちの顔がにやけていく。疑いから確信に変わっていくのが目に見える。
「…………っ」
今この場で必死になって否定しても、自分から「はい、そうです」と言っているのと一緒だ。
だからといって、平気な顔してこの奇妙な雰囲気の中で瀬奈と輪投げしたりヨーヨー釣りしたりするほどあたしもメンタルが強くはない。
ゴリゴリに削られた精神がこれ以上すり減らないよう、あたしは瀬奈の腕を強引に引っ張って教室を出ることにした。
「ちょ、ちょっと、帆奈ちゃんっ?」
「もう見たでしょっ、ほら行くよ」
「ま、まだ遊んでいないのに~」
不自然に黙るクラスメイトたちに見送られながら、ぶー、と口を尖らせる瀬奈を引きずって廊下に出た。
◇
その後は瀬奈を他学年の方に連れていった。
あたしのことを知らないからか、それほど奇異の目で見られることはなかった。もちろん内心では瀬奈のようなきらきらした女の子があたしなんかと歩いているのを訝しんでいたかもしれないけど。
そうこうしているうちに昼になったので、あたしと瀬奈は屋台で焼きそばやたこ焼きなんかを買って、階段の踊り場に座って食べることにした。
「ん~~~、めっちゃくちゃおいし~!」
今日一幸せそうな顔をしながら、瀬奈はもぐもぐとたこ焼きを頬張る。
こんなにおいしそうに食べてくれるなら、おごってあげた甲斐があった。
というのも、瀬奈は両親が厳しくお小遣いがあまりもらえていないらしいから、あたしがお詫びの意も込めて屋台料理の代金を出すことにしたのだ。
学園祭だから、通常より安いし。
「なんでこんなにおいしく作れるんだろう……本当においしすぎる。おいしい!」
語彙が飛んだのかあまり語彙が身についていないのか、瀬奈は繰り返し料理をおいしいと褒めた。
「水名は家政科があるからね。女ならお淑やかに、みたいな風潮がある地域だしさ」
「そっか……」
「ま、こうして美味いもん食べられるんだからどーでもいーけど」
あたしも瀬奈の持った舟皿からたこ焼きを1個取って、がぶっとかじりついた。
そんなあたしを横から見つめる瀬奈。なんでこんな釘づけになっているんだろう、と不審に思いつつも、あたしは構わず残りを食べ進める。
そのうち、瀬奈はしどろもどろに言葉を紡ぎ出した。
「あ、あのね、帆奈ちゃんっ」
「……何?」
「ちょっと、自信なくしたけど……その……」
不安そうに俯きながら、瀬奈は持ってきたトートバッグの中から何かを取り出す。
それは、ハート模様のかわいらしいランチクロスできゅっと包んだ弁当箱だった。
「え……」
目の前に差し出されたので、受け取る。
「水名は料理がすごいって、分かってはいたけど……でも、一緒に食べたくて……」
それで、作ってきたのか。
「……開けてもいい?」
「う、うん」
包みを解いて蓋を取ると、中にはサンドイッチが2つ入っていた。挟んでいる具が何なのかは判別つかないが、弁当箱から漂うスパイシーな香りだけでおいしそうだ。
「その……嫌ならいいからねっ、そしたら私が食べるからっ」
水名クオリティに圧倒されたのか、瀬奈はわざわざ作ってきたのに及び腰になっている。見た目こそ地味だが、あたしみたいに焦がしたりはしていないし、もっと自信を持っていいと思うけど……。
「……食べる」
「ほ、ほんと……?」
「おいしそうだし」
とりあえず片方取り上げて、口の中に入れてみる。
すると――――
「う、うまっ……!」
想像を絶するおいしさだった。
食パン自体は市販のものだが、具材が神がかり的だ。サクサクした食感かと思ったら、舌に触れると旨味を残してトロトロに溶けていく。さくふわとろ。程よく効いたスパイスが蠱惑的に次の一口を誘い、まろやかなクリームが刺激された舌をふんわり包んでいく。
気づけば試食のつもりだったのに一気に半分くらい食べてしまっていた。
……しかし何より恐ろしいのは、半分くらい食べたのに未だに中身が分からないことだ。
「瀬奈、これ何が入っているの?」
人生初の味覚の正体を、じっと見つめてくる瀬奈に聞く。
瀬奈は不思議そうに返した。
「え? もやしだよ?」
?
「……ごめん、もう一度」
「もやし!」
??
「もやしとあと……あっ、アレはその……んふふ、秘密っ」
…………。
手に持ったサンドイッチを見下ろす。
もやしらしき正体不明の白い具が妖しい香りを放っていた。
あたしは瀬奈の秘密を知る前に、瀬奈の秘密を食べてしまったのかもしれない……。
◇
各クラスの出し物や屋台、それから合同展示会場のイベントを全て回り切った頃、西日が名残惜しげに空をオレンジ色に染めていた。
校門を出て、瀬奈はトートバッグの持ち手に力を込めながらあたしに笑顔を作る。
「今日はありがとう、帆奈ちゃん」
「……うん。あたしはまだ後夜祭があるから駅まで行かないけど、自分で帰れる?」
「大丈夫だよ! 道順、覚えてるから!」
瀬奈はニッコリした表情のまま大きく頷いた。
何事もなさそうに振る舞っているが……一緒にいてしばらく経つからだろうか、瀬奈が離れたくなさそうにしているのはなんとなく分かる。
でも、それはあたしも同じかもしれない。
離れたくないわけではないけど、ここで別れるのは少し、その……。少しだけ退屈だ。丸1日一緒にいたのにこれでも足りないと感じるなんて、人間の脳はどうかしている。
心の中でそんなわけの分からない毒を吐きながら、遠ざかっていく瀬奈の背中を眺めていた。
「……あのね、帆奈ちゃん」
しかしふと、瀬奈は立ち止まって、くるりとこちらに振り向いた。
「私、すごく嬉しかった。帆奈ちゃんのこと、もっと知れた気がして……」
瀬奈はトートバッグを両腕で抱きかかえて、照れくさそうに微笑んだ。
瞬間、風が吹いた。無造作に揺れる長い髪の向こう側、残照が一段と強まる。水面のように不安定な逆光に、目が眩んだ。
「――――」
あたしはなぜか、初対面のときに受けた印象を思い出した。
――――うまくできた罠は獲物を誘い入れるものだ。
たとえその光が自分を殺すのだと理解していても、それに惹かれる以上、バカみたいに飛んでいくしかない。
きっと近づけば近づくほど、熱を感じれば感じるほど、その身を焼かれてしまうだろう。だが一度光源を見つけてしまったが最後。全ては不可逆的に進行していくだけだ。
「……知りたいの?」
暴力的に眩しい光景の中、あたしは瀬奈に聞いた。
「うん。だって……そうすれば、もっと近くなるから」
瀬奈はそう言うと、またくるりとあたしに背を向ける。
顔だけこちらに向けてバイバイと手を振ったあと、トートバッグを揺らしながら消失点へと去っていった。
熱を出したようにぼうとした頭で階段を上る。
数分前まで二人で歩いた校舎なのに、世界がひっくり返ったような感覚。
日常と非日常の間を歩いている。
踏み外しそうだから、手すりを掴む。
瀬奈が帰ったってだけ。それだけで一気に本来の世界に引き戻されたような感じがした。
この脱力感は何だろう……?
ドアが開いたままの教室に入ったとたん、一気に注目を集めた。しかし、それにかまけている気力はなかった。
「黒板の風船、取っちゃっていいですか?」
後夜祭の前は簡単な後片づけを済ませることになっているので、手伝うために担当者に聞く。
「え、あ、うん……」
煮え切らない返事。変な噂があっという間に出回ったのかもしれない。
ますます教室に居づらくなるが、悩むのは実害が出てからにしよう。
椅子を1つ持ってきて、足場にして高いところの装飾を回収する。
無心になって作業しているうちに、窓の外からポタリポタリと雨音が聞こえ始めた。
「えー、マジー?」
「最悪。天気予報は晴れだって言ってたのに……」
校舎内がざわめき立つ。わらわらと、お嬢様たちが窓の方に集まって空模様を確認する。
この様子じゃ、校庭で後夜祭を開催するのは無理だろう。
体育館が使えるし、実行委員が少し苦労するだけの話だと思うけど、楽しみにしていた生徒たちからすれば大違いのようだ。
不満が飛び交う。
そんな中、あたしは黙々と喋っている人たちの分まで後片づけをしていた。