夜遊美乃謳 作:noll【ナル】
――ふわぁ、と口から出てくるのは欠伸ばかり。重くなる目をゴシゴシと擦りながら俺は朝の通学路をトボトボと歩いていた。結局昨日は大した夜遊びなど出来ず、ただただ男の風上にも置けぬ悪行を働く不良を懲らしめただけの一日だった。吸血鬼の血が静まれば俺なんて多少喧嘩が出来るというだけの中坊になるだけだ。というか昨日だけで俺、中々バイオレンスな濃い一日を過ごしてたな。てか、何時になったら目覚めるんだ、コレ? 実は俺、タイムスリップとかしてるとか……まさかな~、アハハハ!
「……はあぁぁ~、如何しちまったんだ本当」
打ち所が悪くて走馬灯を起こしているという可能性を推している身としてはこの状況はマジで意味不明の不可解怪奇。何だか映画の主人公になったみたいだ。……て、俺は馬鹿かよ。流石に夢見過ぎかって。
「はぁ~」
出てくるのは溜息ばかり。マジでどうしたもんか、と一人髪をガリガリと搔き乱していると、背後から「こら!」という女性の声が響いた。寝ぼけ眼で気配も上手く探れないボンクラな頭に突如と響く声に身体をビクつかせていると、続けるように「花垣くん!」という俺を呼び止める声が聞こえた。うん? 誰だ?
「朝から溜息だなんて駄目だよ!」
振り返った先に立っていたのは俺と同じ中学校の制服を着た女子生徒であった。肩まで伸びた明るい髪を持った可愛らしい印象が強い子だ。口元にある黒子が少しだけエロいな……と反射的に思ってしまった自分を叱りつつ、何処かで見覚えがあるな? と首を傾げながら思った。
すると目が合った相手は相手で、俺の顔を見て酷く驚いた表情を浮かべ「は、花垣くん、その顔どうしたの!?」と慌てた声で俺の元に駆け寄ってきた。そういや顔は先輩にボコボコに殴られてたな。
「……また喧嘩したの?」
どう見ても殴られて出来た打撲痕だと気付いた相手が呆れた声で俺を責めるように突いてくる。まるで母親のような言い回しにゲンナリしつつも「だからなんだよ」とぶっきら棒に返してみれば、相手は「ヒナ、心配だよ」と呟いた。しかし俺は相手が呟いた内容に目を丸くした。
ヒナ、自分の事をそう称して喋っていたの女の子がいたのを俺は知っている。ヒナ、……ヒナ、そうだ日向だからヒナだ。“彼女”の名前は橘日向だ。俺は固く結ばれた糸が解けていくのを感じ取り、少しだけ嬉しくなった。けれど同時に、脳裏にチラつく電子ニュースの内容に心臓が締め付けられたような痛みが走った。
「心配なんかすんなよ。俺が勝手にやった事だし」
「心配するよ。だってヒナ……花垣くんの彼女だもん」
その言葉に俺は目を見開き、そしてポツリと「……そうだ」と零した。そうだ、彼女。橘日向は俺の人生にとってかけがえのない時間を過ごした人である事を此処で俺は漸く思い出した。吸血鬼となると人間としての記憶が希薄になっていくというが、まさか此処まで影響があるとは思わなかった。かつての友人は早くに思い出せたのに対し、かつての恋人を忘れるほどに俺は非道だったのか、と思うと俺は自分が許せなかった。そして俺はのうのうとこの先を生きて、そしてかつての恋人の死さえも悲しむことなく何処にでもいる人間だと片付けてしまう。こんな薄情な化け物になってしまうなんて……、本当、俺の人生って最低だな。でもそっか、だからこの走馬灯は俺への罰なんだ。今まで忘れていた俺への。
「花垣くん? どうしたの?」
橘日向が心配そうに俺へと声をかけてくれる。俺はそんな優しい言葉を投げかけられる資格など無いのに、この人間はなんて優しいんだろう。なんで優しい人間ほど、死は早いのだろう。
「なあ、ヒナ」
「え!? は、花垣くん!!?」
橘日向が何やら顔を赤らめて驚いた声を上げているが、俺にはそんな挙動も未来では見ることが出来ないのだと察すると、酷く眩しく感じた。
「もし、もしもさ、今から十二年後にお前が死ぬって言ったらさ、お前信じるか?」
「……え?」
「二〇一七年の七月一日に車に追突されて死ぬって言ったら、お前は信じるか? 橘日向」
「は、花垣くん?」
鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべる彼女を俺はじっと見つめる。信じるか、信じないか。きっとそれは彼女にしか分からない。俺はとりあえず自分で作り出してしまった奇妙な間を吹き飛ばすようにカラリと笑って見せた。
「…………なーんて! どうだ、俺の会心のドッキリ!!」
「へ? は? …………も、もー、花垣くん! ヒナの事、揶揄ったんだね!!!」
「ハハハ、引っ掛かる方が悪いんだよ!」
俺に揶揄われた、そう思った彼女が俺に拳を振り上げて追いかけてくる。俺は早足で攻撃を受けないよう逃げながら通学路を歩く。こういう無邪気な日常を味わっていたなんて、俺は実に幸せ者だったのだろう。でも、もう未来ではそんな幸せな記憶さえも薄れて、淡々とした日々を送るだけの存在になるのだ。人間に紛れ、隠れて太陽に怯える日々を。
だが、それが例え自分に待ち受けていようとも、彼女が若くして散るのは何だか間違っているような気がした。しかし俺は神でも無い。でも、知っている俺がもしもの行動をして、未来がごくわずかでも変化するならば、俺はその可能性に賭けてみたい。
気付けば俺たちは肩を並べて歩いていた。彼女は作っていた拳を解き、鞄を両手で握っていた。
「ね、ねぇ、花垣くん」
「なんだ?」
「さっきさ、ヒナの事……ヒナって、名前で呼んでくれたよね?」
「あ、あぁ、駄目だったか?」
俺は頭皮をポリポリと掻きながらそう返すも、内心ではこの時はまだ名字呼びだったな……と人知れずに後悔していた。彼女を横目で見れば、彼女は何処か嬉しそうにはにかんでおり、俺は今更、元の名字呼びに戻すのは気が引けた。
「ううん。駄目じゃない。駄目じゃないよ! うふふ」
彼女は嬉しそうに笑い、頬を赤らめる姿はとても可愛らしく、眩しかった。仲間とは違う隣を歩く温度にむず痒くなりながらも、俺も幸せを感じていた。
「ねぇ、ヒナも花垣くんの事、タケミチ君って呼んでも良いかな?」
「……好きにすれば?」
可愛らしく尋ねてくる彼女の問いかけに顔が少しだけ赤くなったような気がして、気付けば俺の言い方は少しだけぶっきら棒になってしまった気がする。でも、後悔しても言ってしまった言葉に訂正なんて効かない。
やがて通学路には人が増え始め、俺たちだけだった時間は終わる。人の流れに沿って信号待ちをする中、ふと俺は「なあ、ヒナ」と彼女に問いかけていた。
「どうして俺だったんだ?」
「へ?」
「お前だったら、俺なんかじゃなくて他に良い奴いるだろう。それなのに、お前は俺に告って来た」
「それは……、ヒナにとってタケミチ君はヒーローだからだよ」
「ハハ、なにそれ。ウケる」
まさか彼女の口からそんな幼稚な言葉が出てくるとは思わなかった。まさか不良に少し夢見がちな所でもあるのだろうか。映画か漫画の影響か? 俺が笑った事で、少しだけ彼女は拗ねた表情を浮かべる。ヤバい、揶揄ったらマズい分類だったらしい。ミスった。そう咄嗟に感じ取り俺は謝罪を口にしようとした時、彼女が力強い眼差しを俺に向けた。それに驚き目を丸くすると、彼女は何処か勝ち誇ったかのような誇らしげな表情を浮かべた。
「タケミチ君は忘れているかもしれないけど、ヒナは覚えてる。例え負けると分かってても身を挺して助けてくれる勇気を持った人だって。あの日からね、ヒナにとってタケミチ君はヒーローなんだよ」
「じゃあもし、俺がヒーローとは対局の位置にいる立場だと知ったらどうする?」
「……? タケミチ君、それってどういう?」
「だから俺が
正直、彼女の言っているヒーロー云々については全くもって見当が付かない。彼女から聞かされた内容から記憶を引き上げようにも上手く要領を得ない。しかしなるほど、彼女にも何かしら譲れない何かを手に入れて俺に好意を向けているらしい。だとすると、それを消化させるのは骨が折れそうだと思わされた。
「例えそうだとしても、ヒナにとってはタケミチ君は最高のヒーローだよ。例え、世界中から後ろ指を指されても、ヒナは言い続ける。タケミチ君はヒーローだって」
「お前、実は馬鹿だろう」
「酷い!」
なんで頭いい奴って変に馬鹿なんだろう。やっぱり頭の構造が何処か可笑しいのだろうか?
彼女の発言に
信号が赤から青へと変わり、人々が蠢くように白線を踏みぬいて行く。しかし俺は流れに抗うように立ち止まり、先を歩こうとしていた彼女を呼び止めるように声を上げた。
「……なあ、俺が人間じゃないって言ったらお前どうする?」
「まーたタケミチ君、ヒナの事を揶揄ってる?」
進もうとしていた彼女が振り返りながら少しだけ苛立ったような口調が飛び出す。俺は少しだけやはり言うのに怖気付くも、やはり言おうと自分を奮い立たせ「良いから答えて」と声を上げた。
しかしそう言った手前、やはり答えを聞くのが怖くなり俺は足を一歩前へと進ませ白線を踏むように歩き出す。遅れながらにして彼女もパタパタと足音を鳴らしながら追いかけて来た。横目で伺い見れば彼女は俺の言葉を深く考えているのか顎に手を当てていた。
「うーんと、タケミチ君が人間じゃ無かったら、だっけ?」
「そう。俺が人間の皮を被った、人じゃない例えば……き、吸血鬼とかだったりしたらヒナお前、どうする?」
「どうするって聞くけど、それってどういう意味なの?」
「どう……て、どういう事だよ」
彼女の言葉に意味が分からず小首を傾げれば、逆に彼女はジトリと俺を見つめ、そして小さく息を吐いて見せた。
「ヒナ、タケミチ君が何に怯えているか分からないけど、例えね? 例えタケミチ君が人じゃなくてもヒナを好きになったのは他の誰でも無いタケミチ君なんだよ。だから例えどんな君だろうとも、ヒナはきっとタケミチ君を好きになる。……この答えじゃ、タケミチ君は納得しない?」
「…………なあ、どうしてそこまで言えんだよ」
「不思議だよね。でも、君がヒナを遠ざけようと思ってもヒナはきっと君しか好きにならないんだと思う」
「分からないだろう。てか、絶対に俺より良い奴いるだろう」
「そうかもしれないね? でもね、ヒナの心を奪ったのはタケミチ君なんだよ」
「俺のせいかよ」
まさかのスゲー責任転嫁の流れに目を丸くしてしまう。まさかここまで強情な女だとは思わなかった。これが所謂、恋は盲目ってやつなのか? マジ、女って怖いわ。スゲェ、てマジで思う。
鼻のあたりがツンと熱くなっていくのを感じる。目線が水彩画のように滲んでいくのを必死に止めようと唇を噛み締める。俺のそんな尋常じゃない様子に彼女はギョッとしながらも、優しく背中を擦ってくれる。なんて情けない姿だろう。こんな朝早くに通学路で泣く不良少年なんて。しかも言うのが意味不明な内容な上に仲間ではなく女に慰められるなど、正直昔の俺だったら屈辱過ぎて逃げていたかもしれない。
「やっぱさ、ヒナ。お前、死ぬなよ」
零れた涙をそのままに気付けば俺はそう零していた。彼女はその言葉に小さく「え」と呟くも、それ以降何も言わなかった。ただ俺の背をひたすら優しく撫でてくれた。
「なあ、覚えててくれ。二〇一七年の七月一日、お前は絶対に家から出るな。車に轢かれて死にたくなかったら絶対に家に居ろ。家が駄目なら大勢の人がいる所にいろ。死から抗って見せろ」
「た、タケミチ君? 急に何を言って……」
「何時まで見せてくれる走馬灯か何かか知らねぇが、お前みたいな馬鹿みたいなお人好しが死ぬ未来なんて駄目だ。俺みたいなどうしようもない半端者が電車に轢かれても死ぬほどイテェだけで死なねぇから。でも、人間のお前は車一つの事故でも呆気なく死んじまうんだ。だからさ……、生きてくれよ」
「え、え?」
俺の発言に彼女は困惑の声を上げるも、俺は自分の感情を止められなかった。ボロボロと流れる涙を拭う事もせず、気付けば俺は彼女を抱きしめていた。驚いた彼女の悲鳴が聞こえたが、俺は今を生きる彼女の鼓動に涙した。
「もし、生きてくれたらさ……。俺、探しに行くから。十六になって逃げちまうかもしれないけど、お前が生きてるの知ったらさ、今度は俺が追いかけに行くから。だから、死ぬなよ! 死なないでくれよ……ヒナ」
俺は縋るように彼女の耳元でそう呟いていると、彼女が静かに「…………分かった」という言葉を口にしたのを耳にする。俺は息を呑み、彼女の事を正面から見つめると彼女は何処までも優しい眼差しで俺を見つめていた。
「よく……分からないけど、タケミチ君が覚えておけって、生きろって言うなら、ヒナ生きてみるよ。うん、絶対に生きる! だから、追いかけて来てね? 約束だよ、タケミチ君」
ふふふ、と笑う彼女に俺は力強く頷き「ああ!」と答え、さらに強く抱きしめていた。彼女が「タケミチ君、苦し~」と抗議の声を上げるのを聞きながら、俺は心中で必死に祈るように死ぬな、と思っていた。お願いだ、死なないでくれ。頼む。そんな言葉を何度も呟いた時、ふと俺の意識が何処かへと引っ張られていくのを感じ、俺は夢の終わりを何となく察した。
「ヒナ、過去の俺と仲良くしてくれよ?」
「へ?」
「約束、忘れんなよ」
「た、タケミチ君!?」
俺の身体から力が徐々に抜けていくのを知り、彼女が焦ったように声を上げる。俺は彼女が推し潰れないか心配しつつも、抗えない眠気に勝てず、身を任せるようにして目を閉じた。最後に聞こえた彼女の声に再度「死ぬなよ」と願掛けをしつつ、俺の意識はそこで終わりを告げた。
*
――目を開けると、そこはオフィスなどでよく見る天井であると分かった。何処だろう、そんな思いで身を起こすと、誰かが「起きましたか」と声をかけてきた。どうやら眠っていた俺に誰かが付き添っていたようであった。てか、アレ? 俺って電車に轢かれてグチャグチャになってたんじゃなかったか? え、コレってヤバい状況? 内心で汗だくになりながら声のした方へと首を動かすと、そこにはスーツ姿の見覚えのない男性が「良かった」と酷く安堵したような表情を浮かべていたのが目に留まった。え、誰? そんな思いが脳の大半を占めつつ、俺は周囲を見渡しながら「此処は……?」と困惑の声を上げていると、男性が「此処は駅構内にある医務室になります。貴方は、花垣……武道さんで間違いありませんね?」と言う言葉に俺はギョッとしつつも、俺は「は、はい」と答えると、男性は何処かホッとしたような様子を見せた。俺はそんな男性にキョトンとしていると、徐に懐をゴソゴソとし始めるのを見て、俺はSCP財団の回し者かとギョッとし身構えてしまう。けれども懐から出されたのは黒い二つ折りの身分証明書であった。
――警視庁 橘直人――
そう描かれた写真と所属に関する内容に目をパチクリさせながらも、ふと何処かで見覚えのある字だな……と思った。何処だっけ? と小首を傾げながらいると、男性が先程までの安堵から一変、硬い表情を浮かべ「お会いするのは初めてかと思いますが、僕は橘直人と申します。貴方が中学時代に付き合っていた橘日向の弟です」と自己紹介を始めるのを聞き、俺は確かに目元が似てるな……と頷いた。彼はそこまで言うと、何処か言い迷う様子を見せるも「申し訳ありません。あまり時間がありませんので事実だけ述べさせていただきます」という覚悟を決めた表情で俺に話し始めた。
「僕の姉、橘日向が七月二日の今日、亡くなりました。僕は姉から託された手紙を見て、此処にいます」
…………………………は?
注)SCP財団のネタですが執筆当時に丁度実況動画を見て影響を受け記載したただけで深い意味も、今後の展開も特に考えていません。