レヴィは己の体を見た。
目の前の景色が歪み、瞳が潤む。
まるで溺れているかのように。
いや、今は脳の水の中ではなく、体ごとこの広い海の中に浸って、沈んでいるように感じていた。
「体って……本質なのかな」
レヴィの声は震えていた。
明らかに彼女が泣いていることはすぐに分かったが、【敗者】には掛けられる言葉がなかった。
「……」
レヴィは何度か深呼吸をし、無理やり震えた声を抑えると言葉を紡いだ。
「貴方の本当の姿や、惑星が人の形を象ることを見ると、そう思うの。体って、ヴェールなんだよ。本質を誤認させ覆い隠すためのヴェール。体が付くことで人は外見のイメージに囚われて、その物事の本質を見いだせなくなる」
「あぁ。あの忌々しいアークスや、それに付き添うシオンの縁者もそうだった」
「でも、逆にこうも思うんだよね……本質って、本当に本物の、真実なのかなぁって」
「……?」
「ほら、空が見えるでしょ」
レヴィはゆっくりと船の外に見える星空に指を差した。
暗い闇の中に数多の星が煌めき、この宇宙は輝いている。
そんな空の色に反射して海も青く染まり、海に反射したガラスが青く煌めき……光は反射を繰り返していく。
しかしだ。
「わたし達は、この目で世界を見て、色を感じる。でも他の動物だと色を認識出来ない物だっているし、見え方が違う物だっているし、逆にわたし達よりももっと優れた見え方をする生物だっている。
でもさ、世界って本当は何色なのか……わかんないよね?」
「そうだな。人の見る景色は世界の真実とは言いきれない。しかし誰も分からないというのは間違いだ」
「……」
「主観や客観を除いた本質、世界の色、全ての真理……それら全てを知るのが、全知存在だ。
全知存在の見るものが世界の本当の真実なんだ」
「……わたし、そんなのになれないよ……」
レヴィはボソリと呟いた。
フォトンがないだとか、作業効率が悪いだとか、見てくれが美しくないだとか、そんなレヴィのマイナスな部分が全部海に溶け込んで、重い水になってレヴィにのしかかる。
その圧力はレヴィの体を圧縮して爆発させてしまいそうな程で、だから人はフォトンなしでは容易に深海など潜れないのだ、と考えた。
「そのひとの容姿、知ってるんだよね?わたしと、どれくらい違う?」
【敗者】はそれを聞いて、シオンの容姿という入れ物として選ばれたフォトナーの記録やあの時マザーシップ中枢でシオンを掌握した時に見た彼女の容姿を思い出しながら、嘘ひとつなくレヴィに教える。
レヴィより背が高く、スレンダーで、ロングの黒い髪にほんのり青の混じった銀の瞳。
声は優しくとても落ち着いていて、整ったとても美しい顔立ちで、人の善性に焦がれたとにかく神聖な雰囲気を感じる存在。
そして何より、どれほど知識を得て、どれほどその偉大さを説いても【敗者】に振り向く事など一度も無かった、手を伸ばしても絶対に届かない所に居る相手。
届いたと思ったら人の善やオラクルの未来を願い、己の存在を消してしまうほどであると……
「知性を持った海……」
星の明かりがレヴィを照らす中、彼女はゆっくりと目を閉じ、体を動かした。
「レヴィ?」
「なんでもない……」
主観と真実は、本当に真実が真実なのだろうか?
真実である物が本当は真実ではなかったら?
主観でしか見えないものが真実では描かれなかったら?
そうしたら、主観でしか見えない存在は果たして間違いなのだろうか?
この世にあってはいけないもの、なのだろうか?
「……自分が、惑星だったら良かったのに」
「そういう問題じゃないだろう」
「だったらわたしはどうやったらあなたに振り向いて……」
そこまで零したところでレヴィは自分の言葉の過ちに気付き、慌てて修正する。
(【敗者】に……この気持ちの見返りを求めちゃいけない……)
「ちっ、……違う。……違う。ううん、違うよ。わたし、そういう事じゃないの。えっとね、……言ったでしょ。わたしの気持ちだけは本当で、他は全部、嘘でもいいって、でもね……でも、ちょっと、……ちょっと、捨てられたくないなって思って……」
レヴィの言葉は真っ直ぐ歩くことはなく、あちらこちらにぶつかっては傷付き、ようやく言葉に始末を付けると鼻を啜った。
「僕は貴様を捨てたりなんてしない」
「でも……」
レヴィは熱くなった目が落ち着く様子はなく、ほろほろと不本意にも雫が溢れ落ちると直ぐにそれを拭った。
「どうして泣くんだ?」
【敗者】はレヴィに寄り添い、彼女の頬に触れようとするがレヴィは拒絶するように顔を埋めて俯いた。
「【敗者】は……わたしに、最高の駒になれって、言った。三英雄を超える力を持つ、【敗者】の、一番にわたしがなるって」
【敗者】にはそれしか選択肢がなかった、ということはすぐ分かった。あの状況でレヴィを殺したとて何も前進する訳ではないし、かといって独りで出来ることも少ない。
前と同じようにアークス内部にパイプを繋ぎ、自分の利のために操作するための駒があの時の【敗者】には必要で、それと同じくらいアークスからの追撃があれば今の【敗者】には太刀打ち出来ないことも分かっていた。
だからレヴィはそのための剣であり、盾であり、そして奇策でもあった。
それはよく分かっている。
分かっているが、レヴィの感情はそんな道具には収まらず人としての恋慕を抱えてしまったのだ。
「でも、……わたし、馬鹿だから、【敗者】の一番になりたいって思っちゃったの」
「当然だろう。僕がそう命令したんだ」
「違うの、【敗者】が言うのと、わたしがそう思うのじゃ、違うことなんだよ……」
【敗者】にとっての一番とは道具であり、いくつも選択肢がある内での"最優先"。
レヴィにとっての一番とは人としてということであり、他に選択肢のない"唯一"。
この差こそ、レヴィの止まらない涙の訳だった。
しかし、【敗者】はレヴィの分かりやすいのに遠回しで頑固な姿勢に寄り添う気はなかった。
現状の彼女は生半可なことを言ってもあれこれいってすぐに否定してねじ伏せる、悲観的な結論ありきの思考だ。
そんな相手に同調して慰めたところで何も解決しない。
そういう相手に一番効く手は、同調ではなく完全な否定。
ひたすら相手に都合の悪いことを言い続けて、納得させて説き伏せるに限る……と、その過程で発生する傷などどうでもいいと言わんばかりに【敗者】は結論を出した。
「はぁ……面倒臭い。ウジウジ躊躇って何か解決するか?しないだろう?何が嫌で何がいいのかハッキリ言うんだ」
「うぅぅ……」
レヴィはすぐ泣くし、すぐ怒るし、すぐ笑う。
成人女性なのに中身は子供そのものだ。
「貴様は本当に幼稚極まりないな」
「ごめん……ちょっと、ひとりにして……」
そう言ってレヴィは体ごと【敗者】から逃げようとするものの彼はそれを許さず、レヴィの頭を掴んで無理やり顔を上げさせた。
レヴィの目元は真っ赤で袖は涙で湿っており、【敗者】と目が合うとすぐに目を逸らした。
「却下。現状の問題が解決する訳では無い」
「わたしの感情の問題にあんたを巻き込む理由なんてないし!」
「だったらそれを僕にぶつけるな。泣くな。自分の問題だと言うなら自分の中だけで解決しろ。迷惑を掛けた時点で僕にもその問題は降り掛かる事になる」
「〜〜ッ!!泣きたくて泣いてるんじゃないもっ……うぅ……あんたなんかだいっきらい……」
レヴィは顔をブンブンと振って【敗者】の手を離すとまた顔を埋めて鼻をすすった。
「好いてくれ、などといつ言った?僕は貴様から嫌いと言われようが何も傷つかない」
「わたしだってべつに、嫌いって言われても、そんな簡単に傷つかないしっ……いっぱいいっぱい、色んな人からきらいっていわれてるし……」
「それとこれとは違う理由だ」
「違くないもん……」
「いいや、違う物だな。お前は僕の事が好きだから、嫌いと言っているんだろう?」
「っ!」
【敗者】の言葉を聞くと、レヴィの体が分かりやすく静止した。完全に図星である。
嫌いと言ったレヴィの方も少なくとも本気で受け取られるとは思ってなかったが、逆に正論で返されるとも思っていなかった。
「自分の好意を無碍にされて憤慨する。そのさまを嫌いという言葉で表現する。つまり、貴様にとっての嫌いとは、好きだと言っているだけだ」
「ちっ……ちが!」
レヴィは慌てて顔を上げると、【敗者】とバッチリ目が合った。
「否定しても無駄だ。友人として、家族として、利害関係として、バディとして、恋愛感情として……僕にとってはどれでも構わないし関係ない。貴様はとうに見透かされている、という訳だ。好きなんだろう?」
【敗者】は怒っている様子でも喜んでいる様子でもなく、淡々と言葉を紡いだ。
レヴィは目を逸らすと恐る恐る頷いて、ブツブツと声を呟く。
「……好き、です。でっ、でもその、お嫁さんとかそういうのじゃなくて、その……バディ、として」
「……」
馬鹿らしい嘘だとレヴィは思ったが、彼女がその言葉を紡ぐことには意味がある。
それを【敗者】も分かっているし、そこには口を挟まなかった。
「で?何が不満なんだ?」
「やだ」
「やだじゃない。言え。何時まで引っ張るつもりだ」
「自分で解決するっていったもん!」
「僕にはそれを知る権利がある」
「絶対わたしのこと見放すし嫌いになるからイヤ!」
「しないと言っているだろう」
「全知になるって言ってるのにこんなこともわかんないの?」
「分からないな。何せお前は僕にとっての想定外ばかり見せてくる。僕の考えている解などあってないようなものだ」
【敗者】の言葉は彼のプライドに傷を付ける言葉だ。【敗者】がレヴィのような分かりやすく馬鹿な女の前で自分に知識がないと言う事は、レヴィが思っているよりずっとハードルが高い。それでも【敗者】は言った。
ここまで頑固なレヴィの前では、変に取り繕ったり嘘をついたりしても絶対に話してくれない。
腹を割って話そうという姿勢を見せるしかないのだ。
「るーさのばか……」
レヴィは目を逸らし、頬をぷっくり膨らませてあからさまに怒っている様子を見せた。
むぅ、と不満げな呻き声を上げても【敗者】は何も話さず、レヴィはしばらくしてからボソボソと聞こえるかどうかくらいの小声で話し始めた。
「わたし、……わたし、シオン嫌なの、【敗者】が取られちゃうって思うと怖くて、……わたしが、【敗者】の中で一番になりたくて……」
「……シオンはもう居ない」
居ないから嫌なのだ。居たら殺した。居たら直接拒絶した。でも居ないのに執着されたらレヴィにはどうしようも出来ない。
殺せもしないし、排除もできない、でも【敗者】はずっと恋しがっている。
そんな風に死んでも忘れられない存在に、自分はなることが出来ない。
レヴィはそんな劣等感と嫉妬が沸騰すると涙がもっと溢れ出し、ボロボロと垂れ流しながらみっともなく叫んだ。
「でもあんたの心の中だとわたしよりもずっとおっきく居るもん!それがやなの!忘れて!」
レヴィが嫉妬しているのも劣等感を抱いているのも【敗者】にはすぐに分かったが、しかしレヴィの要求は無茶な話だ。
「あれほど大きな存在を、そう簡単に忘れられるものか……」
数百年賭けて追い求めてきた生きがいから目を離すのだって難しいのに、忘れろなどというのはもっと難しい。
だって【敗者】にははるか昔の喪失感が未だに自分の心を支配するほど、物事を忘れることが出来ないのだから。
そして、それをレヴィももちろん分かっていた。
だって【敗者】は今でもずっと悲しそうで、苦しそうで、辛そうで、痛みに嘆き悲鳴を上げるように怒っているのだから。
「だから解決しないってわかってたのに……ひとりで、なんとかするっていったのにぃい……!」
レヴィは【敗者】への感情と自分自身の感情に耐えられずついにわんわんと大声を上げて泣き出した。
こんなにも強い感情に挟まれてどうにも出来なくなってしまった経験などレヴィにはない。
頭がパンクしてどうすればいいか分からず、ただ喚き散らして泣きじゃくるしか分からないのだ。
「大丈夫だ、お前は勘違いをしているだけだ」
泣きわめくレヴィの背中をポンポンと叩きながら、【敗者】は静かに言葉を紡いだ。
「何も大丈夫じゃないもん!」
レヴィは癇癪を起こした子供のように酷く泣き喚き、顔を涙でぐちゃぐちゃに濡らしていた。
レヴィの独りよがりに泣き続けるさまに【敗者】はため息を着くと、ふと端末を取り出してレヴィの身体データを眺めてみた。
グラン類似エネルギーの数値が高まっている。
感情に影響されるのだろうか、と【敗者】はぼんやりその数値を見つめていた。
いや、数値が上がっても、何か形となって出る訳では無い。
通常は非活性化状態で体内に蓄積されており、グラン類似エネルギーを使用する際に数値が高まると同時にエネルギーとして活性化する必要があるみたいだ。
そう考え込んでいると、レヴィは泣き疲れたのかだんだん泣き声が小さくなってくる。
そこで【敗者】はハンカチでレヴィの顔を拭い、隣に座るとレヴィの手をゆっくりと握った。
「シオンを忘れることは難しい事だ。しかし、今の僕にとって一番重要で、一番大きな物はレヴィだ。だから、忘れなければいけない道理も無い」
「……ほんとにぃ?」
「あぁ。恨めしい程に、いつもお前の事を考えている」
「ぐずっ……」
レヴィを見ていると、心の中がじくじくと熱くなる。気持ち悪いのに何故か心地良さも感じる生温い違和感が【敗者】の中にまとわりついて、レヴィが自分の胸の中で泣きじゃくる様を見ると手が震えた。
この手を動かさざるを得ない。何のために何をするか、それは分からないが、とにかくレヴィの頭を撫でて、抱きしめたくて堪らない。
「……可愛い」
「わたしかわいくないもん……」
レヴィは【敗者】の瞳に映る自分の顔がみっともなくて嫌になり、ふいと目を逸らした。
しかし【敗者】はそこを引き寄せて、レヴィの頬にキスをして、それからゆっくりと抱きしめる。
「お前は、僕の唯一の味方だ。バディだ。僕に従い、僕の為に尽くしてくれる存在だ。それはシオンには出来なかったことだ。特別なんだよ、レヴィ」
「……そうなの?」
「あぁ、だから……だから大丈夫だ……」
【敗者】は抱き寄せたままゆっくりとレヴィの体を揺らし、頭を撫でる。
するとレヴィはもう返事を返すことはなく、【敗者】に体を預けたまま、少しすると寝息を立てて寝始めた。
「……レヴィ」
【敗者】はぎゅっと彼女を抱き寄せ、唇に触れてキスを落とした。
二章で大体どれくらいの話数になるかを計算していた所、それなりに長くなりそうなので三章もしくは四章以降を続編という形で作品を分けるか検討しています。話数が長すぎると管理が少々面倒なのと、読者からしても見にくいのでは?と思ったため。
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続編として作品を分ける
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分けないで一つの作品でまとめる