夜遊美乃謳 作:noll【ナル】
――俺、花垣武道は人間では無い。いや、正確に言うと十六歳の時、俺は人ではなくなった。
『武道、貴方はね――』
母から告げられた真実に驚愕しつつも、どうすることも出来ない事に俺は逃げるように家を飛び出して十年という時を気ままに過ごしていた。そしてそんな俺はレンタルショップの店員として人に紛れて生活をし、働いていた。例え人外になろうとも衣食住を支えるのは何を隠そう金なのだ。中学だけの学歴で働けるなど数少ない上に向けられる視線や言動の数は一般的な労働者とは明らかに異なっていた。けれど十年の時を過ごしてしまえば慣れというものが身体を浸食してしまった。それに苦笑を漏らして一人笑いをしてしまう物寂しさに目を伏せながら、俺は業務を全うしようとした時、店内に入店音が鳴り響いた。
「らっしゃっせー」
来店を知らせるアナウンス音を聞きながら俺は慣れ親しんだ言葉を口にしながら作業を進める。返却されたディスクの点検から始まり、機械を使ってディスクを綺麗に磨き、ケースを簡単に拭く。俺の作業する隣で受付を担当してくれている同僚から「会員証はお持ちですか?」という声を聞きながら、俺は終わったディスク達をケースに戻していく。棚に仕舞い込むのもあるのでケースに戻すと、運びやすいように籠にディスク入りケースを次々と入れていく。もう五年近くやっている為に最早手元を見なくても出来るようになったのは地味に自慢である。
「はい、それでは一週間のレンタルになります。ご返却は店内と店外にもございますのでお好きな方でご返却してください。ご利用ありがとうございました」
「あざっしたー」
籠へとぽいぽい、と入れていく作業をしながら山びこ方式で口上を述べる俺。もはや条件反射を超えて脊髄反射だった。しかし俺の口上に隣から厳しい眼差しがやって来た。ツイ、と視線を隣へと向けると、そこにはニコニコ顔から一変し仏頂面をする同僚がいた。
「花垣さん」
低い声を出され、俺は一旦作業を止める。これはお小言だな、と静かに思いながら「なんですか?」と応えれば、同僚はグチグチと先程の接客態度に大して苦言を漏らし始めた。
「さっきの言葉、アレ、どういうことですか? 此処は居酒屋じゃないんですよ?」
「え? そんな感じな事言ってました?」
「ええ、言ってました。というか花垣さん、いい大人なんですから“いらっしゃいませ”と“ありがとうございました”ぐらいちゃんと言ってください。いい大人なんですから」
「え、あ、は、はあ……」
「十代から働いている事は凄いですけど、もっと言葉をきちんと使ってください。じゃないと舐められますよ? ていうか、昔不良をやっていた癖、いい加減直して一般人に馴染んでください。花垣さん、今何歳ですか?」
「に、二十六……」
「ですよね? 二十六ならもう少し言葉に気を遣ってください。私よりも社会人歴が長いんですよね? いい加減、子供から脱却してください。今は良くても後々苦情の元になるので…………て、聞いてます?」
「は、はい。聞いてます」
「……本当ですか?」
お座なり気味になってしまった返答を口にしてしまった事から同僚からジト目で睨みつけられてしまい、俺は早く終わらないかな……と内心で愚痴る。そんな俺の態度に同僚は呆れた溜息を深く零しながら、静かに「もう良いです。早くそのケース達を戻してきてください」と犬を追い払う動作と共に告げられる。俺はそれに「はい」と零し、籠一杯に入ったケースを両手で抱えながら売り場へと足を向けた。
そう、コレが何時もの俺の日常。二十六歳となった俺の慣れてしまった世界。それを腐ったように見えるか、充実しているように見えるか、それは誰にも分からない。別に俺としては仕事して金が貰えればそれだけで十分だと思っている。忙しなく流れていく世界を横目に、俺の時間はゆっくりと進んで行く。人間は常に忙しそうだ、まるで生き急いでいるようにも見える。だから余計に俺のような存在に目を光らせ、苦言を呈するのだろう。初めは反感を持ったが、今ではそれは種族の差だと思い流せるようになった。だから全てが俺の中で溜まる事無く消えていく。
仕事が終わり、世の中では始発となる駅のホームで俺は何気なく携帯の電源を入れた。するとネットニュースでは俺の住む近くで暴力団が騒ぎを起こして人の命が失われた、という惨状が綴られ阿鼻叫喚の嵐になっていた。俺はそのニュースを見ながら思うのは、悲しみよりも先に「あー、飯がまた減った」という非道な感想であった。それに悲しみを抱けていた時が懐かしいと感じつつ、俺はふと目に留まった被害者の名前に目を瞬かせる。
「橘?」
何処かで見覚えのある漢字であった。しかし何処であったであろうか。客の名前だっただろうか。それとももっと前の…………? けれど幾ら記憶の海を泳いだ所で俺の記憶からは思い出せる情報など一つも無かった。むしろ続報として入ったネットニュース記事に俺は身震いした。最新情報、と出された見出しの中、黒服の護られるようにして立つ首筋に蛇のような龍にも見えるうねった刺青をした金髪の男性がカメラ越しに此方を流し目で睨みつけてくる画像に俺は身を凍らせるほどの恐怖を感じた。思わず逃げるように携帯の電源を落とし、俺はバクバクとまるで沸騰するように熱く五月蠅い鼓動をする胸元を掴み、困惑した。あの全てを捨てたような諦めた目、絶望した目、闇よりも暗い色など無いと錯覚していた自分を殴りたくなるような瞳に、俺は静かに震えた。気付けば歯がカタカタと震えた。人を捨てた時から鋭利になった牙が面白いぐらいにカチカチと音を立てているのを何処か面白いな、と他人事に思う自分がいる。
なんなんだ、という疑問の思いが湧き立つも、俺は自分の身体に困惑した為に自分の身に襲い掛かった衝撃に判断が遅れた。ドン、という強く押された背中から俺の身体はホームの向こう側へと吸い込まれていく。電車がファン、という音を鳴らす音を聞きながら俺は静かに笑う。別に死ぬ事に対しての恐怖からではない。そもそも俺は人ではない、人を捨てたのだ。だからこそ、この笑いは俺を押した相手へと嘲笑いであり苦笑なのだ。俺の脳内では「イタそぉ~」という感想と共に誰よりも可笑しい感想が同時に流れていた。
「さーて、どうやって誤魔化そうかなぁ……。死なないって本当不便」
とりあえず普通の人間らしく見えるようにしないといけないな、とイカレタ事を思い乍ら俺は目を閉じてこれから起こるであろう痛みに歯を食いしばった。
迫りくる電車の窓に間抜け面して線路へと堕ちて行く自分が映ったその瞬間、俺の意識が小さな火花を起こし、何処かへと引っ張られていくような錯覚があった。
『武道、貴方はね』
子守唄かのように母の優しくも無情な声が思い出された。
『人と吸血鬼の間に出来たハーフヴァンパイアなの、だから貴方は』
「人でも化け物でも無い半端者……だろ?」