夜遊美乃謳 作:noll【ナル】
――突然、目の前に現れた橘直人という男はただ静かに「姉の手紙を読んで会いに来ました」と俺に告げ、俺を絶望へと叩き落とした。
そして何故かいろいろあって――、
「は、花垣さんって吸血鬼なんですか?! え、えぇえ!!!!」
男の何かしらに触発されたのだろう。目を輝かされて詰め寄られていた。
「そ、そうです……が、えっと、…………な、なにか?」
至近距離までに近付けられた顔に俺がギョッとして逃げようとするも、それを逃がさんと男が俺の両頬に手を添えて固定してくる始末。なんで俺がこんな少女漫画みたいな展開を体験せねばならないのか、俺は訳が分からず困惑していると、男の指が俺の唇に触れた。
俺が男の行動にギョッとしていると、そんな俺の反応など眼中にない男が俺の唇をこじ開けてその奥で眠る俺の歯をじっくり見始めた。歯科医でもやらないだろう無理矢理な行動に俺は背筋に悪寒が走り抜けていく。
え、えぇ~……、なんなの此奴…………怖すぎ。しかし俺はこの男に大して下手に手を出せない。仮にも橘日向の弟だと言っている手前、それが嘘ならこの奇行にはそれなりの制裁を下せるも、本当であればヒナに顔向けが出来ない。必然と俺は困惑とドン引きをしつつも、男の奇行が落ち着くのをひたすら待つ耐久勝負が始まってしまった。
俺は目の前の事を考えることを止め、バイトであった出来事の数々などを思い出して気を紛らわそうとする。
「本当に犬歯が長い、鋭利だ! これで人の生き血を啜るんですね!!!」
凄い! と玩具を手に入れた子供のようにはしゃぐ男に俺は嫌でも現実を思い出せてくる。ヒナ、此奴本当にお前の弟? 思わず居ない人物に助言を求めて途方に暮れてしまう。この亜空間にも近い場所から逃げ出したい衝動に駆られてしまう。
……ていうかお前、目めっちゃキラキラしてスゲー感想言うじゃん。お前、姉ちゃん死んでんだぞ?
もはや異常者として見つめてしまう俺。もういっその事、弟云々は無視して殴って逃げてしまおうか。それでヒナの墓前で謝罪を口にすればヒナも許してくれそうな気がする。イマジナリーヒナが笑顔で『タケミチ君がそうしたいならヒナ、良いよ!』とSNSツールのスタンプ並のグッドサインを見せてくれる。
――よし、やっぱ殴ろう。俺が静かに拳を作り上げて振り上げたその時、男が俺の黒髪に手を掛けてくる。だから! なんなの此奴!!!!
「へー、耳は尖ったりしていないんですね。……あ、爪はどうなんですか!」
「あの、そろそろ……」
ぞわぞわするから心底止めて欲しい! 至近距離で怒鳴ってやろうかと睨みつけるも、男は今度は俺の手を掴みだして俺の指を繁々と見つめ始める始末。
マジでなんなの!!? 母さん助けて!!!! 俺、生まれて初めて人間が怖いって思い始めて来たんだけど!?!!!!
出鼻を挫かれる突拍子もない行動に俺の心は荒れ狂ってしまう。しかしそんな事など露ほども分かっていないだろう男はただただ俺の指先を見つめているだけだ。温度差が酷い。
「爪も特に鋭くなっていたりしてないんですね? 切ったりするんですか?」
「へ?! あ、ま、まあ、そりゃあ……爪が長いといろいろ不便だし…………」
「なるほど……」
興味深そうに俺を見つめ、そして一人考えに没頭する身勝手さに俺は辟易してしまう。しかも先程の問いかけでいろいろ毒気を抜かされてしまう。俺は此処でようやく確信した。
……やっぱり此奴、ヒナの血縁者だわ。一人で没頭して一人で突っ走って、そして他人を振り回すその手腕。まさにヒナに通ずるものを感じる。
「あ、あの……」
とりあえず離れて欲しい気持ちが勝り、俺は長年のアルバイター魂が発揮され、思わず低姿勢になってしまう。何と哀れな光景だろうか。例え吸血鬼だろうとも、生きていく上で身に付いた習性はきっと死んでも治らないような気がする。そんな事を俺が心で小さく泣きながら思っているなど知らない男は、俺の小さな訴えに初めこそは分からないといった様子を見せるも、徐々に自分の行動を思い返したのだろう。酷く慌てた様子で「す、すみません!!!!」と言い、俺から離れてくれた。
俺は圧迫感からの解放にホッと安堵しつつも、真っ赤な顔をし始めてしどろもどろの言い訳を言い始めた男に苦笑してしまった。
「いやあの違うんです違うんです。ぼ、僕そのオカルトが好きで、ネッシーとかUFOとか、アトランティスやムー大陸に中学時代ハマっていまして……、で、でもその中でも歴史書にも登場するファンタジー的なオカルトは専門外で…………、でもでも、やっぱり目の前に花垣さんがそうだってなると昔の血が騒いでしまって、その、あ、あの…………すみませんでした」
目をグルグルさせて必死に弁解する姿は何処か可愛らしいと感じてしまう。というか、可愛いというより面白可愛いな、という別次元の領域に達していた。此奴いろいろ面白いな。最後の方の謝罪なんていろいろ羞恥心が勝って声が蚊のような小ささになってるし……。もう、さっきまで湧いていた苛立ちとかが吹っ飛んでしまった。俺が男の全てに感服していると、真っ赤な顔を静めきれない男が場の空気を切り替える為に大きな咳払いをワザとらしくつく。その行動にも些か可愛らしさを感じつつも、それを見せて再び場が混沌となっても困る為に俺は黙秘を選ぶ。
そうやって全てお膳立てされた空気の中、ようやく本題が始まるのであった。
*
「姉は中学時代に不思議な事を言いだしたんです」
『私ね、未来では結婚する前に死んじゃうんだって』
「初めは世迷言かと思っていたんですが、その表情が何処か真剣で僕の中でもあの時の姉は印象深かったです。それからそんな事を言う事は無かったんですが、ここ最近になって姉が再び言い始めたんです」
『私ね、約束したの。絶対に死なないって。だから今日は家から一歩も出ないの、そう決めているの。――でもね、直人』
「正直僕は姉の言っている意味が分からなくて、話半分にそれを聞いていたんです」
『もしも、私に何かがあったら私の部屋の一段目の引き出し開けてくれる? 直人ならきっと何とかしてくれると思うから』
「よろしく、と言われたのに僕がそれを思い出したのは姉が死んで少し経った後だったんです。そして僕は出来る限り貴方の事を調べて、貴方の職場に行ったら退勤していると知って慌てて追いかけて来たんです。そしたら貴方は電車に轢かれそうだったのを止めました」
「え?! 止めた!!?」
人間にそんな芸当出来たっけ!!? と驚く俺を目に、男は目をパチクリとさせつつも「はい」と肯定を口にした。
「一か八かと緊急停止ボタンを押したんです。そしたら貴方が轢かれるギリギリで電車が止まってくれて……」
「そう……だったのか」
あ、あ~、そういやそういうシステムあった~~~。完全に忘れてた~~~~~!!!!
俺は男から聞かされた文明の機器の存在に自分の考えが見当違い甚だしい事を知り、顔を赤くしてしまう。そ、そうだよね、人間だと鉄の塊を止められたりとか出来ないよね。う、うん。大丈夫。俺、知ってる。知ってた。
自分の馬鹿みたいな期待が打ち砕かれた悔しさや羞恥心やらがごちゃ混ぜになって心が穏やかじゃないが、必死に俺は感情を押し殺す。自分の感情にいちいち左右されてたら話が進まないのは先程の奇行で身に沁みているからだ。
「じ、じゃあ君が俺の事を此処まで運んでくれたのか?」
「いえ、僕は当然の事をしたまでですから。……ですが、花垣さん。詳しく教えて貰えますか? どうして姉は死ななくてはいけなかったのか、どうして貴方がそれを知っているか」
「…………」
先程までの穏やかな空気から一変し、キリッとした空気に包まれる。警察としての顔が前面に出ている男に、俺は迷いながらも、その訳を話し始めた。初めこそ男は俺の言葉にまさか、と言った小馬鹿にした雰囲気を醸し出していたが、オカルトの道に傾倒していた経緯があった為か、どんどん話を進めて行くごとに男の表情が変わり始めた。
「……つまり、花垣さん。貴方は僕の姉、橘日向の死を偶然知った所、何者かの手によって駅のホームに落とされ…………過去に飛んだ、そう言う事ですか? そして貴方は姉に死の予言を告げた事で姉の死亡日時に狂いが出た……と?」
「あぁ」
「にわかには信じられない話ですね。普通の人ならすぐに貴方を病院送りにするでしょう。…………だが、僕には実際にその話を聞いて納得するだけの証拠が確かにある」
初めこそは頭を振っていた男であったが、その男が毅然とした表情で徐に懐から取り出した封筒と便箋を掲げて見せた事で俺は小さな息を零した。
「それが……」
「えぇ、姉の手紙です。まあ正直、コレを読んでも半信半疑でしたが……貴方の話しを聞いて受け入れざるを得ない事が分かりました。全く、こんな非現実的な事をまさか受け入れる日が来るだなんて」
掲げた手紙を見つめ「はぁ……」という深い溜息を零す男に俺は複雑な心境となってしまう。まあ確かに俺が彼の立場だったら同じ反応をしていた事は間違いなしだ。というか俺だったら新手の勧誘かと思って切り捨てる道を選ぶだろう。
男は俺を見下ろし、小さく「どうしてこんな人を」と呟く声が聞こえ、俺も危うくそれに賛同しかける。けれど寸前の所で呑み込み、俺は何食わぬ顔を浮かべる。そんな事をしていると、男が再び「はぁ」と溜息を吐いた。幸せが逃げるぞ~、と思い苦笑を浮かべてしまうと、男が力の抜けた笑みを俺に向けた。その笑みがヒナとダブり、俺は目を丸くする。
「本当、僕がオカルトに傾倒していなかったらとっくの昔に切り捨ててましたよ」
「え?」
「分かりませんか? 信じると言ったんです。貴方の言った全てを。姉に感謝してください」
微笑みを浮かべながら不思議そうな表情を見せる俺にヤレヤレと男は首を振った。それを見つめ、俺はその姿にヒナの影を見た。俺は二度も見えたヒナの姿に堪らず声を上げた。
「本当、そっくりだな。お前ら姉弟」
「そりゃあ姉弟ですから」
当然です、と続けて言われてしまえば俺はそうだよな、と返すしか出来なかった。もはや笑うしかない。こんな非科学的な事を信じる馬鹿がまさか世に二人もいるだなんて。あまりの馬鹿らしさに俺が肩を震わせて笑っていると、ふと男が俺へ手を差し伸べて来た。
俺は男の意図が分からず疑問符を頭上に浮かべてしまう。すると困惑している俺に気が付いたのだろう。男が呆れた表情を俺に見せた。
「改めまして、僕は橘直人です。直人で結構です」
「――あ、えっと…………は、花垣。花垣武道。俺も武道で」
スマートに自己紹介が出来る男――直人に俺は馬鹿みたいに、俺よりもちゃんとしてんなー、と感想が頭を過る。指し伸ばされた手に俺も慌てて手を差し出して握手と自己紹介を震えた唇で言えば直人は大人のような澄ました笑みを浮かべ、コクリと小さく頷いた。
その全てが俺とは違う。本来あるべき姿に羨ましい気持ちに駆り立てられるも、俺はキュッと唇を噛み締めて直人を見つめる。
「分かりました。タケミチさん」
これが俺と直人が互いを受け入れた瞬間だった。
*
「タケミチさん、貴方がどうして過去へ飛べたのか、その原理や理由は未だ謎です。もしも何か一定のルールがあるのだとしたら、貴方はもう一度、いやもしかしたら何度だって過去に飛べるかもしれません。…………ですが、それがいったいどういう事か分かりますね?」
「……どういう事って、つまり?」
「楽観的に言えば人知を超えた凄い事ですが、悲観的に言えば人知を超え過ぎたヤバい事だという事は分かりますね? しかも、タケミチさんはそれに加えて吸血鬼という特殊体質です。これが仮に公の場に出たらどうなるか……」
「まあ、絶対にヤベー奴らが出てくるだろうな」
直人の言っている事が分かり、俺は苦笑してしまう。下手をすると本当にSCP財団の保護の対象にされてしまう。保護と云えば聞こえはいいが、結局の所は隔離や能力把握の実験が待っている。そうなれば俺の一生は財団の管理する地下倉庫の中で生き地獄を味わうだろう。そんな末路になれば俺は否が応でも死を選ぶだろう。吸血鬼の死がいったい何であるか、流石の俺もそこまでは知らないが心臓を取り出せれば死ぬ事は出来るだろう。死ぬほど痛いだろうがモルモット生活で生涯を終えたくはない。それならば心臓の取り出しなどきっと迷うことなく出来るだろう。それに元人間であった手前、人の敵と言う立場にはなりたくはない。この平和な現代で再び古の魔女狩りが再開された日には数多くの同胞が地獄を見る事は分かり切っているからだ。
歴史は繰り返される、誰かが言った言葉であるがコレは絶対に繰り返されるべき行為ではない。多くの涙も血も、間違いも起こるだけだ。
『武道、絶対に知られてはいけないわよ』
家を出て行くときに告げられた母の言葉が蘇る。分かってる。これは知られてはいけない俺の秘密だ。
…………ん? でもこの秘密って、あれ?
「直人知ってんじゃん!! どーすんの!!?」
「今頃気付いたんですか貴方?!!! ていうか、厳密には僕と姉さんの二人です!!!!」
「そうだった!!!!」
直人の言葉にハッとする。や、ヤバい。あの時は走馬燈だと勘違いしてヒナにベラベラと未来の事を喋ってしまった。慌てふためく俺を尻目に直人は声を荒げたものの冷静な態度を取り、小さく頭を振った。
「まあ、安心してください。仮にも姉さんの好きだった人です。秘密は守ります。姉さんもきっとそうしたでしょうし、というか姉さんの事ですから夢か何かと勘違いしていそうですが」
「あ、ありそう~」
あのポヤポヤしているヒナの事を思うと、直人の言葉には信憑性があり過ぎた。流石は弟。姉をよく分かってる事で。感心してしまうと同時に小さな嫉妬の炎が俺の心を燻るも、自分の浅ましさに嫌気が差してきた。思わず自分の考えを拭い去るように頭を振るも、直人からは「大丈夫ですか?」と突拍子もない行動に心配をかけてしまった。俺は慌てて「平気」だと答え、気持ちを切り替えるように直人へと向き直った。
「とりあえず、俺もこれからは口を滑らせないように気を付ける。だから直人、お前もこの事については」
「分かっています」
俺の言葉に間髪入れずに力強く答える直人にホッと息を吐く。その言葉だけでも心の安寧を感じるのだから弱くなったものだとせせら笑ってしまう。けれど決して嫌だとは思わなかった感情の変化に俺は小さな戸惑いを起こしつつも、今はそれを言及する必要はないと思考を振り払い前を見据えた。
「――話しを戻しましょう。タケミチさんの力が再び発動するか分からない不確かな今、此処でこの議論を繰り広げていても仕方がありません。タケミチさん、これから起こりうるもしもを想定して動き出しませんか?」
「動き出すって具体的には?」
「まず、僕が知っている情報を提示します。知っているかどうか分かりませんが、僕はライターの道を止めて父と同じ警察官になる道を選びました。その理由が今の裏社会を牛耳る奴らを一人残らず根こそぎ狩る事が目的でした」
「でした? なにかあったのか?」
直人の口に出す過去形の言葉に反応し、思わず口に出すと直人は眉を寄せて険しい表情を浮かべた。
「……初めは父の死が切っ掛けでした。ですが、それ以外に僕が奴らを殺してでも狩る目的が出来たからです」
鬼の形相で静かに語り出す直人の言葉に俺は内心で怯えつつも、俺はふと「まさか」と思った。嫌な汗がジワリと額から溢れ出す。そして口から声が零れたのであろう。直人は俺を見つめ、そして静かに頷いて肯定したのだ。
「はい。姉さんも同じ反社会勢力によって命を落とした被害者なんです」
降ろされている手は両手ともに固く握りしめられ、怒りのあまりに震えていた。僅かにかぎ取った血臭に思わず目を細めてしまうも、感情を高ぶらせている直人には気にも止められない反応だったようだ。
直人が口を開く。
「組織の名は――、“東京卍會”! そしてそのトップに立ち、指揮するのは、佐野万次郎と稀咲鉄太!! 此奴らのせいで、僕は家族を二人も失った!!!」
「東京、卍會?」
「そう! 彼奴らのせいで、僕は父と姉を失った。僕はこの命を懸けて、何としてでも、地の果てまで追いかけて、彼らを追い詰めて捕まえなくてはいけません! ――ですが、もしもそれがあらかじめ食い止めることが出来るのなら、僕はそれに全力を賭けたい!! タケミチさん、お願いします。僕と一緒に協力してくれませんか!」
「いや、でも協力ってつまり何を……」
「殺すんです!」
「――は?」
ハッキリと告げられた殺害宣言に俺の思考回路が停止してしまう。明らかに戸惑いの様子を見せている俺がいるのに対し、直人はそれを眼中に入れていないかのように俺を見据え、感情のままに言葉を吐きだしていく。
この瞬間から、俺はもはやその言葉を受け止めるだけの人形に成り果てた。異論を唱えようにも先手を読むようにして畳みかける喋り方をされてしまって、俺としても何も口を挿めない状況だった。
「彼奴らが今の時代で此処まで伸し上がれたのは過去の経験があるからです。ですがそれを食い止める、つまりは根源を絶つ事さえできれば此処まで大きな組織は誕生しないことになります! 分かりますか?! あの二人を殺すことが出来れば姉さんも父さんも死なないんです!!」
「だ、だがな……」
「勿論分かっています! 貴方がもう一度過去に戻れる保証なんて無い!! でも僕は貴方に賭けたいんです。姉を一瞬でも救った貴方を!!!」
直人の言葉に俺は言葉を詰まらせる。此処までハッキリとした憎悪を見る事は一度も無かった。いや、通らないように生きて来た。ずっと逃げ隠れする日々を送って来た俺に向けられた、解決の仕様もない怒りの根源を見せつけられ、俺はただその憎悪を受け止める事しか出来なかった。直人の気持ちは十二分に分かるつもりだ。俺だってヒナが生きていないショックは途轍もない痛みを伴った。でも直人はそれを二度も受けているのだ。俺の抱く感情など直人に比べれば天と地ほどの開きがあるであろう。
しかし人ではなくなった俺としてはヒナの死にショックを抱きつつも、悲しみは湧くことが出来なかった。生命の死は自然の理、当然の事だと片付けられてしまう思考に、どうしようもないほどのツラい物を感じさせた。価値観の変化、それが人と化け物との生死の見方だ。人の死は呆気も無い、俺たちに比べれば簡単に消えてしまう砂のような存在だ。その考えに恐怖を抱きつつも、同時に致し方ないと落胆して物事を捉えてしまう自分が存在した。
だからこそ、涙を流せない今の俺がいる。目の前で俺に訴えかけてくる直人は目に膜を張っているのに。その差が俺が俺を人としていない事を知らしめる行為のように見え、俺は胸を苦しくさせた。
「タケミチさん、お願いします。父を、姉を殺したあの組織を一緒に壊滅させるのを手伝ってください!」
明らかに正気を失っている直人の姿は酷く哀れな物だと感じた。正義を志す裏で脳裏では何度刃物を敵に振り下ろしているのか分からない彼に、俺は手を貸す事に躊躇した。人間ごとの争いごとに手を貸すと碌な事にならない、先人の教えだ。確かに、それがあって魔女狩りが後に行われたのだ。恩を仇で返すとはこの事だ。だからこそ、俺たちは身を隠して大きくかかわる事を拒否し続けて来たのだ。それなのに――。
「…………」
一向に賛同の声を上げない俺に直人の表情が険しくなる。直人が視線を落とし、小さな声で「……駄目、ですか?」と零すので俺はそれにさえも頷かずに直人を静かに見据えた。
そもそも直人の考えに賛同しようものなら俺はイマジナリーヒナにストレートパンチを喰らいそうである。ビンタではなくパンチというのが重要だ。イマジナリーだが、ヒナは割とそういう女だった記憶がある。
以前、どうしてそんな会話になったかは覚えていないがヒナが「ヒナ、昔は空手習ってたんだよ~」と朗らかに笑って言っていた。昔というから小学校低学年の事かと思っていたら小学校卒業まで通っていたのを知って、俺はそのとき『此奴を怒らせない事』と誓った気がする。女を殴る性分で無かったのでヒナと殴り合いになる事は無かったのだが、小学六年まで習っていた空手経験者に喧嘩を売るほど俺は馬鹿では無かった。自然消滅というか逃げるように自宅を出ていかなければヒナから蛸殴りの制裁を受けていたであろう。本当、今の俺って奇跡の上に成り立ってるな。
まあ、今にして思えば蛸殴りされて別れられた方が遥かに良かったかもしれないが。それでも――、ヒナが言いそうな言葉が俺の中で溢れ出す。もはや病気だな、俺も直人も。
「それをやって、ヒナは喜ぶのか?」
「は?」
「直人、お前の気持ちはお前にしか分からない。俺には俺の感情があるように、お前の感情はお前自身にしか理解しえないものだ。お前が親父さんもヒナも殺した……えっと、東京?」
「東京卍會」
「あ、それそれ。その東京卍會の奴らを殺したい感情は本当に親父さんもヒナも願っている事なのか? 悪いけど、俺は違うと思う」
「そ、それは!」
「そもそもお前の最初は親父さんの遺志を継いで捕まえる事だった筈だ! それなのに憎しみが先行して殺しに走っている!! 警察官が人を憎んではいけないという事は無い。だが、警察官が殺しを容認するようになるのは間違っている!!! 分かるだろう、直人!?」
俺の言葉を受けて直人の目が大きく見開かれる。まるでそんな言葉を言われるなど思いもしていなかった表情だ。確かに俺は中卒だが、善し悪しの区別は付けるつもりだ。
俺の言葉に顔を徐々に蒼褪めていく直人に、俺は小さな希望を感じながら口を開く。
「俺は、もしも奴らを殺しでもしたらヒナが泣くと思っている。そして“どうして殺したの!”って俺を怒鳴りつけると思う。……なあ、直人。お前はどうだ? お前の中に居る二人はどう反応する? 今のお前の考えに賛同しているのか?」
「……そ、それは、と、父さんは――ッ!」
「俺は直人が最後に言った“東京卍會を壊滅させる”事になら喜んで手を貸す。だが殺しはしない。俺の知っているヒナがそれを絶対に許さないから」
「あ、あぁ…………、ぼ、僕は……いったい」
顔を覆い隠した直人の口から漏れる嗚咽。そして降り注がれる電灯の下で直人の顔からキラリと光る物を見つけ、俺はそこでようやくホッと息を吐いた。思いとどまる事の出来た衝動に俺は全身からの脱力を感じ、気付かずに身体全身に力が入っていた事を知り目を丸くする。
とりあえずは直人が落ち着くまで待とう。俺は子供のように泣きじゃくれない大人の姿を見つめ、ただ静かに外から聞こえてくる騒音に耳を傾けながら俺は待つのであった。
「――ありがとうございました」
やがて落ち着きを取り戻した直人は、覆っていた手を外して目元を赤く腫らした状態で俺を見据えて来た。俺はそれを特に茶化すことはせずに「別に」と笑って返してやった。ちょっとキザったらしい、と反省したのは言って数秒たってからだった。ほのかに熱くなる頬に俺は内心で自分のカッコ悪さに恥ずかしさからくる後悔で涙した。
*
ドン、と置かれた資料の山、山、山。プロファイリングされた黒い背表紙のファイルのタワーが直人の手により新たに積み上げられていく様を顔を引き攣らせながら見送り、俺は着いて早々に描かれたホワイトボードの情報を眺めた。
命がけで撮ったのであろう視線の合わないリーダー格の写真が貼られ、その下にそれぞれの氏名と年齢が記載されていた。その他にも組織としての形態が事細かに書かれており、俺はそれを他人事のように眺め「ふーん」と鼻を鳴らした。
「佐野万次郎……27歳、て俺の一個上じゃん。こわー、どういう人生送ったら裏社会のトップやるとか考える訳? マジ分からねー」
思わずそんな感想を吐いてしまう。つーか、身長低くね? それとも他がデカいだけ? なんかオールバックにして背伸びしてるけど、周囲が高いせいで檻に入れられた動物みてぇな写真だな。目なんか死んでるし、人生のどん底知っちゃって一人絶望に浸ってそー。
ハッキリ言って、上げればキリがないほど出てくる佐野万次郎に対する印象に俺は思わず笑みを浮かべてしまう。本当、人間って身勝手だよな。勝手に堕ちて、勝手に後悔する。贅沢の塊だ。無い物強請り、それが写真の中でも分かりうる彼への印象に、俺は笑みを浮かべつつも冷ややかに見つめていた。
――とりあえず佐野万次郎について考えるのは止めよう。そう思った俺は今度佐野万次郎から線が伸びている先、直人が警戒を示すもう一人へと視線を移す。成金かの如く金の装飾を身に纏う男、如何にも鼻に付きそうな風貌の男がニヤつきながらそこには写っていた。
「稀咲鉄太、26歳。俺とタメとか嫌すぎなんだけど。ダッサイ眼鏡してんなー、ゴツいアクセ着けてるし、邪魔になんねーのかな? あー、でも歯はめっちゃ綺麗だな此奴。ホワイトニングしてんかな?」
「なに馬鹿なこと言ってるんですか?」
俺の分析を聞いていた直人が呆れた表情でツッコミを入れてくる。俺が直人を見やると、資料運びが一旦落ち着いたのだろう。珈琲の入ったマグカップを二つ手にしながら立っていた。俺が手を差し出すと直人は二つの内の一つを俺に手渡してくれる。
「いや、一般人としての第一印象を言ってみた。お前はどう思った?」
俺は湯気の立った見た目泥水のような珈琲の水面を揺ら揺らと見つめながら、行儀悪くズズゥと音を立てて吸うように飲み出す。それとは対照的に直人は音も立てず静かに珈琲を飲み、俺をやや侮蔑した視線で見下ろしながら直人は自分の見解を述べ始める。
「……僕はこの時すでに彼らの情報を知っていたので、写真から読み取れるものはありませんでしたね。人間の屑、それが僕の第一印象です。というか、タケミチさんは一般人に分類されるんですか?」
「まあ、大概は一般人だろう。何もしてなければ何処にでもいる一般ピーポーだぜ?」
「…………確かにそうですね。職業も別に問題なさそうですし……フリーターという部分は頂けませんが」
「なんで俺の職業にお前が口を出す?」
つーか、俺の職業なんで知って――あ、そういえば俺に会いに来る前に俺について調べて来たんだった、此奴。うわー、警察ってマジ怖。俺大丈夫? 仕事場で犯罪者扱いされてない? どうしよう勝手に盛り上がってて『実は私……、あの人いつかはやりそうだなって思ってたんですよ!』みたいな茶番やってたら。行きづれ~、めっちゃ職場に行きづれ~!!! まあ、行かないと給料もらえないし最悪職失うし、行かざるを得ないんだけど~!!!!!
俺が絶賛、今後について頭を抱えてる事など露ほどにも知らない直人はケロリとした表情で俺を見下ろしている。なんかそれも腹が立つ。
「口にも出しますよ。仮にも姉と付き合っていたんですよね? 行く行くは結婚する気だったんですよね? …………まさか姉さんとは遊びだったんですか!?」
「い、いや、それはねぇけど……」
直人の血走った目が俺に向けられ、俺は背筋に嫌な悪寒を走らせながら必死に首を振る。中学時代の色恋で結婚まで考えるか普通? 重い。なんかいろいろ重い。
時々おっかない雰囲気になる直人に内心で引きつつ、俺は目を逸らし続けて来た紙のタワーへと目を向けた。
「……それで? コレはなに?」
「分かりませんか? 東京卍會の資料です」
チョイチョイ、と指で紙の山を指すと何でも無さそうに返す直人の台詞に俺は頭を抱えた。え、マジで言ってんの此奴。
「俺にこの資料を読めと?」
「正確には暗記してください」
「暗記!? ちょっと待て、この資料ってアレだろう! 構成員の情報から、今まであった事件についてだろう!? 無理無理無理無理、カタツムリ!! 俺の最終学歴知ってる!? 中卒だよ、中卒! 中卒で今まで汗水働いてきた俺に今更暗記とか出来ると思う!!?」
「仕事を覚える事も暗記みたいな物なんですから大丈夫です。タケミチさん、ファイトです。あ、仕事先には僕から連絡を入れていますので安心してください」
トンデモナイ爆弾発言を言われてしまい、思わず声を上げる。
「なにも安心できませんが!?」
「一応、手柄次第では給料も発生しますが……」
「よろしくお願いします!!!! いやーもう、人生一度は紙の資料を山ほど読みたかったんです!!!!!」
「それは良かったです。あ、読めない漢字とかあったら言ってください。辞書、お貸ししますから」
「重ね重ねありがとうございます!!!!! 不肖花垣武道、頑張らせていただきます!!!」」
く、悔しい。手のひらクルクルさせちまう。これが社畜というか人生負け組の姿だ。金は俺の強い味方だ。いや人の繋がりも強い味方ではあるが何よりも今は金が強い。大体は金で解決出来る。本当、大人とは悲しいツラい生き物だ。学生のような未来にキラキラと希望を見出せる事など最早無い。
俺は直人の涼やかな笑顔を受けながら紙の山の頭頂部に手をかけるのであった。
*
綺麗に纏められた資料を読みながら感心しつつも、同時に彼らのやらかした度合の凄さに目を細めた。
――東京卍會。結成当時はたった六人のメンバーであったのに、現在は結成時とは比べ物にならないほどの人数が所属する巨大な不良集団へと発展。だがしかし、殺人という大罪を犯したために六人の内一人が少年院へ入院。五人に減ったメンバーは悪事を重ね、喧嘩賭博で傷害事件、それから武蔵神社の祭りの日には五人に減った内の一人が他の不良グループとの抗争中に負傷し出血多量で死亡した。そこから十月の終わりには再度大きな抗争が起こり、そこで二人の死亡が確認された。その二人とはかつて少年院に行った一人と、四人となった初期メンバーの一人だった。そして、その十二月には黒龍と呼ばれる暴走族を取り込み、実質関東一の規模を持つ不良集団へと進む――。
読めば読むほどにヤバさが伝わって来る。なんで一年の間に人が三人――被害者も含めれば四人か――も死亡するんだ? それが中学生が起こした事件だってだけでもぶっ飛んでるし、その時点で族を解散するという選択を取らなかった族のトップの異常性も見え隠れしていた。明らかに人として駄目な方向に向かっている。下手をするとそれを望んで突き進んでいるかのようにも見えて、俺は佐野万次郎が恐ろしくなった。身長が低いわりに肝が据わり過ぎている。イカレテいる人間は何処まで行ってもイカレテいるのだと思い知らされ、ゾクリと悪寒が走った。え、てかこの時点で中三なのお前ら? え、マジで言ってる?
……というか、喧嘩賭博? なんか聞き覚えのある単語だな。なんか身に覚えがありそう……俺もしかして関わってたか? でも俺って中坊時代何してたっけ? あの時の喧嘩に負けて人生負け組コースを大爆走していたのは朧気にあるんだけど…………具体的に何をしていたかまでは覚えていないんだよな。吸血鬼になると同時に人間時代の記憶が徐々に抜け落ちていく為に思い出したくても思い出せない。俺は一人言いようの知れない憤りを抱きつつ、教科書でも中々見ない文章量が書き込まれた紙面を睨みつける。
「なんかさー、中三にあるまじき経験詰んでんな此奴ら」
「頭がイカレタ奴らなんですから当たり前でしょう」
「いやでも中三で仲間が三人死んでるってヤバくねーか?」
「ヤバいですよ。ですが彼らにとっては屁でも無いんでしょう? むしろ、仲間の死を継いで~とか考えちゃってるタイプですよきっと」
「あ、あ~、あ~~~」
直人が吐き捨てるように言った言葉に、俺は思わず納得の声を上げる。確かに、ドラマでも『男にはな……譲れねぇもんがあるんだ』とか言うシーンがあると思うが、確かにこういう不良ってそういうのに酔ってるし、義理とか人情に熱いんだよな~。あ~、そう言う感じ~~? もしや、後には引けないっていう感じですか~~~~? 馬鹿なの、君たち~~~~~~?
もはや頭を抱えて読む事が必須になりつつ、今度は佐野万次郎の家族構成を眺めたらそれはそれで壮絶であった。え、なんで此奴の家、両親他界してる上に兄と腹違いの妹がいて、しかもその二人の兄妹も死んでんの? 何、佐野家って呪われてるの? それとも前世で何か悪いことした? つーか、よくよく見ればこいつの兄貴、仲間に殺されてるじゃん。
「壮絶~、なにこれ盛ってる?」
「いえ全く」
これが事実だと認めたくない俺の主張に直人の冷たい声が降り注ぐ。しかし俺はそれをいやいや、というように首を振った。
「いや~、これは盛ってるでしょう。何この不幸のオンパレード。呪われてんの?」
「僕も正直、この男を調べた時は少なからず同情しました。けれど、それ以上に起こしたことは償ってもらわないといけません」
直人の台詞を聞き、俺は笑みを浮かべる。償う、この言葉が出るだけでも彼は理性を持っていることが大いにわかり俺は嬉しく感じた。思わずその喜びを隠さずに「鏡だね~、ご立派!」と彼を茶化せば、ギロリ、と俺を鋭い目で睨みつけてきた。刃物のような鋭い眼差しを向けられて俺は口元を引きつらせながらスゴスゴと引き下がって見せると、今度は直人から呆れた吐息を零された。
ソロリ、と直人の方へと盗み見るように視線を向ける。すると直人が薄らであるが笑みを浮かべて珈琲を呑んでいるのが伺えた。俺はそれに少しだけホッと安心しつつ、小言を言われる前に……、と再び紙面と睨めっこするのを再開するのであった。
*
“佐野万次郎にとっての分岐点はいったい何だったのだろう”。
俺は膨大な書類の山一つを半分ほど崩した辺りでそう思い始めた。そもそも佐野万次郎は始めっから仲間と共に裏社会へと乗り込もうと考えていたのだろうか? それにしては結成当時、そして仲間が死亡する事件が起きるまでの間は補導の経歴はあれど、逮捕歴は一度として上げられていなかった。替え玉、という線も考えたが……そもそもこの当時の東京卍會は周囲の族に比べると可愛らしく大人しい物であった。その事を踏まえると、佐野万次郎の始まりは実は酷く単純では無かったのだろうか、と察せられた。そもそも結成当時は小学六年生だ。その時点で元気よく「俺、裏社会の天辺取る!」とか抜かしてたら家庭教育を疑ってしまう。しかし調べたところで佐野万次郎の家は普通の一般家庭。実は極道の血が入っているのか、と家系図まで直人に頼んで引っ張って来てもらうもそんな情報は一つも出て来なかった。「クリーンなのに何故その道を選んだ」と直人とともに突っ込まざるを得ない現象に陥りながらも俺は何が彼を闇へと堕としたのかと推理する。
けれど推理するまでも無く、彼の分岐点はすぐに分かった。
「死が、人を変えたか」
不幸の連続がこれほどまで続くのか、というほどに佐野万次郎には『死』が周囲に降り注がれていた。両親を早くに失った佐野万次郎にとって兄は何よりも大切であっただろうに、それを強盗により命を奪われ、そして信頼していた仲間がその犯人であったなど彼の心境は酷いものであっただろう。それなのに副総長が刺殺され、彼は最も信頼していた半身を失う。挙句にかつての仲間と幼馴染が死亡し、今度は腹違いでも唯一の妹をバイクによって引き殺され――、彼は大切にしていた
果たしてこれで壊れない人間がいるだろうか? いや、いない。いたとしたらそれは周囲の協力があってこそだろう。でも、彼はそうした仲間に出会えなかった。いや、もしかしたら邪魔をされたのかもしれない。彼が弱っている所に付け込まれたのかもしれない。喧嘩が強くても結局は中学三年の餓鬼だ。親、そして仲間を失えば一気に堕ちるのは目に見えて分かる事であった。
だが、それが分かったとして俺にどうしろって?
「……直人、これは無理ゲーじゃないか?」
「ですから最初から言ったでしょう。殺した方が早いって」
「そこまで言って無かっただろう!!? 勝手に自分の主張変えんな!!!」
俺は咄嗟に声を荒げて発言すると、直人は「そうでしたっけ?」とキョトンとした面持ちで小首を傾げた。
「似たようなもんでしょう? ……それで、何が無理ゲーなんですか?」
「いや、佐野万次郎の分岐点を変えようと思っても、やる事が多過ぎる上に何が切っ掛けでそうなったのか分からねーから無理ゲーってなった」
「そもそもやる事ってなんですか?」
首を傾げて聞いて来る直人がふと小さく「……佐野万次郎の分岐点?」と俺の言葉に不思議そうな声で呟く。俺はそれを無視し、手に持っている紙を直人に差し向け、直人が受け取るのを見計らって口を開き話を振った。
「死の回避だよ、彼奴の仲間の」
「出来るんですか!? ま、まさか吸血鬼には死者蘇生の特殊能力が――ッッ!!!!」
「いや、無い」
俺の発言を聞いて一人で勝手に盛り上がる直人にバッサリと首を振って否定すると、直人が一人勝手に落ち込む一人コントを見せてくれる。本当、面白いな此奴。コロコロ変わる様が見てて飽きない。俺が流れるように盛り上がっては落ち込む直人のコントを見つめていると、ひとしきりやって落ち着きを取り戻した直人がガバッと顔を上げて「……じゃあ、どうするんですか?」と低い声で聞いてきた。
俺は恨みがましい眼差しと声を向けられることに心外だ、と思うように息を吐きつつ自分の主張を述べ始める。
「さっきも言っただろう? 俺が過去に戻れたら、としたら救える者は救える構造になる」
「た、確かに!」
「まあ、もう一度過去に飛べたらと考えた場合はそうした方が圧倒的に良いだろう。だが、それを一人でこなすとなるとメンドーだな、て思った」
「橘家の敷居を踏みたくないと?」
「いや、そういう訳では……。だけど過去に戻るって事は中学二年の俺になるって事だろう? 無謀だろう、相手は一個上のマジモンの不良だぜ?」
「それで父と姉を見殺しにしろと?」
「だから言ってねぇよ! ……なぁ、後生だから俺以外にも当時のお前、巻き込んじゃ駄目?」
「幼気な当時の僕を巻き込むつもりですか!!!? 貴方それでも姉さんの見込んだ男でしょう!!!?」
「見込まれたからと言って一人で不良集団相手には出来ねーけど!?!!!!?」
「出来ないんですか?!!」
「出来ませんけど?!!!!!!」
お前は俺をいったいどういう目で見てるの? え、吸血鬼ってそこまで万能じゃねーけど? つーか、中二の時はまだ吸血鬼になってねーし。今の俺が入って半分吸血鬼、みたいな半人外な状態が生まれているだけで、それが無かったら喧嘩が多少できるだけのなんちゃって不良だわ。人生そんなに楽じゃねーんだわ。
俺の腹から声を出してした主張に、直人が目をかっぴらいて驚きを見せる。
「そ、そんな……! タケミチさん、貴方には失望しました!! まさか貴方がそこまで腑抜けだったなんて!!!」
「いや、俺は普通の主張をしているだけだが……?」
「賢くて可愛らしい幼い頃の僕を巻き込むなんて血も涙もない悪魔だ!」
「まあ人外なんで」
「姉と似たこの可愛らしい何も知らない無垢な僕を巻き込むんですよ!? 心が痛くならないんですか!!?」
「まったく」
というか二度も可愛らしいって自分を褒めたぞ此奴。実はナルシストか? まあでも、此処まで言っといて何なんだが、年下の此奴を巻き込むのは流石に可哀想だな……と思い始めてくる。今はムカつく面白い大人だが、過去に戻ればマジで無垢で何も知らない子供なのだ。そう思うとやはり胸に痛む……良心という場所にチクチクと針が刺されていく。
俺のハッキリとした言葉にガーン、と目を丸くして絶望している直人を見下ろしながら俺は音を上げて「あー、分かった分かった。過去に戻ってもお前は巻き込まねーよ。腰抜けは要らねーし」と煽りを入れて過去への協力は取りやめておく。それにパァァ、と一気に顔を明るくさせる直人に眩しさを感じつつ、俺はすっかり冷めてしまった珈琲をズズゥと啜るのであった。
*
珈琲だけで膨れるだけの素晴らしい腹を持って居る訳も無く、俺の腹は壮大な音を立てて空腹を訴えて来た。なかなか聞くことの無かった身体の悲鳴に目を丸くしながら腹に手を置くと直人が何気無く「タケミチさんって普段は何を食べていらっしゃるんですか?」と聞いて来る。俺は素直に「血だけど?」と答えると、何故か直人が一歩俺から身を引く。俺はそれを冷めた目で見ながら「飲まねーよ。お前マズそうだし」と告げる。
「つーか、別に人間の食い物も食えなくはないんだけど……」
「……だけど、なんですか?」
ジト目で俺を見つめてくる直人の視線を受けながら、俺は吸血鬼としての特質を話し出す。まさか人間にこんな解説をする日がこようとは……、世の中分からねーな。
「栄養になんないんだよ。俺らの栄養素は全部、人間の血液で補ってる。まあ食える理由としては……まあ、あれだ。人と関わる上で必要不可欠になった嗜み、みたいな?」
「それで我々を欺いている、と」
「まあ、言い方はアレだがそういうこと。俺たちにとって血液が全てだ。だから最悪、血は人間じゃなくても良い。でも、人間の方が血液型が同じだから吸ってて楽。動物の場合だと下手すると消化に時間がかかって胸焼けする。あと、腹持ちが悪い」
「な、なるほど……」
「ちなみに俺たち吸血鬼は別に腹が減ったからと言って人をむやみやたらと襲う訳じゃない。大昔は襲って血吸ってたみたいだけど、今は共存の時代だからそんな馬鹿な事はしてない。やったら同族から
「じゃあどうやって血を?」
「血液センターから廃棄間近な輸血パックを裏ルートで買い取って販売している店から買う」
「…………聞かなかったことにしておきます」
警察官としての正義感が動きつつも目を瞑ってくれる直人に俺は笑顔で「サンキュー」と鼻歌混じりに返すと、直人から深い溜息を吐かれてしまった。脱力している直人をニシシと笑いながら、とりあえず腹ごしらえ、と思い椅子から立ち上がる。
「まあ、という訳だから俺は飯調達してくるわ。お前はどうする?」
「僕は予め買ってある物を食べます。ですが個人的な興味からタケミチさんの行くお店に同行します」
「あ、はい」
出掛ける準備万端の直人と目が合い、俺はそれに目を見張りつつも、子供のように目をキラキラさせている直人に駄目だと言える訳も無く……。俺は肯定の意を返し、俺も遅れながら出掛ける準備をするのであった。
――けれど俺は失念していた。今が何時であるか、ということに。それに気付いたのは部屋から外へと出ようとした時であった。
準備も終わり、さあ行こう、と思いガチャリ、と部屋の鍵を開けて外へと一歩出ようとすると、昼の熱気が俺を襲った。吸う息が喉を焼けそうなほどに熱くさせ、俺は直ぐに扉を閉める事になった。
ひ、ひっさびさにやらかした~~~~!!!!!
「どうしたんですか?」
直人が不思議そうな声を上げるも、俺はそれに応えることが出来ずに流れるようにキッチンへと歩き進む。直人の手によって現れたマグカップがラックの上で乾かされていた。それを手に取り、すぐに水を注ぎ入れて口に運ぶ。含んだ水分が焼けた喉を冷たく癒してくれるのを感じながら、俺はコップの中の水が空になるまで一気に水を呑み込んだ。そこでようやくホッと息を吐き、コップを再び洗面台へと置くと、直人が「タケミチさん、いったいどうしたんですか?」と再び尋ねてくる。俺はそこでようやく喉から声が出る事を察し、直人の問いに答えた。
「昼の空気に喉が焼けそうになった、以上」
「え、喉が焼け?」
俺の言葉に嘘だろう、と言った表情を浮かべる直人に俺は嘘じゃない、という意味を込めて深く頷いて肯定を示す。
「そう。吸血鬼にとって昼間はマジで天敵。いろいろ弊害があって出来る事なら活動したくない時間帯。……あ、悪いんだけど濡れマスクとかって置いてある? 無かったら悪いんだけど薬局に行って買って来て欲しいんだけど」
「わ、分かりました。濡れマスクは持っていないので買ってきます。あと何か必要な物とかありますか?」
「あー、じゃあ一応日焼け止めとつば付きキャップ、それからサングラス。安い奴で良いよ」
「分かりました」
申し訳ないと思いつつも直人の機転に感謝しつつ、何点かの注文を口にしてしまう。直人はそれを嫌だからず小さく頷いて「とりあえず休んでいてください」と言って外へと行ってしまった。不甲斐ないな、と自分の弱さに落胆の息を吐き出しつつ、俺は直人の言葉に従い先程まで腰かけていた椅子へと腰を下ろした。
一人になり、異様に大きく聞こえる秒針の音を耳にしながら俺は小さく零す。
「昼って、あんなに熱かったのか……」
過去に戻って昼間を歩いていたせいか自分の存在を知っているのに、分かっている筈なのに、人間のような行動を取ってしまった。違うのに、今の俺は人間とは
あぁ、本当に嫌だな。
「いっそ、焼けて本当の塵に成れたら……」
馬鹿みたいな独り言がふと零れ落ちる。そんな事を口走ってしまう自分を嘲笑いながら、俺は直人の帰宅を寝て待とうと椅子に背を預け目を閉じるのだった。
*
帰ってきた直人から買った物を受け取り、それらを身に着け、身体に塗り込み、今度こそ腹を満たすべく外へと出る事になった。喉が焼かれたショックから開ける動作がおっかなびっくりになりつつも、濡れマスクのお陰で昼の空気を吸っても衝撃は軽い物であった。ホッと安堵しつつ、外に身体を完全に出して周囲を見渡す。後に続く直人が部屋を施錠する中、俺は改めて昼間の空気に胸をドキドキさせてしまう。まるで田舎から出てきた奴みたいな心境だ。夜では見れない太陽の恩恵が広がる昼の世界が眩しく映る。
「さあ、行きましょう!」
施錠を終えた直人が輝かしい笑顔で俺に言ってくる。俺はそれに「おー」と答えながら、下りる階段を探す。直人に連れられてこられた今の場所は直人の偽名で借りているマンションの一室なのだ。三階という絶妙にエレベーターを使わなくても良さそうな階なのが憎い。俺は直人の案内の元で階段に足を向けて一階ロビーを目指そうとした。しかしその前に俺は、何に気を取られたのか。振り下ろす足を一段飛ばしてしまう。あ、と思う中で同時に思ったのは落ちる、その感想だけだった。
即座にやらかした、と自分の馬鹿さに呆れつつも大した怪我はしないだろう。吸血鬼はこんな事で死ぬことは無い。人間の場合は打ち所が悪ければ死ぬけど。
俺は受け身を取るべく身体を捻る。直人の素っ頓狂な「タケミチさん!!?」という声を右から左へと流しながら俺はふと窓に映った自分が見えた。その瞬間、目を丸くする。
――何で俺、窓に映って?
そんな疑問が過りつつも、俺の意識が何処かへと切り替わるようにバチリ、と音を立てて遠くなるのを感じた。
「消え、……え? た、タケミチさん!?!!」
*
「タケミチ、危ない!!!」
――バチリと衝撃が走った感覚と共にスイッチが切り替わるように世界が広がった。そして同時に聞こえた声にハッとした時、俺は身体を宙に投げ出されていた。
は? という思いと共に広がる光景は意識が遠くに飛ばされる前と
しかし言っては悪いが馬鹿は単純で良かった。俺が無事だと理解し、そして新体操並の動きで落下を綺麗に回避したのを見て、緊張の解けた奴らは一斉に割れんばかりの歓声を上げた。
「「「スゲー!!!!!」」」
「え、タケミチ今何やった!!!?」
「オリンピックみたいな動きしてたぞ?!!」
「飛んで跳ねたぞ!?」
「た、タケミチ怪我! 怪我はしてない?!!」
次いで一気に押し寄せてくる言葉の数々に俺は大混乱しつつ「な……、なんか咄嗟に手が出た」と苦し紛れに言えば周囲は声を揃えて「「「へー」」」と感心する声を上げて納得してくれた。それに隠れてホッとしつつ、俺はポケットの重みを思い出し携帯を取り出した。懐かしき折り畳み携帯をパカッと開き日付を確認。そして伺い知れた【二〇〇五年七月十日】という表記にそっと目を伏せる。確か俺のいた日時も【二〇一七年七月十日】だった。つまりは十二年後の今日から十二年前の今日へと意識が移動した事になる。
法則性があるのかないのか、なんなのか。偶然なのか、そうでないのか。まだまだ謎が残っているが、戻れたのならばする事は一つ。
俺は未だにキャーキャー騒いでいる奴らの内の一人の名を呼ぶ。
「なあ、山岸」
「うん? なんだタケミチ?」
「お前、不良の事詳しかったよな? ちょっと教えて欲しい事があるんだけど」
「お! なんだなんだ? 歩く不良辞典、そう呼ばれし俺に何を聞くつもりだタケミチ!!」
山岸、そう声を掛けたのは眼鏡をかけた懐かしき情報通の友人だ。彼を手招きし、俺は今度は現代では手に入らなかった生の
「東京卍會、そしてそこと揉め事を起こそうとした、またはする予定の族について。あと、出来れば都心一帯の勢力図も教えて欲しい」
「ほぉー! タケミチがそこまで詳しく知りたかったなんて知らなかったぜ! 良いぜ、ダチのよしみでテリヤキバーガー一個で教えてやる!!」
「……ポテトも付けるぜ?」
「おぉー、太っ腹! Sか、Mか!?」
「さらにその上のLでどうだ?」
「カーッ!!! どうしちまったんだタケミチ!!! よっしゃ、俺の知ってる事なら全部教えてやる!!!! 持ってけドロボー!!!!!!」
「ハハ……、じゃあ、今日の放課後」
「おー!」
俺との交渉で山岸が「ヤリー!!」と喜びの声を上げるのを聞きつつ、俺はそっと窓の外を見やる。西へと傾きかけている太陽を見つめながら、それに肌が焼けることの無い感覚と息を吸っても喉を火傷しない人間としての当たり前を感じ、一人その懐かしさに目を閉じた。
「タケミチ?」
「あ、タクヤか」
心配そうに俺を呼ぶ声にハッと目を開ければ、隣には心配そうに俺を見つめる幼馴染の姿があった。不安そうな表情を浮かべる幼馴染に俺はヘラっと何事も無いように笑って見せる。しかし幼馴染にはそれで引くような奴では無かった。
「どうしたの? やっぱりさっきので何処か捻ったりした? 保健室……行く?」
「あはは、大丈夫。ただちょっと……、外が眩しいって感じただけ」
「外? あ、確かに丁度この位置からだと太陽の光が差し込むね」
「だろ? だからちょっと太陽に目が眩んだだけだよ」
「そっか……」
俺の言葉に納得しつつも面持ちは決して納得がいっていない複雑そうな表情を浮かべている幼馴染に俺は申し訳ないと感じつつも、それを振り払うように「さあ、サッカーしに行こうぜ」と先導の声を上げて下駄箱へと向けて階段を降り始める。周囲も思い出したかのように声を上げてバタバタと足音を立てて降りて行く様を見送りながら、俺は身体の弱い幼馴染に付き添い遅く向かうのであった。
*
それは山岸の講義中に出た話題であった。振ったのは親友ポジにいた千堂。確か……アッくんって呼んでいただろうか?
「そういえばタケミチ。この間の喧嘩、覚えてるか?」
「この間?」
「ほら、渋谷三中に乗り込んで行ったアレだよ。三年に蛸殴りにされて……、でもタケミチ、お前がなんとかした」
「あ、あぁ……」
正直な所あまり覚えていなかった。ただ、俺にとって人生の汚点であり分岐点であった記憶はありつつも、走馬灯と思っていた為に好き勝手にやった記憶しか残っていなかった。
「そのトップにいた清水将貴、通称キヨマサって呼ばれてる彼奴が東京卍會の隊員だって事知ってたか?」
「え?! そうなの!!?」
「おいこらーそこー、俺の講義聞かねーで何くっちゃべってるー!?」
アッくんからの新情報に目が飛び出るほどの衝撃を抱く。思わず衝撃のあまりに声を上げてしまえば何処から取り出したのかホイッスルを咥えた山岸が審判のように「ピピィー」とホイッスルを吹いて俺とアッくんに注意してくる。
しかしそんな事を気にしている場合では無い。俺は事実確認として山岸に慌てて確認を取った。
「山岸、三中トップのキヨマサって東京卍會の奴らだってマジか?!」
「え……、タケミチ知らなかったのか?」
「マジなのか……、うわー」
やっちまったな俺……、大丈夫か? 来っか? 報復しに来っか? 俺だけだったらイケそうだけど、此奴らを巻き込むのは気が引ける……。まあ、乗り込んできたら丁重にお話し合いして後日にして貰おう。まさかの展開に「あー」やら「うー」と唸る俺に山岸が静かに「でも」と声を上げたのを聞き顔を上げる。すると、山岸が「確かそいつ、脱退させられたって聞いたぜ?」というまたしても投下される爆弾に俺は「は?! え、ちょ、はぁあああ!?!!?」と追いつかない感情の中でとりあえず奇声にならない程度の声を上げるしか出来なかった。え、待って、いろいろ追いつかない。待って待って。
「つーか、俺も知らなかった。そいつなんで脱退させられた訳?」
幼馴染の追撃に俺も聴講を投げ捨てて顔を上げる。タクヤ、ナイスだ!! 俺は内心で幼馴染のアシストに感謝しつつ、山岸の回答を待つと山岸が呆気らかんと答えを口にした。
「あの人、喧嘩賭博やってたらしくって総長らから直々に制裁が下ったみてーだぜ?」
「喧嘩賭博?」
資料で見た内容だと気付くも、同時におや? と首を傾げる。
――喧嘩賭博で傷害事件――
脳裏に過ったのは直人から受け取った資料の山の中にあった情報の一文である。俺は違和感の正体にハッとしつつも、やはりあれ? と思う。
「……なあ、その喧嘩賭博って警察が出てきたりしたか? 事件になった、とか」
「あ? ケーサツ? うんにゃ、出て来てねーけど? 事件にもなってねーし、てかむしろケーサツが乗り込む前に総長が手を打った、て感じじゃねーか?」
「…………そっか、ありがとう」
まさか過去が変わった? 確かに未来が変わった、という事は過去が変わったから、という下地がある訳だが……でもいったい何が変わって起きた? 特異点はなんだ? ……駄目だ分からん。お手上げだ。俺は久し振りに座る学校の椅子に深く座りながら「んー」と答えの出ないモヤモヤから唸り声を上げてしまう。
すると周囲から「大丈夫かー?」という心配の声がかかるも、正直大丈夫では無かった。モヤモヤを感じつつ、俺は山岸の講義途中だったのも思い出して慌てて椅子を座り直す。そして山岸に講義の続きを促せば、山岸は首を傾げつつも講義を再開してくれるのだった。
*
山岸に報酬としてテリヤキバーガーのセットを奢り、久し振りにダチと馬鹿な話し合いをしつつ幼馴染と帰路に着く。ようやく家に帰りホッと息が吐けるかと言えば、そんな訳など無かった。俺は夜、一か八かと月を見上げる。あの時も月を見て血が騒いだのならば、もしかしたら起きてくれるかもしれないと期待したからだ。そしてそれは――上手くいった。
「ハーッ!!!! あっつい!!!!」
俺は着ている服を脱ぎ捨て、殆ど下着に近い格好となる。窓を開け、部屋に吹き込んでくる夜風を受けてようやく俺の身体は血のたぎりが少しだけ冷えてくれた。あぁ、そう。そうだ、これが本来の
「どうしてあの時、俺の姿が映ったんだ?」
この時代に飛ぶ前に起きた事を思い出しながら呟くも、それを教えてくれる人物など居る訳も無く。俺は深い溜息を吐きながらあの時のように窓枠を乗り越え、外へと飛び出した。……が、自分の恰好を思い出し俺はスゴスゴと家へと戻り母から贈られた黒服を慌てて着て再び飛び出すのであった。
「えーと、武蔵神社。武蔵神社っと」
屋根と屋根を飛び跳ねるように飛んで移動しつつ、時には木々を使ったり浮遊したりして目的地へと向かい進めて行くと驚くほどに分かりやすい場所を発見した。腹に響く重低音とギラギラ光るライト。しかもそれらがご丁寧にも一か所に固まっているとしたら、それは族にとっての集合場所に他ならない。
「あそこか」
俺は参道に続く石畳の道に群がる人だかりを睨みつけながら、誰にも悟られる事無くそっと近くの木々へと降下するのであった。
*
「これから、東卍の集会を始める!!!!」
声高らかにそう宣言し前に躍り出て来たのはこめかみに龍の刺青を入れた青年であった。隊服に刻まれた文字は【副総長】。えーと、確か副総長って……り、龍宮……城? いや、寺だっけ? まあそんな名字だった気がする。てか待って、あの身長で中三なの? え、マジ? 何喰ったらそんなデカくなる訳? 俺にもその身長分けてくんね?
俺は副総長さんのデカい身長に羨ましさを感じながら、間違いなく此処が東京卍會の集合場所である事を知ると、俺は引き連れていた御供に声をかけた。
今が夏で本当に良かった。此奴らを使っても何ら不審に思われないのだから……てか、不審も何も人間には俺が何してるかなんて分からねーか。
《おい、あそこにいる連中らの血を吸って覚えて来い。特に階上に立っている奴らを狙え、階下の奴らはそこまで気にするな。…………良いか、悟られるなよ。行け!》
俺の指示を聞き、“雌の蚊”が喜んで群がる人間を襲いに飛んで行く様を俺は静かに見下ろし、見届ける。吸血鬼の能力の一つ、吸血行為のある生物の使役、そして血を吸った対象の位置把握。殺されずに帰ってきた蚊を迎え入れ、すぐに血を拝借。実験に使うプレパラートに血を落とし込んで仕舞うという地味な作業を何度か繰り返す。これに関しては乾いても問題ない、あくまで今やるべきは血の拝借。この血液がいったい誰のものなのかの人物当てはまだ後日だ。寝ている所を襲えば人間は簡単に吸わせてくれるので本当に楽で良い。その時に今よりも少し多めに吸えば問題ない。その時に採取出来た多めの血を再び蚊に吸わせて地図を広げれば……あら不思議。それぞれの血を吸った蚊はその人物が今いる位置に翅を休めてくれるのだ。俺は写真で見るよりも幼く可愛らしい印象が窺えた総長、佐野万次郎を木の陰から見下ろしながらニヤリと笑った。
《うんうん。血の気が多いのは大いに結構。…………お、お帰り。どうだった、彼奴らの血の味は?》
ブンブンと周囲を嬉しそうに飛ぶ雌の蚊にそう尋ねながら、俺は収穫した血に小さく「まずは第一関門突破」と呟き、総長の大きな声をバックにその場から離脱するのであった。
*
族に入るレベルなので学校に行っていないものかとばかり思っていると意外にもその当ては外れ、学校に通っている奴らが何人もいる状況を知り俺は思わず目を丸くしてしまった。
目の前に広げられた地図上の上ではその人物の血を吸った蚊が居場所を示すように翅を下ろしていた。
「……なんでこの人ら族やってるんだ?」
学校を示す場所に翅を下ろす蚊を見つめながら小さく呟く。けれど考えた所で教えてくれる人物が居る訳も無く。もしも此処に現代の直人がいようものなら「馬鹿の考える事なんて考えるだけ無駄です」と辛辣な言葉を吐き出すことだろう。しかし、今の俺の周りには使役する蚊しかいない。俺は空しさのあまり重い息が吐き出された。
「つーか、休みの日や放課後になると時々何かを探すようにあっちこっち移動しているけど何かあったのか? ……でも山岸から、俺が東卍から目を付けられたって話しは聞いてねーし」
んー、と唸り声を上げながら地図を睨めっこしている今の俺だが、別にずる休みをしている訳ではない。吸血鬼の能力を使用した事で吸血鬼としての腹が鳴ってしまい、致し方なく吸血鬼御用達のバーに身を置いているのだ。あっ、もちろん違法である。その店は見ただけでは開店しているのかしてないのか、そもそも店として機能しているのかしていないのか分からないような風貌のスナックとスナックの間にある階段から行くことが出来た寂れた雰囲気の路地。地下へと続く階段を降りて行くと、そこには吸血鬼にとっての食事処が存在していた。
人間として午前中までは頑張って授業を受けていたものの、人間の食事を食べても空腹感が消えないのを悟り、俺は仮病を使って早退したに過ぎない。なのでコレはずる休みではない。コレはやむを得ずに起こした行動なのだ。
しかし未覚醒である俺を見てバーのマスターは初め驚いた様子であった。だが、腹の音を聞いた途端に笑って迎え入れてくれたので、俺は彼に対して感謝しか無かった。持つべきものは同族との繋がりである。俺はカウンター内にいるマスターに「エーガを一つ」と、行き慣れた客のようにA型の血液を注文した事にも目を見張らされた。俺はその目から背けるようにテーブル席に腰を下ろす。そして持参して来た地図を広げて使役している蚊を瓶から解放して観察していたのだ。
「どうぞ。今日は暑いのでシャーベットにしてお出しいたします。お力も程ほどにご使用ください。それではごゆっくり、若き同胞」
「あ、ありがとう」
半解凍された赤黒い血液が入ったグラスがコトリ、と優しく置かれる。マスターの言葉に苦笑を浮かべつつお礼を述べてグラスを煽ると、冷たい氷と共に広がる血の味に目を細めた。コレが美味しいと思うのは自分が異端である証拠だ。それを皮肉気に笑いながら、俺は訪れる人の少ないバーの時間を時間が許す限り居座り続けるのであった。
現在の日付は七月二十日。八月に起きる抗争事件まで残すところ十四日。奴らの血液採取と人物当てに時間をかけ過ぎた、と反省を示しつつ俺は今後の彼らの動向を地図上で見守るしか無かった。
少しでも変な動きを見せようものなら即刻警察のお世話になって貰う。その気持ちを胸に俺は東京卍會の行方を見つめるのであった。
*
母が夕ご飯の仕度をしている時にその電話はやって来た。通知を知らせる表示には【橘日向】となっており、俺はハッとしたように電話に出ると、電話の向こうで『あ、タケミチくん?』という華やかな声が耳に入って来た。その声に心がざわつきを見せるも俺は必死にそれを押し隠し、ヒナに向かって平然とした様子を取り繕う。
「ヒナ? どうしたんだ?」
『ほら今日、タケミチくん早退したでしょう? 体調大丈夫なのかなーって気になって』
「あ、あぁ。心配かけてゴメン。帰って寝たらスッキリしたよ」
実際は腹が減ったからバーに寄って血液飲んでました、なんて到底言える訳も無く俺は適当な事を言ってハハッと空笑いする。
『そっか! 安心した。……あ、それでねタケミチくん。それとは違うんだけど』
「うん? なんだ、どうした?」
『あ、あの実はね。八月にお祭りあるの知ってる? 近くにある武蔵神社で……』
「あ? あぁ、あるね……。確か日付は八月……三日」
『そう! それでその日、タケミチくん空いているかなって……』
ヒナの誘いに俺は返答に迷った。話題に出た八月三日、それは現代で東京卍會が抗争を起こす日であった筈だ。……しかも東京卍會側の人間が一人死ぬ予定だ。そんな抗争が起きると分かっているのに一般人のヒナを連れて歩くのはリスクが大きすぎる。死ぬという事は相手は鈍器や刃物を持っている可能性が高いのだ。
さあ、どうする? どう返答するのが正解だ? 誘いを断るか、断らないか。……しかし断った後のアフターケアを考えるとなるとそれも面倒な気が……あ、イマジナリー現代直人が『やっぱり遊びだったんですね、タケミチさん最低です』って言って来てる。じゃあお前ならどうするんだよ。
『……予定、ある感じかな?』
俺の返答が一向に来ない事にヒナが不安そうに、そして残念そうな声色を出した。電話口から聞こえてくるその寂しそうな声。脳裏に如何にも残念です……といった落ち込んだ様子のヒナが頭に浮かび上がる。、それで俺は咄嗟に声を上げてしまった。出した瞬間に俺は自分の行動に対して自己嫌悪の気持ちが駆け巡る。
「あ、いや、うーん。予定が……ある、けど」
『けど?』
「それは夜遅いはずだったから、それより前だったら行けなくはない。それでも良かった……そのぉ…………ま、祭り、行く?」
自分で言っててなんだが、苦しすぎる言い回しだ。なんだよ、夜遅くにある予定って。
『……それって危ない予定?』
「え?」
『だから夜遅くにあるタケミチくんの予定って……、もしかして喧嘩?』
案の定、即行でヒナにバレてしまった。いや、死人が出るレベルの喧嘩もとい抗争だとは分かっていないので俺としてはまだ良い方だと片付ける。流石に人の生き死にが関わっているとバレたら正義感の塊のヒナは黙っていないだろう。仮にも警察官の娘だし。
俺はヒナの洞察力に感心しつつも、バレてしまっては……と、その日の予定について嘘を含ませつつ話すことにした。
「…………分かる? そう、喧嘩を吹っ掛けられそうなんだよね。ほら、祭りの日ってバカ騒ぎしたい奴で溢れかえるから」
『……ヒナ、迷惑かな?』
「それはない。迷惑なのはその日に喧嘩する奴ら」
『……ぷ、あははは! そっか、そうだよね! 折角のお祭りなのに喧嘩するのって駄目だよね!! でもそれってタケミチくんにも言える事だからね!!!』
「あ、バレたか? まあ、売られた喧嘩は買うのが男ってもんだろう? まあ、売られたら買うだけさ。……なあ、それで? 俺と祭りに行くの……どうする?」
『もちろん行く! ……て、あれ? 私が誘ったのに、いつの間にかタケミチくんが誘ってるみたいになってる?!! もう、狡い!!!!』
「じゃあ行くの止めるか?」
『止めない!!!』
「あははは、デッケー声。んじゃ、何時から行く? 夏休み入ってるし、十六時ぐらいか?」
『うん。良いよ、待ち合わせは何処にしようか?』
「現地集合だとあぶねーよな。じゃあ俺がヒナん家まで迎えに行くよ。ヒナは俺が来るまで家で待ってろ」
『! わ、分かった!! それじゃあ祭りの日、八月三日、絶対に忘れないでね!! おやすみ!!!』
「あぁ、おやすみ」
ヒナの威勢のいい夜の挨拶を受けながら俺は通話を切る。そして俺は今の今まで澄ましていた顔を呆気なく崩し「どうすっかな~~~~」と自分の馬鹿な言動に頭を抱え始める。マジ何であんなこと言っちゃってんの俺? 面倒事増やしてどうする? 馬鹿なのか? 馬鹿だよな? うぅ、どうすりゃあ良いんだよ……。一人通話の切れた電話を片手に「とほほ」とガックリしていると夕ご飯を作り終えたらしい母から「ご飯出来たわよー」と声を掛けられた。俺はとりあえず飯と思考を切り替え、母親の作った夕ご飯を食べに向かった。
*
まだ日が落ち切る前に訪れた武蔵神社であったが、やはり祭りの日は人でごった返すほどの混雑が起きていた。浴衣を着て涼し気な様子を見せる男女のカップルを横目に入れつつ、俺は隣で慣れない下駄を履いてゆっくりと歩く浴衣姿のヒナを見つめる。俺の腕を掴んでないと歩けないほどならば履かなければいいのに……、と内心で吐きつつ俺がヒナを見つめていると、パッと俺の視線に気づいたヒナが顔を上げ俺と視線を交わす。
パチリ、と合わさったヒナとの視線に熱い何かが顔を駆けて行くのを感じつつ、俺はそれにそっぽを向いて声をかけた。
「浴衣、言ってくれれば俺も用意したのに」
「えへへ、タケミチくん驚くかなって思ってヒナ内緒にしちゃった」
――ねえ、似合ってる? 紅色に頬を染めたヒナがはにかみながらそう尋ねてくる。傍から見るとバカップルに見えるんだろうな俺たちって。そんな他人事のような感想を抱きつつ、俺はもう一度ヒナの姿を見つめる。桃色をベースにした生地に散りばめられた菫色の花。派手過ぎず、大人し過ぎず、良いバランスを保ったデザインに俺は素直に「似合ってる」と答える。するとヒナは嬉しそうに笑い「やった!」と明るい声を上げた。子供らしい無邪気な様子のヒナを可愛らしく思いながらヒナとともに人混みの中へと歩き進めた。
人混みの中はカップルもいれば友達同士、はたまた用心棒替わりとしてなのか分からないがハーレム状態の集団もあれば逆ハーレム状態の集団もあり、まさに混沌としていた。平日の夕方である為、大人の姿はあまり見られずほとんど子供の独壇場のような光景に思わず「青春だねー」とポツリとおっさんのような感想を口にしてしまう。
「うん? タケミチくん何か言った?」
「え? いいや、何も。それよりヒナ、何か食べる?」
ヒナの言葉にハッと我に返りつつ、今は俺も青春時代に戻っているんだったとオッサン思考を無理矢理拭い捨てながら話題を作る。するとヒナは「んー」と考える声を上げるもすぐにニコッと笑みを浮かべ「うん!」と元気の良い返事をくれる。それに俺は頷き、何か手頃な屋台はあるかと物色し始める。定番のたこ焼き、お好み焼き、ベビーカステラやかき氷、からあげなどが並ぶ中、ふと屋台の前に立て看板を掲げた珍しい物を発見した。
……なんだあれ? 素直にそう思い何かを知ろうと足を進めながら看板を見る。
【参加者募集! たい焼き大食いバトル開催!! 参加費無料、しかし御残し厳禁、罰金有。優勝者にはたい焼き型トロフィー贈呈と当店「鉄板たい焼き太郎」でたい焼き一年分無料券が付いてくる!!! 開催は十八時~、飛び入り大歓迎!】
まさかの催し物のお知らせ看板だった。いろんな意味でマジか……、と思いつつ看板の内容を読んだヒナが「へ~、たい焼きの大食いバトルか~。珍しいね」と感想を述べる。まあ俺もヒナの言葉に同意だ、まさかの縁日でさらにバトルを開催するとは……。しかも賞品がたい焼き一年分って…………、いらね~。そんなに甘いもん喰って将来糖尿まっしぐらになりたくない。目先の欲で未来を潰したくない。というか、誰が参加するんだ、コレ? デブか?
俺が何気も無く看板の文字を見つめていると、ふと影がかかる。うん? と思い視線を動かすと、そこに立つ人間にギョッとした。俺は咄嗟に息を殺し、気配を消しにかかった。
「ケンチーン! 見て見てたい焼きの大食いバトルだって! しかも優勝者にはたい焼き一年分無料券!! 最高じゃん!!! 俺、コレにぜってー参加して優勝する!!!!」
「おー、マイキー。お前の為だけの景品だな、こりゃあ。ま、頑張れよ」
「マイキーたい焼き大好きだもんね!」
ガヤガヤとあっははは、と笑い飛ばし「おっちゃーん、俺参加するから!」と大声を上げる少年――、佐野万次郎。今は無邪気に笑っているが遠くない未来で笑う事もせずに人を冷めた目で見下す男へとなるであろう存在が立っていた。そしてその隣に居るのは今日刺される予定の副総長、そしてもう一人の女は……誰だ? 染めているのか分からないが明るい金髪をし副総長と笑い合ったり、小言を言ったりと嫌に親し気な様子でいる同い年くらいの少女…………。もしかして妹の佐野エマか? それならばあの堂々とした態度は納得だ。一瞬どちらかの彼女かとも思ったが、そういう雰囲気とも感じ取れなかった。腹違い、と言うから少し距離があるかとも思ったが意外にも仲は良好なんだな、と感心しつつ俺はヒナの手を引き三人から距離を取り、人混みの中へと消えようとした。けれど、人生そんな簡単に事が運ぶなんて無いのだ。
「タケミチくんは参加するの?」
「へ?!」
何も知らないヒナが三人の会話を聞いていたのもあってか、俺にそう尋ねてきたのだ。俺は心臓をドキリとさせつつ同時に冷たい物を身体全身に走らせながらヒナを見やる。不思議そうな表情で立つヒナに内心で恨み言を零しつつも、俺は苦笑を浮かべたまま「い、いや、俺はいっかな~。アハハハ~、それよりヒナは何か食べたい物決まった?」と不参加を主張しつつ話題を逸らそうするく。隣からくる視線を察しつつ、俺の不参加表明で一気に興味を失ったのか消えた視線にホッと内心で安堵をしながらヒナを見ると、ヒナはハッとしたような表情を浮かべて即座に「じゃあ、りんご飴!」と元気の良い返事を貰う事に成功。俺はそれにニッコリと笑い「了解。それじゃあ探しに行こうぜ」とヒナの手を引いて今度こそその場を離脱する事が出来たのだった。
彼らの気配が完全に他と紛れた事を肌で感じ、俺はヒナの手を引きながら目当ての屋台を探しつつもホッと胸を撫でおろした。ドドッとくる精神的な疲労を感じつつも、それをヒナに悟られる訳にもいかず、俺は提灯の明かりで光り輝く赤い宝石を探し求め歩くのであった。
*
月初めだったことが幸いしてお小遣いを無駄な事で散財する前であって本当に良かった。男としてのプライドが傷つく事無く彼女に奢って見せる自分に一人カッコ良さを感じつつ、俺はヒナと祭りデートを楽しんだ。やがて日も落ち始め、本格的な祭りの雰囲気が醸し出される。大人の顔ぶれも多くなる中、俺がふと携帯の時計を見ると時刻はもう十八時を超えていた。時間が経つのは早い、と思いつつも帰宅時間を考えると妥当にも感じられた。それに何より、祭りの臭いに紛れてクンッと湿った臭いを感じ、雨が降る予想を立てる。直ぐには降らないだろうが、このまま居続けるのはマズい。祭りの本番はこれからだろうが、皆が雨から逃げる中で行動するのは危ない。
楽し気に出店を見ているヒナを横目に入れつつ、俺は「ヒナ、そろそろ帰ろう」と告げた。
「え?」
「もう夜も更けて来たし、人もさっきよりも多くなってる。……それに雨も降りそうだし」
俺が空に指を差し向けてそう口にすると、始めはショックを感じたヒナであったが、俺の指を辿り空を見上げると「……あ、本当だ」と暗雲と鳴り始めた空に声を漏らした。ガックリと見るからに気落ちするヒナを見つめつつ、俺は明るい声でヒナを誘う。
「名残惜しいけど、次の出店で最後にしよう?」
「……うん」
「あ、見てヒナ。珍しい、露店だ」
沈んだ声と雰囲気を出すヒナを何とかするべく視線を巡らせた先にあったのは、赤い敷物の上に並べられた色とりどりのアクセサリーであった。周囲には男女のカップルや女の子がそれぞれで「可愛い~」などと言って手に取って吟味している様子が映った。そしてそれをネコババされないように目を光らせる店主の姿があり、俺は思わずその姿に苦笑を浮かべてしまった。大変だな、いろいろ。そんな思いを抱えたままヒナに進言すれば、ヒナは祭りの輝きに照らされて光るアクセサリーに目を奪われた。
「可愛い~!」
ヒナが思わず声を上げるのを聞き、悲しみの感情が少しでも晴れた様子にホッと安堵する。迷子防止として繋がれていた手をそっと放し、ヒナを自由にするとヒナはととと、と露店へと見に行ってしまう。その様子を見て一人、やっぱり中学生だな~、とオジサン思考でヒナを見てしまう。可愛いな~、と思う反面で物凄い背徳感が俺にヒタヒタと忍び寄って来るのを感じ、俺はそれを頭を振って違う、と自分に言い聞かせる。そもそも精神は二十六歳だが肉体は十四歳なのだ。なので見た目では補導の対象にはならない。ならないったらならない。
もう一度、ブンブンッと頭を大きく振って俺は自分の阿呆な思考を振り払うようにする。そして周囲から奇行な目で向けられることに気付き、俺はそそくさと逃げるようにヒナの元へと駆け寄るのであった。
「どう? 何か良いのは見つかった?」
冷や汗をかきつつしゃがみ込んで物色するヒナに問いかけてみると、ヒナは遠慮気味に「うん」と答え、紅色に染めた頬をさせながら小さく「これ」と口にすると、両手でそっと包み込むように気に入った商品を俺に見せてくれた。
そうして俺の視界に飛び込んで来たのはハート形の葉が花開くように繋がっている“幸運”の象徴とも呼べる存在であった。明りに照らされキラリッと光る銀色の縁取りに俺は眩しさを感じる。
「四つ葉か~、良いね」
「うん」
「……買う?」
敷物の上には【一律 八〇〇円】の記載があり、少し割高だと思うぐらいで良心的な値段である。別にブランド品を買うわけでも無いのだ。俺がヒナの手にした四つ葉のネックレスをそっと掴み、睨みをきかせている店主にお金を払おうとする。しかしそれをヒナが慌てたように「待って!」と口にする。袖を掴み、俺の意識を刈り取るように乗っ取るヒナに目を奪われていると、ヒナが俺に何かを訴えかけてくるように見つめてくる。
俺はそんないじらしさを見せるヒナが可愛く思い笑みが零れた。思わず「なに?」と驚くほど優しい声が口から出てきた。
「……あ、あのねタケミチくん。これ、もう一つあるの」
「え? ……あ、本当だ」
ヒナにそう言われ、敷物の上に視線を彷徨わせると確かに同じ形をしたネックレスがそこに鎮座していた。モジモジと頬を赤らめたままのヒナが「で、でね!」と俺に勇気を振り絞った訴えを口にする。
「それで、あの、その……一緒に買って着けない?」
俺はその言葉に思わず目を丸くしてしまう。え、つまりそれってお揃いをしよう……て、え?! ボン、と俺もヒナの熱が伝染するように顔が熱くなっていくのを感じる。な、なるほど、つ、つまりはそういうおねだり的なやつですね!!?
「だ、駄目かな? こういうの女の子っぽい……から?」
「あ、いや、そう言うわけじゃ無くて……、ま、まさかそんなお誘いがくるだなんて思わなくて」
「……ぷ、何それ」
「あ、あはははは! た、確かに何言ってんだろう俺!!」
もはや何が何だか自分で何を口走っているのか分からなくなってくる。でもヒナがクスクスと笑っているだけで胸がホッと暖かくなる。その姿を見つめながら現代にはこの姿を実際に見ることが出来ない悔しさにチクリ、とした鈍い痛みが同時に襲ってくる。
幸運の印、それが少しでも作用されるのなら……、俺は喜んで身に着けよう。せめて、の僅かな希望と願いを込めて贈ろう。
「一緒に着けようか、ヒナ」
「い、良いの!」
パアァ、と嬉しそうに花開くように笑うヒナに俺は「勿論!」と答えた。そして俺は千円札を握りしめて敷物の上で今か今かと待っているネックレスを手に取り、店主に進言した。
「おじさん、これ買います!!」
「あ、私もこれ買います!!」
「はい毎度!!!」
それぞれに返される二〇〇円を受け取り、俺たちは顔を見合わせて笑い合う。こうして二人で笑い合う時間が未来ではもう二度とこないなんてことが無いようにと、ネックレスを握りしめて願いながら。
*
まだまだ祭りは続く中で帰った為に帰宅ラッシュに遭遇する事も無くヒナの住むマンション前まで辿り着くことが出来た。武蔵神社は東京卍會のお膝下であった為に下手に絡まれなかった事に安堵しつつ、これから待ち受けている予定に一気に気分は落ちて行く。
しかしこれさえ解決すればヒナの生存率が上がる。ならば気が重くてもやるしかない。自分にはそれしか手立てがないのだ。救えるかどうか分からないなんて泣き言を言ってられない。この唯一のチャンスで救えるか、じゃない。必ず救うのだ。失敗は許されない。
ヒナのマンション前に着くとほぼ同時に、まるで見計らっていたかのようにポツポツと雨が降り始めた。ヒナが雨に濡れなかった事に良かった、と安心しつつ「降って来ちゃったね。あ、タケミチくん。良かったら止むまでウチに……」と酷く魅力的な言葉を口にしてくれる。けれどそれを俺は首を横に振って静かに断る。
「平気。それに俺も絡まれる前に帰んなきゃ」
「あ、そっか……」
俺の言葉にしょぼくれるヒナを見て、ヒナは俺が不良である事を時々だが忘れている節があるように感じた。落ち込みつつも納得の意を示したヒナの物分りの良さに感謝しながら、俺は「今日は楽しかった」とヒナに告げる。そしてふと目に映ったネックレスにもハッとし「そのネックレス、よく似合ってる」と後付けで申し訳無いと思いつつもそう口にすると、ヒナは「えへへ」と先程までの落ち込みから一変し照れ臭そうにはにかんでくれる。
まだ降り始めたばかりの雨である為にそこまで雨脚は強くない。俺はこれ以上酷くなる前にヒナを中に入れようと半ば強引に別れを告げる。
「ほらヒナ、風邪引く前に中入れ。俺ももう帰るから」
「う、うん。……あ、タケミチくん!」
俺がヒナを半ば押し込めるようにマンションのエントランスへ促すと、ヒナが慌てたように声を上げる。俺は、なんだ、と首を傾げつつヒナを見る。
「ヒナも今日、楽しかった! おやすみ!!!」
言い逃げをするようにクルリと背を向けて行ってしまうヒナに俺は目をパチクリしてしまう。そうして雨脚が徐々に強まっていく中、俺の髪や肩を濡らす生温い雨を受けながら俺はもう既にないヒナの後ろ姿を思い浮かべ小さく呟く。
「おやすみ、ヒナ」
――良い夢を。俺は袖を縛って腰に巻いていた黒い上着を広げ、ゆっくりと袖に通していきながらそう念じる。フードが目深に被り、俺はそっと笑みを浮かべた。
「さあ、
運命に抗う為に、唯一を救い上げる為に。そう小さく零し、俺は地を蹴って武蔵神社へと向かい走り出すのであった。
*
祭り関係者から貰った武蔵神社のパンフレットを取り出し、俺はその中でも簡易的ではあるが武蔵神社のマップが描かれている場所を睨みつける。俺は周囲を見渡し、雨の中で呼ぶのを躊躇うものの人ならざる波長を出して《来い!》と命令する。俺の命令を聞き、雨の粒を避けるように飛んで来てくれる雌の蚊にホッと安堵しつつ同時に《ありがとう》とお礼を口にする。
《力を貸して欲しい、彼らの居所を示してくれ》
俺の立て続けの命令に、彼らの血を呑んで覚えていた蚊が即座に反応する。マップの上に次々と止まっていく姿は傍から見れば気味の悪い光景だろう。集合体恐怖症なら絶対に無理であろう。そんな下らない事を思いながら俺はマップを静かに見つめ続けた。どうやら彼らも祭りを楽しむ者、行かない者に分かれていたのかマップ外に止まる蚊もチラホラいた。……しかし、ふとその蚊たちが急にマップ内へと移動を始めた。
「……うん?」
俺が首を傾げてマップを見つめていると、境内にいた者たちも徐々に移動を始めたのが分かった。雨から逃げる、という行動にしては誰も彼も同じ方向に向かい過ぎている節があった。俺は彼らが辿る先を予想し、マップ内に描かれた裏駐車場が目に留まった。
此処か! しかし同時に俺はハッとする。
「刺される時間までは知らねーぞ俺!」
このまま下道を通っていたら下手をすると人の波と遭遇するかもしれない。それだと到底間に合わせる事など出来る訳がない。ならばもう上から攻めていくしかない。俺は即座にそう考えると、電柱の近くに置いてあった青色のポリバケツを台に塀へと飛び移り、そのまま勢いを殺さないように物置の屋根から民家の屋根へとテンポよく飛んで行く。雨で滑りやすく、一度は落ちそうになるのを慌てて踏ん張って事なきを得る……なんて事をしながら俺は落ちなかった事にバクバクする心臓を必死に落ち着かせながら俯いていた顔を上げて前を見据える。そして再び落ちないよう足元に気を付けながら俺は止まってしまった足を再開するのであった。
バシャバシャ、という雨に濡れた屋根の上を走り抜けながら俺はふと地上へと視線を向ける。すると地上にはビニールの花が所々に咲き誇っていた。どうやら近くのコンビニで買った人は花道を作りながら家路に向かっているようだ。俺はそれを見下ろし、ウゲ……と顔を歪めてゲンナリした。
「うわ~、早々に上に避難して良かった~」
あんな悠長に傘を開かせて歩いている人の波に逆らいながら行くなんて余計に時間がかかっていたであろう。本当、上に避難して正解。数秒前の俺偉い。そんな事を思いながら俺は目の前に迫りくる少し大きな作りの家づくりの屋根に向かい今いる場所から大きく飛躍する。バシャン、と大きな水音を出しながら俺は先程の滑る問題を再び起こさないように一度足を止めて息を吐く。そして息を吸って止めた足を再び走らせた。
ようやく半分まで戻って来れた、そう思い安堵の息を吐くもパンフレットの簡易マップを覗くと俺はギョッとした。なんと幹部クラスがほとんど裏手の駐車場に集合しているではないか。
「え、ちょ、ま!」
――マズくない!!? 俺は堪らずに声を上げてマップを投げ捨ててしまう。それに「あ」と声を出して我に返ってもパンフレットは風に乗って近くの木の上へと飛んで行ってしまった。そんでもって空中を飛ぶうちに雨にドップリと濡れてしまっていて、再利用は困難だと瞬時に理解する。蚊も既にマップから離れ俺の元へと帰って来ていた。ええい、もうマップなんていらん。俺は東京卍會の連中がこれ以上の移動は無いだろうと判断を下す。けれどマズい、幹部クラスが集まっている、という事は下手をすると抗争は既に始まっている事になる。このまま上を走っていても間に合わない可能性が出てくる。
俺は僅かに吹く風を見つめながら、迷っている自分に頬を叩いて喝を入れた。
「飛べるか、飛べないか……そんなんじゃねぇ! 日和んな俺!」
脳裏にはにかむヒナの表情が浮かぶ。俺は咄嗟に互いで買って交換したネックレスを手に掴む。
「
走馬灯だと勘違いしていた時に誓った『今度は俺が追いかけに行くから』を守らせてくれ、そう念じるように思いながら俺はコートのファスナーを開ける。ファスナーで護られていた内部に雨の粒が次々と入り込んでくる。でも俺にはそれを気にしている暇など一切無かった。俺は同時に集めた蚊たちを手を払って散開させる。
夜であっても、人間としての血が濃い状態の中、何処まで能力が発揮されるかは未知数だ。血の高ぶりもこの間とは雲泥の差で低い。
俺はグッと歯を噛みしめる。そして踏み込むように足に力を入れ、俺はその場で高く飛び上がった。そして鳥が翼を広げるように両腕を広げる。同時に黒いコートの裾が蝙蝠の翼を思わせるようにバサリッと広がる。僅かに吹く風に上手く乗りながら俺は浮遊する。一歩でも間違えれば墜落は免れない。俺はピン、と神経を張り巡らせながら渋谷の上空を飛んだ。
やがて灯りが密集する場所を発見する。俺は即座に「あそこか!」と声を上げて、風の波に乗って向かった。……しかし、近付くにつれて感じ取った血臭に俺は「おいおいおいおい!」と顔を青くさせた。マジか、マジなのか!? 誰か嘘だと言ってくれ!!!
「間に合ってくれよ!?!!!」
俺はそう叫びながら上空で龍宮寺を探す。しかし何処も彼処も激しい喧嘩を起こしている中でたった一人の男を探すのは至難の業であった。というか怒号とともに激しい殴り合いを見せられ俺は正直なところ引いていた。え、マジ? 俺マジであんなヤバい所に乗り込まないと駄目? 旋回出来る物なら今すぐに旋回して家に帰りたい、そんな気持ちが俺を襲い来る。けれどもそれに待ったを掛けるようにイマジナリー現代直人がにこやかに現れ『姉の為に命張れないんですか?』という脅しに近い言葉を突きつけてくる。俺はイマジナリーなのにも関わらず思わず声を上げて「~~出来らい! やってやる!!」と答えてしまう。雨のお陰とヤローの怒号でかき消された事で俺の事を察知されることは無かったのが不幸中の幸いである。そしてイマジナリー現代直人は俺の叫びを聞いて酷く嬉しそうに笑い『流石は姉の見込んだ男です』と褒めてくる。それで気持ちが高揚する手軽な自分が嫌になる。というか、飴と鞭の使い方が本当に上手いな、俺はイマジナリーにそんな感心を抱きながら下で広がる混沌と向き合った。
――さあ、龍宮寺、龍宮寺……何処だ、何処だあのパツキン!!?
流石は不良。何処を見ても大半が金髪しかいない。……いや、冷静になれ。あの男、確か半分は髪を剃って刺青を入れていたはずだ。そうだ! 刺青、刺青を探せば……て、てめーら全員動くな! その場に静止しろ!! 蠢く男どもを見つめながら俺はそう思わざるを得なかった。マジ無理、無理ゲーだ! そんな思いと共に焦る気持ちが押し寄せる中、俺はふと「うん?」と首を捻った。
*
「そういや、さっき血の臭いを感じたんだよな? じゃあもしかして刺された後なのか?」
うっそだろう、バッドエンドじゃん。え、俺の頑張り此処で終わり? 潰えた? 俺の圧倒的で天才的な考えは此処で潰える感じ? え、マジで言ってます?
「いやいやそんな訳ない。ないないない、ナイアーラトテップ!」
諦めるな、俺! 心の中で自分を奮い立たせ、両手をギュッと握りしめて意気込む。そして再び目を凝らして下を見つめると、そこで俺は妙な動きをする奴を見つける。思わず「なんだ彼奴?」と零して凝視してしまうと、街灯に照らされキラリと光る物を発見した。そしてその矛先を見て、俺はハッと息を呑み、慌てて降下する。忍び寄るように静かに、そして真っ直ぐに走り出す光の筋に俺は咄嗟に間に合え、と強く思いながら俺は足でその向かう光の先を地に堕とす。
「ドラケン、覚悟!」
そんな男の囁く声が聞こえた。そしてそれは俺が笑った瞬間でもあった。俺の足が男の持つ光り物に降ろされる。まるで鳥が飛来したかのように突然現れた俺の姿に男の足が止まる。そしてそれは狙われていたドラケン――龍宮寺堅も俺の登場により意気込んでいた表情から一変、男と似たような表情を浮かべた。
「「ハ?」」
龍宮寺と男の声が被さり合う。そして唖然として全身真っ黒でずぶ濡れの俺を見つめる男。……あれ? お前どっかで見た事あんな? 俺は馬鹿丸出しの表情を浮かべる男に首を捻る。後ろの方で龍宮寺の「てめぇ、誰だ!」という声が聞こえてくるが無視だ無視。つーか、なんでこの男すでに何かしらの一発貰って頭から血流してるの? え、ダラダラ血が流れていますが大丈夫ですか? そんな事を思っていると、ふと脳裏に幼馴染や親友の会話が蘇る。
『そういえばタケミチ。この間の喧嘩、覚えてるか?』
『この間?』
『ほら、渋谷三中に乗り込んで行ったアレだよ。三年に蛸殴りにされて……、でもタケミチ、お前がなんとかした』
『あ、あぁ……』
『そのトップにいた清水将貴、通称キヨマサって呼ばれてる彼奴が東京卍會の隊員だって事知ってたか?』
『え?! そうなの!!?』
『おいこらーそこー、俺の講義聞かねーで何くっちゃべってるー!?』
『山岸、三中トップのキヨマサって東京卍會の奴らだってマジか?!』
『え……、タケミチ知らなかったのか?』
『マジなのか……、うわー』
『確かそいつ、脱退させられたって聞いたぜ?』
『は?! え、ちょ、はぁあああ!?!!?』
『つーか、俺も知らなかった。そいつなんで脱退させられた訳?』
『あの人、喧嘩賭博やってたらしくって総長らから直々に制裁が下ったみてーだぜ?』
――あぁ、だから腹いせに。俺は見下ろす先にいる間抜け面の男が誰なのか、そしてその行動理由に納得した。した、けれど理解は出来なかった。後ろの方で相も変わらず龍宮寺が「おい、聞いてんのか!」とドスの効いた声で怒鳴ってきているが俺はそれを綺麗にシカトをかます。大きな「おい!」が再度聞こえてくるが俺は華麗に無視を決め込み、むしろ目の前にいる男に向かい保っていた沈黙を破った。
「あれぇ~~? もしかしてアンタ、この間のパイセンじゃないっすかぁ~~?」
「あぁん? てめぇ、誰だ?」
「覚えてないんすかぁ~~? あ、そっかぁ~~、一個下に余裕ぶっこいてたら返り討ちにあってボロ負けした、なぁ~んて言えませんもんねぇ~~?」
「ッ!! てめぇ、まさかあの時の!!!」
「あ、やぁ~と、思い出してくれましたぁ~~? そうですぅ~、あの時お世話になった亀でぇ~す」
――あのときの礼をしに参りました。
決して違うのだが、この場に現れた理由としては適切だろう言葉を俺は吐く。だが登場の仕方が少々大胆だった為に周囲の視線が俺と此奴に集中してしまっているのが難点だ。ヤベェ、隠密で助けようとか思ってたけど無理ゲーでした。どう収拾着けよ……。そんな事を思いながら俺は俺の体重負荷が掛かりながらも光り物を手放さず、しまいには光り物を動かして俺を振り落とそうと動く清水将貴に目を丸くしつつ、俺はヒラリと宙転して地面に足を下ろす。
「あっぶないですねぇ~~」
俺がそう言っている隙にまたしても光り物が俺へと振り下ろされていく。俺はそれをヒョイヒョイ、と軽い足取りで避けながら「パイセン知ってますかぁ~~? 刃物って人に向けちゃ駄目なんですよぉ~~?」と言葉を連ねていく。傍観していた東京卍會側が口々に「おい、どうなってんだ?」と困惑の声を上げ始める。それを聞きながら俺は目の前で光り物を振り回す清水将貴を捉えながら、大振りの動きを見せた瞬間、俺は勢いよくその場から姿勢を低くする。そして流れるようにがら空きとなった下半身を狙い、足払いを行う。意識が手元に集中していた為に驚くほど呆気なくその場に転倒し、光り物を手放してしまった清水将貴に俺はニイィ、と歯を見せながら笑みを浮かべた。俺は手に取る前にそれを回収する。抜き身だが致し方ない。ベルト部分に差し込んで、男としての象徴をぶっ潰そうとか意気込んでいると、俺の肩を無遠慮に掴んでくる奴が現れた。
誰だ――、と睨むように視線を向けると、そこには頭から血を流す鬼の形相の龍宮寺がいた。
「てめぇ……、俺の喧嘩に何しゃしゃって!」
「うっせぇ、黙れ怪我人」
耳元でドスの効いた良い声を貰うも、俺も良い所で邪魔されるのは堪った物ではない。思わずそう口答えしてしまった挙句、そんな言葉に呆気に取られている龍宮寺をいい事にぞんざいに掴まれた手を振り解く。
……もう言っちまったし、とことんやるしかねーよな。うん。
「そもそも暢気に突っ立って刺される的になってた所を助けたんだ、むしろお礼を言ってもらいたいね?」
「あ?」
「お前こそ喧嘩の邪魔だ。とっとと病院に行け、それか帰れ…………死にたくなかったらな」
「おい、お前何か知って!」
俺の言葉を聞いてハッと何かに気付く様子を見せる龍宮寺を尻目に俺は逃げようとする清水将貴の背を睨みつけ、そして駆け出した。
「待て!」
そう追いかけてくる龍宮寺の声に内心で誰が待つか、と叫びつつ俺は「逃げんじゃねぇ!!!」と声を上げ、その場で飛んだ。
俺の声に反応し、僅かにだが清水将貴が此方へと顔を向ける。俺はその一瞬の好機を逃さず、その横っ面に重い一撃を喰らわす。俺の飛び込みパンチを喰らった清水将貴が空中を飛ぶ。しかしそれを俺は腕を掴んで引き寄せ、もう一発を反対側に喰らわす。汚い唾液を口から出す姿に口元を歪ませつつ、その場に倒れこむ清水将貴へ最後の一撃として腹を勢いよく足蹴りする。そして雨で濡れている事を良い事に、そのまま清水将貴の身体を足蹴りの勢いだけで龍宮寺の方向へと飛ばす。一部始終を見ていた龍宮寺が俺を唖然とした表情で見つめていた。フード越しであるが、僅かに見える隙間からそれを窺い知れ、俺は内心でそこまで? と小首を傾げてしまう。
しかし遠くから雨とは違い、小さくも聞こえるサイレン音に俺はハッと我に返る。マズい、警察のご厄介になるのは非常にマズい!!
「じ、じゃあ後はあげる! 煮るなり焼くなり好きにして!!」
「はあ!? ち、ちょ、おま、ま!」
俺のテンパった声を上げつつ、そそくさとその場から退散しようと動くさまを見て龍宮寺も素っ頓狂な声を上げる。そんな声も出せるんだ……、と感心しつつ、俺は周囲の喧嘩に巻き込まれないようにヒョイヒョイ、と避けながら気配を徐々に殺して行く。なるべく足音を周囲と重なるように歩き、存在を消して行きながら、俺は龍宮寺の視界から消えたのを感じ取り、そのままトンズラしようと足に力を入れた瞬間、ヴォン、という風を鋭く切る音が聞こえた。俺は本能の思うままに力を抜き、体勢を低くする。すると俺の頭上を何かが勢いよく走り抜けていった。……は? なに? 脳裏に疑問符を幾つも浮かばせながら背後を振り返ると、そこには俺を見つめる黒い目があった。視線が合わさり合い、その人物が何者であるか分かった瞬間、俺は息を呑んだ。赤みがかった金髪に俺とどっこいどっこいの低い身長、そんなの一人しかいない。
「佐野、万次郎……」
唇が震える。向こうは初めてだと思っているだろうが、これで二度目の
「今、俺の蹴りを
面白い玩具を見たような子供の表情を浮かべる
すると佐野が何を思ったのか笑みを浮かべた。
「……へー、俺にガンつけるなんてお前度胸あんじゃん」
――気に入った。そう不敵な笑みを浮かべたままに告げられた言葉に俺は目を見開く。は、気に入った? キニイッタ? 何を? 俺を? 俺の中で疑問符が再び大量発生する。困惑する俺を他所に佐野が口を開け、何かを発しようとした――その瞬間、徐々に周囲から「サツだ」「ヤベ、逃げろ」「解散だ、解散!」という声が上がり始める。俺や佐野もハッとし耳を澄ませば、先程まで微かだったサイレン音がどんどん大きくなってきてここに近付いてきている事を知る。周囲にいた不良たちが方々へ散っていく様に俺は好機だと捉え、その流れに便乗して即座に立ち上がって佐野へと背を向け走り出した。
「あ、待て!」
佐野の言葉が追いかけてくるが待つ馬鹿が何処に居る、と内心で愚痴りつつ俺は今度こそ大きく飛び上がり武蔵神社の鬱蒼とした木々の中へと姿を消すことに成功したのだった。これ以上は追って来れまい、というか追って来ないで欲しい、と強く念じつつ俺は木々と木々の間を飛び跳ねるように移動し、追ってくる気配を探りながら様子を見る。しかし幾ら待っても追ってくる様子も無く、むしろ警察のサイレン音の大きさに笑みを深める。
「……ミッションコンプリート、てか?」
とりあえず龍宮寺堅の死は防がれた筈だ、警察が出てきた以上、周辺は警戒されるので夜道に再度狙われる事は無いだろう。……それに何より、副総長が負傷しているのだ。流石に護衛が付くであろう。むしろ付いててくれ。俺はそう念じるように願いながら今度こそその場を離脱するべく大きく踏み込み、木々から屋根へと移動先を変えるのであった。
「流石の不良も、警察も上は見ねーからな。視界もわりぃーし」
足元の人間たちは傘も差していて余計に飛ぶのには好都合だった。
やっぱり良い事すると天も味方すんのな、マジサイコー! 俺は暢気にそう考えながら撤退していたから、知らなかった。
これから俺の身に襲い来る悪魔の手に――
「……なあ、ケンチン。俺、欲しいの出来ちゃった」
「……奇遇だなマイキー、俺もだ……」
「俺の蹴り避ける奴がいるなんてなー、受け止めた半間ってやつもスゲーけど避けられたのは初めてだわ。それに……あの一瞬の隙も見せねぇって気概のある目、気に入った。ぜってぇ、面拝んでやる」
「付き合うぜマイキー」
「ったりめーだ、トーマン全員巻き込んで探させるに決まってんだろ」
――俺の知らぬ所でそんな会話がなされている事など露程にも知らなかった俺はその頃、全身ずぶ濡れの状態のまま帰宅し母親にこっ酷く叱られていた。
「タケミチ! アンタこんな時間まで何処ほっつき歩いてたの!! それにその有様はなに?!! 母さんの上げた大切な服を雨合羽に使うなんて!!!!」
「そ、それは~、そのぉ~」
「言い訳は結構! とっとと服脱いでお風呂に入って来なさい!!!」
「は、はい~~!!!」